2015年12月28日
タイと日本の伝統文化の違い (前編)
最初に、伝統,文化の意味を確認したい。
※伝統―ある民族・集団・社会において、古くから受け継いで行われてきている、有形無形の様式・風習・傾向
※文化―人間が、その精神の働きによって、地上に作り出した有形・無形のものすべてで、学習によって伝承してゆくもの。特に、その物質的所産を「文明」というのに対して、その精神的所産を「文化」ということが多い
(出典:「シャープ電子辞書」)
1、タイの文化(特に、「武術」)一考察
私は地方公務員として、30有余年真面目に(?)勤め上げ、円満に定年退職をした。そして、8年前に諸事情と世の流れで、この地「タイ」に移り住むようになった。
タイとの関係を思い起こせば、この地へ初めて渡ったのは、43か4歳の時であるから、既に、早くも25年近くが過ぎ去っている。
そのような中、私は、退職する5年前から縁あって杖道と巡り合い修行をはじめた。杖道は(海外に住んで居て独り稽古が多い。)昨年なんとか四段を「授与」することが出来た。
そんなことで、合縁奇縁によって、日本から飛行機で約6時間も離れた、東南アジアの一国タイ国に住まわしていただいて居るので、本題の『タイの文化(特に、「武術」)』について考えてみたいと思います。
タイ国の武術(道)と言えば、何と言っても世界的(?)というか、日本でもテレビで馴染みであり、いの一番に挙げなければならないのが、「キック・ボクシング」という名称で知られているのが、「ムエタイ」(タイ式ボクシング『タイ語』มวย ใฑย muai thai)である。
その他にはというと、
以前インターネットにて調べたところ、〔平成23年5月18日投稿「タイ武術」参照〕
(1)フォン・ダンプ(剣の武術)
(2)フォンマイコン(木の棒を使用)
(3)フォンジューン(舞踊的な体操・武術)
(4)クラビ・クラボーン(二刀流)
(参考)タイ語 ・刀(ダブ) ・木(マイ) ・フォン(? 踊り か)
では、これらの武術や舞踊が、日本の武術(道)と同じ様に、日常、恒常的にタイ全土(又は特定地域)で、修練ないしは稽古の類が行われているかというと、(一部の武術を除き)甚だ疑問が沸いてくる。
そのためか、一般の人達がこれらの武術を気軽に、そして、簡単に見る事が出来るか、と言うと希少と言う事の方が妥当であろう、ひいては、興味が沸けば気軽にその「門を叩く」、という好循環の結果も期待でき得ない事になる、のではないかと思料します。
極端な見方をすれば、これらのタイ武術は一般のタイの人達には、全く馴染みが無い点が、、国民に広く浸透する事を阻む、大きな要因ではないかと考えられます。
タイ国内では過去に、伝統的な武術はあまり育ち得なかったのか? … …。
私は日本でも、時代劇、特に、戦闘や戦記物の映画が大好きで、よく見ています。
タイのテレビでも、(言葉は不得手ですので意味は判りませんが。)得に好きなのは、「アユタヤ王朝期」の隣国間と繰り広げられる、領土争い等の戦闘場面が大好きです。その集団の中には、日本人と思しき甲冑等を身に纏った人達の集団も見える。(山田長政か?)
その戦いの場面で私が、特に一番強く印象付けられていて目を引くのが、タイ人の武士(もののふ)が二刀を背負い、それを両の手で自由自在に扱う刀法です。
タイ刀(私が名付けた「シャム刀」)の外観は、日本刀と比較すると柄がかなり長く、それに比べると刀身が短い。何か全体の印象は、不恰好である。(どうしても、日本刀の拵えと比較してしまいますので。)
この様な造りは何故なのか、疑問が有りますが、話を聞く人が居ないので、未だ疑問のままである。
今も特に多く製造されているのが、アユタヤであると伝え聞くが。
(テレビを見ていると)刀法上、この長い柄を片手で扱うのであるから、半分の長さでも十分ではないか、とも思ってしまう。
しかし、実際、今まで自分でこの刀を手にして、十分に扱った事が無い。そのために、刀の構造上事、重心や全体の重さ加減が判らないから、何とも言えないが、この柄の長さで刀を駆使しながら、時には接近戦では、一刀で刀を受けながら、相手を蹴り込み倒す事も有る。この刀と体術の組合せは、頻繁に場面場面で駆使されている。
この動作(刀法と蹴りの組合せ)は遣ってみると判るが、余程修練し慣れないと出来ない。
刀法と体術の組合せ動作は、実際に遣ってみると判るが難しい。刀を片方で受けられても、蹴りを出すという行為が、重心の位置によって出しずらい。難しい動きである事には間違いはない。それをいとも簡単に行っているのである。関心せざるを得ない。
実は二度程この刀を模した「物」を以前、夜店と地方の土産品店頭に、陳列してあるのを手に取って見た事がある。
全体の造作がいい加減である。本当に『駄物』である。金額も安価であるが、造りがいかにも粗悪であり貧相このうえもない。刀身も単に鋼鉄を叩いて伸ばし、それを、研いだもので、柄との接合部分も安直な感じがした。もちろん購入はしなかった。
(後編へ)
※伝統―ある民族・集団・社会において、古くから受け継いで行われてきている、有形無形の様式・風習・傾向
※文化―人間が、その精神の働きによって、地上に作り出した有形・無形のものすべてで、学習によって伝承してゆくもの。特に、その物質的所産を「文明」というのに対して、その精神的所産を「文化」ということが多い
(出典:「シャープ電子辞書」)
1、タイの文化(特に、「武術」)一考察
私は地方公務員として、30有余年真面目に(?)勤め上げ、円満に定年退職をした。そして、8年前に諸事情と世の流れで、この地「タイ」に移り住むようになった。
タイとの関係を思い起こせば、この地へ初めて渡ったのは、43か4歳の時であるから、既に、早くも25年近くが過ぎ去っている。
そのような中、私は、退職する5年前から縁あって杖道と巡り合い修行をはじめた。杖道は(海外に住んで居て独り稽古が多い。)昨年なんとか四段を「授与」することが出来た。
そんなことで、合縁奇縁によって、日本から飛行機で約6時間も離れた、東南アジアの一国タイ国に住まわしていただいて居るので、本題の『タイの文化(特に、「武術」)』について考えてみたいと思います。
タイ国の武術(道)と言えば、何と言っても世界的(?)というか、日本でもテレビで馴染みであり、いの一番に挙げなければならないのが、「キック・ボクシング」という名称で知られているのが、「ムエタイ」(タイ式ボクシング『タイ語』มวย ใฑย muai thai)である。
その他にはというと、
以前インターネットにて調べたところ、〔平成23年5月18日投稿「タイ武術」参照〕
(1)フォン・ダンプ(剣の武術)
(2)フォンマイコン(木の棒を使用)
(3)フォンジューン(舞踊的な体操・武術)
(4)クラビ・クラボーン(二刀流)
(参考)タイ語 ・刀(ダブ) ・木(マイ) ・フォン(? 踊り か)
では、これらの武術や舞踊が、日本の武術(道)と同じ様に、日常、恒常的にタイ全土(又は特定地域)で、修練ないしは稽古の類が行われているかというと、(一部の武術を除き)甚だ疑問が沸いてくる。
そのためか、一般の人達がこれらの武術を気軽に、そして、簡単に見る事が出来るか、と言うと希少と言う事の方が妥当であろう、ひいては、興味が沸けば気軽にその「門を叩く」、という好循環の結果も期待でき得ない事になる、のではないかと思料します。
極端な見方をすれば、これらのタイ武術は一般のタイの人達には、全く馴染みが無い点が、、国民に広く浸透する事を阻む、大きな要因ではないかと考えられます。
タイ国内では過去に、伝統的な武術はあまり育ち得なかったのか? … …。
私は日本でも、時代劇、特に、戦闘や戦記物の映画が大好きで、よく見ています。
タイのテレビでも、(言葉は不得手ですので意味は判りませんが。)得に好きなのは、「アユタヤ王朝期」の隣国間と繰り広げられる、領土争い等の戦闘場面が大好きです。その集団の中には、日本人と思しき甲冑等を身に纏った人達の集団も見える。(山田長政か?)
その戦いの場面で私が、特に一番強く印象付けられていて目を引くのが、タイ人の武士(もののふ)が二刀を背負い、それを両の手で自由自在に扱う刀法です。
タイ刀(私が名付けた「シャム刀」)の外観は、日本刀と比較すると柄がかなり長く、それに比べると刀身が短い。何か全体の印象は、不恰好である。(どうしても、日本刀の拵えと比較してしまいますので。)
この様な造りは何故なのか、疑問が有りますが、話を聞く人が居ないので、未だ疑問のままである。
今も特に多く製造されているのが、アユタヤであると伝え聞くが。
(テレビを見ていると)刀法上、この長い柄を片手で扱うのであるから、半分の長さでも十分ではないか、とも思ってしまう。
しかし、実際、今まで自分でこの刀を手にして、十分に扱った事が無い。そのために、刀の構造上事、重心や全体の重さ加減が判らないから、何とも言えないが、この柄の長さで刀を駆使しながら、時には接近戦では、一刀で刀を受けながら、相手を蹴り込み倒す事も有る。この刀と体術の組合せは、頻繁に場面場面で駆使されている。
この動作(刀法と蹴りの組合せ)は遣ってみると判るが、余程修練し慣れないと出来ない。
刀法と体術の組合せ動作は、実際に遣ってみると判るが難しい。刀を片方で受けられても、蹴りを出すという行為が、重心の位置によって出しずらい。難しい動きである事には間違いはない。それをいとも簡単に行っているのである。関心せざるを得ない。
実は二度程この刀を模した「物」を以前、夜店と地方の土産品店頭に、陳列してあるのを手に取って見た事がある。
全体の造作がいい加減である。本当に『駄物』である。金額も安価であるが、造りがいかにも粗悪であり貧相このうえもない。刀身も単に鋼鉄を叩いて伸ばし、それを、研いだもので、柄との接合部分も安直な感じがした。もちろん購入はしなかった。
(後編へ)
2015年12月12日
武道を修行する者としてタイ国から故国・日本を思う その弐
「武道を修行する者としてタイ国から故国・日本を思う その壱」を投稿したのが、今年1月4日でした。
私のブログ 武道修行(道を求めて)も、お蔭様で読んでくださった方が、(本日)先程確認したところ、7万7千人を超えました。
ありがとうございます。
拙い文章題材と構成でも、7万7千人の方々が目を通してくれているということを肝に銘じ、また、意気に感じて、今日は、「武道を修行する者としてタイ国から故国・日本を思う その弐」を投稿したいと思います。
その壱を投稿してから、月日がかなり経過してしまった。元来が筆不精の性格であるために、一度その手の動きが止まると、次の再稼動までに、少なからず時間が必要とする。
そおも言っていられません。その弐です。
歴史の真実は、そうです、一つです。日本国の歴史事象を、一番よく知りつくしていて、一番心から理解しているのは、日本人自身です。
これは、日本国が関わった国内外関係なく、歴史事象に対しても明確に言えることです。
その一つが、前大戦(大東亜戦争)の慰安婦(?)が、従軍慰安婦などというありもしない、虚構の造語で呼ばれている事実です。
『従軍』とは、(と辞書を引くと)そもそも軍隊について戦争に行くこと。例えば、「従軍看護婦ー軍属として従軍する」と書かれています。
慰安婦なる言葉、一寸意味不明ですが、違った観点で歴史を紐解くと、日本国においても、昭和31年に「売春防止法」(法律第118号 完全施行は、昭和32年4月1日)が法律として成立するまでは、歴史的な事実として、所謂、『売春婦』といわれる人がいた。
その人達についての賛否はいろいろな意見があると思うだろうが、現実、このような人達が存在し、前大戦時にも陰に陽に軍隊と関わって事は、歴史の公然の事実である。
この人達を強制的に連行し、奴隷のように強制的に労働に従事させていた、などという事が、実しやかに巷(国内外)に流されている。
流言飛語的に言えば、「性奴隷」(sex slave)なる者がいたという。(呆れて開いて口が塞がらない。)
このような動かぬ事実が残っている。
当時、これらの業務に直接関わる人を、新聞等で公募した時に掲載された記事が、今も残っている。
驚くのは、支払うという給金が(金額はあえて明記しなしが)、当時の軍隊に入隊した新兵の給料と比較しても、かなりの高額な所得を手にしていた、事は間違いのない事実である。(これが「奴隷」でしょうか。)
また、休日等で海へ出かけたりして、戯れている女性達の写真も残されている。
喧伝されている『性奴隷』のような過酷で劣悪な生活環境や、待遇を強いられていた、などという記事を作り出し掲載して、垂れ流している新聞雑誌類があるが、これらは全くの創作である。意図は、日本国及び日本人を貶めるための、捏造の他の何ものでもない。
戦時中の日本国軍隊において、軍人の隊内外における秩序維持や、体調管理(性病予防)の欠落は戦闘能力の欠如になり、ひいては全体的な戦力低下に陥るために、事の外厳しく管理監督が進んでいたものと思慮します。
この件については長くなるので本日はこの辺で止めますが、私としては、日本武道を心から愛し修行している一日本人としても、日本国及び日本人を貶める如何なる行為も許さない所存です。私は、国粋主義者です。
この考えに賛同する方は、記事にその旨ご投稿ください。 お待ちしています。
海外に居るから出来る事を探して、がんばっていきましょう。
私のブログ 武道修行(道を求めて)も、お蔭様で読んでくださった方が、(本日)先程確認したところ、7万7千人を超えました。
ありがとうございます。
拙い文章題材と構成でも、7万7千人の方々が目を通してくれているということを肝に銘じ、また、意気に感じて、今日は、「武道を修行する者としてタイ国から故国・日本を思う その弐」を投稿したいと思います。
その壱を投稿してから、月日がかなり経過してしまった。元来が筆不精の性格であるために、一度その手の動きが止まると、次の再稼動までに、少なからず時間が必要とする。
そおも言っていられません。その弐です。
歴史の真実は、そうです、一つです。日本国の歴史事象を、一番よく知りつくしていて、一番心から理解しているのは、日本人自身です。
これは、日本国が関わった国内外関係なく、歴史事象に対しても明確に言えることです。
その一つが、前大戦(大東亜戦争)の慰安婦(?)が、従軍慰安婦などというありもしない、虚構の造語で呼ばれている事実です。
『従軍』とは、(と辞書を引くと)そもそも軍隊について戦争に行くこと。例えば、「従軍看護婦ー軍属として従軍する」と書かれています。
慰安婦なる言葉、一寸意味不明ですが、違った観点で歴史を紐解くと、日本国においても、昭和31年に「売春防止法」(法律第118号 完全施行は、昭和32年4月1日)が法律として成立するまでは、歴史的な事実として、所謂、『売春婦』といわれる人がいた。
その人達についての賛否はいろいろな意見があると思うだろうが、現実、このような人達が存在し、前大戦時にも陰に陽に軍隊と関わって事は、歴史の公然の事実である。
この人達を強制的に連行し、奴隷のように強制的に労働に従事させていた、などという事が、実しやかに巷(国内外)に流されている。
流言飛語的に言えば、「性奴隷」(sex slave)なる者がいたという。(呆れて開いて口が塞がらない。)
このような動かぬ事実が残っている。
