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プロフィール
阿羅漢
とにかく日本武道(杖道,居合道,護身術)が好きで、毎日稽古で汗を流しています。
タイ国はイサ-ン地方の田舎町に念願の、武道と日本の文化及び伝統や歴史を知ってもらうための発信基地「少林夢想会」を設立し、日々武道の稽古に勤しんでいます。
自前の道場ですので、稽古はいつでもできます。是非一緒に武道の稽古を遣りましょう。初心者も大歓迎です。心から、お待ちしています。

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Posted by namjai at

2011年01月15日

制定居合 五本目「袈裟切り」(けさぎり)

今日からは、立ち技となってきます。居合道術技「五本目・袈裟切り」をご紹介します。
 
 (一本目 「前」から、四本目「柄当て」までは、居座りの状態から機先を制し抜き付けて勝つ技でした。)
 一本目 「前」の敵に対しての技で、居合道の全てがこの
      技に凝縮されています。
 二本目は、「後ろ」の敵を想定した技です。
 三本目は、「受け流し」で、敵を左に想定しての技でした。
 四本目「柄当て」で、居合腰から前後の敵を制する技です。

 五本目「袈裟切り」(けさぎり) 
 
〔要義〕
  前進中、前から敵が刀を振りかぶって切りかかろうとするのを逆袈裟に切り上げ、さらにかえす刀で袈裟に切り下ろして勝つ。

(動作)
1、右足より正面に向って前進し、左足を踏み出したときに
 すばやく刀に両手をかける。鞘を左下にかえしながら刀を
 抜き出し、右足を踏み込むと同時に右片手で正面の敵の
 右脇腹から逆袈裟に「切り上げる」。

2、そのままの足踏みで左手は鞘を元にもどしながら鯉口
 からはなして柄にかけ、切り上げた刀を止めることなく敵
 の左肩口から袈裟に「切り下ろす」。
 
3、右足を引きながら八相の構えとなって残心を示す。
   
4、左足を引きながら左手を柄からはなして鯉口を握ると同
 時に「袈裟に振り下ろしての血振り」をする。

5、そのままの姿勢で「納刀」する。

6、後ろ足を前足にそろえ、右手を柄からはなして「帯刀姿
 勢」となり、左足より退いて元の位置にもどる。
 
 これが、五本目「袈裟切り」です。
 
 冒頭にも記載しましたが、全剣連の十二本の技で一本目から四本目までは、正座等の体勢から「居合の生命」五つの基本技術の一つ「抜き付けの横一文字」と「止めの縦一文字」の二つが出てきます。
 この五本目は同じく三つ目の「両斜めの袈裟切り」が出てきます。
 特に最初難しいなと思って抜いていましたのは、「鞘を左下にかえしながら刀を抜き出し、右足を踏み込むと同時に右片手で正面の敵の右脇腹から逆袈裟に切り上げる。」このところの技術が今もって苦労している所です。

 早くチョコチョコと遣ってしまうと見栄えがしませんし、だからといって、やたらとユックリ遣ればいいという技でも有りません。また、この技は、身幅を考えて練習をする必要が有ります。
 敵の右脇腹から左肩口へ。次に、左肩口からの袈裟切りと、敵の身巾を意識して演武することが必要となってきます。

 最後に武道の練習に限ることでは有りませんが、『やはり練習あるのみです。練習の結果が動作や所作また全体の姿や形に現れてきます。練習は嘘はつきません。』
 
 今日は五本目「「袈裟切り」でした。

 次回は、六本目「諸手突き」(もろてづき)です。  


Posted by 阿羅漢 at 15:27Comments(2)

2011年01月14日

自前「武道」練習場での練習開始

 昨日、午後の一番で「新居」兼武道練習場に入居しました。

 おりしも、5日位前(20日まで開催とか)から当地を誕生させた英雄(?)『ジャオ・ポ-」の、お祭りが中心市街地で開催されておりまして、3車線の目抜き通りに天幕が張られ、交通動線が滅茶苦茶になっています。
 
 それはさておきまして、当武道練習場は、日本の一般的な練習場に設備されていますような板の間式と違いまして、先日も書きましたが、床が気候風土に適した「石」です。ただ住んでいるだけであれば冷たくて、至極快適そのものでありますが、こと、武道、特に、「居合」の様に正座からの抜き付け等の動作が多い武道は、膝や足の甲、腰にかなりの負担が加わりますので、準備運動と整理体操を何時もよりしっかりとやるようにしています。

 昨夜、最初に「居合」を午後7時頃から9時過ぎまで軽めの練習をしていました。やはりタイの人にとっては、刀を差している姿が珍しいのか、私が練習しています動作を覘いている様子が私の視界に入ってきました。
 一日目の目的は昨日結構良い線で、果たされたものと確信をしています。

