2011年08月22日
少林寺拳法「開祖」法話 5
「開祖」法話も今回で第五話となります。今までに投稿しましたご法話(題名)は、下記に掲載しておきましたので、どうぞごらんください。
私はいつも有り難く思っていますことは、毎日が「武道三昧」で過ごす事ができているという事です。食べる心配もまるで無く、寝る所の心配もなく、ましてやお金の心配も全然していませんし、本当に24時間以上が武道中心の生活を送らせていただいています。
それでいまして、決して苦では有りません。逆に毎日が楽しくしょうがないくらいです。
(いつものことですが、こんな武道中心で考えています生活ですが、何も言わない妻には大変大変感謝しています。)
こんな私の武道に対する基本的な考え方、また、他の武道においてもその基礎運動力等の根源となっていますのが、『少林寺拳法』です。
〔管長先生のご法話を掲載させていただいていますが記載事項
の「新聞記事」を除きまして、全文はあくまでも私の独断と一存
で記載していることでありますので、一切の責任は私に有りま
す。 宜しくお願いいたします。〕
少林寺拳法の管長先生のご法話を投稿し始めまして今回で5回目となります。
第1回目は、「己が第一だが、すべてではない」(昨年10月17日)
2回目は、「何かの時には助け合える人間関係を」」(昨年の10月23日)
3回目は、「人は一人では存在できない』(本年1月3日)
4回目は、「横へのつながりをもっと持て!」(本年3月20日)
言うだけでなく行動を!
『新聞少林寺拳法』1991年2月
『ある日の新聞に出ていた。子どもが川でおぼれている。一緒に遊んでいた子が道路に飛んで出て、手をあげて、どうぞ助けて下さいと言った。ところが、ひき殺したらいかんから車は止めるけれども、助けてくれる者は一人もいなかったというんだ。似たようなことは毎日の新聞にいっばいありますよ。通勤電車の中で誰かがのさばっている。みんな見て見ぬふりをしている。
「おれには関係ない」「かかわり合ったら困る」、こういうことではね、世の中良くなりっこないのだ。あの人はかわいそうだ、あんな悪いことをしていると言ってみたって何も解決しない。言うだけでなく、行動しようじゃないか。』
(1969年10月・指導者講習会での法話より)
管長先生は兎に角「行動しろ」を何時も言っておられました。夏期講習会や夏期大学の講義に臨まれますと、1回乃至は2回はこの言葉が出てきますくらい、「行動」の是非については強く述べられておられました。
その中で少林寺拳法が掲げた行動目標の一つに『行動する少林寺』という指針が掲げられていた事を思い出します。
そのために当時管長先生は自らのお車を「ジープ」になされ、自ら行動する少林寺、の先頭に立っての意気込みをお示しなさっていました。
また各道院,支部においても拳士はできるだけ「ジープ」を購入し、積極果敢に行動するよう、管長先生は拳士に呼びかけられていました。(拳士も常に「行動」を心根に持って修行に励んでいました。)
私の所属していました道院でも、4段以上の何人かの拳士は、新規購入時に買い換えた人がいたと思います。
管長先生のご法話「言うだけでなく行動を」は、武士道の精神の中にも有ります、「義を見てせざるは、勇なきなり」と説かれていますように、人の難儀に際して、義(人の道)を行使しないのは勇(義のために行われるのでなければ、徳の中に数えられる価値はない)の欠如であるといわれております。
側から見ても困っている人への最初の一言「大丈夫ですか。」これが中々言えない一言でありますが、本当に困り抜いている人には、優しく声をかけてあげて手を差し伸べえあげたいものです。
よく電車の中でも座席を独り占めして、ふんぞり返って悦にドーンと寝たふりを決め込んでいる人などを見かけますが、この様な輩は言語同断であると私は考えます。
何のために、誰のために、何故、武道を修行していますか。
その答えは、自己のため、自己確立のため自己鍛錬のためであり、
そして、自己確立できた人間は、他のために役立つ力を備える、他の人のために力を貸してあげる、
これが、少林寺拳法の
自他共楽 金剛禅運動
(少林寺拳法の「詩」の一節)
五 半ばは他人の幸せを 半ばはわが身の幸せを 心に誓う 少林寺
です。
最後になりました。前回も記載しましたが、管長先生がお話いただいていますご法話を、私は何時も心の中で反芻しています。しかし、これは知っている事ではなく、できることをやっていこうと常に決心するためにです。
微力です、一人でどこまでできるかは判りませんが、少林寺拳法で鍛えたこの肉体そして護身の術、また、今も武道で修行中のこの精神を駆使してがんばっていこうと思っています。
今日は「言うだけでなく行動を!」というご法話を記載させていただきました。
私はいつも有り難く思っていますことは、毎日が「武道三昧」で過ごす事ができているという事です。食べる心配もまるで無く、寝る所の心配もなく、ましてやお金の心配も全然していませんし、本当に24時間以上が武道中心の生活を送らせていただいています。
それでいまして、決して苦では有りません。逆に毎日が楽しくしょうがないくらいです。
(いつものことですが、こんな武道中心で考えています生活ですが、何も言わない妻には大変大変感謝しています。)
こんな私の武道に対する基本的な考え方、また、他の武道においてもその基礎運動力等の根源となっていますのが、『少林寺拳法』です。
〔管長先生のご法話を掲載させていただいていますが記載事項
の「新聞記事」を除きまして、全文はあくまでも私の独断と一存
で記載していることでありますので、一切の責任は私に有りま
す。 宜しくお願いいたします。〕
少林寺拳法の管長先生のご法話を投稿し始めまして今回で5回目となります。
第1回目は、「己が第一だが、すべてではない」(昨年10月17日)
2回目は、「何かの時には助け合える人間関係を」」(昨年の10月23日)
3回目は、「人は一人では存在できない』(本年1月3日)
4回目は、「横へのつながりをもっと持て!」(本年3月20日)
言うだけでなく行動を!