当時、これらの業務に直接関わる人を、新聞等で公募した時に掲載された記事が、今も残っている。
驚くのは、支払うという給金が(金額はあえて明記しなしが)、当時の軍隊に入隊した新兵の給料と比較しても、かなりの高額な所得を手にしていた、事は間違いのない事実である。(これが「奴隷」でしょうか。)
また、休日等で海へ出かけたりして、戯れている女性達の写真も残されている。
喧伝されている『性奴隷』のような過酷で劣悪な生活環境や、待遇を強いられていた、などという記事を作り出し掲載して、垂れ流している新聞雑誌類があるが、これらは全くの創作である。意図は、日本国及び日本人を貶めるための、捏造の他の何ものでもない。
戦時中の日本国軍隊において、軍人の隊内外における秩序維持や、体調管理(性病予防)の欠落は戦闘能力の欠如になり、ひいては全体的な戦力低下に陥るために、事の外厳しく管理監督が進んでいたものと思慮します。
この件については長くなるので本日はこの辺で止めますが、私としては、日本武道を心から愛し修行している一日本人としても、日本国及び日本人を貶める如何なる行為も許さない所存です。私は、国粋主義者です。
この考えに賛同する方は、記事にその旨ご投稿ください。 お待ちしています。
海外に居るから出来る事を探して、がんばっていきましょう。
2015年11月12日
全日本剣道連盟杖道四段受審後一年が経過して感じる事。 其の壱
昨年の10月11日に四段を受審し、何とか、合格点をいただきました。あれから一年が経ちました。
今も心にひっかかっている事が有ります。
四段の実技審査は「段位審査規則・細則」によって、制定杖の「形」七本目(霞)から十一本目(乱留)までの五本となっています。
私は、最初に打太刀となりました。
一本目「霞」が終了し、二本目「太刀落」と進み、三本目「雷打」が終わり、後残すところ二本と成った時に、右隣の受験者の方が八相に構え、間合いを詰めて行きました。
私も何気なく八相に構え間合いを詰めるため、二歩ほど進んだところで停まり、構えを解き左に居ります審査委員の先生方に会釈をして、左足から仕切り線の所に戻り、再度、審査委員の先生方に会釈をし直し、帯刀姿勢に入り、四本目の「正眼」を行い、最後まで演武を終了しました。
(受審を終えての反省点)
・何時も稽古をしている組形であるから、五本しかないからと、安心しきった中での演武であった。
(今後の受審時の留意事項)
・稽古の時から、次の技は何本目、という事を常に意識をしていく事。また、稽古の時もこの点を強く意識する。
仕杖との間合いを詰めていく過程で、自分なりに気が付き技を継続していった事が、何とか合格点に繋がったと思います。
稽古場で何時も言っている事は、「途中で技を間違ってもやめない。続ける事が大切です。」
これが今回、自分に生きて来た‘’ことば‘’です。
如何に間違いに早く気が付き、新たな気持ちで本来の組形演武に持っていけるか。
それには矢張り、普段どれだけ真剣に稽古に励んでいるかによって、生まれてくることではないかと思っています。
じつは四段になって三段までと稽古の仕方、技の決め方等々も、この一年間で何か一つ吹っ切れたものを自分成りに感じています。
例えば其の一つは、基本技の「引落打」ですが、軸のぶれを無くす事の意識とともに、杖の効果を最大限に生かせるように工夫をしてきている事です。自分の体の軸回転と遠心力の活用です。
其の他にもここ一年間で何か全体的に、力が抜けてきた感じがしています。
其の事に関しても今後おいおい投稿していきたいと思っています。
今も心にひっかかっている事が有ります。
四段の実技審査は「段位審査規則・細則」によって、制定杖の「形」七本目(霞)から十一本目(乱留)までの五本となっています。
私は、最初に打太刀となりました。
一本目「霞」が終了し、二本目「太刀落」と進み、三本目「雷打」が終わり、後残すところ二本と成った時に、右隣の受験者の方が八相に構え、間合いを詰めて行きました。
私も何気なく八相に構え間合いを詰めるため、二歩ほど進んだところで停まり、構えを解き左に居ります審査委員の先生方に会釈をして、左足から仕切り線の所に戻り、再度、審査委員の先生方に会釈をし直し、帯刀姿勢に入り、四本目の「正眼」を行い、最後まで演武を終了しました。
(受審を終えての反省点)
・何時も稽古をしている組形であるから、五本しかないからと、安心しきった中での演武であった。
(今後の受審時の留意事項)
・稽古の時から、次の技は何本目、という事を常に意識をしていく事。また、稽古の時もこの点を強く意識する。
仕杖との間合いを詰めていく過程で、自分なりに気が付き技を継続していった事が、何とか合格点に繋がったと思います。
稽古場で何時も言っている事は、「途中で技を間違ってもやめない。続ける事が大切です。」
これが今回、自分に生きて来た‘’ことば‘’です。
如何に間違いに早く気が付き、新たな気持ちで本来の組形演武に持っていけるか。
それには矢張り、普段どれだけ真剣に稽古に励んでいるかによって、生まれてくることではないかと思っています。
じつは四段になって三段までと稽古の仕方、技の決め方等々も、この一年間で何か一つ吹っ切れたものを自分成りに感じています。
例えば其の一つは、基本技の「引落打」ですが、軸のぶれを無くす事の意識とともに、杖の効果を最大限に生かせるように工夫をしてきている事です。自分の体の軸回転と遠心力の活用です。
其の他にもここ一年間で何か全体的に、力が抜けてきた感じがしています。
其の事に関しても今後おいおい投稿していきたいと思っています。
2015年01月04日
武道を修行する者としてタイ国から故国・日本を思う その壱
日本から「空中遠距離鉄製大衆運搬乗物」で約6時間。自由を制限された鉄の塊の中で過ごす、「とき」のなんと長いことか。しかし、それも決められた定めのあっての事。それを逸脱する事は、この乗物に乗せてもらえない事である。全て世の中、その場、その物事等により決められし「定め」で動かされている。
さて、前置きはこれぐらいにしまして、正月ですので気持ちも新たに、日本・日本国の「こと」を考えてみたいと思います。
日本国を取り巻く環境が決して穏やかではない事は、以前の比ではありません。特に、歴史問題を楯に取った近隣諸国の日本攻撃(叩き)は、目に余るものがあります。また、国内でもそれに助長し煽る行為を公然と行う、個人団体が存在する事は、何とも憤懣遣る方無い思いがしてまいります。
「歴史問題」とは。
真実の歴史は一つしか無いはずです。「日本国の刻んできた歴史を」他国が、この時期の歴史はこうである。こうでなくてはならない。このような事があった。等々勝手気ままに、御託を並べ挙句の果てには、歴史の捏造を平然と行い、世界に公言と垂れ流しをしている。これは許しがたき行為である。
日本国はそれに対しどのような対応策を講じてきたかといえば、(以前からの踏襲で)謝罪を繰り返す外交等をしてきただけで、(真実の歴史)で反論を試みると「歴史修正主義者」と評される始末である。
いつまで諸国に対して、謝罪をし続けていくのか。日本国はそれでよいのか。これまで日本国を築き上げてきた先人に対して、申し訳と共に恥ずかしくないのか。
今読んでいる本「繁栄の行きつく先 歴史を忘れた日本人」(著者 村上兵衛)約30年前に書かれた本であるが、今読んでも何とも納得のいく事柄が多い。
著者は「はじめに」でこう書いている。
『今日の日本人のひとつの特色をいえば、それは「歴史を知らない」ということだろう。とりわけ戦後世代はだいいちに学校で歴史、とくに近代・現代の日本の歴史をろくに習うことなく育ち、社会的にも“歴史意識”をやしなう機会のないままに過ごしてきた。』
(「近代」明治維新以後の時代。 「現代」大東亜戦役以後現在までの時代。)
先の大戦で有史以来、初めて(対外的に)敗北した日本国。その後の占領軍により成された施策の功罪は多くのものがある。しかし、その「ぬるま湯」にながながと浸り、母親の庇護の基よろしく、安穏と木偶の坊然として傘の下で平穏を謳歌していたのも、また、日本国である。その「つけ」が襲いかかってきている。
(これでいいのか、「日本」国,人)
勤勉で、実直で、「義」を重んじる国民。海外でもその評価は高い。
タイに住んでいても心強いものがあるが、その反面、背負っている、「日本国」の認識はずしりと重い気がします。
海外で生活している一人一人がきっと気が付かない中で、漠然とではあるが意識下の中にあることではないでしょうか。
これは、一重に日本人として二千六百年以上の長い歴史の中で培ってきた、日本人としての「意識」(DNAの作用)でしょう。
「タイ国から故国・日本を思う その弐」 は、近い内に投稿させていただきます。
さて、前置きはこれぐらいにしまして、正月ですので気持ちも新たに、日本・日本国の「こと」を考えてみたいと思います。
日本国を取り巻く環境が決して穏やかではない事は、以前の比ではありません。特に、歴史問題を楯に取った近隣諸国の日本攻撃(叩き)は、目に余るものがあります。また、国内でもそれに助長し煽る行為を公然と行う、個人団体が存在する事は、何とも憤懣遣る方無い思いがしてまいります。
「歴史問題」とは。
真実の歴史は一つしか無いはずです。「日本国の刻んできた歴史を」他国が、この時期の歴史はこうである。こうでなくてはならない。このような事があった。等々勝手気ままに、御託を並べ挙句の果てには、歴史の捏造を平然と行い、世界に公言と垂れ流しをしている。これは許しがたき行為である。
日本国はそれに対しどのような対応策を講じてきたかといえば、(以前からの踏襲で)謝罪を繰り返す外交等をしてきただけで、(真実の歴史)で反論を試みると「歴史修正主義者」と評される始末である。
いつまで諸国に対して、謝罪をし続けていくのか。日本国はそれでよいのか。これまで日本国を築き上げてきた先人に対して、申し訳と共に恥ずかしくないのか。
今読んでいる本「繁栄の行きつく先 歴史を忘れた日本人」(著者 村上兵衛)約30年前に書かれた本であるが、今読んでも何とも納得のいく事柄が多い。
著者は「はじめに」でこう書いている。
『今日の日本人のひとつの特色をいえば、それは「歴史を知らない」ということだろう。とりわけ戦後世代はだいいちに学校で歴史、とくに近代・現代の日本の歴史をろくに習うことなく育ち、社会的にも“歴史意識”をやしなう機会のないままに過ごしてきた。』
(「近代」明治維新以後の時代。 「現代」大東亜戦役以後現在までの時代。)
先の大戦で有史以来、初めて(対外的に)敗北した日本国。その後の占領軍により成された施策の功罪は多くのものがある。しかし、その「ぬるま湯」にながながと浸り、母親の庇護の基よろしく、安穏と木偶の坊然として傘の下で平穏を謳歌していたのも、また、日本国である。その「つけ」が襲いかかってきている。
(これでいいのか、「日本」国,人)
勤勉で、実直で、「義」を重んじる国民。海外でもその評価は高い。
タイに住んでいても心強いものがあるが、その反面、背負っている、「日本国」の認識はずしりと重い気がします。
海外で生活している一人一人がきっと気が付かない中で、漠然とではあるが意識下の中にあることではないでしょうか。
これは、一重に日本人として二千六百年以上の長い歴史の中で培ってきた、日本人としての「意識」(DNAの作用)でしょう。
「タイ国から故国・日本を思う その弐」 は、近い内に投稿させていただきます。
2015年01月01日
タイ国での年末年始の武道修行
私の年末年始は、ここ十年来の恒例となった年越し「武道稽古」で、終わり、そして、始まる。
午後10時半頃に沐浴し稽古着になり、11時頃から稽古を始める。
一年間の思いを込めて、最初は、杖の(全日本剣道連盟制定形)基本12本を行う。
(正面に礼を行い。始める。)
薄暗い道場で静かな気合を込めて、一本一本、足を運び杖をゆっくりと振り、打ち込んでいく。
本手打から返し突を行っているあたりから、うっすらと背に汗が滲んでくる。(やはり、タイである。)
十二本目の体外打をゆっくりと終え、正面に礼を行い杖から太刀に使用する道具を換える。
正面に礼を行い、刀礼を行い、静かに居のままの抜き付けを行う。
粛々と闇の中の仮想敵に向かい抜き付ける。
(家が建築途中の状態であるので、明かりは道路の街灯のみ。)
次に、夢想神伝流 一本目「初発刀」をやはり闇の仮想敵に向かい抜き付ける。
次は、昇段審査上の課題としている、同じく古流の初伝 大森流 九本目「勢中刀」を抜く。
ここで、午後11時50分となったので、居間(?)に戻る。
午前零時。本年の「誓願」(五つ)を記載する。これも、ここ十年来行っている事であり、自分にとっての一年間の願い事や目標でもあり誓いでもある。実現に向けて一年間鋭意努力する。
零時10分。再び道場に。
(正面に礼の後)
杖の全日本剣道連盟制定形 十二本(一本目「着杖」から「乱合」)を「杖」の形のみ稽古を行う。
この薄闇の中で、体を捌き杖を振っていると、自然と古の杖を稽古していた先人達との対話ができてくる。
(稽古;いにしえ「を」かんがえる。くらべる。とどめる。 と辞書にある。)
杖は、四百年以上の歴史がある武術,武道である。この間にこの「道」に携わった、慣れ親しんだ先人達はどれほどの人が居たことだろう。
今、私がここでこうして杖を振っているのも、そういう人達が居たればこその杖道である、と自己納得しての稽古を行う。
次に、居合は、全日本剣道連盟制定形 一本目「前」から十二本目「抜き打ち」をゆっくりと抜く。闇を切り裂く刃筋の音を確認しながら、本年の昇段審査に向けての誓いを新たにする。
最後は、私の居合抜き恒例としている、夢想神伝流 十二本目「抜刀」を行い、大晦日から新年にかけての「稽古」を終了とする。
この年越し「武道稽古」は、前年の稽古の成果を翌年に引き継いでゆくための、貴重な、自分にとっての大切な稽古である。体の続く限りこの稽古を続けていきたいと考えている。
さて、昨年は全剣盟杖道の昇段審査を受審した。本年は同じ全剣盟居合の昇段審査に挑戦をする。
審査に向けては稽古を積んで鋭意努力はするが、本番は、天命を待つのみである。
審査予定は本年9月である。基本を大切に稽古あるのみです。
午後10時半頃に沐浴し稽古着になり、11時頃から稽古を始める。
一年間の思いを込めて、最初は、杖の(全日本剣道連盟制定形)基本12本を行う。
(正面に礼を行い。始める。)
薄暗い道場で静かな気合を込めて、一本一本、足を運び杖をゆっくりと振り、打ち込んでいく。
本手打から返し突を行っているあたりから、うっすらと背に汗が滲んでくる。(やはり、タイである。)
十二本目の体外打をゆっくりと終え、正面に礼を行い杖から太刀に使用する道具を換える。
正面に礼を行い、刀礼を行い、静かに居のままの抜き付けを行う。
粛々と闇の中の仮想敵に向かい抜き付ける。
(家が建築途中の状態であるので、明かりは道路の街灯のみ。)
次に、夢想神伝流 一本目「初発刀」をやはり闇の仮想敵に向かい抜き付ける。
次は、昇段審査上の課題としている、同じく古流の初伝 大森流 九本目「勢中刀」を抜く。
ここで、午後11時50分となったので、居間(?)に戻る。
午前零時。本年の「誓願」(五つ)を記載する。これも、ここ十年来行っている事であり、自分にとっての一年間の願い事や目標でもあり誓いでもある。実現に向けて一年間鋭意努力する。