 とにかく、タイの知人に「日本の武道」といいますと、返ってくる答えは、『剣道』ですね。剣道は、世界大会が開催されたりしていて、武道を全く知らない一般の人にも『剣道』は耳に残っているようです。
 
 知られていない「秘伝」(チョット大袈裟ですか)をタイ国に紹介し広める。中々楽しいことではないでしょうか。
 昨日も妻が言いました、『貴方が遣っている「武道」は、友達に話しても皆全然知らないです。』。すかさずに私は、『だからいいのではないですか、知っているものを教えるより、知られていないものを広めていくことの方が私は遣り甲斐が有ります。』と言いましたが、言ったことが何処まで理解されたかどうかはわかりません。

 前にも書きましたが、(妻曰く)タイ人は目立ちたがり屋が多いとの事です。ですから、テレビで放映されるとか、新聞に大きく報道されるとか、その様な類の一般的な運動には好んで参加をするようです。
 
 私が考えています『日本のことばと伝統と文化を紹介しながら“日本武道”をタイの中に浸透させていく』事がどこまで可能か、また、私にどこまでできるかは甚だ疑問が残りますが、一度日本で誓った“”は、日本男児として前進有るのみと考えています。
  
 今は一人ですが、その内に一人二人と「少林夢想会」会員も増えてくると思います。慌てずに水の流れるごとく、流れに逆らわず、悠々自適に遣っていきたいと思っています。  
タグ :練習開始


Posted by 阿羅漢 at 12:13Comments(0)

2011年01月12日

武道練習場「開館」

 ようやく、2年来念願の自前の「武道練習場」を、何とか開館できる運びとなりました。
 
 これも一重に妻のお陰です。「感謝 感謝!!!」です。

 明日の昼には新居に引越しをする予定でいます。

 入口の窓ガラスには今作業中ですが、素敵な「漫画」の武道の絵と、私が付けた会の名前「少林夢想会」と、家紋の「五三之桐」をあしらい、絵は、勿論「桜」です。あとは、真直ぐにグングン成長するように、それも根を張った踏ん張りが利くようにとの願いを込めて、「竹」の図柄を選んでみました。

 練習は明日入居後に、私が覚えましたお払い(?)居合で「初発刀,三方切り,四方切り,総切り,抜き打ち」の演武をしてから待ちに待った、練習を正々堂々と、のんびりと、思うがままにやっていきたいと思っています。

 最後にもう一度妻に感謝の心を込めて『あ り が と う』(本人を目の前にすると何もいえませんので ‥ ‥ )
 (今作業が終了したようです。)  
タグ :日記


Posted by 阿羅漢 at 21:07Comments(4)

2011年01月03日

少林寺拳法「開祖」法話 3

 少林寺拳法は現在修行しています武道の基礎であります。杖道また、居合道の足腰の入れ方抜き方に少林寺で訓練しました各技が生かされています。
 特に杖道の入り身や後退そして呼吸法また、膝を落としての技の仕掛けには大いに少林寺拳法の体術が生きています。
 
 〔管長先生のご法話を掲載させていただいていますが記載事項の「新聞記事」を除きまして、全文はあくまでも私の独断と一存で記載していることでありますので、一切の責任は私に有ります。宜しくお願いいたします。〕
  
 少林寺拳法の管長先生のご法話を投稿し始めまして今回で3回目となります。
 第1回目は、「己が第一だが、すべてではない」(昨年10月17日)
  
 2回目は、「何かの時には助け合える人間関係を」」(昨年の10月23日)

 第3回目は、「人は一人では存在できない」を記載していきます。
  
 人間は一人では存在できない
『新聞少林寺拳法』1990年11月号より

 『この世の中、社会のことはすべて、人間が行い、人間が計画し管理しておる。要するに、そのポストに立っておる人の心の持ち方にある。そういうことで、人間の心の改造をやろうとしているのが金剛禅の大特徴である。たとえば君たちの家庭やその周辺で、こういうことを感じんか。一人のいい息子がいるということによって、そこの家庭がころっと変わります。逆に、一人のぐれた前科者が出るっていうと、その家庭はみんなが迷惑をする。こういうことは諸君の周辺にごろごろしているでしよう。優れた者一人ということがいかに重要かということです。
 われわれはその優れた人間にまず、自らを置こうではないか。そして、周辺にもそういういい影響を与えようではないか。こういう教えなのです。身心の改造によって、人間が人間を尊重できるようになる。で、自分と他人と、ともに幸福になろうという、この単純にして明快な「幸福運動」も、常時体を鍛え、心を磨き、行動の中にそういうものを実践活動として表すということが母体となってできるのです。
 (1966年の法話)

