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プロフィール
阿羅漢
とにかく日本武道(杖道,居合道,護身術)が好きで、毎日稽古で汗を流しています。
タイ国はイサ-ン地方の田舎町に念願の、武道と日本の文化及び伝統や歴史を知ってもらうための発信基地「少林夢想会」を設立し、日々武道の稽古に勤しんでいます。
自前の道場ですので、稽古はいつでもできます。是非一緒に武道の稽古を遣りましょう。初心者も大歓迎です。心から、お待ちしています。

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Posted by namjai at

2015年11月12日

全日本剣道連盟杖道四段受審後一年が経過して感じる事。 其の壱

昨年の10月11日に四段を受審し、何とか、合格点をいただきました。あれから一年が経ちました。

今も心にひっかかっている事が有ります。

四段の実技審査は「段位審査規則・細則」によって、制定杖の「形」七本目(霞)から十一本目(乱留)までの五本となっています。

私は、最初に打太刀となりました。

一本目「霞」が終了し、二本目「太刀落」と進み、三本目「雷打」が終わり、後残すところ二本と成った時に、右隣の受験者の方が八相に構え、間合いを詰めて行きました。

私も何気なく八相に構え間合いを詰めるため、二歩ほど進んだところで停まり、構えを解き左に居ります審査委員の先生方に会釈をして、左足から仕切り線の所に戻り、再度、審査委員の先生方に会釈をし直し、帯刀姿勢に入り、四本目の「正眼」を行い、最後まで演武を終了しました。

(受審を終えての反省点)
・何時も稽古をしている組形であるから、五本しかないからと、安心しきった中での演武であった。

(今後の受審時の留意事項)
・稽古の時から、次の技は何本目、という事を常に意識をしていく事。また、稽古の時もこの点を強く意識する。

仕杖との間合いを詰めていく過程で、自分なりに気が付き技を継続していった事が、何とか合格点に繋がったと思います。
稽古場で何時も言っている事は、「途中で技を間違ってもやめない。続ける事が大切です。」
これが今回、自分に生きて来た‘’ことば‘’です。

如何に間違いに早く気が付き、新たな気持ちで本来の組形演武に持っていけるか。
それには矢張り、普段どれだけ真剣に稽古に励んでいるかによって、生まれてくることではないかと思っています。

じつは四段になって三段までと稽古の仕方、技の決め方等々も、この一年間で何か一つ吹っ切れたものを自分成りに感じています。

例えば其の一つは、基本技の「引落打」ですが、軸のぶれを無くす事の意識とともに、杖の効果を最大限に生かせるように工夫をしてきている事です。自分の体の軸回転と遠心力の活用です。

其の他にもここ一年間で何か全体的に、力が抜けてきた感じがしています。

其の事に関しても今後おいおい投稿していきたいと思っています。  


Posted by 阿羅漢 at 21:53Comments(0)杖道

2014年10月26日

全日本剣道連盟 杖道四段昇段審査を振返って

 六年振りとなる「全日本剣道連盟 杖道昇段審査」を日本で受審してきました。
 三段の昇段審査が平成20年12月。あれから六年が経ってしまいました。

 全日本剣道連盟の「剣道・居合道・杖道 称号・段級位審査規則・細則」(受審資格)では、「四段は、三段受有後3年以上修業した者」との条件を満たすこと、と記載されています。
 
 しかし私はこの条件を二重にしました。障壁をあえて二倍高くし、年数の階段の間隔を広く取りました。

 これは以前にも書きましたが、日本を遠く離れた海外で独りでの稽古形態である事と、どの武道でもそうですが、三段までと四段からでは「」に対する心構えと共に、業のある程度の充実も、問われてくるのではないかと感じて、再度、基本に重点を置いた稽古に専念をしました。

 そういう点では、独り稽古の気安さです。鏡を見ながらじっくりと単独稽古ができました。
 自己と相手の中心軸(正中線)を常に意識の中におき、基本業を繰り返し打ち,突きを行いました。何とか基本業は形が出来上がってきたように感じたのですが、一つ困ったことが起きました。