零時10分。再び道場に。
(正面に礼の後)
杖の全日本剣道連盟制定形 十二本(一本目「着杖」から「乱合」)を「杖」の形のみ稽古を行う。
この薄闇の中で、体を捌き杖を振っていると、自然と古の杖を稽古していた先人達との対話ができてくる。
(稽古;いにしえ「を」かんがえる。くらべる。とどめる。 と辞書にある。)
杖は、四百年以上の歴史がある武術,武道である。この間にこの「道」に携わった、慣れ親しんだ先人達はどれほどの人が居たことだろう。
今、私がここでこうして杖を振っているのも、そういう人達が居たればこその杖道である、と自己納得しての稽古を行う。
次に、居合は、全日本剣道連盟制定形 一本目「前」から十二本目「抜き打ち」をゆっくりと抜く。闇を切り裂く刃筋の音を確認しながら、本年の昇段審査に向けての誓いを新たにする。
最後は、私の居合抜き恒例としている、夢想神伝流 十二本目「抜刀」を行い、大晦日から新年にかけての「稽古」を終了とする。
この年越し「武道稽古」は、前年の稽古の成果を翌年に引き継いでゆくための、貴重な、自分にとっての大切な稽古である。体の続く限りこの稽古を続けていきたいと考えている。
さて、昨年は全剣盟杖道の昇段審査を受審した。本年は同じ全剣盟居合の昇段審査に挑戦をする。
審査に向けては稽古を積んで鋭意努力はするが、本番は、天命を待つのみである。
審査予定は本年9月である。基本を大切に稽古あるのみです。
タグ :日記
2014年11月11日
神道夢想流杖術と全日本剣道連盟杖道制定形
以前から気になっていた事。
神道夢想流杖術と全本日剣道連盟杖道制定形。
いろんな形で投稿されている「ブログ」を読んだり、YouTubeを観ていて、書かれている言葉や、そこで説明をしている人の言葉を聞いていると、杖術と杖道が混同されて使用されている感がある。(説明している人が、この違いを知っているのか知らないか判らないが。)
例えばYouTubeで、それも外国にて、神道夢想流杖道と堂々と演武の前説明で言っている高段(?)者の方がいました。その演武内容を拝見すると、全剣連杖道制定形です。
神道夢想流杖術と全本日剣道連盟杖道制定形。
杖道を修行しています人間としては、矢張りこの「固有名詞」には拘りがあります。
是非明確にしていきたいと以前から思っていました。(実は明確です。)
今日は、ここまでの「問題提起」(?)とさせていただきまして、反論や、注文等々の投稿をお待ちしています。
神道夢想流杖術と全本日剣道連盟杖道制定形。
いろんな形で投稿されている「ブログ」を読んだり、YouTubeを観ていて、書かれている言葉や、そこで説明をしている人の言葉を聞いていると、杖術と杖道が混同されて使用されている感がある。(説明している人が、この違いを知っているのか知らないか判らないが。)
例えばYouTubeで、それも外国にて、神道夢想流杖道と堂々と演武の前説明で言っている高段(?)者の方がいました。その演武内容を拝見すると、全剣連杖道制定形です。
神道夢想流杖術と全本日剣道連盟杖道制定形。
杖道を修行しています人間としては、矢張りこの「固有名詞」には拘りがあります。
是非明確にしていきたいと以前から思っていました。(実は明確です。)
今日は、ここまでの「問題提起」(?)とさせていただきまして、反論や、注文等々の投稿をお待ちしています。
Posted by 阿羅漢 at
20:39
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2014年10月30日
泰國杖・居合道稽古会定例会の開催(11月)
平成26年度の「泰國杖・居合道稽古会」の稽古は、古の先人達の尊い遺徳を偲び、古都「アユタヤ」にて1月12日にはじまった。
しかし、2月3月と会員の都合がつかずに、稽古会は開催されずにいた。
そんな中にあって、5月22日には、タイ国自体が政権不安定から軍が政治に関与する事態が起きた。
プラユット陸軍司令官が「クーデターで全権を掌握した。」と発表した。
それ以前からバンコクへ稽古に行くと、(デモへの監視か)主要箇所には軍関係者と思われる人々が火器を保持し、立哨する姿がそこかしこで見て取れた。これでは早晩に軍が関与しないと事は収拾されないな、と思っていたことが現実となった。
その後は、私が自分の昇段審査準備のために集中して自宅での稽古を始めたため、バンコク稽古は遠のいてしまった。またこの時期は、会員の内の駐在員の人達の日本帰国も相次いであり、人も集まらないこともあって自然、泰國杖・居合道稽古会の稽古は休会となっていた。
しかし、昇段審査も無事終了しタイへ来てみると、新たな人達を迎えることができた。
それは、この私の拙いブログ「武道修行(道を求めて)」、をタイ国へ渡航してきた企業戦士(駐在員)が読んでくれた。
それも一度に、二名の方です。
嬉しいことにお二人共に、日本国にて夫々流派は違いますが「居合」を修行しての来タイです。
居合刀も持参してきているとのことです。
私とも古流といわれます流派は違いますが、流派を超えた稽古は可能であるし、それを今模索しています。
居合の稽古と共に、私はこのお二人には是非に、「杖道」を稽古していただきたいと考えています。
さて、新たな二人を加えての稽古会、11月の予定です。
11月8日 土曜日 午後6時から2時間(BTSプロンポン駅徒歩3分「剛柔流さくら道場」)
11月16日 日曜日 稽古時間及び場所は、上記の8日に同じ。
私も全日本剣道連盟杖道四段になったこともあり、そこで、新たな気持ちと新たな意気込みを持って、泰國への杖道と居合道の普及啓蒙と浸透を促進していきたいと考えています。
それにはひとりでも多くの「道」の共感者と賛同者を見つけ、共に「道」を歩んで行きたいと考えます。
泰國での日本武道の発展のために。
しかし、2月3月と会員の都合がつかずに、稽古会は開催されずにいた。
そんな中にあって、5月22日には、タイ国自体が政権不安定から軍が政治に関与する事態が起きた。
プラユット陸軍司令官が「クーデターで全権を掌握した。」と発表した。
それ以前からバンコクへ稽古に行くと、(デモへの監視か)主要箇所には軍関係者と思われる人々が火器を保持し、立哨する姿がそこかしこで見て取れた。これでは早晩に軍が関与しないと事は収拾されないな、と思っていたことが現実となった。
その後は、私が自分の昇段審査準備のために集中して自宅での稽古を始めたため、バンコク稽古は遠のいてしまった。またこの時期は、会員の内の駐在員の人達の日本帰国も相次いであり、人も集まらないこともあって自然、泰國杖・居合道稽古会の稽古は休会となっていた。
しかし、昇段審査も無事終了しタイへ来てみると、新たな人達を迎えることができた。
それは、この私の拙いブログ「武道修行(道を求めて)」、をタイ国へ渡航してきた企業戦士(駐在員)が読んでくれた。
それも一度に、二名の方です。
嬉しいことにお二人共に、日本国にて夫々流派は違いますが「居合」を修行しての来タイです。
居合刀も持参してきているとのことです。
私とも古流といわれます流派は違いますが、流派を超えた稽古は可能であるし、それを今模索しています。
居合の稽古と共に、私はこのお二人には是非に、「杖道」を稽古していただきたいと考えています。
さて、新たな二人を加えての稽古会、11月の予定です。
11月8日 土曜日 午後6時から2時間(BTSプロンポン駅徒歩3分「剛柔流さくら道場」)
11月16日 日曜日 稽古時間及び場所は、上記の8日に同じ。
私も全日本剣道連盟杖道四段になったこともあり、そこで、新たな気持ちと新たな意気込みを持って、泰國への杖道と居合道の普及啓蒙と浸透を促進していきたいと考えています。
それにはひとりでも多くの「道」の共感者と賛同者を見つけ、共に「道」を歩んで行きたいと考えます。
泰國での日本武道の発展のために。
2014年10月26日
全日本剣道連盟 杖道四段昇段審査を振返って
六年振りとなる「全日本剣道連盟 杖道昇段審査」を日本で受審してきました。
三段の昇段審査が平成20年12月。あれから六年が経ってしまいました。
全日本剣道連盟の「剣道・居合道・杖道 称号・段級位審査規則・細則」(受審資格)では、「四段は、三段受有後3年以上修業した者」との条件を満たすこと、と記載されています。
しかし私はこの条件を二重にしました。障壁をあえて二倍高くし、年数の階段の間隔を広く取りました。
これは以前にも書きましたが、日本を遠く離れた海外で独りでの稽古形態である事と、どの武道でもそうですが、三段までと四段からでは「道」に対する心構えと共に、業のある程度の充実も、問われてくるのではないかと感じて、再度、基本に重点を置いた稽古に専念をしました。
そういう点では、独り稽古の気安さです。鏡を見ながらじっくりと単独稽古ができました。
自己と相手の中心軸(正中線)を常に意識の中におき、基本業を繰り返し打ち,突きを行いました。何とか基本業は形が出来上がってきたように感じたのですが、一つ困ったことが起きました。
「間と間合い」です。
独り稽古の悲しさが如実に現れてきました。
形稽古をはじめますと、相手のいない悲しさ単独行動と一人合点な我がままに陥ります。
この重要な問題点を解消するために、今回は余裕を持って早めに日本に帰国しました。
矢張りでました。五段の方と昇段審査規定の組演武をお願いしました。「間」が持てません。独りで相手の業を無視した形で、進んでいきました。間を空けるのが辛いのです。我慢ができずに単独行動に走っていました。
また、「間合い」です。太刀と杖とを合わせる段階でも、間隔が掴めずに大変な苦労をしました。
この時間と空間や距離の、「間と間合い」を克服するには、稽古量しかありません。
自分の道場での稽古はもちろんのこと、以前から出稽古に訪れていた所にもお邪魔させていただきました。
多くの方と稽古することによって、いろんな人の間合いがつかめるようになってきました。
また、多くの方と杖と太刀で触れ合うことにより、自然と間ももてるようになってきました。
そして、もちろん日本でも単独稽古は欠かせませんでして。
しかし、自分の正面からの姿形は鏡で投影することだできますが、後ろや脇からの姿勢は見えません。
組形の姿勢を見てもらい指摘をしていただき、間違った欠点を修正し克服するのは、稽古しかありません。
とにかく10月11日の四段昇段審査へ向けて全力で望みました。
圧巻は、何時も使用している道場で基本稽古をしていた時、次の使用団体が遣って来てしまったのです。
仕方なく私の稽古の相手をしてくれる人を外で待ち、稽古場所を隣接する「城址公園本丸内」に移しました。
松の巨木が乱立し枝が垂れ込め、外灯があまりない薄暗い場所でした。しかし、人間、見ようとすれば少々の明かりの中でも十分に見えるものです。
ここでの稽古は今も目を閉じると鮮明に蘇ってきます。長い時間ではなかったのですが、古の先人達に見守られながらの四百年もの長き続く武道「杖」の演武はなんとも圧巻でした。いつの間にか、業と気合にも熱がこもっていました。
ほの暗い城址本丸内。幽玄と幻想の世界に導かれての杖演武。昇段審査にあわせて日本での良い思い出が心に刻まれました。
数日間、私の杖の稽古の相手をしてくれた人、には本当に感謝の気持ちで一杯です。ありがとう。
昇段審査は何とか無事に(高い合格率にも助けられ)合格することができました。
この模様は後日談ということで、本日は終了いたします。
三段の昇段審査が平成20年12月。あれから六年が経ってしまいました。
全日本剣道連盟の「剣道・居合道・杖道 称号・段級位審査規則・細則」(受審資格)では、「四段は、三段受有後3年以上修業した者」との条件を満たすこと、と記載されています。
しかし私はこの条件を二重にしました。障壁をあえて二倍高くし、年数の階段の間隔を広く取りました。
これは以前にも書きましたが、日本を遠く離れた海外で独りでの稽古形態である事と、どの武道でもそうですが、三段までと四段からでは「道」に対する心構えと共に、業のある程度の充実も、問われてくるのではないかと感じて、再度、基本に重点を置いた稽古に専念をしました。
そういう点では、独り稽古の気安さです。鏡を見ながらじっくりと単独稽古ができました。
自己と相手の中心軸(正中線)を常に意識の中におき、基本業を繰り返し打ち,突きを行いました。何とか基本業は形が出来上がってきたように感じたのですが、一つ困ったことが起きました。
「間と間合い」です。
独り稽古の悲しさが如実に現れてきました。
形稽古をはじめますと、相手のいない悲しさ単独行動と一人合点な我がままに陥ります。
この重要な問題点を解消するために、今回は余裕を持って早めに日本に帰国しました。
矢張りでました。五段の方と昇段審査規定の組演武をお願いしました。「間」が持てません。独りで相手の業を無視した形で、進んでいきました。間を空けるのが辛いのです。我慢ができずに単独行動に走っていました。
また、「間合い」です。太刀と杖とを合わせる段階でも、間隔が掴めずに大変な苦労をしました。
この時間と空間や距離の、「間と間合い」を克服するには、稽古量しかありません。
自分の道場での稽古はもちろんのこと、以前から出稽古に訪れていた所にもお邪魔させていただきました。
多くの方と稽古することによって、いろんな人の間合いがつかめるようになってきました。
また、多くの方と杖と太刀で触れ合うことにより、自然と間ももてるようになってきました。
そして、もちろん日本でも単独稽古は欠かせませんでして。
しかし、自分の正面からの姿形は鏡で投影することだできますが、後ろや脇からの姿勢は見えません。
組形の姿勢を見てもらい指摘をしていただき、間違った欠点を修正し克服するのは、稽古しかありません。
とにかく10月11日の四段昇段審査へ向けて全力で望みました。
圧巻は、何時も使用している道場で基本稽古をしていた時、次の使用団体が遣って来てしまったのです。
仕方なく私の稽古の相手をしてくれる人を外で待ち、稽古場所を隣接する「城址公園本丸内」に移しました。
松の巨木が乱立し枝が垂れ込め、外灯があまりない薄暗い場所でした。しかし、人間、見ようとすれば少々の明かりの中でも十分に見えるものです。
ここでの稽古は今も目を閉じると鮮明に蘇ってきます。長い時間ではなかったのですが、古の先人達に見守られながらの四百年もの長き続く武道「杖」の演武はなんとも圧巻でした。いつの間にか、業と気合にも熱がこもっていました。
ほの暗い城址本丸内。幽玄と幻想の世界に導かれての杖演武。昇段審査にあわせて日本での良い思い出が心に刻まれました。
数日間、私の杖の稽古の相手をしてくれた人、には本当に感謝の気持ちで一杯です。ありがとう。
昇段審査は何とか無事に(高い合格率にも助けられ)合格することができました。
この模様は後日談ということで、本日は終了いたします。
2014年02月07日
タイ国武道修行
何事を成す時にもそうですが、目的を定め、又は、目的が定まった時には、目的にあった目標を定めていくものと思います。
ただ我武者羅に時間を掛けて行なえば、良い結果が自然と生まれて来るかというと、そうではないのではないかと思います。
目的が定まり、その目的に基づく目標を定めて、きちんとした管理の下で実行をすれば、確実に良い結果は生まれてくるものと確信をしています。
1.修行目標の確立