『新聞少林寺拳法』1991年2月
『ある日の新聞に出ていた。子どもが川でおぼれている。一緒に遊んでいた子が道路に飛んで出て、手をあげて、どうぞ助けて下さいと言った。ところが、ひき殺したらいかんから車は止めるけれども、助けてくれる者は一人もいなかったというんだ。似たようなことは毎日の新聞にいっばいありますよ。通勤電車の中で誰かがのさばっている。みんな見て見ぬふりをしている。
「おれには関係ない」「かかわり合ったら困る」、こういうことではね、世の中良くなりっこないのだ。あの人はかわいそうだ、あんな悪いことをしていると言ってみたって何も解決しない。言うだけでなく、行動しようじゃないか。』
(1969年10月・指導者講習会での法話より)
管長先生は兎に角「行動しろ」を何時も言っておられました。夏期講習会や夏期大学の講義に臨まれますと、1回乃至は2回はこの言葉が出てきますくらい、「行動」の是非については強く述べられておられました。
その中で少林寺拳法が掲げた行動目標の一つに『行動する少林寺』という指針が掲げられていた事を思い出します。
そのために当時管長先生は自らのお車を「ジープ」になされ、自ら行動する少林寺、の先頭に立っての意気込みをお示しなさっていました。
また各道院,支部においても拳士はできるだけ「ジープ」を購入し、積極果敢に行動するよう、管長先生は拳士に呼びかけられていました。(拳士も常に「行動」を心根に持って修行に励んでいました。)
私の所属していました道院でも、4段以上の何人かの拳士は、新規購入時に買い換えた人がいたと思います。
管長先生のご法話「言うだけでなく行動を」は、武士道の精神の中にも有ります、「義を見てせざるは、勇なきなり」と説かれていますように、人の難儀に際して、義(人の道)を行使しないのは勇(義のために行われるのでなければ、徳の中に数えられる価値はない)の欠如であるといわれております。
側から見ても困っている人への最初の一言「大丈夫ですか。」これが中々言えない一言でありますが、本当に困り抜いている人には、優しく声をかけてあげて手を差し伸べえあげたいものです。
よく電車の中でも座席を独り占めして、ふんぞり返って悦にドーンと寝たふりを決め込んでいる人などを見かけますが、この様な輩は言語同断であると私は考えます。
何のために、誰のために、何故、武道を修行していますか。
その答えは、自己のため、自己確立のため自己鍛錬のためであり、
そして、自己確立できた人間は、他のために役立つ力を備える、他の人のために力を貸してあげる、
これが、少林寺拳法の
自他共楽 金剛禅運動
(少林寺拳法の「詩」の一節)
五 半ばは他人の幸せを 半ばはわが身の幸せを 心に誓う 少林寺
です。
最後になりました。前回も記載しましたが、管長先生がお話いただいていますご法話を、私は何時も心の中で反芻しています。しかし、これは知っている事ではなく、できることをやっていこうと常に決心するためにです。
微力です、一人でどこまでできるかは判りませんが、少林寺拳法で鍛えたこの肉体そして護身の術、また、今も武道で修行中のこの精神を駆使してがんばっていこうと思っています。
今日は「言うだけでなく行動を!」というご法話を記載させていただきました。
タグ :法話
Posted by 阿羅漢 at
15:24
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2011年08月22日
これってほんとに 朝鮮剣術なの?
★伝統剣法「朝鮮勢法」を世界に披露する女性剣士 「日本の剣道と異なる韓国固有の剣法」
「日本の剣道とも中国の剣法とも異なる、韓国固有の剣法を確実に伝えたい」
韓国の女性剣士が、韓国最古の剣法である「朝鮮勢法」を世界の武術関係者に披露する。その人物とは、大邱で剣道場「一剣館」を運営する、イ・ウンミ館長(41)
先月28日(2010年9月2日の投稿記事)から中国・北京で、「武道の五輪」といわれる「スポーツアコード・コンバット・ゲームズ」が開催されている。テコンドー、ボクシング、柔道、ブラジリアン柔術、空手、剣道、キックボクシング、ムエタイ、サンボ、相撲、レスリング、武術の13種目による格闘技の総合大会で、150カ国・地域から1900人以上の選手が参加している。
イ館長は今月4日、この大会で「朝鮮勢法」24勢のうち12勢の公開演武を行う。「朝鮮勢法」とは、朝鮮時代の武芸訓練の教法『武芸図譜通志』に登場する「本国剣法」よりも古い韓国最古の剣法で、前後左右の攻撃姿勢が描写されている。中国・明朝の茅元儀が著した『武備志』に登場したものを、1980年代から大韓剣道会が解析し、復元作業に取り組んでいる。
イ館長は、朝鮮勢法の修練を始めてから3年で3段に昇段。今回の演武のために、数カ月前から毎日のように、実演とイメージトレーニングを繰り返し、情熱を注いでいる。
「朝鮮勢法は実戦用のもの。ほとんどの剣道が、多くのルールが定められた競技用スポーツとなっているが、これは大きく異なる。剣も腰ではなく、肩にひもを結んで差すスタイルだ」
イ館長は、暁星女子大(現・大邱カトリック大)と大学院でピアノを専攻した。ところが大学院時代、偶然接した剣道に魅了され、音楽の道に進むのをやめたという。剣道では、韓国国内の女性剣士で最高の6段を取得している。
という(前段全部)記事が一昨日目に入りましたので、皆様にもお見せしたく記事として投稿しました。
この前段の記事の次の「間」に写真が貼り出されています。その写真の全体説明をしますと、
背景は、剣道用とおぼしき防具が入っています棚が4段くらいあります。防具らしきものには垂袋もついていて、漢字(?)で名前が書かれています。朝鮮剣道用防具(?)垂に漢字で書かれた垂袋、大変可笑しいのではないでしょうか。でも、良く見てみると確かに胴と垂が見えてきます。
その棚の前には、細身の木刀(?)が乱雑に突っ込まれています。ただ突っ込んであるといった表現がそのまま当てはまってきます。
さて、当のご本人ですが、髪の毛は茶毛ではなく、赤毛のお河童頭、黒の鉢巻をきりりと結び、胴衣は赤の何袖というのでしょう、中国の昔の映画に出てきます大きな袖を持ったもので、腰にはお印程度の青く細い紐が結ばれています。
れり首からは何故か白いシャツ(?)襦袢の代わりなのか、が大きくはみ出て見えています。
そして何とも奇妙な事が、「鎖」か、はたまた「数珠」でしょうか、右肩から左腰にかけて垂らして有ります。鞘は鯉口から30センチメートルくらいのところに円い管が付いていてそこに先程の「鎖」の先端が結ばれています。
肩から吊るした朝鮮刀。
この刀みたいなもの。一寸見た目は日本の刀そっくりです。(「本拵」に酷似しています。)
しかし、柄金が銅そのまま(醜い)。写真を撮る光の加減か、光の当て具合が悪いのか、刀身が錆びている感じで映っています。
そして何よりも決定的に贋物(なにが3年で3段取得)の証拠は、(「朝鮮勢法」というのはそんなに甘いのですか。)
柄の握り方ですよ。刀を本当に握り練習していなければ判らないでしょうが、右手親指の母指丘が使われていません。
この人の刀の握り方は、剣道の竹刀の握り方です。
朝鮮では、刀を握る時にはこの様に握りなさいと教えているのでしょうか、「手の内」がまるで出来ていませんね。これで朝鮮勢法の3段ですか。大したことがないですね朝鮮勢法というのは。大きな事を言っている割には。
それに、写真を撮るのであれば柄頭のあけ方にも工夫が必要でしたかな。少しどころか空き過ぎの感じがします。
「剣道では、韓国国内の女性剣士で最高の6段を取得している。」というのも、術技の中身が知れますね。
「大学院でピアノを専攻した。」のに、なんかもったいないではないですか。ピアノの方が良いですよ。今からでも遅くありません。ピアノに戻ったら如何ですか。
この写真全体を見ました感じからしますと、ただ単に飛んだり跳ねたり、前後左右に動く朝鮮舞踊に、刀を奇妙に振り回して見せているだけではないかと想像されます。
