2015年01月04日
武道を修行する者としてタイ国から故国・日本を思う その壱
日本から「空中遠距離鉄製大衆運搬乗物」で約6時間。自由を制限された鉄の塊の中で過ごす、「とき」のなんと長いことか。しかし、それも決められた定めのあっての事。それを逸脱する事は、この乗物に乗せてもらえない事である。全て世の中、その場、その物事等により決められし「定め」で動かされている。
さて、前置きはこれぐらいにしまして、正月ですので気持ちも新たに、日本・日本国の「こと」を考えてみたいと思います。
日本国を取り巻く環境が決して穏やかではない事は、以前の比ではありません。特に、歴史問題を楯に取った近隣諸国の日本攻撃(叩き)は、目に余るものがあります。また、国内でもそれに助長し煽る行為を公然と行う、個人団体が存在する事は、何とも憤懣遣る方無い思いがしてまいります。
「歴史問題」とは。
真実の歴史は一つしか無いはずです。「日本国の刻んできた歴史を」他国が、この時期の歴史はこうである。こうでなくてはならない。このような事があった。等々勝手気ままに、御託を並べ挙句の果てには、歴史の捏造を平然と行い、世界に公言と垂れ流しをしている。これは許しがたき行為である。
日本国はそれに対しどのような対応策を講じてきたかといえば、(以前からの踏襲で)謝罪を繰り返す外交等をしてきただけで、(真実の歴史)で反論を試みると「歴史修正主義者」と評される始末である。
いつまで諸国に対して、謝罪をし続けていくのか。日本国はそれでよいのか。これまで日本国を築き上げてきた先人に対して、申し訳と共に恥ずかしくないのか。
今読んでいる本「繁栄の行きつく先 歴史を忘れた日本人」(著者 村上兵衛)約30年前に書かれた本であるが、今読んでも何とも納得のいく事柄が多い。
著者は「はじめに」でこう書いている。
『今日の日本人のひとつの特色をいえば、それは「歴史を知らない」ということだろう。とりわけ戦後世代はだいいちに学校で歴史、とくに近代・現代の日本の歴史をろくに習うことなく育ち、社会的にも“歴史意識”をやしなう機会のないままに過ごしてきた。』
(「近代」明治維新以後の時代。 「現代」大東亜戦役以後現在までの時代。)
先の大戦で有史以来、初めて(対外的に)敗北した日本国。その後の占領軍により成された施策の功罪は多くのものがある。しかし、その「ぬるま湯」にながながと浸り、母親の庇護の基よろしく、安穏と木偶の坊然として傘の下で平穏を謳歌していたのも、また、日本国である。その「つけ」が襲いかかってきている。
(これでいいのか、「日本」国,人)
勤勉で、実直で、「義」を重んじる国民。海外でもその評価は高い。
タイに住んでいても心強いものがあるが、その反面、背負っている、「日本国」の認識はずしりと重い気がします。
海外で生活している一人一人がきっと気が付かない中で、漠然とではあるが意識下の中にあることではないでしょうか。
これは、一重に日本人として二千六百年以上の長い歴史の中で培ってきた、日本人としての「意識」(DNAの作用)でしょう。
「タイ国から故国・日本を思う その弐」 は、近い内に投稿させていただきます。
さて、前置きはこれぐらいにしまして、正月ですので気持ちも新たに、日本・日本国の「こと」を考えてみたいと思います。
日本国を取り巻く環境が決して穏やかではない事は、以前の比ではありません。特に、歴史問題を楯に取った近隣諸国の日本攻撃(叩き)は、目に余るものがあります。また、国内でもそれに助長し煽る行為を公然と行う、個人団体が存在する事は、何とも憤懣遣る方無い思いがしてまいります。
「歴史問題」とは。
