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プロフィール
阿羅漢
とにかく日本武道(杖道,居合道,護身術)が好きで、毎日稽古で汗を流しています。
タイ国はイサ-ン地方の田舎町に念願の、武道と日本の文化及び伝統や歴史を知ってもらうための発信基地「少林夢想会」を設立し、日々武道の稽古に勤しんでいます。
自前の道場ですので、稽古はいつでもできます。是非一緒に武道の稽古を遣りましょう。初心者も大歓迎です。心から、お待ちしています。

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Posted by namjai at

2010年04月14日

武道と強さ

 少林寺拳法の門を叩く人の大半が、「強くなりたい。」。この願望を満たすために入門してくる人が多いと思います。少林寺では確かに突いてきたのを受け突きかえし、蹴ってきた足を受けて蹴り又は突きかえしたりの技を教えてくれます。
 初歩の段階では受けた腕が痛くて、痣があちこちにでき冬の間はいいのですが、半袖になる夏は「赤痣」が見えるのが大変恥ずかしかったのですが、上の段位なってくると逆に勲章ではないですが、練習の成果として嬉しくなっていた時もありました。
 
 さて、強さとは何でしょうか。例えば、自分から争いを求めそれに勝利することですか。
 今日は何人と戦って何人倒した。それが本当の強さですか。

 武道の修行を通じて教えられる『強さ』とは、以前にも投稿記事として書いてありますが、本来の武道の本質「武の意義」を追い詰めていけば、自ずから自覚し判ってくることではないかと思います。その点少林寺の教えは、自分を律し自己を調整しまた大切にし「自己確立」することが修行の中で確立されてきますので、自ら争いごとを求めていくのではなく、その大義名分は、『世のため人のため』社会貢献を目指す人間教育にあります。
 
 私は、タイ国で武道の修行を通じて本当の強さを求め日々訓練をしています。
 もし、私の考え方に賛同してくださり一緒に武道の練習をしてもいいよ、というタイ在住(老若男女問いません)の方がいらっしゃいましたら、こちらから伺いますので是非ご一報ください。
 ブログ投稿をお待ちしています。  
タグ :少林寺拳法


Posted by 阿羅漢 at 21:38Comments(2)

2010年04月13日

少林寺拳法の特徴「組手主体」

 少林寺拳法の特徴は何ですか、と聞かれた時には私はすかさず、「組手主体」です、と即答します。

 組手主体とはどの様なことをいっているかといいますと、基本的な練習、例えば、拳の突きの突き方や、運歩法(足の動き方)を学ぶために、単独の天地拳系統や白蓮拳系統での練習はありますが、これはあくまでも補助的な基本練習であり、これがある程度できるようになってくれば、組手に入っていきます。一つは前出の、天地拳第一の相対組演武を練習していきます。
 
 単独で練習をしていますと、相手との呼吸や間合いや虚実そして重要な、これも少林寺拳法の特徴の一つですが「守主攻従」、受けを確実に行った後に攻撃に転じる、ことがおろそかなものになってしまいます。
 相手の攻撃(突き、蹴り)を確実に受けることは、とりもなおさず相手の攻撃を外すことになります。相手の力を分散させ、虚の状態を作り出した上で、こちらが(実)確実な攻撃を行っていくことが重要です。
 それとともに、少林寺拳法では経絡秘法に基づいての人間の急所の位置を覚え、この急所を一定方向(角度)から攻撃を行うことにより、最小で最大の攻撃を行うことができるものです。
 練習の成果としては、力の無い(?)女性が、大きな男性を軽々と投げ飛ばすことも可能です。力で倒すのではなくあくまでも「技」,「術」です。この練習も単独練習では会得できません。相手に手首又は襟や袖や胸倉を掴んでもらい、反復練習することによってできるようになってきます。
 この練習を始める前には、最初に手首を捕まえられたのを抜くだけの練習を行います。(抜いた後に相手に対し、突き、蹴りの攻撃を行います。) これも少林寺拳法の特徴の一つですが「剛柔一体」といいます。
 この抜きが円滑に抜く事ができるようになると、今度は捕まえられ手を抜かずに、相手の掴んできた手を掴み返し投げに転じます。上手くいきますと相手は頭から逆さに落ちてくれます。

 他の武道、杖道や剣道と同じように基本練習は単独練習がありますが、単独練習では覚えられないものが「組手」では多く習得することができます。
 そのために私は、少林寺拳法の特徴は、と聞かれた時は即「組手主体」と答えます。
 以上、今日は少林寺拳法の特徴の中でも私がこれこそが特徴の第一であるという「組手主体」をご紹介しました。
 ではまた、後日武道の練習の結果をご報告いたします。  
タグ :少林寺拳法


Posted by 阿羅漢 at 17:49Comments(0)

2010年04月10日

武道「自己確立」

 私が一番最初に武道(剣道)をしったきっかけは、父親からの躾の一環でした。
 何処からか剣道防具(竹の胴)と籠手そして竹刀が持ってこられ、庭にて打ち合い(私は全然竹刀の握り方もできません)が開始され、籠手を嫌というほどに打たれました。未だ、面を付けていなかったので、上からの衝撃は無かったですが、それは大いに助かりました。
 父の身長は179センチメ-トルという大男。私は小学校5年くらいでしたから150センチメ-トルあるかないか。この差30センチメ-トル。
 その後の高校の剣道練習で判りましたが、上背の有る人から面(頭部)を叩かれたら目眩がします。この時、幸い面を付けてい無くて、父親が面を打たなかったことが幸いでした。しかし籠手の衝撃はもの凄いものが感じられました。思い出しますと、今の華麗なる防具と違い、50年近く前の防具は薄い粗末な布でつくられた物でした。
 剣道は、高校時代に倶楽部に入部し1年の冬に初段をいただきました。その後は大学受験準備(?)と2年の冬に2段受験失敗から剣道からは遠のいてしまいました。
 その後の武道との関わりは、以前にも投稿しましたが、就職してからの「少林寺拳法」との出会いです。剣道を練習していた時から、“無手”で、自分の身体能力を充分に活用した武道に憧れ、また、探していましたので、ドップリと浸かり、お陰様で三段中拳士(権中導師)を取得することができました。
 さて、余りにも前書きが長くなりましたが、今日の本題に入りたいと思います。