日本の真の武道を知らない人間は、奇妙奇天烈な女性の踊りに魅了され翻弄され、虜になってしますのではないでしょうか。
これは朝鮮踊りですよ、と言わない限り判らないでしょうから。
本日は、もったいぶって「写真」まで投稿している、偽武道の朝鮮勢法という記事をご紹介しました。
皆さんも ★伝統剣法「朝鮮勢法」を世界に披露する女性剣士 「日本の剣道と異なる韓国固有の剣法」の写真を見てやってください。(笑ってはだめですよ。決して笑わないでください。)
「日本の剣道とも中国の剣法とも異なる、韓国固有の剣法を確実に伝えたい」
韓国の女性剣士が、韓国最古の剣法である「朝鮮勢法」を世界の武術関係者に披露する。その人物とは、大邱で剣道場「一剣館」を運営する、イ・ウンミ館長(41)
先月28日(2010年9月2日の投稿記事)から中国・北京で、「武道の五輪」といわれる「スポーツアコード・コンバット・ゲームズ」が開催されている。テコンドー、ボクシング、柔道、ブラジリアン柔術、空手、剣道、キックボクシング、ムエタイ、サンボ、相撲、レスリング、武術の13種目による格闘技の総合大会で、150カ国・地域から1900人以上の選手が参加している。
イ館長は今月4日、この大会で「朝鮮勢法」24勢のうち12勢の公開演武を行う。「朝鮮勢法」とは、朝鮮時代の武芸訓練の教法『武芸図譜通志』に登場する「本国剣法」よりも古い韓国最古の剣法で、前後左右の攻撃姿勢が描写されている。中国・明朝の茅元儀が著した『武備志』に登場したものを、1980年代から大韓剣道会が解析し、復元作業に取り組んでいる。
イ館長は、朝鮮勢法の修練を始めてから3年で3段に昇段。今回の演武のために、数カ月前から毎日のように、実演とイメージトレーニングを繰り返し、情熱を注いでいる。
「朝鮮勢法は実戦用のもの。ほとんどの剣道が、多くのルールが定められた競技用スポーツとなっているが、これは大きく異なる。剣も腰ではなく、肩にひもを結んで差すスタイルだ」
イ館長は、暁星女子大(現・大邱カトリック大)と大学院でピアノを専攻した。ところが大学院時代、偶然接した剣道に魅了され、音楽の道に進むのをやめたという。剣道では、韓国国内の女性剣士で最高の6段を取得している。
という(前段全部)記事が一昨日目に入りましたので、皆様にもお見せしたく記事として投稿しました。
この前段の記事の次の「間」に写真が貼り出されています。その写真の全体説明をしますと、
背景は、剣道用とおぼしき防具が入っています棚が4段くらいあります。防具らしきものには垂袋もついていて、漢字(?)で名前が書かれています。朝鮮剣道用防具(?)垂に漢字で書かれた垂袋、大変可笑しいのではないでしょうか。でも、良く見てみると確かに胴と垂が見えてきます。
その棚の前には、細身の木刀(?)が乱雑に突っ込まれています。ただ突っ込んであるといった表現がそのまま当てはまってきます。
さて、当のご本人ですが、髪の毛は茶毛ではなく、赤毛のお河童頭、黒の鉢巻をきりりと結び、胴衣は赤の何袖というのでしょう、中国の昔の映画に出てきます大きな袖を持ったもので、腰にはお印程度の青く細い紐が結ばれています。
れり首からは何故か白いシャツ(?)襦袢の代わりなのか、が大きくはみ出て見えています。
そして何とも奇妙な事が、「鎖」か、はたまた「数珠」でしょうか、右肩から左腰にかけて垂らして有ります。鞘は鯉口から30センチメートルくらいのところに円い管が付いていてそこに先程の「鎖」の先端が結ばれています。
肩から吊るした朝鮮刀。
この刀みたいなもの。一寸見た目は日本の刀そっくりです。(「本拵」に酷似しています。)
しかし、柄金が銅そのまま(醜い)。写真を撮る光の加減か、光の当て具合が悪いのか、刀身が錆びている感じで映っています。
そして何よりも決定的に贋物(なにが3年で3段取得)の証拠は、(「朝鮮勢法」というのはそんなに甘いのですか。)
柄の握り方ですよ。刀を本当に握り練習していなければ判らないでしょうが、右手親指の母指丘が使われていません。
この人の刀の握り方は、剣道の竹刀の握り方です。
朝鮮では、刀を握る時にはこの様に握りなさいと教えているのでしょうか、「手の内」がまるで出来ていませんね。これで朝鮮勢法の3段ですか。大したことがないですね朝鮮勢法というのは。大きな事を言っている割には。
それに、写真を撮るのであれば柄頭のあけ方にも工夫が必要でしたかな。少しどころか空き過ぎの感じがします。
「剣道では、韓国国内の女性剣士で最高の6段を取得している。」というのも、術技の中身が知れますね。
「大学院でピアノを専攻した。」のに、なんかもったいないではないですか。ピアノの方が良いですよ。今からでも遅くありません。ピアノに戻ったら如何ですか。
この写真全体を見ました感じからしますと、ただ単に飛んだり跳ねたり、前後左右に動く朝鮮舞踊に、刀を奇妙に振り回して見せているだけではないかと想像されます。
日本の真の武道を知らない人間は、奇妙奇天烈な女性の踊りに魅了され翻弄され、虜になってしますのではないでしょうか。
これは朝鮮踊りですよ、と言わない限り判らないでしょうから。
本日は、もったいぶって「写真」まで投稿している、偽武道の朝鮮勢法という記事をご紹介しました。
皆さんも ★伝統剣法「朝鮮勢法」を世界に披露する女性剣士 「日本の剣道と異なる韓国固有の剣法」の写真を見てやってください。(笑ってはだめですよ。決して笑わないでください。)
タグ :朝鮮剣術
Posted by 阿羅漢 at
01:20
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2011年08月14日
8月15日(敗戦日)
今年も後1日であの「敗戦日」がやってきます。
私はこの事実を自分の目で見たわけではありません。
戦後の昭和22年生まれの私にとっては、父から戦地の有り様を遠い昔に聞いたり、本を読んだりのことですが、「日本人」として、また、「国粋主義者」を自認しています自分にとって、この敗戦日が何時になったら払拭され、真の「日本の自主独立」が可能となるのか心配でなりません。
自主独立どころか、最近の日本国の政治経済国民の様を遠方していますと、「亡国の徒」に見られるようなそんな感がしてきてなりません。(日本で生活をしています日本人の皆さん感じませんか。)
政の頂点に立ちその政治能力もましてや行動力や決断力、そして、一番政治家としての欠点は、「人の話が聞けない。」ことです。
明治天皇の勅命によってつくられ、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針「五箇条のご誓文」を“この人”は読んだ事があるのでしょうか。
一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
二 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
三 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
四 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
五 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
であります。
言葉の意味は、皆さんよくご存知の事でしょうから、あえて私は注釈はしませんが、この「五箇条のご誓文」、正に、今の日本国の現状を正し、国民を正道に導き日本古来の伝統ある格式高い民族に立ち返させるためには、是非とも再登場願し、広く日本国民に再認識させるべき「お言葉」であると私は常日頃から考えています事であります。(一部現代に合せて修正しなければならない箇所もありますが。)
また、日本人としての精神的な意識認識の再確認の必要性とともに、大切な“文言”を忘れてはなりません。