真実の歴史は一つしか無いはずです。「日本国の刻んできた歴史を」他国が、この時期の歴史はこうである。こうでなくてはならない。このような事があった。等々勝手気ままに、御託を並べ挙句の果てには、歴史の捏造を平然と行い、世界に公言と垂れ流しをしている。これは許しがたき行為である。
日本国はそれに対しどのような対応策を講じてきたかといえば、(以前からの踏襲で)謝罪を繰り返す外交等をしてきただけで、(真実の歴史)で反論を試みると「歴史修正主義者」と評される始末である。
いつまで諸国に対して、謝罪をし続けていくのか。日本国はそれでよいのか。これまで日本国を築き上げてきた先人に対して、申し訳と共に恥ずかしくないのか。
今読んでいる本「繁栄の行きつく先 歴史を忘れた日本人」(著者 村上兵衛)約30年前に書かれた本であるが、今読んでも何とも納得のいく事柄が多い。
著者は「はじめに」でこう書いている。
『今日の日本人のひとつの特色をいえば、それは「歴史を知らない」ということだろう。とりわけ戦後世代はだいいちに学校で歴史、とくに近代・現代の日本の歴史をろくに習うことなく育ち、社会的にも“歴史意識”をやしなう機会のないままに過ごしてきた。』
(「近代」明治維新以後の時代。 「現代」大東亜戦役以後現在までの時代。)
先の大戦で有史以来、初めて(対外的に)敗北した日本国。その後の占領軍により成された施策の功罪は多くのものがある。しかし、その「ぬるま湯」にながながと浸り、母親の庇護の基よろしく、安穏と木偶の坊然として傘の下で平穏を謳歌していたのも、また、日本国である。その「つけ」が襲いかかってきている。
(これでいいのか、「日本」国,人)
勤勉で、実直で、「義」を重んじる国民。海外でもその評価は高い。
タイに住んでいても心強いものがあるが、その反面、背負っている、「日本国」の認識はずしりと重い気がします。
海外で生活している一人一人がきっと気が付かない中で、漠然とではあるが意識下の中にあることではないでしょうか。
これは、一重に日本人として二千六百年以上の長い歴史の中で培ってきた、日本人としての「意識」(DNAの作用)でしょう。
「タイ国から故国・日本を思う その弐」 は、近い内に投稿させていただきます。
2015年01月01日
タイ国での年末年始の武道修行
私の年末年始は、ここ十年来の恒例となった年越し「武道稽古」で、終わり、そして、始まる。
午後10時半頃に沐浴し稽古着になり、11時頃から稽古を始める。
一年間の思いを込めて、最初は、杖の(全日本剣道連盟制定形)基本12本を行う。
(正面に礼を行い。始める。)
薄暗い道場で静かな気合を込めて、一本一本、足を運び杖をゆっくりと振り、打ち込んでいく。
本手打から返し突を行っているあたりから、うっすらと背に汗が滲んでくる。(やはり、タイである。)
十二本目の体外打をゆっくりと終え、正面に礼を行い杖から太刀に使用する道具を換える。
正面に礼を行い、刀礼を行い、静かに居のままの抜き付けを行う。
粛々と闇の中の仮想敵に向かい抜き付ける。
(家が建築途中の状態であるので、明かりは道路の街灯のみ。)
次に、夢想神伝流 一本目「初発刀」をやはり闇の仮想敵に向かい抜き付ける。
次は、昇段審査上の課題としている、同じく古流の初伝 大森流 九本目「勢中刀」を抜く。
ここで、午後11時50分となったので、居間(?)に戻る。
午前零時。本年の「誓願」(五つ)を記載する。これも、ここ十年来行っている事であり、自分にとっての一年間の願い事や目標でもあり誓いでもある。実現に向けて一年間鋭意努力する。
零時10分。再び道場に。
(正面に礼の後)
杖の全日本剣道連盟制定形 十二本(一本目「着杖」から「乱合」)を「杖」の形のみ稽古を行う。
この薄闇の中で、体を捌き杖を振っていると、自然と古の杖を稽古していた先人達との対話ができてくる。
