2011年10月08日
武道「競技」の必要性
辞書によりますと、「競技」とは
『技術、特に運動の腕まえの優劣をきそうこと』,『競争』とあります。
また、「ウィキペディア」によりますと、
『競技(きょうぎ)とは、一定のルールに従い、争う分野。または、遊戯(ゲーム)。競い合い優劣を決めることをテーマとしたものを競技会(大会)という。』
と記載してあります。
では、武道にこの競技「あらそい・きょうそう」することが必要なのでしょうか。また、武道の修行の中で優劣を決めること自体よいことなのでしょうか。
私は、「否」です。武道の究極の目的は他との「調和」であると思っております。
その前提となりますのは、居合道でいいますところの、「鞘の内」に言い表されていますように、「戦わずして勝つことが“善”である。」と思います。
今、正に敵対する時に、太刀を抜かずに敵(相手)を屈服させるには、それ相当の胆力と太刀技量の高度で冴えたるもの、を持ていないと出来ないものと思慮しますが、争わずにことが成就できえればそれは素晴らしいことであると思います。
今の世の中を見ますと、この大会で「優勝」、先日のあの大会で「準優勝」と、自己の「技」の技量の程をひらけて、さも「その道」において凄腕を持ているのだぞ、とばかりに披瀝している人がなんと多いことか。
競技そのものが好き、他との競争がいたって大好きな人には、年に1度の「〇〇大会」が一日千秋の思いで、稽古にも熱が入り、なんとも待ち遠しいことでしょうが、武道の稽古にはそれも、一つの自己表現方法としては必要なことだとは感じますが、果たして如何なものでしょうか。
不適切な例を出して申し訳が無いかもしれませんが、「剣道」をみてください。如何でしょうか。
建前上は、「礼に始まり 礼に終わる」といいながら、それが実行されていますか。
武道の修行者は、道場や稽古場所だけが修行の場、だけではないことを認識すべきであると思っています。修行者は実社会、実生活の中においても武道修行が行われ、生かされて、いなければならないと感じます。
「道場訓」を大きな声で唱和します、内容がさも全部判ったような顔をしていますが、一歩稽古場を離れますと修行のことは蚊帳の外、言っていることとやっていることは矛盾だらけ。
如何でしょう。
ある方が言っておられました。「言うことは簡単だが、その実行は難しい。」と。
「言うはやさし されど実行は難し。」
「言うのは6歳の子どもでもできる だけど実行することは80歳になっても難しい。」
とのことをいっています。
しかし、武道修行者であり、尚且つ、指導者たるものが、道場は道場、稽古が終わると、「礼」もなんのその。
如何でしょうか。稽古の方法も「競技」が先行し、その結果、強くさえあればよい、「礼」を欠いても相手に勝てさえすればよい、という風潮に押し流される傾向になてくると思います。
私は、武道に「競技」は不必要と考えています。武道の本質をよく見際ていけば、「競技」他と競うのではなく自己を鍛え磨くことこそが、先行すべきと考えます。
自己の精神を鍛え磨き他と調和のできる人間を育て、争うのではなく協調精神を涵養してこそが「武道」のあるべき姿であり、「武道」の稽古によって生み出していくべきもの、であると思いますが如何でしょう。
人は人によって支えられ人によって生かされています。そのことを充分に認識すべきです。あい争うのではなく協調し、助け合う精神こそが大切であり、これが「武」の心ではないかと思います。
武道に「競技」は必要はありません。
「競技」がどうしても必要であれば、それは、「武道」ではなく「運動」です。「道」は必要がありありませんので、ただ単純に相手に「勝つ」だけを訓練・練習を積めばよいと心得ます、如何でしょうか。
「礼」を尽くす必要もありません。手段は選ばずに、ただ、「勝利」するのみです。
でも、私は、結果は空しいものであると思いますが、如何でしょうか。
『技術、特に運動の腕まえの優劣をきそうこと』,『競争』とあります。
また、「ウィキペディア」によりますと、
『競技(きょうぎ)とは、一定のルールに従い、争う分野。または、遊戯(ゲーム)。競い合い優劣を決めることをテーマとしたものを競技会(大会)という。』
と記載してあります。