この事実を抜きにしては、日本の真の『独立』はありえませんし、米国と対等の立場で世界の桧舞台において、物事を推し進める姿勢が整わないと思っています。
日本国憲法
の自主制定です。
今の憲法を後生大事に背中に背負っていますのは、“亡国の徒”集団です。そして、“平和憲法”の甘い言葉を罠に日本を破滅に導こうと目論んでいます。
今の政治家の“政”を一つ一つ注視してご覧ください。(この判断する「目」を養ってください。『眼力』が大切です。)
国民への選挙活動での訴えは“甘い言葉(甘言を弄し)”を使っていましたが、実際自分達がその政権の座に就いた途端如何ですか、正に“手の平を返したよう”とはこの現象を表す言葉にドンピシャリです。
あれも出来ません、これも出来ません、 ジャ何一体お前たちは出来るんだ。
その答えは“亡国”、“日本国の売り渡し”、“日本解体”です。
この事を彼らは堂々と、政権の座を使ってやってのけています。
一つの例を挙げますと、“北朝鮮問題”です。
前政権から何か進展しました現象がありますか。逆ですね。
“政”の日本の最高責任者が、北と蜜月の如く密着しています現状では、この問題は棚上げ以上に消え去る運命下にあると私は思います。
言えませ-ん、言える筈がありませ-ん、自分達は、“北朝鮮思想”を標榜する敬虔なる信者、信徒ですから。
本家本元の悪口は一切言えませんし、大体彼らにとっては“北朝鮮問題”(拉致の事実)は無いものと思っているのではないでしょうか。
兎に角、明日は「敗戦日」です。屈辱の思い出がまた深く心に蘇ってきます。
明日は、現憲法を深く敬愛する者達は、“歴史事実を捻じ曲げたく”また躍起になって、“平和”や“戦争反対”を日本各地で叫ぶ事でしょう。
でも、再度歴史を良く考え「日本人」としての真実の歴史、特に、昭和史を明日は『心ある日本人』の方々は思い起こしてください。
前大戦「大東亜戦争」は、日本が好んで引き起こした戦争でない事を、事実として再認識する明日は良い機会だと思います。
そして、正午
陸,海,空 に 祖国日本の父,母,妻,子供達の将来のためにと散っていきました『英霊』に黙祷を捧げて下さい。
よろしくお願いいたします。
私はこの事実を自分の目で見たわけではありません。
戦後の昭和22年生まれの私にとっては、父から戦地の有り様を遠い昔に聞いたり、本を読んだりのことですが、「日本人」として、また、「国粋主義者」を自認しています自分にとって、この敗戦日が何時になったら払拭され、真の「日本の自主独立」が可能となるのか心配でなりません。
自主独立どころか、最近の日本国の政治経済国民の様を遠方していますと、「亡国の徒」に見られるようなそんな感がしてきてなりません。(日本で生活をしています日本人の皆さん感じませんか。)
政の頂点に立ちその政治能力もましてや行動力や決断力、そして、一番政治家としての欠点は、「人の話が聞けない。」ことです。
明治天皇の勅命によってつくられ、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針「五箇条のご誓文」を“この人”は読んだ事があるのでしょうか。
一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
二 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
三 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
四 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
五 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
であります。
言葉の意味は、皆さんよくご存知の事でしょうから、あえて私は注釈はしませんが、この「五箇条のご誓文」、正に、今の日本国の現状を正し、国民を正道に導き日本古来の伝統ある格式高い民族に立ち返させるためには、是非とも再登場願し、広く日本国民に再認識させるべき「お言葉」であると私は常日頃から考えています事であります。(一部現代に合せて修正しなければならない箇所もありますが。)
また、日本人としての精神的な意識認識の再確認の必要性とともに、大切な“文言”を忘れてはなりません。
この事実を抜きにしては、日本の真の『独立』はありえませんし、米国と対等の立場で世界の桧舞台において、物事を推し進める姿勢が整わないと思っています。
日本国憲法
の自主制定です。
今の憲法を後生大事に背中に背負っていますのは、“亡国の徒”集団です。そして、“平和憲法”の甘い言葉を罠に日本を破滅に導こうと目論んでいます。
今の政治家の“政”を一つ一つ注視してご覧ください。(この判断する「目」を養ってください。『眼力』が大切です。)
国民への選挙活動での訴えは“甘い言葉(甘言を弄し)”を使っていましたが、実際自分達がその政権の座に就いた途端如何ですか、正に“手の平を返したよう”とはこの現象を表す言葉にドンピシャリです。
あれも出来ません、これも出来ません、 ジャ何一体お前たちは出来るんだ。
その答えは“亡国”、“日本国の売り渡し”、“日本解体”です。
この事を彼らは堂々と、政権の座を使ってやってのけています。
一つの例を挙げますと、“北朝鮮問題”です。
前政権から何か進展しました現象がありますか。逆ですね。
“政”の日本の最高責任者が、北と蜜月の如く密着しています現状では、この問題は棚上げ以上に消え去る運命下にあると私は思います。
言えませ-ん、言える筈がありませ-ん、自分達は、“北朝鮮思想”を標榜する敬虔なる信者、信徒ですから。
本家本元の悪口は一切言えませんし、大体彼らにとっては“北朝鮮問題”(拉致の事実)は無いものと思っているのではないでしょうか。
兎に角、明日は「敗戦日」です。屈辱の思い出がまた深く心に蘇ってきます。
明日は、現憲法を深く敬愛する者達は、“歴史事実を捻じ曲げたく”また躍起になって、“平和”や“戦争反対”を日本各地で叫ぶ事でしょう。
でも、再度歴史を良く考え「日本人」としての真実の歴史、特に、昭和史を明日は『心ある日本人』の方々は思い起こしてください。
前大戦「大東亜戦争」は、日本が好んで引き起こした戦争でない事を、事実として再認識する明日は良い機会だと思います。
そして、正午
陸,海,空 に 祖国日本の父,母,妻,子供達の将来のためにと散っていきました『英霊』に黙祷を捧げて下さい。
よろしくお願いいたします。
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2011年08月14日
武道と『夢想』
私はとにかく“夢想”する事が好きです。
夢想だけで遠い所へ旅をしたり、好きなあの娘を誘って車で遠い世界へ出かけてみたり、と自分勝手な好き放題の事を考えています。これだけをしていれば相手に対して、直接に手を下すわけではありませんので、罪な事にはならないだろうと自分勝手な判断を下しています。
最近は朝と夜に行います「鎮魂行」の時に私は、「無念無想」ではなくこの「夢想」をしています。
夜は周りが暗いので別段暗くする必要はありませんが、朝の時間帯は困ります。暗幕はありませんので、カーテンを全部閉めて行います。
今「夢想」していますのは、練習場所の確保といいますか、如何にしたらご協力をいただける体制が整うかという点です。
百キロメートルも離れています見知らぬ土地で、縁故のまるでない日本人の私が、「日本武道」を一緒にやりませんかとタイの人達に持ちかけられるわけもありません。
そこで「夢想」しました結果がこの記事投稿欄を最大限に利用して、私の気持ちを一人でも多くの人に知ってもらえるように、なるべく続けて記事の投稿をする事にしました。
その結果が一つ出てきました。