私は毎年一月一日、午前零時(大晦日の午後十一時頃に稽古着に着替え、一年間の稽古納めを一人静かに行なう。)になると、武道修行一年間の「誓願」をたてる。
これは、日本にいた時から行なっている。今の武道と出合った十年来行なっている事である。特に、タイに来てからは目標設定という事はある意味大切な要素も含まれている。
タイでは単独稽古が多いため、ややもすると、安易な方法や日常生活に流されがちとなるが、これを決意しておくことで、武道中心生活がより厳しく、密度の濃いものとなってきている。
これがまた楽しみでもあり、一日の生活の「メリハリ」ともなり、欠かせない心と身体の「ささえ」でもある。
〔今も基本「打ち」(本手打)を遣り、休憩しながら記載している。〕
2.松井先生の著書等が稽古の指針
日本から遠く離れており、技等のご指導を直接していただける先生がいません。
そのため一人鏡に向かい基本を繰り返し行なっています。中心をぶらさずに良い姿勢を保ち、基本を忠実に行なうよう心掛けています。そして、不明な点や迷いが生じた時はすかさず、松井先生の著書、『全日本剣道連盟「杖道」写真解説書 改訂杖道入門』,『古流へのいざないとしての「杖道打太刀入門』そして、『全剣連杖道(解説)』を紐解き、また、先生編纂のDVDを見ながら、疑問点や不明な点を逐次解消していきます。
基本の反復を(他の人に見てもらう事ができませんので)、自分で鏡を見ながら強制補強していきます。
3.修行課題(障壁)の構築による昇段審査への挑戦
全日本剣道連盟「剣道称号・段位審査規則」第十六条(受審資格)第四号では、三段受有後三年以上… …。この条件でいくと、二年前に受審は可能であったが、私は四段を初歩からの一つの区切りとして捉えています。一級からの階段数に三段になってからは、段数を自分なりに高めに増設し、また、幅を広くしました。
日本に居る時は、この「受審資格」基準に沿って受審していこうと、目標を設定していたが、タイへ移住してその観念を軌道修正しました。
私も世間一般で呼ばれている「前期高齢者」の年齢、六十六歳になりました。
(しかし、自分では肉体及び精神共に老齢者とは決して思っていないし、考えてもいない。)
そのためでもありませんが、(毎日が暇でもありますので)一年間の目標の各論ともいえる,一日当りの稽古目標を計画しています。
4.一日の稽古目標
午前中又は昼食前の稽古(木刀の素振り中心)
一、杖の基本素振り(肩の準備運動)
逆手打,本手打,引落打,返し突,繰付 肩幅開脚不動
二、木刀素振り
(一)前後開脚 背から大きく下まで切り下ろし 左右足差替え (各二十本)
(二)顔面切付け(顎まで) 前後左右 (十本)
(三)開脚左右受流し切付け(不動) 膝を緩くしやや中腰 (三十本)
(四)前後への切り下ろし (六十本)
(五)開脚左右受流し切付け(不動) 膝を緩くしやや中腰 (六十本)
(六)前後開脚 背から大きく下まで切り下ろし 左右足差替え (各二十本)
この数は目標値であり、その日の調子で増やしていく。
夜は移動しながらの基本打ちを重点に行なう。本手打から体外打までを、ゆっくりと大きく鏡を見ながら相手と、中心軸を意識しながら行なっていく。
5.基礎体力づくり(足腰の鍛錬と心肺機能強化)
(一)膝屈伸運動(足幅肩幅中腰まで) 五十回/回×二回/日
(二)石椅子昇降 石椅子(高さ約四十㎝)利用昇降 三十回/回×二回/日
(三)首上げと腹筋 腹筋百回・首上げ百二十回
(四)反復横跳び 百六十㎝幅を一分間で反復横跳びする。 五十回/分
(五)腕,肩の筋肉増強補助として鉄アレイ(四㎏)を使用。内筋を鍛える。
この数も目標値であり、その日の調子で増やしていく。
以上が、私がタイに着てから今、行なっています一日の稽古内容です。その日によって外出や急な用事ができ、予定どうりに稽古ができない時がありますが、次の日にその分負荷を掛けるように心掛けています。
稽古はとにかく休まず、(正統の)基本を忠実に行なっていく事が大切であると思います。
稽古をした結果は決して嘘はつきません。
必ず良い結果が出ると信じて、日々(基本)稽古を行なっています。
ただ我武者羅に時間を掛けて行なえば、良い結果が自然と生まれて来るかというと、そうではないのではないかと思います。
目的が定まり、その目的に基づく目標を定めて、きちんとした管理の下で実行をすれば、確実に良い結果は生まれてくるものと確信をしています。
1.修行目標の確立
私は毎年一月一日、午前零時(大晦日の午後十一時頃に稽古着に着替え、一年間の稽古納めを一人静かに行なう。)になると、武道修行一年間の「誓願」をたてる。
これは、日本にいた時から行なっている。今の武道と出合った十年来行なっている事である。特に、タイに来てからは目標設定という事はある意味大切な要素も含まれている。
タイでは単独稽古が多いため、ややもすると、安易な方法や日常生活に流されがちとなるが、これを決意しておくことで、武道中心生活がより厳しく、密度の濃いものとなってきている。
これがまた楽しみでもあり、一日の生活の「メリハリ」ともなり、欠かせない心と身体の「ささえ」でもある。
〔今も基本「打ち」(本手打)を遣り、休憩しながら記載している。〕
2.松井先生の著書等が稽古の指針
日本から遠く離れており、技等のご指導を直接していただける先生がいません。
そのため一人鏡に向かい基本を繰り返し行なっています。中心をぶらさずに良い姿勢を保ち、基本を忠実に行なうよう心掛けています。そして、不明な点や迷いが生じた時はすかさず、松井先生の著書、『全日本剣道連盟「杖道」写真解説書 改訂杖道入門』,『古流へのいざないとしての「杖道打太刀入門』そして、『全剣連杖道(解説)』を紐解き、また、先生編纂のDVDを見ながら、疑問点や不明な点を逐次解消していきます。
基本の反復を(他の人に見てもらう事ができませんので)、自分で鏡を見ながら強制補強していきます。
3.修行課題(障壁)の構築による昇段審査への挑戦
全日本剣道連盟「剣道称号・段位審査規則」第十六条(受審資格)第四号では、三段受有後三年以上… …。この条件でいくと、二年前に受審は可能であったが、私は四段を初歩からの一つの区切りとして捉えています。一級からの階段数に三段になってからは、段数を自分なりに高めに増設し、また、幅を広くしました。
日本に居る時は、この「受審資格」基準に沿って受審していこうと、目標を設定していたが、タイへ移住してその観念を軌道修正しました。
私も世間一般で呼ばれている「前期高齢者」の年齢、六十六歳になりました。
(しかし、自分では肉体及び精神共に老齢者とは決して思っていないし、考えてもいない。)
そのためでもありませんが、(毎日が暇でもありますので)一年間の目標の各論ともいえる,一日当りの稽古目標を計画しています。
4.一日の稽古目標
午前中又は昼食前の稽古(木刀の素振り中心)
一、杖の基本素振り(肩の準備運動)
逆手打,本手打,引落打,返し突,繰付 肩幅開脚不動
二、木刀素振り
(一)前後開脚 背から大きく下まで切り下ろし 左右足差替え (各二十本)
(二)顔面切付け(顎まで) 前後左右 (十本)
(三)開脚左右受流し切付け(不動) 膝を緩くしやや中腰 (三十本)
(四)前後への切り下ろし (六十本)
(五)開脚左右受流し切付け(不動) 膝を緩くしやや中腰 (六十本)
(六)前後開脚 背から大きく下まで切り下ろし 左右足差替え (各二十本)
この数は目標値であり、その日の調子で増やしていく。
夜は移動しながらの基本打ちを重点に行なう。本手打から体外打までを、ゆっくりと大きく鏡を見ながら相手と、中心軸を意識しながら行なっていく。
5.基礎体力づくり(足腰の鍛錬と心肺機能強化)
(一)膝屈伸運動(足幅肩幅中腰まで) 五十回/回×二回/日
(二)石椅子昇降 石椅子(高さ約四十㎝)利用昇降 三十回/回×二回/日
(三)首上げと腹筋 腹筋百回・首上げ百二十回
(四)反復横跳び 百六十㎝幅を一分間で反復横跳びする。 五十回/分
(五)腕,肩の筋肉増強補助として鉄アレイ(四㎏)を使用。内筋を鍛える。
この数も目標値であり、その日の調子で増やしていく。
以上が、私がタイに着てから今、行なっています一日の稽古内容です。その日によって外出や急な用事ができ、予定どうりに稽古ができない時がありますが、次の日にその分負荷を掛けるように心掛けています。
稽古はとにかく休まず、(正統の)基本を忠実に行なっていく事が大切であると思います。
稽古をした結果は決して嘘はつきません。
必ず良い結果が出ると信じて、日々(基本)稽古を行なっています。
タグ :武道修行
2014年02月05日
泰国杖・居合道稽古会(定例稽古)2月分
新年の稽古開始をアユタヤにて1月12日(日)に3名の参加で行ないました。
参加した方は、お疲れ様でした。
その後の稽古は、首都バンコクの反政府デモ集会による都内世情不安の影響により、安全に配慮して稽古開始を控えていましたが、2月2日の選挙実施後もデモが解散や消散する様子が伺えません。
このままずるずるとデモ隊に合わせて、稽古を休んでいるわけにいきませんので、以前皆さんにお知らせしました2月の日程(2月9日と2月23日)にて稽古を実施しますので、よろしくお願いいたします。
会場はいつもの桜道場です。
また、暫く私のこのブログ「武道修行(道を求めて)」に、記事の投稿をしていませんでしたが、明日か明後日には、最新の記事を投稿したいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
参加した方は、お疲れ様でした。
その後の稽古は、首都バンコクの反政府デモ集会による都内世情不安の影響により、安全に配慮して稽古開始を控えていましたが、2月2日の選挙実施後もデモが解散や消散する様子が伺えません。
このままずるずるとデモ隊に合わせて、稽古を休んでいるわけにいきませんので、以前皆さんにお知らせしました2月の日程(2月9日と2月23日)にて稽古を実施しますので、よろしくお願いいたします。
会場はいつもの桜道場です。
また、暫く私のこのブログ「武道修行(道を求めて)」に、記事の投稿をしていませんでしたが、明日か明後日には、最新の記事を投稿したいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
タグ :稽古会
2013年07月06日
杖道 夢想庵『夢便り』(壱)
第一話
“探究心”
先日のバンコクの稽古がはじまる前の出来事を、今日は皆様にご紹介しておきます。
「私は(松井先生の)演武を何回も繰り返し観ています。そして自分なりに、技の解説書を作っています。解らない箇所は何度も止め戻し、繰り返し観た後に書き留めています。」
この方は、未だ、日本剣道連盟発行の「杖 解説書」が手元にないために、松井先生の演武を観て、ご自分で「仕」と「打」に別けて帳面に記載しているとのことです。
目で観て、頭に刷り込み、記憶されている術技を自分の「ことば」で表現しておく。
帳面を私に見せてくれました。内容までは見ませんでが、この「杖」の術技に対する、“探究心”いかがですか。
ここで、以前もご紹介してありますが、私の杖道の師「松井先生語録」から一文ご紹介いたします。
『・習熟ということには、愚直な反復が必須だからだ。素直にその指導に従って、ひたすら反復した者は、明らかに動作、気合共に進歩が見られました。勿論,それはしんどいと思い、手抜きをした者には進歩が見られなかった。
武術は知識ではないと何度も言ってきた。自分勝手な好みの動作や価値感観を否定しなければ進歩は望めない。意識の問題もです。
意識・心が固まったら動作も固くなる。どんなに高度の心身が形成されようとも、動けなければ武術にならない。半世紀以上の試行錯誤の結論です。余計な知識を考えずにひたすら稽古荒れることを望みます。』
百錬自得の理解を
『「百錬自得」という言葉は、使い古されてはいる。しかし、武道ほど忘れてはならない言葉なのだ。
スポーツに限らず、動作を似て芸とするあらゆる分野の基本である。別の言葉でいう時は「体で覚えろ」「愚直に反復せよ」ともいう。
ところが最近の皆さんは、この原点を忘れ、頭で教え、頭で覚えようとする。人間の本質を理解しない者ほどその傾向が強い。
私はず~っと言い続けてきた。
「ひたすら動作の反復をしないと、脳に刷り込みができない。脳にしっかり刷り込まないものは、すぐに忘れる。鶏と同じで三歩歩いたら忘れる。知識で動作しようとする者の愚である。」
脳に刷り込みができていない者は何度注意されても、注意されたことすらすぐに忘れるのが常なのだ。』
探究心とは「物事の真の姿をさぐり明らかにしようとするこころ,物事を深く考え研究する心」とあります。この探求心を持つことにより、術技を深く追求しようとする心も育まれてきます。
やはり稽古をしていても他の方との目の輝きと技を知ろうとする気構えが違って見えます。三時間という時間を長く使うのも短く使ってしまうのも、各人の心構え一つではないかと感じています。
月に三回の稽古の機会しかありません。一回会うと十日以上の「間」が空きます。この十日間のご自分の使い方も、次の稽古の時にいろんな形で、出てくるのではないかと私は思います。
いつも言っていますように、一日稽古を休めば、三日乃至は四日続けて稽古を積まなければ元には戻らない、と言われています。「継続こそが力なり」です。
稽古に対する心構えと共に大切なことは、杖と太刀に数多く触れる機会を持ってください。とにかく「松井先生語録」の中にも書かれていますように、「(正当な)愚直な反復」を忘れずに行うことだけです。
最後に、「着装」についてですが、着装はその人の稽古に対する心構えが最初に表に現れている部分です。着装は大切にしてください。普段から鏡等に向かい自分の着装の姿を見入っていてください。「着装」は心が表れてきます。
なお。昇段審査時にも術技の前段階の入場時や、開始線で立哨している立ち姿から、先生方は受験生の「着装」(心持)をイの一番に審査・点検しています。
本日は「探究心」についての「夢便り」第一話を届けさせていただきました。
“探究心”
先日のバンコクの稽古がはじまる前の出来事を、今日は皆様にご紹介しておきます。
「私は(松井先生の)演武を何回も繰り返し観ています。そして自分なりに、技の解説書を作っています。解らない箇所は何度も止め戻し、繰り返し観た後に書き留めています。」
この方は、未だ、日本剣道連盟発行の「杖 解説書」が手元にないために、松井先生の演武を観て、ご自分で「仕」と「打」に別けて帳面に記載しているとのことです。
目で観て、頭に刷り込み、記憶されている術技を自分の「ことば」で表現しておく。
帳面を私に見せてくれました。内容までは見ませんでが、この「杖」の術技に対する、“探究心”いかがですか。
ここで、以前もご紹介してありますが、私の杖道の師「松井先生語録」から一文ご紹介いたします。
『・習熟ということには、愚直な反復が必須だからだ。素直にその指導に従って、ひたすら反復した者は、明らかに動作、気合共に進歩が見られました。勿論,それはしんどいと思い、手抜きをした者には進歩が見られなかった。
武術は知識ではないと何度も言ってきた。自分勝手な好みの動作や価値感観を否定しなければ進歩は望めない。意識の問題もです。
