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プロフィール
阿羅漢
とにかく日本武道(杖道,居合道,護身術)が好きで、毎日稽古で汗を流しています。
タイ国はイサ-ン地方の田舎町に念願の、武道と日本の文化及び伝統や歴史を知ってもらうための発信基地「少林夢想会」を設立し、日々武道の稽古に勤しんでいます。
自前の道場ですので、稽古はいつでもできます。是非一緒に武道の稽古を遣りましょう。初心者も大歓迎です。心から、お待ちしています。

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Posted by namjai at

2010年10月23日

少林寺拳法「開祖」法話 2

 今日の管長先生(開祖)のご法話は、本山において拝聴した中で、今も心に感銘に残っています一言、「少林寺の拳士は、お互いが保険を掛け合っているのと同じことである。」。
 そのご法話の内容を掲載してみたいと思います。
 短い文章ですのですので、読んでいただいて直ぐに意味がご理解いただけるものと思います。

 何かの時には助け合える人間関係を
    『新聞少林寺拳法』1991年1月号より
  
 『なぐり合いをしろと言うんじゃないけれど、ケンカをするぐらいの勇気がなければいかんし、行動力がなけれぱいけない。ましてだ、他人の難儀を見過ごすようなことでは困るね。
 人間関係の中で一番大切なのはね、何かあった時にしてくれる。してもらえる。あるいはしてやりたい、こういうことじゃないのか。俺が困ってる時は助けてくれ、お前が困ってる時は知らん顔、それじゃ友だち一人だってできやしないぞ。何かあったらかばってやる、それをできない人が多いから日本は駄目なのだ。』
  (1969年10月・指導者講習会での法話より)
 
 以前にも書きましたが、仏教の修行結果、最後に到達する地点は、崇高な「自己確立」であると私は思っています。
 少林寺拳法においてもこの「自己確立」を修行の目的の一つに掲げております。

 この自己確立した人同志が、『“(信条)一、 我等は、法を修め、身心を錬磨し、同志相親しみ、相援け、相譲り、協力一致して理想境建設に邁進す”。この「自他共楽」によって理想郷の世界を作っていきましょう。』というのが、金剛禅運動の原点ではないかと思います。

 とにかく管長先生のご法話には実体験に基づく内容が多く、中身も重厚で何時も「感銘,感動」し、聞いていました。
  
 これからも管長先生のご法話掲載していきます。
   
  
タグ :法話


Posted by 阿羅漢 at 20:14Comments(0)

2010年10月20日

制定居合 四本目「柄当て」

 今日は、居合道術技「四本目・柄当て」をご紹介します。

 一本目 「前」の敵に対しての技で、居合道の全てがこの
      技に凝縮されています。
 二本目は、「後ろ」の敵を想定した技です。
 三本目は、「受け流し」で、敵を左に想定しての技でした。

 四本目「柄当て」(つかあて)
 
〔要義〕
  前後にすわっている二人の敵の殺気を感じ、まず正面の敵の「水月」(すいげつ)に「柄頭」を当て、続いて後ろの敵の「水月」を突き刺し、さらに正面の敵を真っ向から切り下ろして勝つ。

(動作)
1、正面に向って「居合腰」で着座する。すばやく刀に両手を
 かけて腰を上げ、左足のつま先を左膝の真後ろに立てて
 腰を伸ばし、右足を踏み込むと同時に、両手で鞘もろとも
 刀を前に突き出して「柄頭」で正面の敵の「水月」に激しく
 当てる。

2、直ちに左手で鞘だけ後方に引きながら後ろの敵に振り
 向き、左膝頭を軸に左のつま先を右に回して上体を左に
 開いて抜き放つと同時に「ものうち」近くの棟を左乳に当
 てて刃を外側にする。間をおくことなく、左手を内側にし
 ぼって鯉口をへそまえにおくると同時に右肘を伸ばして
 後ろの敵の「水月」を突き刺す。

3、正面の敵に振り向き、左膝を軸に左足先を元にもどすと
 同時に刀を引き抜きながら頭上に振りかぶり、左手を柄
 にかけて正面の敵に向き直ると同時に真っ向から「切り
 下ろす」。
  