これはこのブログ『武道修行(道を求めて)』の方ではなく、もう一つの投稿ブログであります『イサ-ン地方の風の便り』を読んでくださいました方(もちろん日本人です)と知り合いになりまして、私のこの「夢想」の事をお話しましたところ、早速お返事をいただきました。
その方とは初対面です。本年6月9日に初めてお会いしました。そして、8月7日には「日本文化の紹介(武道の紹介)」の連絡をいただいたわけです。3回(3日)1時間/1回です。
こんなに私のために時間を割いてくださるとは、本当にありがたいことです。
昨日来私は、1回1時間をどのような内容で話を展開し、武道の演武に結び付けていこうか、と今この事を今度は朝夜の鎮魂時に「夢想」をしています。
その結果をなぐり書きですが帳面に書き、火曜日から清書をしていこうと考えています。
もちろん私の目的としています日本武道「杖道・居合道」の演武を中心に3日間行いますが、最後の日の最終にタイの仏教と同じ根・幹を持っています中国禅宗を源ととします、無手の護身術「少林寺拳法」の技をいくつか会場の方に参加いただきながら、お見せしたいと考えています。
18日が来るのが本当に楽しみな毎日です。
日々の練習にも熱がこもります。ありがたいことです。
夢想だけで遠い所へ旅をしたり、好きなあの娘を誘って車で遠い世界へ出かけてみたり、と自分勝手な好き放題の事を考えています。これだけをしていれば相手に対して、直接に手を下すわけではありませんので、罪な事にはならないだろうと自分勝手な判断を下しています。
最近は朝と夜に行います「鎮魂行」の時に私は、「無念無想」ではなくこの「夢想」をしています。
夜は周りが暗いので別段暗くする必要はありませんが、朝の時間帯は困ります。暗幕はありませんので、カーテンを全部閉めて行います。
今「夢想」していますのは、練習場所の確保といいますか、如何にしたらご協力をいただける体制が整うかという点です。
百キロメートルも離れています見知らぬ土地で、縁故のまるでない日本人の私が、「日本武道」を一緒にやりませんかとタイの人達に持ちかけられるわけもありません。
そこで「夢想」しました結果がこの記事投稿欄を最大限に利用して、私の気持ちを一人でも多くの人に知ってもらえるように、なるべく続けて記事の投稿をする事にしました。
その結果が一つ出てきました。
これはこのブログ『武道修行(道を求めて)』の方ではなく、もう一つの投稿ブログであります『イサ-ン地方の風の便り』を読んでくださいました方(もちろん日本人です)と知り合いになりまして、私のこの「夢想」の事をお話しましたところ、早速お返事をいただきました。
その方とは初対面です。本年6月9日に初めてお会いしました。そして、8月7日には「日本文化の紹介(武道の紹介)」の連絡をいただいたわけです。3回(3日)1時間/1回です。
こんなに私のために時間を割いてくださるとは、本当にありがたいことです。
昨日来私は、1回1時間をどのような内容で話を展開し、武道の演武に結び付けていこうか、と今この事を今度は朝夜の鎮魂時に「夢想」をしています。
その結果をなぐり書きですが帳面に書き、火曜日から清書をしていこうと考えています。
もちろん私の目的としています日本武道「杖道・居合道」の演武を中心に3日間行いますが、最後の日の最終にタイの仏教と同じ根・幹を持っています中国禅宗を源ととします、無手の護身術「少林寺拳法」の技をいくつか会場の方に参加いただきながら、お見せしたいと考えています。
18日が来るのが本当に楽しみな毎日です。
日々の練習にも熱がこもります。ありがたいことです。
タグ :夢想
Posted by 阿羅漢 at
13:49
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2011年08月11日
嬉しい知らせを受けました。
昨日「嬉しい知らせ」をいただきました。
知人(日本人)のご協力とお骨折りによりまして、イサ-ン地方でも大都市の大学で「日本文化の紹介」を行う事になりました。
この大学の教養学部「日本語コース」の人達に紹介するわけですが、私は、日本文化という広範囲な分類の中のあくまでも一分類であります、「日本武道」を紹介していきます。
3週に別け1回が約1時間での紹介です。
私は、タイ国に居住します以前に日本で立てました、志「武道でのタイと日本の架け橋」の一つの方法として、各種の方策を模索(夢想)していましたことの一つが形として現れてきました。
この「日本語コース」を今、正に勉強しています生徒さん達に、「日本の文化」を先生からの言葉での伝達や目で見る客観的な雰囲気からではなく、生きた古くから伝えられています、伝統的文化の一つ「日本武道」を、是非臨場感で感じてもらう機会が得られないものか、と今までいろいろと計画し手探りで手段を講じていました。
その機会がやってきました。好機到来です。
日本の文化としての「武道」。
私の日々の練習成果をどこまで表現し、伝えられお見せする事が出来ますかは判りませんが、私が先生から教えられそして覚えた技の一つ一つを確実に体現し、「日本文化・武道」をお伝えする事が出来ましたら嬉しいです。
そして、一人でも二人でも「日本武道」に興味を示してくれます生徒さんがいましたら、是非一緒に練習をしていきたいと思っています。一週間に1回の練習でも最初はいいかと思っています。継続していく事の方が大切ですから。
尻切れトンボや朝鮮馬のように最初の出だしだけがよく、後は息切れしてばてて終了、では折角はじめた武道の練習の意味がありませんから、準備よく大きく腹に息をため、長くゆっくりと息を吐き出したいと思います。
練習には(私はタイ語は殆どだめですから)生徒さんの将来にも役立つように、また、武道には武道の専門的な言葉もありますので、私は、日本語で練習内容を説明していきたいと考えています。
今回の「紹介」の時も通訳をしてくださる方を頼みましたが、どこまで、武道の専門的言葉がタイの人達に伝わる事か心配な面はありますが。
この結果は来月の初旬にでも記事投稿したいと思っています。
日々練習あるのみ。流した汗だけが知っています。
知人(日本人)のご協力とお骨折りによりまして、イサ-ン地方でも大都市の大学で「日本文化の紹介」を行う事になりました。
この大学の教養学部「日本語コース」の人達に紹介するわけですが、私は、日本文化という広範囲な分類の中のあくまでも一分類であります、「日本武道」を紹介していきます。
3週に別け1回が約1時間での紹介です。
私は、タイ国に居住します以前に日本で立てました、志「武道でのタイと日本の架け橋」の一つの方法として、各種の方策を模索(夢想)していましたことの一つが形として現れてきました。
この「日本語コース」を今、正に勉強しています生徒さん達に、「日本の文化」を先生からの言葉での伝達や目で見る客観的な雰囲気からではなく、生きた古くから伝えられています、伝統的文化の一つ「日本武道」を、是非臨場感で感じてもらう機会が得られないものか、と今までいろいろと計画し手探りで手段を講じていました。
その機会がやってきました。好機到来です。
日本の文化としての「武道」。
私の日々の練習成果をどこまで表現し、伝えられお見せする事が出来ますかは判りませんが、私が先生から教えられそして覚えた技の一つ一つを確実に体現し、「日本文化・武道」をお伝えする事が出来ましたら嬉しいです。
そして、一人でも二人でも「日本武道」に興味を示してくれます生徒さんがいましたら、是非一緒に練習をしていきたいと思っています。一週間に1回の練習でも最初はいいかと思っています。継続していく事の方が大切ですから。
尻切れトンボや朝鮮馬のように最初の出だしだけがよく、後は息切れしてばてて終了、では折角はじめた武道の練習の意味がありませんから、準備よく大きく腹に息をため、長くゆっくりと息を吐き出したいと思います。