意識・心が固まったら動作も固くなる。どんなに高度の心身が形成されようとも、動けなければ武術にならない。半世紀以上の試行錯誤の結論です。余計な知識を考えずにひたすら稽古荒れることを望みます。』
百錬自得の理解を
『「百錬自得」という言葉は、使い古されてはいる。しかし、武道ほど忘れてはならない言葉なのだ。
スポーツに限らず、動作を似て芸とするあらゆる分野の基本である。別の言葉でいう時は「体で覚えろ」「愚直に反復せよ」ともいう。
ところが最近の皆さんは、この原点を忘れ、頭で教え、頭で覚えようとする。人間の本質を理解しない者ほどその傾向が強い。
私はず~っと言い続けてきた。
「ひたすら動作の反復をしないと、脳に刷り込みができない。脳にしっかり刷り込まないものは、すぐに忘れる。鶏と同じで三歩歩いたら忘れる。知識で動作しようとする者の愚である。」
脳に刷り込みができていない者は何度注意されても、注意されたことすらすぐに忘れるのが常なのだ。』
探究心とは「物事の真の姿をさぐり明らかにしようとするこころ,物事を深く考え研究する心」とあります。この探求心を持つことにより、術技を深く追求しようとする心も育まれてきます。
やはり稽古をしていても他の方との目の輝きと技を知ろうとする気構えが違って見えます。三時間という時間を長く使うのも短く使ってしまうのも、各人の心構え一つではないかと感じています。
月に三回の稽古の機会しかありません。一回会うと十日以上の「間」が空きます。この十日間のご自分の使い方も、次の稽古の時にいろんな形で、出てくるのではないかと私は思います。
いつも言っていますように、一日稽古を休めば、三日乃至は四日続けて稽古を積まなければ元には戻らない、と言われています。「継続こそが力なり」です。
稽古に対する心構えと共に大切なことは、杖と太刀に数多く触れる機会を持ってください。とにかく「松井先生語録」の中にも書かれていますように、「(正当な)愚直な反復」を忘れずに行うことだけです。
最後に、「着装」についてですが、着装はその人の稽古に対する心構えが最初に表に現れている部分です。着装は大切にしてください。普段から鏡等に向かい自分の着装の姿を見入っていてください。「着装」は心が表れてきます。
なお。昇段審査時にも術技の前段階の入場時や、開始線で立哨している立ち姿から、先生方は受験生の「着装」(心持)をイの一番に審査・点検しています。
本日は「探究心」についての「夢便り」第一話を届けさせていただきました。
タグ :夢想庵
2013年06月09日
泰国杖・居合道稽古会(定例稽古)
本日は、6月12日(水)の稽古の要点を事前に投稿しておきたいと思います。事前にお知らせしておきますので、予習を出来れば遣っていただけますと、当日の稽古が円滑にいくのではないかと思います。
先ずは、自分自身の一人稽古の時もそうですが、「目的意識」を明確に持つことが、武の術技の向上を確実にしていくものと感じています。
ただ単純に稽古日がきたから出かけていこう。着替えて基本、術技をこなし、時間がくれば帰る。
これでは稽古に出かけてくる意味がありません。自宅でお茶でも飲みながら興味のある本でも読んで、横たわっていた方がよいでしょう。
武道を修行するからには、『武の意義と武道の本質』を自分なりに考え(判らない時には聞き)この本質を追求する心こそが、武道を修行していく姿であると思います。そして稽古は短時間でも集中して行えば、よい成果は必ず期待できるものと思います。
さて、水曜日の稽古ですが、基本には運歩,歩法、杖の基本打ち、組形(一本目から六本目)を行い、約1時間で終了し、次に居合を重点に行っていきたいと考えています。
日曜日の稽古はどうしても杖が主体となりまして、居合の形に入っていく事が出来ませんが、水曜日は居合の稽古に重きを成していきたいと考えています。
2013年01月18日に投稿してあります、『剣は「師の位」について』を読んでいただくとお分かりになりますように、杖の技を引出していくのは「剣」ということがお分かりいただけるかと思います。
何の組織においてもそうですが、「原点回帰」が叫ばれていますし、原点を常にみつめています。
復習になりますが、全日本剣道連盟杖道の原点は「杖術」です。
この杖術(神道夢想流)の流祖、「夢想権之助勝吉」は剣術の免許皆伝者です。剣術の修行の中で培った武術の中に、杖(棒)術も併伝されていたのでは、と私は推測しています。
剣術に勝機を見出す為に究極的に編み出されたのが「杖術」であり、剣術の裏を探り出し一瞬の隙を突き、そこに勝機を導き出す技を杖道は持っています。
その為にも剣を使いこなす人が、杖の技(形)を全てを熟知していない事には、杖の技を向上させていくことは叶いません。
杖の技の鍛錬に合わせて、泰国杖・居合道稽古会では剣の鍛錬を行っていますのはそのためです。
それと杖と太刀の保全と保管についてです。
稽古が終わり自宅にて、何時も杖と太刀を「乾いた布」で、軽く汗(水分)を拭き取っておいてください。また、月に1度は適正な「油」を軽く塗布してください。
タイでの稽古は日本と違い、1年を通じて体全体に汗をかいています。特に気が付きませんが、手油も結構出ています。滑らないと円滑な杖操作が不可能にもなってきます。
次に保管場所ですが、杖と太刀は木です。直射日光が当たり高温となる場所や湿気を避け、横にしておいてください。立て掛けておいたり直射日光に当たっていますと、曲がりの原因にもなってきます。これは避けてください。
では、水曜日の稽古のために予習をお願いしまして、今日の投稿は終わらせていただきます。
先ずは、自分自身の一人稽古の時もそうですが、「目的意識」を明確に持つことが、武の術技の向上を確実にしていくものと感じています。
ただ単純に稽古日がきたから出かけていこう。着替えて基本、術技をこなし、時間がくれば帰る。
これでは稽古に出かけてくる意味がありません。自宅でお茶でも飲みながら興味のある本でも読んで、横たわっていた方がよいでしょう。
武道を修行するからには、『武の意義と武道の本質』を自分なりに考え(判らない時には聞き)この本質を追求する心こそが、武道を修行していく姿であると思います。そして稽古は短時間でも集中して行えば、よい成果は必ず期待できるものと思います。
さて、水曜日の稽古ですが、基本には運歩,歩法、杖の基本打ち、組形(一本目から六本目)を行い、約1時間で終了し、次に居合を重点に行っていきたいと考えています。
日曜日の稽古はどうしても杖が主体となりまして、居合の形に入っていく事が出来ませんが、水曜日は居合の稽古に重きを成していきたいと考えています。
2013年01月18日に投稿してあります、『剣は「師の位」について』を読んでいただくとお分かりになりますように、杖の技を引出していくのは「剣」ということがお分かりいただけるかと思います。
何の組織においてもそうですが、「原点回帰」が叫ばれていますし、原点を常にみつめています。
復習になりますが、全日本剣道連盟杖道の原点は「杖術」です。
この杖術(神道夢想流)の流祖、「夢想権之助勝吉」は剣術の免許皆伝者です。剣術の修行の中で培った武術の中に、杖(棒)術も併伝されていたのでは、と私は推測しています。
剣術に勝機を見出す為に究極的に編み出されたのが「杖術」であり、剣術の裏を探り出し一瞬の隙を突き、そこに勝機を導き出す技を杖道は持っています。
その為にも剣を使いこなす人が、杖の技(形)を全てを熟知していない事には、杖の技を向上させていくことは叶いません。
杖の技の鍛錬に合わせて、泰国杖・居合道稽古会では剣の鍛錬を行っていますのはそのためです。
それと杖と太刀の保全と保管についてです。
稽古が終わり自宅にて、何時も杖と太刀を「乾いた布」で、軽く汗(水分)を拭き取っておいてください。また、月に1度は適正な「油」を軽く塗布してください。
タイでの稽古は日本と違い、1年を通じて体全体に汗をかいています。特に気が付きませんが、手油も結構出ています。滑らないと円滑な杖操作が不可能にもなってきます。
次に保管場所ですが、杖と太刀は木です。直射日光が当たり高温となる場所や湿気を避け、横にしておいてください。立て掛けておいたり直射日光に当たっていますと、曲がりの原因にもなってきます。これは避けてください。
では、水曜日の稽古のために予習をお願いしまして、今日の投稿は終わらせていただきます。
タグ :稽古会
2013年05月27日
タイ国日本人会文化祭参加演武(案)
本年開催されるであろう第35回タイ国日本人会主催文化祭は、タイ国日本人会創立百周年の節目の記念すべき年の開催になります。
そこで私達の「泰国杖・居合道稽古会」も日頃の稽古の成果を、タイ国在住の日本人をはじめとして、タイ人等に見ていただき、関心を寄せ興味を示し、共に稽古ができることを期待し、また、自己の武道に対する昇華と向上を期するためにも、是非この文化祭にて演武を披露したいと考えています。
くしくも私のこのブログ「武道修行(道を求めて)」は、3年前の3月17日に「武道修行のこと」と題して、第1回目の記事投稿をしてから本日の記事投稿にて、百回目となります。
日本人会創立百周年と記事投稿百回、これも何かの「縁」ではないかと感じています。
また、先程このブログを閲覧してくれています方を係数処理しています「全てのアクセス数」を見ましたら、今正に、39,999 を計測しています。本日中には記念すべき4万回が達成されるのではと思っています。
さて、タイ国日本人会文化祭参加演武(案)ですが、以下のとおりのことを考えています。ご検討ください。
〔杖演武〕
一本目 着 杖
二本目 水 月
三本目 引 提
(仕,打 交代)
四本目 斜 面
五本目 左 貫
六本目 物 見
〔居合演武〕
一本目 前 一本目 初発刀
二本目 受け流し 二本目 陰陽進退替技
三本目 袈裟切り 三本目 虎一足
皆さんのご意見をお聞かせください。
なお、杖演武は参加者は最低でも4名を考えています。また、これ以下の時には、技の構成を次の案に変更します。
居合演武ですが、右側の初発刀から虎一足までは、私が行います演武です。皆さんは、前から袈裟切りまでの演武をおこなっていただきます。
そこで私達の「泰国杖・居合道稽古会」も日頃の稽古の成果を、タイ国在住の日本人をはじめとして、タイ人等に見ていただき、関心を寄せ興味を示し、共に稽古ができることを期待し、また、自己の武道に対する昇華と向上を期するためにも、是非この文化祭にて演武を披露したいと考えています。
くしくも私のこのブログ「武道修行(道を求めて)」は、3年前の3月17日に「武道修行のこと」と題して、第1回目の記事投稿をしてから本日の記事投稿にて、百回目となります。
日本人会創立百周年と記事投稿百回、これも何かの「縁」ではないかと感じています。
また、先程このブログを閲覧してくれています方を係数処理しています「全てのアクセス数」を見ましたら、今正に、39,999 を計測しています。本日中には記念すべき4万回が達成されるのではと思っています。
さて、タイ国日本人会文化祭参加演武(案)ですが、以下のとおりのことを考えています。ご検討ください。
〔杖演武〕
一本目 着 杖
二本目 水 月
三本目 引 提
(仕,打 交代)
四本目 斜 面
五本目 左 貫
六本目 物 見
〔居合演武〕
一本目 前 一本目 初発刀
二本目 受け流し 二本目 陰陽進退替技
三本目 袈裟切り 三本目 虎一足
皆さんのご意見をお聞かせください。
なお、杖演武は参加者は最低でも4名を考えています。また、これ以下の時には、技の構成を次の案に変更します。
居合演武ですが、右側の初発刀から虎一足までは、私が行います演武です。皆さんは、前から袈裟切りまでの演武をおこなっていただきます。
タグ :文化祭演武
2013年04月27日
制定居合十一本目「総切り」(そうぎり)
「総切り」は、立ち技の七本目になります。制定居合術技も残り二本となってきました。
この、総切りは、その名が示していますとおり、上段(左右)から中段までを切る技です。
では、居合道術技「十一本目・総切り」をご紹介してまいります。
一本目 「前」 の敵に対しての技。居合の全てがこの技に凝縮されて
います。
二本目は、「後ろ」 の敵を想定した技です。
三本目は、「受け流し」 敵を左に想定しての技です。
四本目「柄当て」 居合腰から前後の敵を制する技です。
五本目「袈裟切り」 立ち技になります。 逆袈裟に切り上げ、返す刀
で袈裟に切り下ろす技です。
六本目「諸手突き太>」(もろてづき) 前後三人の敵を想定しての術技で
す。
七本目「三方切り」(さんぽうぎり) 前と左右の敵を想定しての術技
です。
八本目「顔面当て」(がんめんあて) 前後二人の敵を想定しての術技
です。
九本目「添え手突き」(そえてづき) 平行に歩行しています敵を想定
しての術技です。
十本目「四方切り」(しほうぎり) 四方の敵を想定しての術技です。
十一本目「総切り」(そうぎり) 敵の上段から中段までの切り下ろし
等を行う術技です。
〔要義〕
前進中、前方の敵の殺気を感じ、機先を制してまず敵の左斜め面を、つぎに右肩を、さらに左胴を切り下ろし、続いて腰腹部を水平に切り、そして真っ向から切り下ろして勝つ。
(動作)
1、右足より正面に向って前進し、左足を踏み出したときに刀に両手をか
ける。右足を踏み出して刀を前方に抜き出し、右足を左足近くに引き寄
せながら受け流しに頭上に振りかぶると同時に左手を柄にかけ、間をお
くことなく右足を前に踏み込んで正面の敵の左斜め面からあごまで切り
下ろす。
2、切り下ろした刀を棟の方向に返して頭上に振りかぶり、右足を前に踏
み込んで正面の敵の右肩口から「水月」まで切り下ろす。
3、切り下ろした刀を棟の方向に返して頭上に振りかぶり、右足を前に踏
み込んで正面の敵の左脇下から「へそまで切り下ろす」。
4、切り下ろした刀を棟の方向に返して頭上に振りかぶり、刃先の方向を
前方に返しながら左上腰に刀を水平にし、刀を止めることなく右足を前
に踏み込んで正面の敵の右腰腹部から左腰腹部を水平に切る。
5、水平に切った刀を止めることなく頭上に振りかぶり、右足を前に踏み
込んで正面の敵を真っ向から切り下ろす。
6、そのままの姿勢で左手を左帯におくると同時に「右に開いての血振
り」をする。
7、左手を左帯から鯉口におくり、そのままの姿勢で「納刀」する。
8、後ろ足を前足にそろえ、右手を柄からはなして「帯刀姿勢」となり、
左足より退いて元の位置にもどる。
これが、十一本目「総切り」です。
今回の敵は前方一人ですが、この一人の仮想敵に対して初動は踏み込んで面から顎を、次に、踏み込んでの右肩口から水月までを、次に、左脇下から臍までを、続いて、刀を水平にしての腰腹部を切り、最後は、真っ向から切り下ろす術技練習となります。
しかし、考えようによっては仮想敵は、若しかしたら一人ではない可能性も有ります。
一人を倒した後にもう一人の仮想敵、次の仮想敵と順々にやって来ている、可能性も無きにしにあらずです。最初の練習では一人と想定しても、慣れてきた時は次々と敵が来ることを想定して、練習してみるのもいいかもしれません。
今回のこの十一本目の「総切り」大切なことは、それぞれの切り下ろした時の刀の刃先の位置、が大切な要点となってきます。
即ち、最初の「顎」、次の「水月」、「臍」、「腰腹部」と位置を明確にして表現すること、が大切なこととなります。