 「間と間合い」です。

 独り稽古の悲しさが如実に現れてきました。

 形稽古をはじめますと、相手のいない悲しさ単独行動と一人合点な我がままに陥ります。

 この重要な問題点を解消するために、今回は余裕を持って早めに日本に帰国しました。

 矢張りでました。五段の方と昇段審査規定の組演武をお願いしました。「間」が持てません。独りで相手の業を無視した形で、進んでいきました。間を空けるのが辛いのです。我慢ができずに単独行動に走っていました。

 また、「間合い」です。太刀と杖とを合わせる段階でも、間隔が掴めずに大変な苦労をしました。

 この時間と空間や距離の、「間と間合い」を克服するには、稽古量しかありません。

 自分の道場での稽古はもちろんのこと、以前から出稽古に訪れていた所にもお邪魔させていただきました。
 多くの方と稽古することによって、いろんな人の間合いがつかめるようになってきました。

 また、多くの方と杖と太刀で触れ合うことにより、自然と間ももてるようになってきました。

 そして、もちろん日本でも単独稽古は欠かせませんでして。
 しかし、自分の正面からの姿形は鏡で投影することだできますが、後ろや脇からの姿勢は見えません。
 組形の姿勢を見てもらい指摘をしていただき、間違った欠点を修正し克服するのは、稽古しかありません。

 とにかく10月11日の四段昇段審査へ向けて全力で望みました。

 圧巻は、何時も使用している道場で基本稽古をしていた時、次の使用団体が遣って来てしまったのです。
 仕方なく私の稽古の相手をしてくれる人を外で待ち、稽古場所を隣接する「城址公園本丸内」に移しました。

 松の巨木が乱立し枝が垂れ込め、外灯があまりない薄暗い場所でした。しかし、人間、見ようとすれば少々の明かりの中でも十分に見えるものです。
 ここでの稽古は今も目を閉じると鮮明に蘇ってきます。長い時間ではなかったのですが、古の先人達に見守られながらの四百年もの長き続く武道「杖」の演武はなんとも圧巻でした。いつの間にか、業と気合にも熱がこもっていました。

 ほの暗い城址本丸内。幽玄と幻想の世界に導かれての杖演武。昇段審査にあわせて日本での良い思い出が心に刻まれました。
 数日間、私の杖の稽古の相手をしてくれた人、には本当に感謝の気持ちで一杯です。ありがとう。

 昇段審査は何とか無事に(高い合格率にも助けられ)合格することができました。

 この模様は後日談ということで、本日は終了いたします。
 

   


Posted by 阿羅漢 at 21:54Comments(0)杖道

2013年07月06日

杖道 夢想庵『夢便り』(壱)

 第一話
探究心

 先日のバンコクの稽古がはじまる前の出来事を、今日は皆様にご紹介しておきます。
 「私は(松井先生の)演武を何回も繰り返し観ています。そして自分なりに、技の解説書を作っています。解らない箇所は何度も止め戻し、繰り返し観た後に書き留めています。」
 この方は、未だ、日本剣道連盟発行の「杖 解説書」が手元にないために、松井先生の演武を観て、ご自分で「仕」と「打」に別けて帳面に記載しているとのことです。

 目で観て、頭に刷り込み、記憶されている術技を自分の「ことば」で表現しておく。
 帳面を私に見せてくれました。内容までは見ませんでが、この「杖」の術技に対する、“探究心”いかがですか。

 ここで、以前もご紹介してありますが、私の杖道の師「松井先生語録」から一文ご紹介いたします。

『・習熟ということには、愚直な反復が必須だからだ。素直にその指導に従って、ひたすら反復した者は、明らかに動作、気合共に進歩が見られました。勿論,それはしんどいと思い、手抜きをした者には進歩が見られなかった。 
 武術は知識ではないと何度も言ってきた。自分勝手な好みの動作や価値感観を否定しなければ進歩は望めない。意識の問題もです。 
 意識・心が固まったら動作も固くなる。どんなに高度の心身が形成されようとも、動けなければ武術にならない。半世紀以上の試行錯誤の結論です。余計な知識を考えずにひたすら稽古荒れることを望みます。

百錬自得の理解を
 『「百錬自得」という言葉は、使い古されてはいる。しかし、武道ほど忘れてはならない言葉なのだ。
 スポーツに限らず、動作を似て芸とするあらゆる分野の基本である。別の言葉でいう時は「体で覚えろ」「愚直に反復せよ」ともいう。
 ところが最近の皆さんは、この原点を忘れ、頭で教え、頭で覚えようとする。人間の本質を理解しない者ほどその傾向が強い。
 