練習には(私はタイ語は殆どだめですから)生徒さんの将来にも役立つように、また、武道には武道の専門的な言葉もありますので、私は、日本語で練習内容を説明していきたいと考えています。
今回の「紹介」の時も通訳をしてくださる方を頼みましたが、どこまで、武道の専門的言葉がタイの人達に伝わる事か心配な面はありますが。
この結果は来月の初旬にでも記事投稿したいと思っています。
日々練習あるのみ。流した汗だけが知っています。
タグ :いい知らせ
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15:35
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2011年08月07日
タイ国での武道の『夢』
私がタイ国へ来ます時はほぼ単純に、「タイ国に日本武道を伝えよう」、一緒にタイで武道の練習をしてくれる人達を探そう、くらいの軽い気持ちでしたが、今、何年かこの国に住んでいまして、少し考え方を変えました。
こうして、ブログ投稿を機会に武道を練習してみたいという人を探し出し、連絡を取り合いながら練習をしていく方法が一つ考えられます。
また、以前から行動は起していますが、中々実現に結びついてきていませんのが、高校生や大学生で「日本語」を授業として取り入れている学校か、又は、勉強中の所を訪問し、日本語の勉強と共に日本の伝統文化を知ってもらう機会が有れば、何処へでもお邪魔したいと考えています。
どんな機会でも有ればそれを「日本武道伝承の好機と捉え」私は、生かしていきたいと考えています。
そして今、思い描いています『夢』は、この地を拠点基地としまして、タイ国の中に道場(練習場)を5箇所位は持ちたい、というのが私の最近の『夢』です。
北のチェンマイ,イサ-ン地方のコンケ-ン,コ-ラ-,バンコク、そして、ワンナムキョ-です。
地道では有りますが、ゆっくりと時間をかけて、私の遣っています武道を知っていただき、共鳴できる人がいれば一緒に遣ってきましょう、とお誘いしていこうと考えています。
その日のために、先ずは、自分の日々の練習です。
杖の一振り一振り、そして、太刀の切り付け切り下ろし、刀の抜き付け素振り手の内の確認、どれもが大切な基本であります。基本を疎かにしますと技が生きてきません。
基本基礎を日々の日課として鍛錬に汗を流しています。
こうして、ブログ投稿を機会に武道を練習してみたいという人を探し出し、連絡を取り合いながら練習をしていく方法が一つ考えられます。
また、以前から行動は起していますが、中々実現に結びついてきていませんのが、高校生や大学生で「日本語」を授業として取り入れている学校か、又は、勉強中の所を訪問し、日本語の勉強と共に日本の伝統文化を知ってもらう機会が有れば、何処へでもお邪魔したいと考えています。
どんな機会でも有ればそれを「日本武道伝承の好機と捉え」私は、生かしていきたいと考えています。
そして今、思い描いています『夢』は、この地を拠点基地としまして、タイ国の中に道場(練習場)を5箇所位は持ちたい、というのが私の最近の『夢』です。
北のチェンマイ,イサ-ン地方のコンケ-ン,コ-ラ-,バンコク、そして、ワンナムキョ-です。
地道では有りますが、ゆっくりと時間をかけて、私の遣っています武道を知っていただき、共鳴できる人がいれば一緒に遣ってきましょう、とお誘いしていこうと考えています。
その日のために、先ずは、自分の日々の練習です。
杖の一振り一振り、そして、太刀の切り付け切り下ろし、刀の抜き付け素振り手の内の確認、どれもが大切な基本であります。基本を疎かにしますと技が生きてきません。
基本基礎を日々の日課として鍛錬に汗を流しています。
タグ :武道『夢』
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01:09
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2011年08月05日
武道修行の心持ち(意識の持ち方)
とかく人間は言う事と遣る事がちぐはぐになる傾向が強いと思います。
武道の先生が教えています中で、太刀(木刀)は真剣と同じで扱いをしなさい、真剣は古より「霊器」と呼ばれ神様が宿っているのです、と説明をしていながら、自分では平気で太刀を跨いで歩いています。
太刀を跨がれる様において置く人も人ですが、それをどかしもせずに跨いで歩くとは、言っている事と遣る事の違いが歴然と出てきています。
また、杖道で使用します「杖」についても同じことがいえます。指導者が「杖」は大切に扱いなさい、太刀と同じ扱いをしてくださいと説明をしていながら、それを自分が平然と跨いで歩く指導者がいます。
同じ様に、道場内は神様が鎮座しています神聖な場所ですから、そこで、下着となり着替えることは慎むべきことですが、近くに有ります着替え室に行くのがまどろっこしいのか、道場内で平然と着替えている練習生が多いことに、至極残念な気持ちになってしますのは私し一人でしょうか。
以前日本でこのことを練習生に言いましたら、「厳しいね.」とのことでした。
私に言わせれば、何のために武道を修行しに来ていますか、ただ単に杖や太刀が人並みに振れて、組形の技が少しでも出来ればそれで嬉しいのでしょうか。
杖道を修行するということはそれだけのことではない筈です。
以前にも書きましたが復習のために再掲します。
(杖道を学ぶ目的とその効果)
杖道は精神の修養と身体の鍛錬を第一義としています。決して手足の技
ではなく心の技で、その目的は精神修養にあります。
杖道修練の効果は数多くありますが、主として次の5点をあげることがで
きます。
(1)礼儀,信義,誠実,忍耐等の精神が養われます。
(2)身体を強健にし、活動を敏活にします。
(3)姿勢態度がよくなります。
(4)判断力,決断力が養われ、自信をもって事に当たれるようになります。
(5)対人関係がよくなり、社会生活に必要な協調性が養われます。
如何でしょうか。これらの事を口で唱えるだけではなく、矢張り実行してこそ武道の修行であり、結果として自分の身に付いてくるものであると思います。
特に3番に有ります、「姿勢態度がよくなります。」などは、他の人が見てもすぐに判るものですので、武道修行者としては気を付けて日々鍛錬していかねばならないと思います。
私は高校の時に剣道をやっていましたので、自分では意識していなくても、自然に背筋が伸び姿勢が良くなっていると思っています。
就職して暫く経った時に、知人からこの様なことを言われました、
「何か武道を遣っていますか、… …。 ですか、矢張り姿勢と歩く姿がいいですね。」との事でした。
特に今、外国に来て武道の練習を続けていますので、練習で習った所作(身の振り方や、歩き方)を自分の生活の中に取り入れ、生活と練習が同じ所作が出来るように心がけています。
室内を歩くのにも「ドタドタ」ではなく「スースー」と動けるように、また正座する時も居合の座り方のために、最初に蹲踞となりそこから左右と座り、立ち上がる時は、右足左足と立ち上がる様にしています。
袴や剣道着に着替えての練習だけが武道の練習ではなと思っています。日常生活の中、日々の動きの中にも出来るだけ武道と直結する動きを出来得るように心がけています。
兎に角、道場だけが練習場ではないということです。何時いかなる所でも練習は可能であるということです。
最後に、少林寺拳法の管長先生の帰参時「夏期講習会の時のご法話から」
「八方目」を常に練習しておきなさい。電車に乗り真直ぐ前を見ながら、右左180度の人の動きを読みなさい。また、車に乗っている時に目を動かさずに、瞬間的にすれ違う車の運転者、助手席の人を見分けなさい。
道院での突き蹴りだけが練習では有りません。
平常、日常、日々どこでも何でも何時でも練習は可能です。
身構えてやるのでは無く、自然です。
心の持ちよう一つです。