また、「全剣連居合審判・審査上の着眼点」では。
① 刀を抜き上げたとき、受け流しに振りかぶっているか。
② 切るとき、送り足になっているか。
③ 腰腹部を切るとき、刃筋正しく水平に切っているか。
等々を特に審査上問われますので、普段の稽古の時から気を付けながら行うことが、肝要ではないかと感じます。
私は自宅での稽古には必ず「鏡」を使用しています。
居合などの形武道は、自分の体勢が今どのような形をとっているのか、これが大きな要点ではないかと思います。ただし、前だけの鏡ですと前からだけの一方しか見えませんが、私は、前と脇と2枚壁に鏡を貼り付けて、前と共に横からの姿、形を見るようにしています。
最後に、本日もいつもの言葉ですが掲出させていただきます。
『居合道は「演舞」ではありません。常に仮想敵を意識した上で反復練習あるのみです。いい汗は流した分だけ結果に反映されてきます。それが、動作や所作また全体の姿や形に現れてきます。練習は嘘はつきません。』
今日は十一本目「総切り」(そうぎり)でした。
次回は、十二本目「抜き打ち」(ぬきうち)です。
これで全日本剣道連盟制定居合術技は終わりとなります。
この、総切りは、その名が示していますとおり、上段(左右)から中段までを切る技です。
では、居合道術技「十一本目・総切り」をご紹介してまいります。
一本目 「前」 の敵に対しての技。居合の全てがこの技に凝縮されて
います。
二本目は、「後ろ」 の敵を想定した技です。
三本目は、「受け流し」 敵を左に想定しての技です。
四本目「柄当て」 居合腰から前後の敵を制する技です。
五本目「袈裟切り」 立ち技になります。 逆袈裟に切り上げ、返す刀
で袈裟に切り下ろす技です。
六本目「諸手突き太>」(もろてづき) 前後三人の敵を想定しての術技で
す。
七本目「三方切り」(さんぽうぎり) 前と左右の敵を想定しての術技
です。
八本目「顔面当て」(がんめんあて) 前後二人の敵を想定しての術技
です。
九本目「添え手突き」(そえてづき) 平行に歩行しています敵を想定
しての術技です。
十本目「四方切り」(しほうぎり) 四方の敵を想定しての術技です。
十一本目「総切り」(そうぎり) 敵の上段から中段までの切り下ろし
等を行う術技です。
〔要義〕
前進中、前方の敵の殺気を感じ、機先を制してまず敵の左斜め面を、つぎに右肩を、さらに左胴を切り下ろし、続いて腰腹部を水平に切り、そして真っ向から切り下ろして勝つ。
(動作)
1、右足より正面に向って前進し、左足を踏み出したときに刀に両手をか
ける。右足を踏み出して刀を前方に抜き出し、右足を左足近くに引き寄
せながら受け流しに頭上に振りかぶると同時に左手を柄にかけ、間をお
くことなく右足を前に踏み込んで正面の敵の左斜め面からあごまで切り
下ろす。
2、切り下ろした刀を棟の方向に返して頭上に振りかぶり、右足を前に踏
み込んで正面の敵の右肩口から「水月」まで切り下ろす。
3、切り下ろした刀を棟の方向に返して頭上に振りかぶり、右足を前に踏
み込んで正面の敵の左脇下から「へそまで切り下ろす」。
4、切り下ろした刀を棟の方向に返して頭上に振りかぶり、刃先の方向を
前方に返しながら左上腰に刀を水平にし、刀を止めることなく右足を前
に踏み込んで正面の敵の右腰腹部から左腰腹部を水平に切る。
5、水平に切った刀を止めることなく頭上に振りかぶり、右足を前に踏み
込んで正面の敵を真っ向から切り下ろす。
6、そのままの姿勢で左手を左帯におくると同時に「右に開いての血振
り」をする。
7、左手を左帯から鯉口におくり、そのままの姿勢で「納刀」する。
8、後ろ足を前足にそろえ、右手を柄からはなして「帯刀姿勢」となり、
左足より退いて元の位置にもどる。
これが、十一本目「総切り」です。
今回の敵は前方一人ですが、この一人の仮想敵に対して初動は踏み込んで面から顎を、次に、踏み込んでの右肩口から水月までを、次に、左脇下から臍までを、続いて、刀を水平にしての腰腹部を切り、最後は、真っ向から切り下ろす術技練習となります。
しかし、考えようによっては仮想敵は、若しかしたら一人ではない可能性も有ります。
一人を倒した後にもう一人の仮想敵、次の仮想敵と順々にやって来ている、可能性も無きにしにあらずです。最初の練習では一人と想定しても、慣れてきた時は次々と敵が来ることを想定して、練習してみるのもいいかもしれません。
今回のこの十一本目の「総切り」大切なことは、それぞれの切り下ろした時の刀の刃先の位置、が大切な要点となってきます。
即ち、最初の「顎」、次の「水月」、「臍」、「腰腹部」と位置を明確にして表現すること、が大切なこととなります。
また、「全剣連居合審判・審査上の着眼点」では。
① 刀を抜き上げたとき、受け流しに振りかぶっているか。
② 切るとき、送り足になっているか。
③ 腰腹部を切るとき、刃筋正しく水平に切っているか。
等々を特に審査上問われますので、普段の稽古の時から気を付けながら行うことが、肝要ではないかと感じます。
私は自宅での稽古には必ず「鏡」を使用しています。
居合などの形武道は、自分の体勢が今どのような形をとっているのか、これが大きな要点ではないかと思います。ただし、前だけの鏡ですと前からだけの一方しか見えませんが、私は、前と脇と2枚壁に鏡を貼り付けて、前と共に横からの姿、形を見るようにしています。
最後に、本日もいつもの言葉ですが掲出させていただきます。
『居合道は「演舞」ではありません。常に仮想敵を意識した上で反復練習あるのみです。いい汗は流した分だけ結果に反映されてきます。それが、動作や所作また全体の姿や形に現れてきます。練習は嘘はつきません。』
今日は十一本目「総切り」(そうぎり)でした。
次回は、十二本目「抜き打ち」(ぬきうち)です。
これで全日本剣道連盟制定居合術技は終わりとなります。
タグ :居合
2013年04月27日
制定居合十二本目「抜き打ち」(ぬきうち)
全日本剣道連盟「居合」も一本目「前」にはじまり、十一本目「総切り」と進み、ようやく制定居合の最後の十二本目「抜き打ち」となりました。(最初の投稿は、5年前の6月です。)「総切り」を投稿したのは2年前の4月です。
一本目から十一本目の間に仮想敵も、前一人から後ろ一人、前後一人づつ、また、三人,四人と多様な状況を想定してきましたが、今回の十二本目は、敵が打ち込んでくるのを一歩退き、反撃する形です。
では、居合道術技「十二本目・抜き打ち」をご紹介してまいります。
一本目 「前」 の敵に対しての技。居合の全てがこの技に凝縮されて
います。
二本目は、「後ろ」 の敵を想定した技です。
三本目は、「受け流し」 敵を左に想定しての技です。
四本目「柄当て」 居合腰から前後の敵を制する技です。
五本目「袈裟切り」 立ち技になります。 逆袈裟に切り上げ、返す刀
で袈裟に切り下ろす技です。
六本目「諸手突き太>」(もろてづき) 前後三人の敵を想定しての術技で
す。
七本目「三方切り」(さんぽうぎり) 前と左右の敵を想定しての術技
です。
八本目「顔面当て」(がんめんあて) 前後二人の敵を想定しての術技
です。
九本目「添え手突き」(そえてづき) 平行に歩行しています敵を想定
しての術技です。
十本目「四方切り」(しほうぎり) 四方の敵を想定しての術技です。
十一本目「総切り」(そうぎり) 敵の上段から中段までの切り下ろし
等を行う術技です。
十二本目「抜き打ち」(ぬきうち) 正面から切ってくるのを後退し反撃
する術技です。
〔要義〕
相対して直立している前方の敵が、突然、切りかかってくるのを、刀を抜き上げながら退いて敵の刀に空を切らせ、さらに真っ向から切り下ろして勝つ。
(動作)
1、直立したまますばやく刀に両手をかけ、左足を後方に引き、右足を左
足近くに引きよせながら刀をすばやく頭上に抜き上げると同時に左手を
柄にかけ、間をおくことなく右足を踏み込むと同時に真っ向から切り下
ろす。
2、右足を左足の後方に引きながら左手を左帯におくると同時に「右に開
いての血振り」をする。
3、左手を左帯から鯉口におくり、そのままの姿勢で「納刀」する。
4、後ろ足を前足にそろえ、右手を柄からはなして「帯刀姿勢」となり、
右足より前に出て元の位置にもどる。
これが、十二本目「抜き打ち」です。
今回の敵は前方一人です。
十二本の技の中では、技の構成はいたって簡易なようですが、直立の姿勢から刀に手をかけ、左足を後方に十分に引きながらの抜刀。
この一連の動作はかなり稽古を積まないと、うまく運ぶようにはなりません。
私も最初の頃は、鞘から刀を抜くのに、一苦労したことを思い出します。どうしても、刀が鞘と接触してしまうのです。
この抜刀する時の方法にも一工夫が必要とされる技です。(鞘を下に落とすようにするとか‥ ‥。)
十一本目「総切り」は初動で抜刀した時は受け流し(右手が右肩上方の位置)ですが、この「抜き打ち」の抜刀した時の手の位置は、頭上(正中線上)になります。
この手の位置が大切です。頭上です。前に出すと敵に切られる事も想定されますので、前には出さず、頭上にとる事が大切です。
「全剣連居合審判・審査上の着眼点」では。
① 刀を抜き上げたとき、左足を十分に後方に引いているか。
② 刀を抜き上げたときの、右手の位置は正中線になっているか。
が記載されています。これらの点を念頭に入れ、普段の稽古の時から気を付けながら行うことが、大切ではないかと思います。
居合は形武道です、が「演舞」ではありません。
姿や所作等外見が華麗である事もある面では必要でしょう。しかし、日本武道の一つとして考えた時には、内面の充実にも心掛ける必要があるかと思います。
よく言われます言葉に「心・技・体」というのがあります。それに、「剛柔一体」,「剣禅一如」の教えもありますように、技の研鑽と共に、内面の鍛錬も共に行っていっていただきたいと思います。
これまで長期になりましたが、全日本剣道連盟「居合」術技にお付き合いいただきましてありがとうございました。
居合は私自身はじめたばかりです。
これからも居合と杖そして、護身術や他の日本とタイ武道の稽古に、打ち込んでまいりたいと思っていますので、よろしくお付き合いください。
最後に、本日もいつもの言葉を掲出させていただきます。
『居合道は「演舞」ではありません。常に仮想敵を意識した上で反復練習あるのみです。いい汗は流した分だけ結果に反映されてきます。それが、動作や所作また全体の姿や形に現れてきます。練習は嘘はつきません。』
ありがとうございました。
一本目から十一本目の間に仮想敵も、前一人から後ろ一人、前後一人づつ、また、三人,四人と多様な状況を想定してきましたが、今回の十二本目は、敵が打ち込んでくるのを一歩退き、反撃する形です。
では、居合道術技「十二本目・抜き打ち」をご紹介してまいります。
一本目 「前」 の敵に対しての技。居合の全てがこの技に凝縮されて
います。
二本目は、「後ろ」 の敵を想定した技です。
三本目は、「受け流し」 敵を左に想定しての技です。
四本目「柄当て」 居合腰から前後の敵を制する技です。
五本目「袈裟切り」 立ち技になります。 逆袈裟に切り上げ、返す刀
で袈裟に切り下ろす技です。
六本目「諸手突き太>」(もろてづき) 前後三人の敵を想定しての術技で
す。
七本目「三方切り」(さんぽうぎり) 前と左右の敵を想定しての術技
です。
八本目「顔面当て」(がんめんあて) 前後二人の敵を想定しての術技
です。
九本目「添え手突き」(そえてづき) 平行に歩行しています敵を想定
しての術技です。
十本目「四方切り」(しほうぎり) 四方の敵を想定しての術技です。
十一本目「総切り」(そうぎり) 敵の上段から中段までの切り下ろし
等を行う術技です。
十二本目「抜き打ち」(ぬきうち) 正面から切ってくるのを後退し反撃
する術技です。
〔要義〕
相対して直立している前方の敵が、突然、切りかかってくるのを、刀を抜き上げながら退いて敵の刀に空を切らせ、さらに真っ向から切り下ろして勝つ。
(動作)
1、直立したまますばやく刀に両手をかけ、左足を後方に引き、右足を左
足近くに引きよせながら刀をすばやく頭上に抜き上げると同時に左手を
柄にかけ、間をおくことなく右足を踏み込むと同時に真っ向から切り下
ろす。
2、右足を左足の後方に引きながら左手を左帯におくると同時に「右に開
いての血振り」をする。
3、左手を左帯から鯉口におくり、そのままの姿勢で「納刀」する。
4、後ろ足を前足にそろえ、右手を柄からはなして「帯刀姿勢」となり、
右足より前に出て元の位置にもどる。
これが、十二本目「抜き打ち」です。
今回の敵は前方一人です。
十二本の技の中では、技の構成はいたって簡易なようですが、直立の姿勢から刀に手をかけ、左足を後方に十分に引きながらの抜刀。
この一連の動作はかなり稽古を積まないと、うまく運ぶようにはなりません。
私も最初の頃は、鞘から刀を抜くのに、一苦労したことを思い出します。どうしても、刀が鞘と接触してしまうのです。
この抜刀する時の方法にも一工夫が必要とされる技です。(鞘を下に落とすようにするとか‥ ‥。)
十一本目「総切り」は初動で抜刀した時は受け流し(右手が右肩上方の位置)ですが、この「抜き打ち」の抜刀した時の手の位置は、頭上(正中線上)になります。
この手の位置が大切です。頭上です。前に出すと敵に切られる事も想定されますので、前には出さず、頭上にとる事が大切です。
「全剣連居合審判・審査上の着眼点」では。
① 刀を抜き上げたとき、左足を十分に後方に引いているか。
② 刀を抜き上げたときの、右手の位置は正中線になっているか。
が記載されています。これらの点を念頭に入れ、普段の稽古の時から気を付けながら行うことが、大切ではないかと思います。
居合は形武道です、が「演舞」ではありません。
姿や所作等外見が華麗である事もある面では必要でしょう。しかし、日本武道の一つとして考えた時には、内面の充実にも心掛ける必要があるかと思います。
よく言われます言葉に「心・技・体」というのがあります。それに、「剛柔一体」,「剣禅一如」の教えもありますように、技の研鑽と共に、内面の鍛錬も共に行っていっていただきたいと思います。
これまで長期になりましたが、全日本剣道連盟「居合」術技にお付き合いいただきましてありがとうございました。
居合は私自身はじめたばかりです。
これからも居合と杖そして、護身術や他の日本とタイ武道の稽古に、打ち込んでまいりたいと思っていますので、よろしくお付き合いください。
最後に、本日もいつもの言葉を掲出させていただきます。
『居合道は「演舞」ではありません。常に仮想敵を意識した上で反復練習あるのみです。いい汗は流した分だけ結果に反映されてきます。それが、動作や所作また全体の姿や形に現れてきます。練習は嘘はつきません。』
ありがとうございました。
タグ :居合
2013年04月17日
第1回「たのしく学ぶ 居合道基礎講座」(無料)の開催
私がタイ国にて(自宅以外の外に出て)杖と居合の稽古を同時平行にはじめて、1年半が経ちました。
杖と居合、ご存知のように日本においても、全日本剣道連盟加盟団体の中で剣道と比べると、未だ、稽古をしている人はそれ程、数が多いとはいえません。
ここタイ国においても剣道を稽古する人はバンコクをはじめとして、チェンマイやプーケットにもいます。しかし、杖と居合は私の知る限りでは、ここタイ国では集団で稽古をしている団体は無いと思います。