 人間というのはなと、中国人が教えてくれた。「人」という字はこういうふうにもたれ合ってる。(不明個所)。両方がもたれ合って、つっかえ合って、それで伸びていくというところに本当のものがあるわけだ。愛情。仏教では慈悲というけれども、そういうものが主体となるというのが人間の基本なのだ。本当の幸せというものは、相手をやっつけたり、やっつけられたりすることとは違うと思うんだ。
 今、人間が一番しなければならないことは、殺し合いではない。世の中をよくするということは、やはり人間同士が英知をはたらかせてね、自分の幸せも考えるが、自分以外の他人の幸せも考えるような、そういう人間を増やす以外に方法がないということを私は見つけた。自分の体験からね。
 (1966年の法話)

 「少林寺拳法は、単なるスポーツでも武道でもない」と、私は言い切っている。なぜかというと、スポーツというもの自体が、やっぱり勝たなきゃいけない。勝つということは、自分の相手をやっつけることになる。相手が先輩であろうと後輩であろうと、とにかく自分を追い越したらいけないので、引きずりおろすことぱかり考える。だからスポーツが栄える国もだめ。それから、武道とか戦争技術みたいなものが栄える国もこれはだめなのだ。なぜなら、人間の心は力だけでは制圧できないからです。力で征服してうまくやるということはまず不可能なのだ。時代も違う。もう二〇世紀の終わりだ。今ごろ武道やスポーツなんていうものは必要ないと思っている。』
(1969年8月の法話)

 山奥深い奥地で一人で住んでいれば別ですが、現代の世の中は人人人が溢れています。この人達と心を通じ合わせお互いがお互いを尊重しあえる世の中ができうれば、争いや戦争がなくなることでしょうが。

 今回の管長先生のご法話も、ご自分の実体験の中から見出されてきました考え方を拳士一同にお示し下さっています。この貴重なご法話を自分の胸に刻み込む共に実現実行していくことをいつも肝に銘じております。

 今日はこのへんで終わりとさせていただきます。また、機会を見つけまして記載していきたいと思います。

  
タグ :法話


Posted by 阿羅漢 at 15:30Comments(0)

2011年01月01日

武道発信基地の建設〔その弐〕

 タイ国における私の「日本武道」を練習する(自前)練習場がようやく完成しました。
 1年以上かかっての完成であります。しかし、未だ、私にとっては建物の至る所に不備の点が多く残っており、入居はしたくはないのですが、新年を契機としまして練習を新しい道場でしたい、と昨年来計画を立てていましたので、思い切り1月の6日から新居に入居し、本格的に練習場所を移します。

 練習内容は、勿論杖道が中心となりますが、居合そして現代に要求されています「護身術」も、その中に含めていきます。体術に併せまして、今、研究中の「半杖」も、ゆくゆくは私の武道として広めていければと考えています。

 私の性格からいきますと、武道でいわれています、『守・破・離』の「守」を基本としまして、(「破」になるのではなく)今まで練習してきました各種の武道を連携させ、今までにない新たな何かを創造していくのが好きなのです。

 杖術の練習の中にも「短杖」が有ります。これは90センチメートル(先端と末端の直径に相違)の杖を使用しての武道ですが、私は、単純に、今使用しています杖(長さ 4尺2寸1分 直径8分)の半分を使用しての武道(術)を目指しています。
 この長さでも(木の棒ですから)昼間常時携帯するわけには行きませんので、練習用で使用する物と(携帯したい人用に)携帯用は別にしたく(模索中)研究中です。

 また、居合道の延長線上といいますか別の道になりますか、やはり以前から考えています「小太刀」刀法も、これから研究していきたいとも思っています。小太刀を使用しての、抜き付け、切り下ろし、受け、流し、切り替えし等々奥が深い道が開けてくると思っています。
 この小太刀は長さが約55センチメートルの木刀を使用していますので、半杖と連携させて(構えや捌きの)練習が可能ではないかと思っています。

 平成23年が明けました。昨年年頭に計画しましたことがようやく途についてきた感がいたします。
 本年は、これに衣を付け、できれば袴や太刀を持たせていければ、本年はすばらしいものができ、来年に繋げていけるのかなと思っています。【夢は大きな少年剣士】

 毎日の基礎体力つくりに併せて、(鍛錬-吟味-工夫)を基本理念と考えて練習を行っています。
 今年から来年にかけては、居合道及び杖道の昇段審査も控えています。道場の基礎造りと合わせて、自己研鑽にも本年はまい進していきたいと思っています。
   


Posted by 阿羅漢 at 13:26Comments(1)