武道の先生が教えています中で、太刀(木刀)は真剣と同じで扱いをしなさい、真剣は古より「霊器」と呼ばれ神様が宿っているのです、と説明をしていながら、自分では平気で太刀を跨いで歩いています。
太刀を跨がれる様において置く人も人ですが、それをどかしもせずに跨いで歩くとは、言っている事と遣る事の違いが歴然と出てきています。
また、杖道で使用します「杖」についても同じことがいえます。指導者が「杖」は大切に扱いなさい、太刀と同じ扱いをしてくださいと説明をしていながら、それを自分が平然と跨いで歩く指導者がいます。
同じ様に、道場内は神様が鎮座しています神聖な場所ですから、そこで、下着となり着替えることは慎むべきことですが、近くに有ります着替え室に行くのがまどろっこしいのか、道場内で平然と着替えている練習生が多いことに、至極残念な気持ちになってしますのは私し一人でしょうか。
以前日本でこのことを練習生に言いましたら、「厳しいね.」とのことでした。
私に言わせれば、何のために武道を修行しに来ていますか、ただ単に杖や太刀が人並みに振れて、組形の技が少しでも出来ればそれで嬉しいのでしょうか。
杖道を修行するということはそれだけのことではない筈です。
以前にも書きましたが復習のために再掲します。
(杖道を学ぶ目的とその効果)
杖道は精神の修養と身体の鍛錬を第一義としています。決して手足の技
ではなく心の技で、その目的は精神修養にあります。
杖道修練の効果は数多くありますが、主として次の5点をあげることがで
きます。
(1)礼儀,信義,誠実,忍耐等の精神が養われます。
(2)身体を強健にし、活動を敏活にします。
(3)姿勢態度がよくなります。
(4)判断力,決断力が養われ、自信をもって事に当たれるようになります。
(5)対人関係がよくなり、社会生活に必要な協調性が養われます。
如何でしょうか。これらの事を口で唱えるだけではなく、矢張り実行してこそ武道の修行であり、結果として自分の身に付いてくるものであると思います。
特に3番に有ります、「姿勢態度がよくなります。」などは、他の人が見てもすぐに判るものですので、武道修行者としては気を付けて日々鍛錬していかねばならないと思います。
私は高校の時に剣道をやっていましたので、自分では意識していなくても、自然に背筋が伸び姿勢が良くなっていると思っています。
就職して暫く経った時に、知人からこの様なことを言われました、
「何か武道を遣っていますか、… …。 ですか、矢張り姿勢と歩く姿がいいですね。」との事でした。
特に今、外国に来て武道の練習を続けていますので、練習で習った所作(身の振り方や、歩き方)を自分の生活の中に取り入れ、生活と練習が同じ所作が出来るように心がけています。
室内を歩くのにも「ドタドタ」ではなく「スースー」と動けるように、また正座する時も居合の座り方のために、最初に蹲踞となりそこから左右と座り、立ち上がる時は、右足左足と立ち上がる様にしています。
袴や剣道着に着替えての練習だけが武道の練習ではなと思っています。日常生活の中、日々の動きの中にも出来るだけ武道と直結する動きを出来得るように心がけています。
兎に角、道場だけが練習場ではないということです。何時いかなる所でも練習は可能であるということです。
最後に、少林寺拳法の管長先生の帰参時「夏期講習会の時のご法話から」
「八方目」を常に練習しておきなさい。電車に乗り真直ぐ前を見ながら、右左180度の人の動きを読みなさい。また、車に乗っている時に目を動かさずに、瞬間的にすれ違う車の運転者、助手席の人を見分けなさい。
道院での突き蹴りだけが練習では有りません。
平常、日常、日々どこでも何でも何時でも練習は可能です。
身構えてやるのでは無く、自然です。
心の持ちよう一つです。
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19:11
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2011年08月04日
剣道の歴史
日本国において生まれ長い歴史の間、多くの人達の手によって大切に育まれてきました「剣道」。
これをあろうことか、朝鮮においてあたかも自国で発生したかのような錯覚そして幻影を持っている事実が認められる。
そのことのみならず、でっち上げた剣道の歴史を、あたかも事実のように内外に宣伝し、日本国発祥の由緒ある「剣道」の名称まで詐称した挙句、自国のものと世界に認めさせ、また、その偽剣道を普及しようとしています。
日本人は何と心が広い人種でしょう。自国の「剣道」が詐欺師の手によって、着々と色を塗り替えられ名称を変えられ、足元からさらわれようとしていても、国を挙げてこの事に立ち向かおうとする気概が感じられてこない。
どうせ何も出来やしないさ、と言う感覚なのだろうか。
朝鮮がしていることを何もしないで手をこまねいて傍観していますと、いくら「贋物」であっても既成事実がいつの間にか本物に摩り替わられないとも限らないのではないでしょうか。
事実詳細を知らない諸外国において、静かに静かに深くこの結果は出てきています。
朝鮮の剣道指導者は、この剣道は我が国のもの、として指導するでしょうから、そこで練習しています練習生は、どこの国の発祥であろうが深い理解はしないままに、朝鮮剣道にうつつを抜かすことになると思います。
そのため本日は、(財)全日本剣道連盟が編纂し刊行しています本「剣道 社会体育教本」(この本は、剣道講習会用の教本として、また、講習会にはこられないが勉強をしたい人のために、また、全国の剣道指導者の参考書として利用できるよう纏められたものです。)の中から「剣道の歴史」を抜粋しましてご紹介したいと思います。
1 剣道の歴史
(1) 日本歴史上での剣道の歴史
剣道は刀剣を使用して相手と戦う技術を源流とし、日本独特の考え方や技術
の体系を持ちながら発展してきた伝統的運動文化である。それは,人を殺める技
から人を生かす技へと変質させた特異な文化だといえるかもしれない。つまり、
戦技としての実用性を離れて、護身、修養、芸能、競技、体育、スポーツなど多
様で複合的な文化として、幅広い目的と内容を持って継承、発展、普及し、今日
に至っている。
そのような現代剣道の淵源をたどると、刀剣にまつわる観念は古代に、形や居
合などで使用する日本刀(打刀)は中世に、竹刀と剣道具使用の技法は近世後
半に、それぞれさかのぼることができる。
「剣道」という呼称が、公的に使用されたのは大正15年(1926)改正の学校体
操教授要目が最初であり、昭和になって定着した名称である。それ以前は、刀
剣の操作技術を表す言葉として、古代-撃刀・撃剣(たちかき・たちうち)、中
世-太刀打ち、近世-兵法・剣術・剣法・刀法・剣技、近代-剣術・撃剣などが
使われていた。
と記載が有りますように、日本の「剣道」にはそれ相当の、歴史と伝統に培わされた重みと理論的な裏づけが有ります。
如何ですかそれでも未だ剣道は朝鮮発祥だと言い張りますか、まだ言うのであれば私ももっと勉強していきたいと思います。
これをあろうことか、朝鮮においてあたかも自国で発生したかのような錯覚そして幻影を持っている事実が認められる。
そのことのみならず、でっち上げた剣道の歴史を、あたかも事実のように内外に宣伝し、日本国発祥の由緒ある「剣道」の名称まで詐称した挙句、自国のものと世界に認めさせ、また、その偽剣道を普及しようとしています。
日本人は何と心が広い人種でしょう。自国の「剣道」が詐欺師の手によって、着々と色を塗り替えられ名称を変えられ、足元からさらわれようとしていても、国を挙げてこの事に立ち向かおうとする気概が感じられてこない。
どうせ何も出来やしないさ、と言う感覚なのだろうか。
朝鮮がしていることを何もしないで手をこまねいて傍観していますと、いくら「贋物」であっても既成事実がいつの間にか本物に摩り替わられないとも限らないのではないでしょうか。
事実詳細を知らない諸外国において、静かに静かに深くこの結果は出てきています。