私はず~っと言い続けてきた。 
 「ひたすら動作の反復をしないと、脳に刷り込みができない。脳にしっかり刷り込まないものは、すぐに忘れる。鶏と同じで三歩歩いたら忘れる。知識で動作しようとする者の愚である。」
 脳に刷り込みができていない者は何度注意されても、注意されたことすらすぐに忘れるのが常なのだ。』

 探究心とは「物事の真の姿をさぐり明らかにしようとするこころ,物事を深く考え研究する心」とあります。この探求心を持つことにより、術技を深く追求しようとする心も育まれてきます。
 やはり稽古をしていても他の方との目の輝きと技を知ろうとする気構えが違って見えます。三時間という時間を長く使うのも短く使ってしまうのも、各人の心構え一つではないかと感じています。 

 月に三回の稽古の機会しかありません。一回会うと十日以上の「間」が空きます。この十日間のご自分の使い方も、次の稽古の時にいろんな形で、出てくるのではないかと私は思います。
 
 いつも言っていますように、一日稽古を休めば、三日乃至は四日続けて稽古を積まなければ元には戻らない、と言われています。「継続こそが力なり」です。
 稽古に対する心構えと共に大切なことは、杖と太刀に数多く触れる機会を持ってください。とにかく「松井先生語録」の中にも書かれていますように、「(正当な愚直な反復」を忘れずに行うことだけです。
 
 最後に、「着装」についてですが、着装はその人の稽古に対する心構えが最初に表に現れている部分です。着装は大切にしてください。普段から鏡等に向かい自分の着装の姿を見入っていてください。「着装」は心が表れてきます。
 なお。昇段審査時にも術技の前段階の入場時や、開始線で立哨している立ち姿から、先生方は受験生の「着装」(心持)をイの一番に審査・点検しています。
 
 本日は「探究心」についての「夢便り」第一話を届けさせていただきました。  
タグ :夢想庵


Posted by 阿羅漢 at 13:48Comments(0)杖道

2013年03月28日

(杖道における)「気合と呼吸」

 先日(3月25日)、泰国杖・居合道稽古会(定例稽古)の記事の中で、

 『・神道夢想流をベースとする杖道は「エイ」「イエイ」「ホー」を発声します』
 
 と記載しました。
 この発声(気合)を出すという事を、後少し詳細に記載してみたいと思います。と言いますのは、杖道稽古の中でこの気合は、術技と同じ位に大変に重要な部分を占めていますが、意外となおざりにされている、との松井先生からのご指摘もありますので、更に突っ込んだ説明文を引用させていただきたいと思います。
 
 本日も私の「杖道」の先生であります、松井健二先生(神道夢想流杖術免許皆伝,杖道範士八段)の著書「古流へのいざないとしての 杖道打太刀入門」から『気合と呼吸』を抜粋しまして、皆様にご紹介していきたいと思います。