4、そのままの姿勢で、左手は柄からはなして左帯におくる
 と同時に右手の刀は「右に開いての血振り」をする。

5、左手を左帯から鯉口におくって「納刀」しながら前足を後
 ろ足に引きつけて腰を落ち着け、片膝ついた蹲踞の姿勢
 となる。

6、腰を伸ばし、右足を踏み出して立ち上がると同時に後ろ
 足を前足にそろえる。右手を柄からはなして「帯刀姿勢」
 となり、左足より退いて元の位置にもどる。
 
 これが、四本目「柄当て」です。 
 全剣連の十二本の技の中で唯一「居合腰」から技が始まるのがこの四本目だけです。慣れない内は、この「居合腰」での着座、中々厄介なものが有ります。立ち上がるのにも、左足の踝に全ての力が加わりますので、苦労しました。
 しかし慣れです。慣れてくれば、ゆったり余裕をもって立ち上がることが可能となってきます。
 古流{夢想神伝流」の中伝はこの「居合腰」からの抜き付けが殆どといっていいくらいです。

 古流に進むに当たっても、この四本目「柄当て」の「居合腰」が基本の座り方となってきますので、ジックリと練習したいものです。
 この技の中で出てきます、『2、 左手を内側にしぼって鯉口をへそまえにおくると同時に右肘を伸ばして後ろの敵の「水月」を突き刺す。』は、後ででてきます十本目「四方切り」でも使用します。座してと、立っての違いは有りますが、刀の突き刺し方、手の絞り方は同一ですので、四本目の時に確実に身に着けておきたいものです。
 何時も言います、
 『やはり練習あるのみです。練習の結果が動作や所作また全体の姿や形に現れてきます。練習は嘘はつきません。』
 
 今日は四本目「柄当て」でした。

 次回は、五本目「袈裟切り」(けさぎり)です。  


Posted by 阿羅漢 at 15:26Comments(0)

2010年10月18日

全日本剣道連盟「剣道・居合道・杖道」称号・段位審査規則

 武道を修行していき一定年限が経過しますと、昇級・昇段審査に臨むことが可能となります。

 全日本剣道連盟に加入しています、剣道・居合道・杖道の段位を受審しようとする時には、審査規則にそった基準(受審資格)に該当するかどうかがまず判断されます。
 しかし、いくら規則に該当したからといっても、修行年数が途中欠如していたり、修行に対する態度が不十分であれば、自らを戒め、充分練習を積んだ上で審査に臨むことが大切ではないかと思います。

 参考に(受審資格)を記載しておきます。〔剣道・居合道・杖道共に同じです。〕

  初段   一級受有者で、中学校2年生以上の者

  二段   初段受有後1年以上修業した者

  三段   二段受有後2年以上修業した者

  四段   三段受有後3年以上修業した者

  五段   四段受有後4年以上修業した者

  六段   五段受有後5年以上修業した者

  七段   六段受有後6年以上修業した者

  八段   七段受有後10年以上修業し、年齢46歳
        以上の者

 という規定が有ります。

 提示しました「受審資格」は一つの判断基準であります。
 例えば1週間に1回の練習を行っている人と、3回,4回と練習を重ねている人とでは、同じ年数が経過しても、自ずから技量に差が歴然と出てきますから、それは、自分が加入しています組織の監督者の方に技量を見ていただき、受審するかどうかの判断はお決めになると思いますが。
 
 今日は、全日本剣道連盟の「受審資格」を参考までに記載して見ました。
 武道(剣道・居合道・杖道)に興味をお持ちの方、これから是非武道を練習してみたいと思われています方のご参考になればと思います。  


Posted by 阿羅漢 at 15:16Comments(0)

2010年10月17日

少林寺拳法「開祖」法話 1

 少林寺拳法をご存じない皆さんに是非「少林寺拳法」を知ってもらいたいと思っています。そのための一番の方法は管長先生(開祖)のご法話を読んでもらうのが最善の方法ではないかと思います。
 これから逐次ご法話を掲載してまいります。
 私が本山にて直接聞いたご法話も有ります。今回は、たまたま、関連の題名を調べていましたら検索できましたので、今日からはじめていきたいと思います。

 己が第一だが、すべてではない
    『新聞少林寺拳法』1990年6月号より 

  『私の祖父は明治末期の剣道範士の一人です。私、餓鬼の頃からいや応もなしに剣道を仕込まれた。「親の仇だと思ってかかってこいッ」子供の私をボンボン打ち据えるわけ。「悔しかったらかかってこい」。柔道もやりました。いろんなことをやったが、すべてが己以外は敵であるという教育しか受けてない日本人がね、他の幸せなんか考えるはずがない。