因みに約3年前になりますが、全日本剣道連盟事務局(国際)にタイ国での杖と居合の稽古団体等を問い合わせましが、他からの連絡はないとの答えでした。
海外において故郷日本国(両親,家族,友人等々)を考え思い出した時に、日本と一体になっていたいと思うことがあります。そのような時には、心の支えとしての日本の伝統文化、「日本武道」は大きな存在となってくるかと思います。
日本武道に親しむ一つの手段として下記の「居合道無料講座」を企画しました。是非、お気軽にご参加ください。
また、杖道も3月28日付け当ナムジャイブログに記事投稿していますのでご覧ください。
この無料講座は、日本武道を広くタイ国に住んでいる人に知ってもらうと共に、機会があれば一緒に稽古に参加していただければと思い計画を立てました。
計画は下記のとおりです。
第1回「たのしく学ぶ 居合道基礎講座」(無料)
一.開催年月日 平成25年5月26日(日)
二.開催時間 午後6時から午後8時
三.開催場所 日本人会本館第三会議室
四.募集人員 若干名
募集人員が若干名なのは、日本での開催であれば講座に必要な道具(居合刀・木刀)の確保も比較的に容易ですが、タイでは極めて困難ですので、最小限度の募集となってきます。
兎に角「刀」に触れて、居合道というものを一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。
(居合道の教え)
第一にあげられますのは、『鞘の内』 です。
次に「孫子」にに書かれています。
戦わずして勝つことが 善なり です。
この教えはどちらも、「刀」を抜いてむやみやたらに振り回すな。相手に対して切り付けるな、ということを言っていると思います。
武家社会では刀を腰に差すことが定石の往昔の「武士」も、ぎりぎりの際まで、「刀」は抜くことは無かったのではないでしょうか。
しかし、自己の身の安全を思い、やむを得ずに抜き放つ場合は、刀は『序破急』の所作により抜き放ちます。
くるならこい。しかし、やらないなら、やめろ。
そして、三番目は、「古歌」にもこのように歌われています。
「居合とは 人に斬られず 人斬らず 己を責めて 平かの道」
とありますように、
「刀を抜かずに敵を制し、気迫を以って勝ちを修める」
ことが究極の目的ではないでしょうか。
また、講座開催近くになりました時に詳細を記載したいと思います。
この講座の募集告知掲載は、
・日本人会定期広報「チラシ」
・バンコク週報
・タイ自由ランド「自由倶楽部」
・DACO「ビルボード」
等へもお願いしたいと思っています。
杖と居合、ご存知のように日本においても、全日本剣道連盟加盟団体の中で剣道と比べると、未だ、稽古をしている人はそれ程、数が多いとはいえません。
ここタイ国においても剣道を稽古する人はバンコクをはじめとして、チェンマイやプーケットにもいます。しかし、杖と居合は私の知る限りでは、ここタイ国では集団で稽古をしている団体は無いと思います。
因みに約3年前になりますが、全日本剣道連盟事務局(国際)にタイ国での杖と居合の稽古団体等を問い合わせましが、他からの連絡はないとの答えでした。
海外において故郷日本国(両親,家族,友人等々)を考え思い出した時に、日本と一体になっていたいと思うことがあります。そのような時には、心の支えとしての日本の伝統文化、「日本武道」は大きな存在となってくるかと思います。
日本武道に親しむ一つの手段として下記の「居合道無料講座」を企画しました。是非、お気軽にご参加ください。
また、杖道も3月28日付け当ナムジャイブログに記事投稿していますのでご覧ください。
この無料講座は、日本武道を広くタイ国に住んでいる人に知ってもらうと共に、機会があれば一緒に稽古に参加していただければと思い計画を立てました。
計画は下記のとおりです。
第1回「たのしく学ぶ 居合道基礎講座」(無料)
一.開催年月日 平成25年5月26日(日)
二.開催時間 午後6時から午後8時
三.開催場所 日本人会本館第三会議室
四.募集人員 若干名
募集人員が若干名なのは、日本での開催であれば講座に必要な道具(居合刀・木刀)の確保も比較的に容易ですが、タイでは極めて困難ですので、最小限度の募集となってきます。
兎に角「刀」に触れて、居合道というものを一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。
(居合道の教え)
第一にあげられますのは、『鞘の内』 です。
次に「孫子」にに書かれています。
戦わずして勝つことが 善なり です。
この教えはどちらも、「刀」を抜いてむやみやたらに振り回すな。相手に対して切り付けるな、ということを言っていると思います。
武家社会では刀を腰に差すことが定石の往昔の「武士」も、ぎりぎりの際まで、「刀」は抜くことは無かったのではないでしょうか。
しかし、自己の身の安全を思い、やむを得ずに抜き放つ場合は、刀は『序破急』の所作により抜き放ちます。
くるならこい。しかし、やらないなら、やめろ。
そして、三番目は、「古歌」にもこのように歌われています。
「居合とは 人に斬られず 人斬らず 己を責めて 平かの道」
とありますように、
「刀を抜かずに敵を制し、気迫を以って勝ちを修める」
ことが究極の目的ではないでしょうか。
また、講座開催近くになりました時に詳細を記載したいと思います。
この講座の募集告知掲載は、
・日本人会定期広報「チラシ」
・バンコク週報
・タイ自由ランド「自由倶楽部」
・DACO「ビルボード」
等へもお願いしたいと思っています。
タグ :居合
2013年03月28日
(杖道における)「気合と呼吸」
先日(3月25日)、泰国杖・居合道稽古会(定例稽古)の記事の中で、
『・神道夢想流をベースとする杖道は「エイ」「イエイ」「ホー」を発声します』
と記載しました。
この発声(気合)を出すという事を、後少し詳細に記載してみたいと思います。と言いますのは、杖道稽古の中でこの気合は、術技と同じ位に大変に重要な部分を占めていますが、意外となおざりにされている、との松井先生からのご指摘もありますので、更に突っ込んだ説明文を引用させていただきたいと思います。
本日も私の「杖道」の先生であります、松井健二先生(神道夢想流杖術免許皆伝,杖道範士八段)の著書「古流へのいざないとしての 杖道打太刀入門」から『気合と呼吸』を抜粋しまして、皆様にご紹介していきたいと思います。
「古流へのいざないとしての 杖道打太刀入門」から抜粋
気合と呼吸
武道における気合には、有声のものと無声のものがあり、武道各流派においてさまざまな相違があります。全剣盟杖道の基になった古伝神道夢想流では、表と中段という段階においては有声の気合、杖の者は神道の「鳥船の行」の掛け声と同じ「エイ、イエイ、ホー」を使い分け、打太刀は原則として「エイ」のみを使い、全剣盟杖道となっても杖は「エイ、ホー」であり、打太刀は「エイ」だけです。
古伝神道夢想流においては、さらに陰において杖、打太刀ともに無声の含み気合による技を学ぶことになりますが、全剣盟杖道は基本的に普及用ですから、有声の気合(掛け声)からしっかり学ぶ必要があります。声を出すということは、呼吸から言うと、吐くという動作です。
呼吸法に関しては、インドのヨガでは息の吐き方、吸い方を均等に学ぶことが多いようですが、わが国における宗教、武術ともに息の吐き方から学ぶ特性があります。また、仏教的呼吸法においても普通に見受けられるのは、基本的に吐く時は腹が凹み、吸う時は腹が膨らむ「順腹式呼吸」です。独特な容姿で著名な湖北の渡岸寺の十一面観音像(国宝)の腰つきの素晴らしさは、「順腹式呼吸」の極致の素晴らしさだと思います。ただ、臨済宗系の坐禅などでは、「順腹式呼吸」ではなく、次に述べる「逆腹式呼吸」が指導されるのが一般的です。
一方、武術的には「順腹式呼吸」だけでなく、吐く時に腹部を充足させる「逆腹式呼吸」が多用されます。つまり、気合をかける時は、気を丹田に下ろし、下腹部を充足させることが重要になるわけです。その訓練が丹田の形成にも寄与しますが、体勢的には棒立ちではその成果は難しく、腰を落とし鼠徑部(そけいぶ)を広げた形が要求されます。京都東寺の講堂の五大明王像(国宝)にこの姿を見ることができます。
なお、腹を叩いて「丹田はここだ。ここに力をいれろ」という指導をされる指導者も多いのですが、初歩的にはそれでもよいとしても、丹田を実感できるようにならねば意味ありませんし、そうかと言って下腹部をコチンコチンに固くしてしまうのも如何かと思います。充足するということと固くするということは別物です。
また、通常、大きな声を出して動作すると筋肉が固くなってしまうことが多いのですが、これを気を下ろす工夫を重ねると丹田中心の動作になります。
深い呼吸は胴体部のさまざまな筋肉を使うため、それが動作にも大きく影響します。
また、武術的動作との関係においては、呼吸を止めての瞬発的動作や一回の呼気(吐く気)で複数の連続動作をおこなえるようになります。さらに高度な場合は、瞬時に「順腹式呼吸」と「逆腹式呼吸」を逆転させることも可能になります。平素の稽古で工夫すべきことと思います。
本日は、先日の稽古の時に話しました「気合」(エイ、イエイ、ホー)と呼吸「順腹式呼吸」,「逆腹式呼吸」の違いについて、25日の記事〔松井先生語録〕の詳細説明を記載してみました。
最後に、自分自身への戒めを込めまして、先日も記載しましたが、「松井先生語録」から一文引用します。
『・習熟ということには、愚直な反復が必須だからだ。素直にその指導に従って、ひたすら反復した者は、明らかに動作、気合共に進歩が見られました。勿論,それはしんどいと思い、手抜きをした者には進歩が見られなかった。
武術は知識ではないと何度も言ってきた。自分勝手な好みの動作や価値感観を否定しなければ進歩は望めない。』
『・神道夢想流をベースとする杖道は「エイ」「イエイ」「ホー」を発声します』
と記載しました。
この発声(気合)を出すという事を、後少し詳細に記載してみたいと思います。と言いますのは、杖道稽古の中でこの気合は、術技と同じ位に大変に重要な部分を占めていますが、意外となおざりにされている、との松井先生からのご指摘もありますので、更に突っ込んだ説明文を引用させていただきたいと思います。
本日も私の「杖道」の先生であります、松井健二先生(神道夢想流杖術免許皆伝,杖道範士八段)の著書「古流へのいざないとしての 杖道打太刀入門」から『気合と呼吸』を抜粋しまして、皆様にご紹介していきたいと思います。
「古流へのいざないとしての 杖道打太刀入門」から抜粋
気合と呼吸
武道における気合には、有声のものと無声のものがあり、武道各流派においてさまざまな相違があります。全剣盟杖道の基になった古伝神道夢想流では、表と中段という段階においては有声の気合、杖の者は神道の「鳥船の行」の掛け声と同じ「エイ、イエイ、ホー」を使い分け、打太刀は原則として「エイ」のみを使い、全剣盟杖道となっても杖は「エイ、ホー」であり、打太刀は「エイ」だけです。
古伝神道夢想流においては、さらに陰において杖、打太刀ともに無声の含み気合による技を学ぶことになりますが、全剣盟杖道は基本的に普及用ですから、有声の気合(掛け声)からしっかり学ぶ必要があります。声を出すということは、呼吸から言うと、吐くという動作です。
呼吸法に関しては、インドのヨガでは息の吐き方、吸い方を均等に学ぶことが多いようですが、わが国における宗教、武術ともに息の吐き方から学ぶ特性があります。また、仏教的呼吸法においても普通に見受けられるのは、基本的に吐く時は腹が凹み、吸う時は腹が膨らむ「順腹式呼吸」です。独特な容姿で著名な湖北の渡岸寺の十一面観音像(国宝)の腰つきの素晴らしさは、「順腹式呼吸」の極致の素晴らしさだと思います。ただ、臨済宗系の坐禅などでは、「順腹式呼吸」ではなく、次に述べる「逆腹式呼吸」が指導されるのが一般的です。
一方、武術的には「順腹式呼吸」だけでなく、吐く時に腹部を充足させる「逆腹式呼吸」が多用されます。つまり、気合をかける時は、気を丹田に下ろし、下腹部を充足させることが重要になるわけです。その訓練が丹田の形成にも寄与しますが、体勢的には棒立ちではその成果は難しく、腰を落とし鼠徑部(そけいぶ)を広げた形が要求されます。京都東寺の講堂の五大明王像(国宝)にこの姿を見ることができます。
なお、腹を叩いて「丹田はここだ。ここに力をいれろ」という指導をされる指導者も多いのですが、初歩的にはそれでもよいとしても、丹田を実感できるようにならねば意味ありませんし、そうかと言って下腹部をコチンコチンに固くしてしまうのも如何かと思います。充足するということと固くするということは別物です。
また、通常、大きな声を出して動作すると筋肉が固くなってしまうことが多いのですが、これを気を下ろす工夫を重ねると丹田中心の動作になります。
深い呼吸は胴体部のさまざまな筋肉を使うため、それが動作にも大きく影響します。
また、武術的動作との関係においては、呼吸を止めての瞬発的動作や一回の呼気(吐く気)で複数の連続動作をおこなえるようになります。さらに高度な場合は、瞬時に「順腹式呼吸」と「逆腹式呼吸」を逆転させることも可能になります。平素の稽古で工夫すべきことと思います。
本日は、先日の稽古の時に話しました「気合」(エイ、イエイ、ホー)と呼吸「順腹式呼吸」,「逆腹式呼吸」の違いについて、25日の記事〔松井先生語録〕の詳細説明を記載してみました。
最後に、自分自身への戒めを込めまして、先日も記載しましたが、「松井先生語録」から一文引用します。
『・習熟ということには、愚直な反復が必須だからだ。素直にその指導に従って、ひたすら反復した者は、明らかに動作、気合共に進歩が見られました。勿論,それはしんどいと思い、手抜きをした者には進歩が見られなかった。
武術は知識ではないと何度も言ってきた。自分勝手な好みの動作や価値感観を否定しなければ進歩は望めない。』
タグ :気合
2013年03月26日
泰国杖・居合道稽古会(定例稽古) (居合編)
昨日は稽古会の「杖道」の稽古内容そして、「松井先生語録」を記載しました。
今日は杖の稽古の後で、「居合」の稽古を引続き行いましたので、その内容を参考に記載しておきます。稽古に参加された方は復習として、欠席された方は次回の稽古の予習のつもりで、読んでいただければ幸いです。
〔居合道〕
・形(術技)〔正座の部〕
一本目 前
二本目 後ろ
(全日本剣道連盟居合審判・審査上の着眼点)から
一本目 前
一.抜きつけのとき、充分に鞘引きをしているか。
二.左の耳にそって、後ろを突く気持ちで振りかぶっているか。
三.振りかぶった切っ先は、水平より下がっていないか。
四.間をおくことなく切り下ろしているか。
五.切り下ろした切っ先は、わずかに下がっているか。
六.血振りの体勢は正しいか。
七.正しく納刀しているか。
二本目 後ろ
一.刀を抜きながら向き直ると同時に、左足をやや左寄りに踏み込
んでいるか。
二.敵のこめかみに正しく抜きつけているか。
居合は「杖道」や「剣道」と違い相手が居ません。相手は『仮想的』です。自分と同じ背丈の相手を、仮想的として目の前に思い浮かべ感じて、術技を行っていきます。