 「古流へのいざないとしての 杖道打太刀入門」から抜粋

 気合と呼吸

 武道における気合には、有声のものと無声のものがあり、武道各流派においてさまざまな相違があります。全剣盟杖道の基になった古伝神道夢想流では、表と中段という段階においては有声の気合、杖の者は神道の「鳥船の行」の掛け声と同じ「エイ、イエイ、ホー」を使い分け、打太刀は原則として「エイ」のみを使い、全剣盟杖道となっても杖は「エイ、ホー」であり、打太刀は「エイ」だけです。
 古伝神道夢想流においては、さらに陰において杖、打太刀ともに無声の含み気合による技を学ぶことになりますが、全剣盟杖道は基本的に普及用ですから、有声の気合(掛け声)からしっかり学ぶ必要があります。声を出すということは、呼吸から言うと、吐くという動作です。
 呼吸法に関しては、インドのヨガでは息の吐き方、吸い方を均等に学ぶことが多いようですが、わが国における宗教、武術ともに息の吐き方から学ぶ特性があります。また、仏教的呼吸法においても普通に見受けられるのは、基本的に吐く時は腹が凹み、吸う時は腹が膨らむ「順腹式呼吸」です。独特な容姿で著名な湖北の渡岸寺の十一面観音像(国宝)の腰つきの素晴らしさは、「順腹式呼吸」の極致の素晴らしさだと思います。ただ、臨済宗系の坐禅などでは、「順腹式呼吸」ではなく、次に述べる「逆腹式呼吸」が指導されるのが一般的です。
 一方、武術的には「順腹式呼吸」だけでなく、吐く時に腹部を充足させる「逆腹式呼吸」が多用されます。つまり、気合をかける時は、気を丹田に下ろし、下腹部を充足させることが重要になるわけです。その訓練が丹田の形成にも寄与しますが、体勢的には棒立ちではその成果は難しく、腰を落とし鼠徑部(そけいぶ)を広げた形が要求されます。京都東寺の講堂の五大明王像(国宝)にこの姿を見ることができます。
 なお、腹を叩いて「丹田はここだ。ここに力をいれろ」という指導をされる指導者も多いのですが、初歩的にはそれでもよいとしても、丹田を実感できるようにならねば意味ありませんし、そうかと言って下腹部をコチンコチンに固くしてしまうのも如何かと思います。充足するということと固くするということは別物です。
 また、通常、大きな声を出して動作すると筋肉が固くなってしまうことが多いのですが、これを気を下ろす工夫を重ねると丹田中心の動作になります。
 深い呼吸は胴体部のさまざまな筋肉を使うため、それが動作にも大きく影響します。
 また、武術的動作との関係においては、呼吸を止めての瞬発的動作や一回の呼気(吐く気)で複数の連続動作をおこなえるようになります。さらに高度な場合は、瞬時に「順腹式呼吸」と「逆腹式呼吸」を逆転させることも可能になります。平素の稽古で工夫すべきことと思います。

 本日は、先日の稽古の時に話しました「気合」(エイ、イエイ、ホー)と呼吸「順腹式呼吸」,「逆腹式呼吸」の違いについて、25日の記事〔松井先生語録〕の詳細説明を記載してみました。
 
 最後に、自分自身への戒めを込めまして、先日も記載しましたが、「松井先生語録」から一文引用します。

『・習熟ということには、愚直な反復が必須だからだ。素直にその指導に従って、ひたすら反復した者は、明らかに動作、気合共に進歩が見られました。勿論,それはしんどいと思い、手抜きをした者には進歩が見られなかった。 
 武術は知識ではないと何度も言ってきた。自分勝手な好みの動作や価値感観を否定しなければ進歩は望めない。』  
タグ :気合


Posted by 阿羅漢 at 18:40Comments(0)杖道

2013年03月25日

泰国杖・居合道稽古会(定例稽古)   弥生弐十四日

 タイ国は早くも外気温40度を越す本格的な“夏季節”をむかえました。
 昨日の稽古場もエアコンがかかっていたのでしょうが、余り影響はなかったようです。閉じ切りの室内ですので、皆さんの熱気で逆に室温が上昇していたかもしれません。
 
 さて、昨日の稽古内容を簡単に記載しておきたいと思います。お仕事で欠席なさった方は、参考に読んで下さい。また、出席した方は復習のつもりで考えてください。
 
〔杖道〕
・基礎訓練  軸転法,膝回し,首回し,歩法,練り足,空足,斜め歩行
・基本打ち  本手打,逆手打,引落打,返し突,逆手突,巻落,繰付,
        繰放,体当,突外打,胴払打,体外打(十二本)
・形     一本目  着杖
       二本目  水月
       三本目  引提

(杖道審判・審査上の着眼点)から
 一本目  着 杖
 (打)
   一.正しい八相の構えから間合いに入り水平まで切っているか。
   二.正しく左上段に構えているか。
 (仕)
   一.右斜め後ろに体を捌いた姿勢はどうか。
   二.杖を右斜め上方より大きく回して「打」の左小手を打っている
     か。
   三.正しい本手打で「打」の左小手を打っているか。 

 二本目  水 月
 (打)
   一.「仕」の正面を正しく切っているか。
   二.八相より十分間合をとって正しく中段に構えているか。
 (仕)
   一.体を右斜め前に捌き、左肩をやや後ろに引き正しく水月を突い
     ているか。
   二.正しく引落の構えになっているか。 
   三.引落打の強さはどうか。