朝鮮の剣道指導者は、この剣道は我が国のもの、として指導するでしょうから、そこで練習しています練習生は、どこの国の発祥であろうが深い理解はしないままに、朝鮮剣道にうつつを抜かすことになると思います。
そのため本日は、(財)全日本剣道連盟が編纂し刊行しています本「剣道 社会体育教本」(この本は、剣道講習会用の教本として、また、講習会にはこられないが勉強をしたい人のために、また、全国の剣道指導者の参考書として利用できるよう纏められたものです。)の中から「剣道の歴史」を抜粋しましてご紹介したいと思います。
1 剣道の歴史
(1) 日本歴史上での剣道の歴史
剣道は刀剣を使用して相手と戦う技術を源流とし、日本独特の考え方や技術
の体系を持ちながら発展してきた伝統的運動文化である。それは,人を殺める技
から人を生かす技へと変質させた特異な文化だといえるかもしれない。つまり、
戦技としての実用性を離れて、護身、修養、芸能、競技、体育、スポーツなど多
様で複合的な文化として、幅広い目的と内容を持って継承、発展、普及し、今日
に至っている。
そのような現代剣道の淵源をたどると、刀剣にまつわる観念は古代に、形や居
合などで使用する日本刀(打刀)は中世に、竹刀と剣道具使用の技法は近世後
半に、それぞれさかのぼることができる。
「剣道」という呼称が、公的に使用されたのは大正15年(1926)改正の学校体
操教授要目が最初であり、昭和になって定着した名称である。それ以前は、刀
剣の操作技術を表す言葉として、古代-撃刀・撃剣(たちかき・たちうち)、中
世-太刀打ち、近世-兵法・剣術・剣法・刀法・剣技、近代-剣術・撃剣などが
使われていた。
と記載が有りますように、日本の「剣道」にはそれ相当の、歴史と伝統に培わされた重みと理論的な裏づけが有ります。
如何ですかそれでも未だ剣道は朝鮮発祥だと言い張りますか、まだ言うのであれば私ももっと勉強していきたいと思います。
タグ :剣道
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00:18
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2011年08月03日
杖道(形)二本目 「水月」(すいげつ)
全日本剣道連盟杖道の「形」の中から二本目の「水月」を紹介いたします。
「杖道」は、杖(仕)と太刀(打)が交互に攻撃や受けを行っていきますので、相手との「間」と「間合い」が特に重要になってきます。
また、「杖道」では、相手の呼吸や心を読むことも必要不可欠な武道ですの練習の中かで自然に判断力,決断力が養われ、普段の生活の中でも自信をもって事に当たれるようになってきます。
(全日本剣道連盟杖道(解説) から抜粋)
〔目的〕 太刀で正面を切りかかるところを、右斜め前に体をかわして水月
を突き、さらに引落打する形である。
〔要領〕
打 八相に構えて間合いに進み、振りかぶりながら右足を踏み込み
正面を切る。
【切る太刀は、突きを感じた時に止める。左手がほぼ胸の高さ。】
仕 常の構えから右足を右斜め前に踏み出し、左足をわずかに移動
させて体をかわしながら左手は腰にとり、右手は杖の中央を握っ
たままで水月を突く。
【「打」が振りかぶり切りかかるところを突く。右手は、突っ張らず、
縮めず。左足の位置は、ほぼ右足の線上とする。】
打 右足から大きく退きながら八相に構える。
【一足一刀で切り付けることができる間合に退く。】
仕 右足から後ろに退くと同時に杖を右後ろに引き、左手を杖先にか
け、右手を持ち替え引落に構える。
【二足一刀の間合に退く。】
打 右足から踏み込み切り付けるように中段に構える。
仕 太刀を引落打すると同時に、右足から踏み出し「打」の顔面を
攻める。
打 太刀を右後方に打ち落とされると同時に右足から退く。
仕 残心を示す。
納め方 一本目と同じ。
※本文は「解説」で、【 】内は、指導上の留意点です。
『杖道審判・審査上の着眼点』
(各「形」共通事項 礼法 定められた礼法のとおり行っているか。)
(打) (1)「仕」の正面を正しく切っているか。
(2)八相より十分間合をとって正しく中段に構えているか。
(仕) (1)体を右斜め前に捌き、左肩をやや後ろに引き正しく水月を突いているか。
(2)正しく引落の構えになっているか。
(3)引落打の強さはどうか。
これが「杖道」の二本目「水月」です。
杖道は、一本目の「着杖」の時にも記載しましたが、太刀(打)が技を仕掛けていきます。そのために太刀捌きが「形」全体に大きな影響を及ぼしていきます。
私は杖の練習と共に「居合」を練習していますのは、杖の練習で切り付けや切り下し、又は、八相の構え左右上段の構えなど随所に必要不可欠な技や構え方出てくるためです。
杖道は杖だけ、太刀だけではなく双方が間と間合いを計りながら行っていきます武道ですので、自然と相手との遣り取りや心配りが身に付いてきますので、練習していまして“楽しい”武道です。
以上本日は全剣連盟杖道の二本目「水月」紹介しました。
「杖道」は、杖(仕)と太刀(打)が交互に攻撃や受けを行っていきますので、相手との「間」と「間合い」が特に重要になってきます。
また、「杖道」では、相手の呼吸や心を読むことも必要不可欠な武道ですの練習の中かで自然に判断力,決断力が養われ、普段の生活の中でも自信をもって事に当たれるようになってきます。
(全日本剣道連盟杖道(解説) から抜粋)
〔目的〕 太刀で正面を切りかかるところを、右斜め前に体をかわして水月
を突き、さらに引落打する形である。
〔要領〕
打 八相に構えて間合いに進み、振りかぶりながら右足を踏み込み
正面を切る。
【切る太刀は、突きを感じた時に止める。左手がほぼ胸の高さ。】
仕 常の構えから右足を右斜め前に踏み出し、左足をわずかに移動
させて体をかわしながら左手は腰にとり、右手は杖の中央を握っ
たままで水月を突く。
【「打」が振りかぶり切りかかるところを突く。右手は、突っ張らず、
縮めず。左足の位置は、ほぼ右足の線上とする。】
打 右足から大きく退きながら八相に構える。
【一足一刀で切り付けることができる間合に退く。】
仕 右足から後ろに退くと同時に杖を右後ろに引き、左手を杖先にか
け、右手を持ち替え引落に構える。
【二足一刀の間合に退く。】
打 右足から踏み込み切り付けるように中段に構える。
仕 太刀を引落打すると同時に、右足から踏み出し「打」の顔面を
攻める。
打 太刀を右後方に打ち落とされると同時に右足から退く。
仕 残心を示す。
納め方 一本目と同じ。
※本文は「解説」で、【 】内は、指導上の留意点です。
『杖道審判・審査上の着眼点』
(各「形」共通事項 礼法 定められた礼法のとおり行っているか。)
(打) (1)「仕」の正面を正しく切っているか。
(2)八相より十分間合をとって正しく中段に構えているか。
(仕) (1)体を右斜め前に捌き、左肩をやや後ろに引き正しく水月を突いているか。
(2)正しく引落の構えになっているか。
(3)引落打の強さはどうか。
これが「杖道」の二本目「水月」です。
杖道は、一本目の「着杖」の時にも記載しましたが、太刀(打)が技を仕掛けていきます。そのために太刀捌きが「形」全体に大きな影響を及ぼしていきます。
私は杖の練習と共に「居合」を練習していますのは、杖の練習で切り付けや切り下し、又は、八相の構え左右上段の構えなど随所に必要不可欠な技や構え方出てくるためです。
杖道は杖だけ、太刀だけではなく双方が間と間合いを計りながら行っていきます武道ですので、自然と相手との遣り取りや心配りが身に付いてきますので、練習していまして“楽しい”武道です。
以上本日は全剣連盟杖道の二本目「水月」紹介しました。
タグ :杖道「形」
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