 いま少林寺の最大の眼目である“半ばは自分の幸せを、半ばは他人の幸せを”、こんな思想はこんなとこから生まれませんでしたね。
 日本の教育の中では生まれなかったのです。これは私の造語です。

 宗教家の偉い人、ある大学の教授が私に言いました。「先生、あなたはいい人だ、立派な人だけど、一つ気に入らんとこがある」、「どこが気に入らん」、“半ばは我が身の幸せを”、なんて、我が身を先へ出すなんていうのは宗教家としておかしいじゃないか。教育者としでもおかしいじゃないか」。「己を捨ててすべて世のだめ人のため」そういうことを言う方がとおりがいい。己を出すなんてもっての外だ」とおっしゃる。

 私は違うんですね。自分を大事にしないという人間があったらおかしいのであって、己がまず第一だ。しかし己がすべてではない。相手があるのである。半分でも相手のことでものを考えてあげる。相手のまして幸せを願うようになったら、戦争なんか一遍でなくなる、というより起きるはずがない。もちろん夫婦の争いもなければ仲間同士の撃ち合いもないはずです。そういうものを作るには武道ではだめなのです。体を鍛えるというだけではだめなのです。これを私は若い時代、修行過程の中で、中国の少林寺へ行った時に、教えてもらうというより壁画を見た私のイシスピレーションがそれを教えてくれた。』
  (1980年:鏡開き)
 
 金剛禅運動の原点ともいうべき管長先生のご法話です。
 私が少林寺拳法を修行してきた中で、色々な方法で管長先生のご法話を聞く機会に恵まれましたが、多くのご法話の中で今日掲載のご法話が少林寺拳法を知ってもらうのには一番ではないかと思い「いの一番」に掲載させていただきました。
  
タグ :法話


Posted by 阿羅漢 at 20:46Comments(0)

2010年10月05日

少林寺拳法 其壱

 少林寺拳法は管長先生が日本の敗戦により満州から苦労の末に祖国に戻られ(敗戦がなければ中国に骨を埋めるつもりでいたとのことです。)、敗戦により亡国の民と化しているなさけない日本国民の姿形をみるに見かねて、昭和22年に私財をはたいて道院(教育の場)をはじめられたのが、「日本」においての少林寺拳法のはじまりです。

 厳しい戦争体験の経験から、「人,人、すべては人の質にある。」との信念に基づき、将来の日本を背負っていく青少年を自らの手で教育していこう、と決心なされた管長先生は、「宗門の行」としての少林寺拳法(健康増進,精神修養,護身練達の三徳を保持)に吸い寄せられてきた人々に行じながら、教え(金剛禅)を説き、「自他共楽」の「幸せ運動」を展開していきました。

 四国の片田舎「香川県仲多度郡多度津町町」(漁港)です。多度津駅の小さな駅舎を降りますと、目の前に少林寺拳法の建て看板が目に入ってきます。ほんとに小さな田舎町です。こんな小さな町に日本全国いや世界までも感化する思想(金剛禅)の発信基地、そして少林寺拳法の総本山が有るとは思えない感じです。

 しかし、良いものは砂地に水が沁み込んでいくように、徐々に徐々に自然に当たり前のように広がっていくものです。誰にも阻止することなどはできません。
 戦後僅かの間に日本全体に広がっていきました少林寺拳法は、(昭和50年代と記憶しています)日本武道館で開催されました、第1回九武道大会(相撲,弓道,柔道,薙刀等)に出場するまでの大きな組織(公認団体)になっていました。僅か30年です。
 
 でも、何か悲しい出来事が起きていました。管長先生が大切にお作りになった「卍」の消滅もさることながら、(変な)コンサルタントとの訴訟事件が起きています。

 管長先生は、「少林寺拳法を職業にしてはいけません。正業を持ち行を修行、青少年等を教育しなさい。」と申されています。
 この事は後で詳しく記載します。そして、「君達の浄財が見てみなさい、帰ってくる度にここ(本山)は変わっているだろう。これは皆の貴重な財産で有る。他の武道にこれだけの本山施設が有るか。ないだろう。誇りに思いなさい。」本山の豪様、素晴らしい施設環境が行く度行く度に豪華に整備されています。
 決して、一般拳士に建物建設資金の強要はしません。建設資金をどのように捻出しているのかは一般拳士としては知る由もありませんが、まことに素晴らしい少林寺拳法の本山です。(長くなりますので、続きは後日記載します。)  


Posted by 阿羅漢 at 15:20Comments(0)