 三本目  引 提 
 (打)
   一.太刀先を等分に杖と合わせているか。
   二.左上段から正しく正面を切っているか。
   三.正しく繰り付けられているか。
 (仕)
   一.合わせた杖先は太刀と等分になっているか。
   二.正しい繰付から正しく水月を突いているか。

松井先生語録(私が僭越ですが名前を付けさせていただきました)から引用させていただきます。〕
 
・習熟ということには、愚直な反復が必須だからだ。素直にその指導に従って、ひたすら反復した者は、明らかに動作、気合共に進歩が見られました。勿論,それはしんどいと思い、手抜きをした者には進歩が見られなかった。
 武術は知識ではないと何度も言ってきた。自分勝手な好みの動作や価値感観を否定しなければ進歩は望めない。
・一般的に皆さんは呼吸が浅いし、意識的に深く呼吸することもしません。
 逆腹式の場合、吐く時に腹を膨らますのですから、意識的に行わないとできません。結果、深い呼吸ができ、身体バランスが改善されたということができるでしょう。
・下半身をしっかり決め、腹の底から口を大きく使いながら発声すると、呼吸筋ばかりかその他の筋肉まで連動し、武術的動作によい影響を与えます。
・神道夢想流をベースとする杖道は「エイ」「イエイ」「ホー」を発声しますが、これらの発声だけでも様々な筋肉が連動します。だから大きな気合を出せというのですが、大声なら良いというのではありません。武術の場合険しい気合にならなければなりません。だから気合発声法の指導の時などは、「腹の底からだせ」「目から火花が散るくらいだせ」と指導してきましたが、皆さんは考えただけでもしんどいと思うのかやりません。考えるからダメなので、下手な考え休みに似たりです。楽をしたら進歩はありません。


 この後の「居合」の稽古については、別に掲載させていただきます。  


Posted by 阿羅漢 at 16:00Comments(0)杖道

2013年03月03日

第1回「たのしく学ぶ 杖道基礎講座」(無料)の開催

 タイ国で杖と居合の稽古をはじめたのは平成23年10月1日でした。
 全日本剣道連盟加盟団体の中でも剣道はバンコクをはじめとして、チェンマイやプーケットでも行われていますが、杖と居合は私の知る限りでは、ここタイ国では集団で稽古をしている団体は無いと思います。

 タイ国日本人会に登録している方は3千人を超えています。昨年12月には1年振りとなる「文化祭」も開催されました。私も、居合演武で参加させていただきました。その他には、日本舞踊や空手演武,楽団演奏,太極拳,子供達の踊り、と各種団体の参加が有り楽しい文化祭でした。
 本年はタイ国日本人会創立百周年の記念すべき年ですので、是非、杖演武と居合演武で出場したいものと稽古に励んでいます。

 さて、表題の講座開催ですが、日本では既にお馴染みの企画開催です。
 日本武道を広くタイ国に住んでいる人に知ってもらうと共に、機会があれば一緒に稽古に参加していただければと思い計画を立てました。
 詳細は後日記載しますが、計画は下記のとおりです。

 一.開催年月日  平成25年5月12日(日)

 二.開催時間   午後6時から午後8時

 三.開催場所   日本人会本館第三会議室

 四.募集人員   若干名

 募集人員が若干名なのは、日本での開催であれば講座に必要な道具(杖や太刀)の確保も比較的に簡単ですが、タイでは困難ですので、最小限度の募集となってきます。

 兎に角「杖」に触れて太刀に触れて、杖道というものを一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。

 (杖道の効果)

 武道、特に杖道の修行は、身体を強健にし活動が敏活となり、姿勢や態度がよくなります。また、判断力,決断力が養われ、自信をもってことに当たれるようになります。そして、対人関係が円滑になり社会生活に必要な協調性が養われてきます。(「杖道を学ぶ目的とその効果」から)

 また、講座開催近くになりました時に詳細を記載したいと思います。

 この講座の募集告知掲載は、
 
  ・日本人会定期広報「チラシ」
  ・バンコク週報
  ・タイ自由ランド「自由倶楽部」
  ・DACO「ビルボード」

 等へもお願いしたいと思っています。  
タグ :無料講座


Posted by 阿羅漢 at 15:06Comments(0)杖道

2013年01月18日

剣は「師の位」について

 杖道を稽古している方、又は、これから稽古してみようかなとお思いの方、是非読んでください。
 杖道における、「剣」(太刀)の在り方、心意気をつかむことができるのではないかと思います。