   「自己確立」 
        己こそ   己の寄る辺

           己をおきて   誰に寄る辺ぞ

              よく整えし己こそ   まことえがたき寄る辺なり 

  少林寺拳法の開祖は法話の中で
   『いいか、練習,修行というのは道場の中だけが修行の場ではないんだからな。電車に乗った座るな。吊革につかまり両足の踵を上げる。そして、真正面を見ながら最低でも目を180度見えるように訓練をしておけ。右左の人の動きを目を動かさずに確認をしろ。(八方目)。昔の戦闘機乗りは200度くらいは見えていた。でないと、自分が敵に打たれている。訓練をすればできる。普段からの訓練が大切である。』
 とおっしゃっていました。車を運転している時も真直ぐ前を見ていて、前から来る車の運転者が男,女、これを目を動かさずに行っていく。電車の中もそうですが、訓練していますと、今、端の人がどの様な動きをしているかが判ってきます。
 また、車の運転中に危機管理ではないですが、この様な状況になったらこのような時はどうする、といったことを常に心がけています。ただ単にハンドルを握っているのと、状況判断を考慮しながら運転しているのでは、突発的な出来事にも対処の仕方が大いに違ってくることではないでしょうか。
 今、町を通行している時に刃物で襲いかかられる変な時代になってきました。このような時一昔前であれば人間は、普段から鍛えている身体能力を遺憾なく発揮し、危機を脱出すべき方法を反射的作用で駆使していたことではないでしょうか。
 武道だけが自己確立の道ではないとは思います。しかし、術を体得していてその理をわかり、事に当たり充分にその修行効果が発揮できれば、武道の修行効果というものは最高のものではないでしょうか。
 普段からの練習で覚え自分の体にしみこんだ技は、反射的に反応してくれるものです。考えてから手,足が出ていては遅いのです。如何に反復練習が大切であるかがこの時に問われます。
 
 「自己確立」自分を信じられる自分を作り出していく。簡単なようで難しく、難しいようで簡単なことではないでしょうか。
 それは取りも直さず毎日の自己鍛錬,技の研究、術の訓練による“道”の求道に有ると思います。

 今日は「自己確立」について記載してみました。

 信じられる自分自身を。   今からでも遅くありません。日本古来の「武道」の修行をはじめましょう。
 そして、大切なのは常の継続を。!!!  
タグ :少林寺拳法


Posted by 阿羅漢 at 13:58Comments(0)

2010年04月01日

少林寺拳法「聖句」

 聖句
   『己こそ 己の寄るべ  
       己をおきて 誰に寄るべ  
          よく整えし己こそ まこと得がたき 寄るべなり』
 
 少林寺拳法の開祖はおっしゃいました。
  「この言葉の意味は小学校5年生の子供でもわかる、でも、
   これを実行していくことは本当にしんどい。困難なことである。」

 少林寺拳法にはこの「聖句」の他に、「請願」,「信条」,「道訓」とあります。これら全てを暗記し、道院において拳士全員で唱和をします。特に、道訓はかなり長い文言でありますが、最低でも黒帯を取得する(入門から約1年)までには完全に前文を暗記をして、内容をよく熟知する必要があります。
 さて、この聖句第一句は仏典「法句経」からの引用ですが、自分を良く調整し自分を大切にしてください、ということをいっているかと思います。。
 大切にするといっても、ただただ後生大事に、真綿に包んだ状態にしていれば良いというのではなく、心を澄んだ清浄な心とすると同時に、心の住処である、肉体をも合わせて鍛錬してください、ということではないかと思います。心が透明に澄んだ綺麗な状態になっても、肉体が軟弱で病弱また、ひ弱な体であっては、自立するところか何時もだれか人の支えが必要となってきてしまいます。
 少林寺拳法ではこのことを「自己確立」と呼んでいます。
 また、蛇足ではありますが、釈尊は古代インドの格闘技の錬達者でもあったようです。自己の確立した思想を他に広めようと思い立った時に、艱難辛苦、他の宗教の排除行為や妨害が多く待っていたことと想像されます。武器を持たない仏教徒にとって、無手勝流は必要不可欠な最低限度の行為ではないかと思います。
 他の宗教のように、「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ」では、正当な法の布教活動は停止させられてしまいます。
 錫杖は仏教徒の目印であると共に、自己防衛の一つの手段であったと思います。自分の正統な思想を広めるためには、必要最低限度のことではないでしょうか。
 肉体の鍛錬は日々の訓練が必要不可欠であります。少林寺拳法では一歩一段確実に階段を上るがごとく、修学することを基本理念としています。三段跳びで上階に上がったり、初段から突然三段には昇段ができません。いくら優秀な拳士であろうとも。
 良く鍛えられた肉体にこそ、良い精神(心)が宿ってくるものではないでしょうか。それこそが、自分が一番頼れる存在であり信用できる自分であるということを、この「聖句」はいっていると思います。
 今日は少林寺拳法の拳士が唱えています、拳士の心構え「聖句」について記載してみました。  
タグ :少林寺拳法


Posted by 阿羅漢 at 13:39Comments(0)