(稽古;いにしえ「を」かんがえる。くらべる。とどめる。 と辞書にある。)
杖は、四百年以上の歴史がある武術,武道である。この間にこの「道」に携わった、慣れ親しんだ先人達はどれほどの人が居たことだろう。
今、私がここでこうして杖を振っているのも、そういう人達が居たればこその杖道である、と自己納得しての稽古を行う。
次に、居合は、全日本剣道連盟制定形 一本目「前」から十二本目「抜き打ち」をゆっくりと抜く。闇を切り裂く刃筋の音を確認しながら、本年の昇段審査に向けての誓いを新たにする。
最後は、私の居合抜き恒例としている、夢想神伝流 十二本目「抜刀」を行い、大晦日から新年にかけての「稽古」を終了とする。
この年越し「武道稽古」は、前年の稽古の成果を翌年に引き継いでゆくための、貴重な、自分にとっての大切な稽古である。体の続く限りこの稽古を続けていきたいと考えている。
さて、昨年は全剣盟杖道の昇段審査を受審した。本年は同じ全剣盟居合の昇段審査に挑戦をする。
審査に向けては稽古を積んで鋭意努力はするが、本番は、天命を待つのみである。
審査予定は本年9月である。基本を大切に稽古あるのみです。
午後10時半頃に沐浴し稽古着になり、11時頃から稽古を始める。
一年間の思いを込めて、最初は、杖の(全日本剣道連盟制定形)基本12本を行う。
(正面に礼を行い。始める。)
薄暗い道場で静かな気合を込めて、一本一本、足を運び杖をゆっくりと振り、打ち込んでいく。
本手打から返し突を行っているあたりから、うっすらと背に汗が滲んでくる。(やはり、タイである。)
十二本目の体外打をゆっくりと終え、正面に礼を行い杖から太刀に使用する道具を換える。
正面に礼を行い、刀礼を行い、静かに居のままの抜き付けを行う。
粛々と闇の中の仮想敵に向かい抜き付ける。
(家が建築途中の状態であるので、明かりは道路の街灯のみ。)
次に、夢想神伝流 一本目「初発刀」をやはり闇の仮想敵に向かい抜き付ける。
次は、昇段審査上の課題としている、同じく古流の初伝 大森流 九本目「勢中刀」を抜く。
ここで、午後11時50分となったので、居間(?)に戻る。
午前零時。本年の「誓願」(五つ)を記載する。これも、ここ十年来行っている事であり、自分にとっての一年間の願い事や目標でもあり誓いでもある。実現に向けて一年間鋭意努力する。
零時10分。再び道場に。
(正面に礼の後)
杖の全日本剣道連盟制定形 十二本(一本目「着杖」から「乱合」)を「杖」の形のみ稽古を行う。
この薄闇の中で、体を捌き杖を振っていると、自然と古の杖を稽古していた先人達との対話ができてくる。
(稽古;いにしえ「を」かんがえる。くらべる。とどめる。 と辞書にある。)
杖は、四百年以上の歴史がある武術,武道である。この間にこの「道」に携わった、慣れ親しんだ先人達はどれほどの人が居たことだろう。
今、私がここでこうして杖を振っているのも、そういう人達が居たればこその杖道である、と自己納得しての稽古を行う。
次に、居合は、全日本剣道連盟制定形 一本目「前」から十二本目「抜き打ち」をゆっくりと抜く。闇を切り裂く刃筋の音を確認しながら、本年の昇段審査に向けての誓いを新たにする。
最後は、私の居合抜き恒例としている、夢想神伝流 十二本目「抜刀」を行い、大晦日から新年にかけての「稽古」を終了とする。
この年越し「武道稽古」は、前年の稽古の成果を翌年に引き継いでゆくための、貴重な、自分にとっての大切な稽古である。体の続く限りこの稽古を続けていきたいと考えている。
さて、昨年は全剣盟杖道の昇段審査を受審した。本年は同じ全剣盟居合の昇段審査に挑戦をする。
審査に向けては稽古を積んで鋭意努力はするが、本番は、天命を待つのみである。
審査予定は本年9月である。基本を大切に稽古あるのみです。
タグ :日記