 本日も私の「杖道」の先生であります、松井健二先生(神道夢想流杖術免許皆伝,杖道範士八段)の著書「古流へのいざないとしての 杖道打太刀入門」から、杖修行においては大変に重要な位置づけであります、「剣」について、剣は「師の位」と題しまして、抜粋しまして皆様にご紹介していきたいと思います。

 「古流へのいざないとしての 杖道打太刀入門」から抜粋

 剣は「師の位」

 古伝・古流の神道夢想流杖術と全剣連杖道とにおいて明らかに相違してしまっていることとは何かと言えば、太刀遣いの稽古が今日の全剣連杖道の稽古体系の中からすっぽりと欠落してしまっているということです。それは端的に言えば「打太刀」の位と太刀遣いの理解が極端に希薄になってしまっているということでもあります。先に少し触れたように、神道夢想流では杖遣いの稽古は太刀遣いの稽古と共になされて来ました。これは神道夢想流に限ったことではなく、棒杖術を伝承される他の古流においても当然のことでした。剣の遣い方がいい加減であれば、杖の遣い方があやふやなものになるのは自明なことです。
 全剣連杖道から古流神道夢想流杖術へ、あるいは逆に神道夢想流杖術から全剣連杖道へと、相互の学びと理解を深めるうえにも、先ず手掛かりとなるのは、杖の遣い方以前にむしろ太刀の遣い方を含めた打太刀の理解にこそあるのではないでしょうか。
 打太刀の在り方に対する理解が、古流と全剣連杖道とでは大きく違って来てしまっています。古流においても全剣連杖道においても、「打」(攻撃方)が太刀、「仕」(受方)が杖であることには変わりません。しかも全剣連杖道では稽古の最初から仕杖・打太刀を同時に学んでいくことから、ややもすれば仕・打が対等のように誤解する人も少なくありません。しかし、古伝・古流の神道夢想流杖術においては、現在の全剣連杖道のような多人数での稽古体系もありませんし、まして仕・打が交替しておこなわれる試合形式もありませんでしたから、当然、稽古における杖と打太刀との関係は対等ではないのです。古流では、打太刀が杖を育てるという考えに基づいており、打太刀を許された者は杖よりも技量において上位と認定されていました。特に神道夢想流では、剣は「師の位」と言い、稽古の際には目録以上の者しか打太刀をすることは認められていなかったのです。
 杖と打太刀とが同等同格ではなかったということは、打太刀をする者は仕杖をする者よりも錬達した杖遣いであると同時に優れた剣術遣いでもあったわけです。さもなければ、剣が杖を育てるということはできないからです。
 これに対して全剣連杖道においてはその成立と制定の中で、いつしか太刀は剣道、居合は居合道、杖は杖道という謙譲による暗黙の棲み分けを、杖道自身がしてしまっているように思われます。杖には形の前に基本の稽古がありますが、太刀には基本の稽古は定められていません。したがって生まれて初めて木刀を手にする者も、最初からいきなり打太刀と仕杖とを同時に教わる稽古体系になっており、なおかつ杖を中心に教わって剣遣いを基礎から学ぶ機会が無い場合も多く見受けられます。なかには杖道なのだからと言って、剣の基本を学ぶことに関心の薄い者もいます。このため、先人達に比べて、現代において杖を学ぶ者の剣の技量は指導者も含めて著しく低下しているのが現状と言わざるを得ません。古流はもとより全剣連杖道においても、剣に対する真摯な追求がなければ、杖の進歩もまたあり得ないのです。私自身も神道流剣術を含めての古流神道夢想流杖術を体現したいがために、鹿島神流をはじめとして優れた各古流の剣術に常に瞠目しつつ、無比流や浅山一伝流の剣術・居合などを学んで来ました。
 かつて文字通りの真剣勝負がおこなわれた時代では、杖の相手となる剣は何流とも知れず、抜き放たれた剣だけでなく、居合、その他の武器が相手ということも、体術が相手のこともあります。幕藩時代までの杖術者は、当然剣術も居合も体術も学んでいたのです。
 したがって、真の杖術を学び、体現しようとする時、剣の本質はいかなるものかを心得て、広範に学ぶ必要があります。それは全剣連杖道の範囲であっても同じことであると私は考えます。杖に対する剣の在り方を追求することは、先に引用した中山博道師範がいみじくも述懐された神道夢想流の特質を少しでも探る糸口でもあり、剣を少しでも学ぼうとすることによって全剣連杖道もより豊かなものになると信じるからです。  
タグ :杖道