そして基本的に居合は『後の先』となっています。
例えば、一本目「前」の〔要義〕にはこう記載されています。
・対座している敵の殺気を感じ、機先を制して「こめかみ」に抜きつけ、さらに真っ向から切り下ろして勝つ。
また、二本目「後ろ」の〔要義〕にはこう記載されています。
・背後にすわっている敵の殺気を感じ、機先を制して「こめかみ」に抜きつけ、さらに真っ向から切り下ろして勝つ。
このように、術技の方法論としては、敵の行為や行動又はきっかけによって、こちらが機先を制して抜きつけますが、本来は、刀を抜かないで勝ちを制する(勝機を得る)ことが一番大切なことではないでしょうか。
居合の教えの中には『鞘の内』という言葉があります。
また、支那の有名な兵法書「孫子」には、このように書かれています。
戦わずして勝つことが 善なり
むやみやたらに「刀」を抜いて振り回すな。相手に切りつけるな、ということでありますが、往昔の「武士」もぎりぎりの際まで、「刀」は抜くことは無かったのではないでしょうか。
しかし、自己の身の安全を考えて、やむを得ずに抜き放つ場合は、刀は『序破急』の所作により抜き放ちます。
くるならこい。しかし、やらないなら、やめろ。
そして、古歌にもこのように歌われています
「居合とは 人に斬られず 人斬らず 己を責めて 平かの道」とありますように、
「刀を抜かずに敵を制し、気迫を以って勝ちを修める」
ことが究極の目的ではないでしょうか。
次回の稽古は、一本目「前」,二本目「後ろ」の復習に続いて、三本目「受け流し」,四本目「柄当て」,五本目「袈裟切り」を稽古していきたいと思います。
室内が暑いですから、水分補給を忘れずに行いながら稽古してください。
今日は杖の稽古の後で、「居合」の稽古を引続き行いましたので、その内容を参考に記載しておきます。稽古に参加された方は復習として、欠席された方は次回の稽古の予習のつもりで、読んでいただければ幸いです。
〔居合道〕
・形(術技)〔正座の部〕
一本目 前
二本目 後ろ
(全日本剣道連盟居合審判・審査上の着眼点)から
一本目 前
一.抜きつけのとき、充分に鞘引きをしているか。
二.左の耳にそって、後ろを突く気持ちで振りかぶっているか。
三.振りかぶった切っ先は、水平より下がっていないか。
四.間をおくことなく切り下ろしているか。
五.切り下ろした切っ先は、わずかに下がっているか。
六.血振りの体勢は正しいか。
七.正しく納刀しているか。
二本目 後ろ
一.刀を抜きながら向き直ると同時に、左足をやや左寄りに踏み込
んでいるか。
二.敵のこめかみに正しく抜きつけているか。
居合は「杖道」や「剣道」と違い相手が居ません。相手は『仮想的』です。自分と同じ背丈の相手を、仮想的として目の前に思い浮かべ感じて、術技を行っていきます。
そして基本的に居合は『後の先』となっています。
例えば、一本目「前」の〔要義〕にはこう記載されています。
・対座している敵の殺気を感じ、機先を制して「こめかみ」に抜きつけ、さらに真っ向から切り下ろして勝つ。
また、二本目「後ろ」の〔要義〕にはこう記載されています。
・背後にすわっている敵の殺気を感じ、機先を制して「こめかみ」に抜きつけ、さらに真っ向から切り下ろして勝つ。
このように、術技の方法論としては、敵の行為や行動又はきっかけによって、こちらが機先を制して抜きつけますが、本来は、刀を抜かないで勝ちを制する(勝機を得る)ことが一番大切なことではないでしょうか。
居合の教えの中には『鞘の内』という言葉があります。
また、支那の有名な兵法書「孫子」には、このように書かれています。
戦わずして勝つことが 善なり
むやみやたらに「刀」を抜いて振り回すな。相手に切りつけるな、ということでありますが、往昔の「武士」もぎりぎりの際まで、「刀」は抜くことは無かったのではないでしょうか。
しかし、自己の身の安全を考えて、やむを得ずに抜き放つ場合は、刀は『序破急』の所作により抜き放ちます。
くるならこい。しかし、やらないなら、やめろ。
そして、古歌にもこのように歌われています
「居合とは 人に斬られず 人斬らず 己を責めて 平かの道」とありますように、
「刀を抜かずに敵を制し、気迫を以って勝ちを修める」
ことが究極の目的ではないでしょうか。
次回の稽古は、一本目「前」,二本目「後ろ」の復習に続いて、三本目「受け流し」,四本目「柄当て」,五本目「袈裟切り」を稽古していきたいと思います。
室内が暑いですから、水分補給を忘れずに行いながら稽古してください。
タグ :居合
2013年03月25日
泰国杖・居合道稽古会(定例稽古) 弥生弐十四日
タイ国は早くも外気温40度を越す本格的な“夏季節”をむかえました。
昨日の稽古場もエアコンがかかっていたのでしょうが、余り影響はなかったようです。閉じ切りの室内ですので、皆さんの熱気で逆に室温が上昇していたかもしれません。
さて、昨日の稽古内容を簡単に記載しておきたいと思います。お仕事で欠席なさった方は、参考に読んで下さい。また、出席した方は復習のつもりで考えてください。
〔杖道〕
・基礎訓練 軸転法,膝回し,首回し,歩法,練り足,空足,斜め歩行
・基本打ち 本手打,逆手打,引落打,返し突,逆手突,巻落,繰付,
繰放,体当,突外打,胴払打,体外打(十二本)
・形 一本目 着杖
二本目 水月
三本目 引提
(杖道審判・審査上の着眼点)から
一本目 着 杖
(打)
一.正しい八相の構えから間合いに入り水平まで切っているか。
二.正しく左上段に構えているか。
(仕)
一.右斜め後ろに体を捌いた姿勢はどうか。
二.杖を右斜め上方より大きく回して「打」の左小手を打っている
か。
三.正しい本手打で「打」の左小手を打っているか。
二本目 水 月
(打)
一.「仕」の正面を正しく切っているか。
二.八相より十分間合をとって正しく中段に構えているか。
(仕)
一.体を右斜め前に捌き、左肩をやや後ろに引き正しく水月を突い
ているか。
二.正しく引落の構えになっているか。
三.引落打の強さはどうか。
三本目 引 提
(打)
一.太刀先を等分に杖と合わせているか。
二.左上段から正しく正面を切っているか。
三.正しく繰り付けられているか。
(仕)
一.合わせた杖先は太刀と等分になっているか。
二.正しい繰付から正しく水月を突いているか。
〔松井先生語録(私が僭越ですが名前を付けさせていただきました)から引用させていただきます。〕
・習熟ということには、愚直な反復が必須だからだ。素直にその指導に従って、ひたすら反復した者は、明らかに動作、気合共に進歩が見られました。勿論,それはしんどいと思い、手抜きをした者には進歩が見られなかった。
武術は知識ではないと何度も言ってきた。自分勝手な好みの動作や価値感観を否定しなければ進歩は望めない。
・一般的に皆さんは呼吸が浅いし、意識的に深く呼吸することもしません。
逆腹式の場合、吐く時に腹を膨らますのですから、意識的に行わないとできません。結果、深い呼吸ができ、身体バランスが改善されたということができるでしょう。
・下半身をしっかり決め、腹の底から口を大きく使いながら発声すると、呼吸筋ばかりかその他の筋肉まで連動し、武術的動作によい影響を与えます。
・神道夢想流をベースとする杖道は「エイ」「イエイ」「ホー」を発声しますが、これらの発声だけでも様々な筋肉が連動します。だから大きな気合を出せというのですが、大声なら良いというのではありません。武術の場合険しい気合にならなければなりません。だから気合発声法の指導の時などは、「腹の底からだせ」「目から火花が散るくらいだせ」と指導してきましたが、皆さんは考えただけでもしんどいと思うのかやりません。考えるからダメなので、下手な考え休みに似たりです。楽をしたら進歩はありません。
この後の「居合」の稽古については、別に掲載させていただきます。
昨日の稽古場もエアコンがかかっていたのでしょうが、余り影響はなかったようです。閉じ切りの室内ですので、皆さんの熱気で逆に室温が上昇していたかもしれません。
さて、昨日の稽古内容を簡単に記載しておきたいと思います。お仕事で欠席なさった方は、参考に読んで下さい。また、出席した方は復習のつもりで考えてください。
〔杖道〕
・基礎訓練 軸転法,膝回し,首回し,歩法,練り足,空足,斜め歩行
・基本打ち 本手打,逆手打,引落打,返し突,逆手突,巻落,繰付,
繰放,体当,突外打,胴払打,体外打(十二本)
・形 一本目 着杖
二本目 水月
三本目 引提
(杖道審判・審査上の着眼点)から
一本目 着 杖
(打)
一.正しい八相の構えから間合いに入り水平まで切っているか。
二.正しく左上段に構えているか。
(仕)
一.右斜め後ろに体を捌いた姿勢はどうか。
二.杖を右斜め上方より大きく回して「打」の左小手を打っている
か。
三.正しい本手打で「打」の左小手を打っているか。
二本目 水 月
(打)
一.「仕」の正面を正しく切っているか。
二.八相より十分間合をとって正しく中段に構えているか。
(仕)
一.体を右斜め前に捌き、左肩をやや後ろに引き正しく水月を突い
ているか。
二.正しく引落の構えになっているか。
三.引落打の強さはどうか。
三本目 引 提
(打)
一.太刀先を等分に杖と合わせているか。
二.左上段から正しく正面を切っているか。
三.正しく繰り付けられているか。
(仕)
一.合わせた杖先は太刀と等分になっているか。
二.正しい繰付から正しく水月を突いているか。
〔松井先生語録(私が僭越ですが名前を付けさせていただきました)から引用させていただきます。〕
・習熟ということには、愚直な反復が必須だからだ。素直にその指導に従って、ひたすら反復した者は、明らかに動作、気合共に進歩が見られました。勿論,それはしんどいと思い、手抜きをした者には進歩が見られなかった。
武術は知識ではないと何度も言ってきた。自分勝手な好みの動作や価値感観を否定しなければ進歩は望めない。
・一般的に皆さんは呼吸が浅いし、意識的に深く呼吸することもしません。
逆腹式の場合、吐く時に腹を膨らますのですから、意識的に行わないとできません。結果、深い呼吸ができ、身体バランスが改善されたということができるでしょう。
・下半身をしっかり決め、腹の底から口を大きく使いながら発声すると、呼吸筋ばかりかその他の筋肉まで連動し、武術的動作によい影響を与えます。
・神道夢想流をベースとする杖道は「エイ」「イエイ」「ホー」を発声しますが、これらの発声だけでも様々な筋肉が連動します。だから大きな気合を出せというのですが、大声なら良いというのではありません。武術の場合険しい気合にならなければなりません。だから気合発声法の指導の時などは、「腹の底からだせ」「目から火花が散るくらいだせ」と指導してきましたが、皆さんは考えただけでもしんどいと思うのかやりません。考えるからダメなので、下手な考え休みに似たりです。楽をしたら進歩はありません。
この後の「居合」の稽古については、別に掲載させていただきます。
タグ :武道(杖道)
2013年03月03日
第1回「たのしく学ぶ 杖道基礎講座」(無料)の開催
タイ国で杖と居合の稽古をはじめたのは平成23年10月1日でした。
全日本剣道連盟加盟団体の中でも剣道はバンコクをはじめとして、チェンマイやプーケットでも行われていますが、杖と居合は私の知る限りでは、ここタイ国では集団で稽古をしている団体は無いと思います。
タイ国日本人会に登録している方は3千人を超えています。昨年12月には1年振りとなる「文化祭」も開催されました。私も、居合演武で参加させていただきました。その他には、日本舞踊や空手演武,楽団演奏,太極拳,子供達の踊り、と各種団体の参加が有り楽しい文化祭でした。
本年はタイ国日本人会創立百周年の記念すべき年ですので、是非、杖演武と居合演武で出場したいものと稽古に励んでいます。
さて、表題の講座開催ですが、日本では既にお馴染みの企画開催です。
日本武道を広くタイ国に住んでいる人に知ってもらうと共に、機会があれば一緒に稽古に参加していただければと思い計画を立てました。
詳細は後日記載しますが、計画は下記のとおりです。
一.開催年月日 平成25年5月12日(日)
二.開催時間 午後6時から午後8時
三.開催場所 日本人会本館第三会議室
四.募集人員 若干名
募集人員が若干名なのは、日本での開催であれば講座に必要な道具(杖や太刀)の確保も比較的に簡単ですが、タイでは困難ですので、最小限度の募集となってきます。
兎に角「杖」に触れて太刀に触れて、杖道というものを一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。
(杖道の効果)
武道、特に杖道の修行は、身体を強健にし活動が敏活となり、姿勢や態度がよくなります。また、判断力,決断力が養われ、自信をもってことに当たれるようになります。そして、対人関係が円滑になり社会生活に必要な協調性が養われてきます。(「杖道を学ぶ目的とその効果」から)
また、講座開催近くになりました時に詳細を記載したいと思います。
この講座の募集告知掲載は、
・日本人会定期広報「チラシ」
・バンコク週報
・タイ自由ランド「自由倶楽部」
・DACO「ビルボード」
等へもお願いしたいと思っています。
全日本剣道連盟加盟団体の中でも剣道はバンコクをはじめとして、チェンマイやプーケットでも行われていますが、杖と居合は私の知る限りでは、ここタイ国では集団で稽古をしている団体は無いと思います。
タイ国日本人会に登録している方は3千人を超えています。昨年12月には1年振りとなる「文化祭」も開催されました。私も、居合演武で参加させていただきました。その他には、日本舞踊や空手演武,楽団演奏,太極拳,子供達の踊り、と各種団体の参加が有り楽しい文化祭でした。
本年はタイ国日本人会創立百周年の記念すべき年ですので、是非、杖演武と居合演武で出場したいものと稽古に励んでいます。
さて、表題の講座開催ですが、日本では既にお馴染みの企画開催です。
日本武道を広くタイ国に住んでいる人に知ってもらうと共に、機会があれば一緒に稽古に参加していただければと思い計画を立てました。
詳細は後日記載しますが、計画は下記のとおりです。
一.開催年月日 平成25年5月12日(日)
二.開催時間 午後6時から午後8時
三.開催場所 日本人会本館第三会議室
四.募集人員 若干名
募集人員が若干名なのは、日本での開催であれば講座に必要な道具(杖や太刀)の確保も比較的に簡単ですが、タイでは困難ですので、最小限度の募集となってきます。
兎に角「杖」に触れて太刀に触れて、杖道というものを一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。
(杖道の効果)
武道、特に杖道の修行は、身体を強健にし活動が敏活となり、姿勢や態度がよくなります。また、判断力,決断力が養われ、自信をもってことに当たれるようになります。そして、対人関係が円滑になり社会生活に必要な協調性が養われてきます。(「杖道を学ぶ目的とその効果」から)
また、講座開催近くになりました時に詳細を記載したいと思います。
この講座の募集告知掲載は、
・日本人会定期広報「チラシ」
・バンコク週報
・タイ自由ランド「自由倶楽部」
・DACO「ビルボード」
等へもお願いしたいと思っています。
タグ :無料講座