Posted by 阿羅漢 at 15:36Comments(0)杖道

2012年05月31日

杖道の打太刀の特異性

 一般的には、武道における稽古方法は、使用する武器が同一が多い。例えば「剣道」は、竹刀対竹刀。また、古流武術の相対には、木刀対木刀や、薙刀対薙刀というように同一武器での対戦を想定しての稽古形態が多いと思います。

 稀には、鎖鎌と太刀又は太刀対槍そして、脇差対太刀というのがありますが、これは特殊な稽古であると考えられます。

 さて、本日は私の「杖道」の先生であります、松井健二先生(神道夢想流杖術免許皆伝,杖道範士八段)の著書「古流へのいざないとしての 杖道打太刀入門」から『杖道の打太刀の特異性』を抜粋しまして、皆様にご紹介していきたいと思います。

 「古流へのいざないとしての 杖道打太刀入門」から抜粋

 杖と太刀という武器の相違

 杖道は、形稽古に終始し、稽古形態が打(攻撃方)は「木刀」、仕(受方)は「杖」という武器そのものの形態が相違することに特性があります。
 通常、お互いの武器が同形態の場合、「形」というものはその成り立ちをよく知った上での約束事としておこなわれます。(例・日本剣道形や各流の剣術等)。
 しかし、杖道の場合、片や「平で反りがあり、切れ、刺さる太刀」、片や「真っすぐの丸棒で、切れない刺さらない、しかも鍔がない杖」です。
 そのため、全剣連杖道の場合、その基となった神道夢想流(元の古伝。普及形の古流とは相違)では約束事の「形」といえども同形態の武器同士におけるような約束事ではなく、それぞれの武器の長短を利しての真剣勝負といえる実戦の色合いが強くあり、全剣連杖道という普及形になっても、その基本思想を踏襲しているわけで、それを忘れては杖道の持つ実戦的な本質の一面を曲げる、あるいは希薄化することになりかねません。
 たとえば「形」として打太刀と杖がお互いに中段に合わせたところから次の動作をする「形」が多いのですが、同形態の武器におけるような約束事ではなく、動くだけの理由が隠されています。ただし、これは口伝であるため、普及形である全剣連杖道の範囲では分かり難いところでもありますが、広範な学びと稽古を通して、それぞれの形や術技の根底にはこうした意味もあることを心に留めていただきたいと思います。工夫と気付きを要するところでもあります。
 
 杖道における打太刀の役割

 杖の相手の剣は何流と決まっていたわけではなく、何流かもわからない、だからこそ杖をやる者は、太刀遣いの勉強が不可欠だったのです。まして現代剣道だけが相手ではありません。
 また、打太刀の特性も、特に八相の構えが全剣連の八相が手元の低い八相なのに対し、古伝においては一気に太刀風鋭く切り込む大八相(別名「耳構え」)です。さらに、定められた所しか叩かない現代剣道と違い、切れる所を切る多様な剣なのです。
 杖道における杖と太刀の関係は、「打太刀は師の位」と言われ、剣が杖を育てる稽古体系であり、太刀遣いがだめなら、杖も真の術技を体現できません。
 そのため、太刀遣いは、何流にも共通する原則的な遣い方を幅広く学び、遣えねばなりません。当然ながら現代剣道ではほとんど使わなくなった回刀技術にも習熟する必要があるのです。
 ところが、現実には現在の杖道の高段者には現代剣道の経験も少なく、古流の剣術についても「形」は知っていても、基礎の基礎すら知らない者も多くなったのが現状と言えそうです。

 以上本日は、杖道おける太刀遣い太刀のあり方についてを記載してみました。
 杖道の稽古の仕方の、ご参考の一助になれば幸せです。  
タグ :杖道の太刀


Posted by 阿羅漢 at 20:17Comments(2)杖道