では、武道にこの競技「あらそい・きょうそう」することが必要なのでしょうか。また、武道の修行の中で優劣を決めること自体よいことなのでしょうか。
私は、「否」です。武道の究極の目的は他との「調和」であると思っております。
その前提となりますのは、居合道でいいますところの、「鞘の内」に言い表されていますように、「戦わずして勝つことが“善”である。」と思います。
今、正に敵対する時に、太刀を抜かずに敵(相手)を屈服させるには、それ相当の胆力と太刀技量の高度で冴えたるもの、を持ていないと出来ないものと思慮しますが、争わずにことが成就できえればそれは素晴らしいことであると思います。
今の世の中を見ますと、この大会で「優勝」、先日のあの大会で「準優勝」と、自己の「技」の技量の程をひらけて、さも「その道」において凄腕を持ているのだぞ、とばかりに披瀝している人がなんと多いことか。
競技そのものが好き、他との競争がいたって大好きな人には、年に1度の「〇〇大会」が一日千秋の思いで、稽古にも熱が入り、なんとも待ち遠しいことでしょうが、武道の稽古にはそれも、一つの自己表現方法としては必要なことだとは感じますが、果たして如何なものでしょうか。
不適切な例を出して申し訳が無いかもしれませんが、「剣道」をみてください。如何でしょうか。
建前上は、「礼に始まり 礼に終わる」といいながら、それが実行されていますか。
武道の修行者は、道場や稽古場所だけが修行の場、だけではないことを認識すべきであると思っています。修行者は実社会、実生活の中においても武道修行が行われ、生かされて、いなければならないと感じます。
「道場訓」を大きな声で唱和します、内容がさも全部判ったような顔をしていますが、一歩稽古場を離れますと修行のことは蚊帳の外、言っていることとやっていることは矛盾だらけ。
如何でしょう。
ある方が言っておられました。「言うことは簡単だが、その実行は難しい。」と。
「言うはやさし されど実行は難し。」
「言うのは6歳の子どもでもできる だけど実行することは80歳になっても難しい。」
とのことをいっています。
しかし、武道修行者であり、尚且つ、指導者たるものが、道場は道場、稽古が終わると、「礼」もなんのその。
如何でしょうか。稽古の方法も「競技」が先行し、その結果、強くさえあればよい、「礼」を欠いても相手に勝てさえすればよい、という風潮に押し流される傾向になてくると思います。
私は、武道に「競技」は不必要と考えています。武道の本質をよく見際ていけば、「競技」他と競うのではなく自己を鍛え磨くことこそが、先行すべきと考えます。
自己の精神を鍛え磨き他と調和のできる人間を育て、争うのではなく協調精神を涵養してこそが「武道」のあるべき姿であり、「武道」の稽古によって生み出していくべきもの、であると思いますが如何でしょう。
人は人によって支えられ人によって生かされています。そのことを充分に認識すべきです。あい争うのではなく協調し、助け合う精神こそが大切であり、これが「武」の心ではないかと思います。
武道に「競技」は必要はありません。
「競技」がどうしても必要であれば、それは、「武道」ではなく「運動」です。「道」は必要がありありませんので、ただ単純に相手に「勝つ」だけを訓練・練習を積めばよいと心得ます、如何でしょうか。
「礼」を尽くす必要もありません。手段は選ばずに、ただ、「勝利」するのみです。
でも、私は、結果は空しいものであると思いますが、如何でしょうか。
Posted by 阿羅漢 at
19:29
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2011年10月05日
泰国で「日本刀」と出会う。
泰国で「日本刀」と出会う。この「日本刀」を私は、(「シャムジープン刀」と命名。)
最初の出会いは、5年前の日本。夕方妻がテレビを観ていたテレビに「タイで日本刀を見つけた。」との報道番組が目に飛び込んできた。私が観たのは番組全体の最後の部分であったが、タイで日本刀を製造している、という事実が私の頭の中に強く入力された。
この放送された番組の内容の詳細が知りたく、このあと調べをはじめた。
テレビ会社の「テレビ朝日」にメールを送信してみた。第1回目、「梨の礫」。約半月待ってみた。1ヶ月経っても何の連絡も来ない。
業を煮やしてテレビ局「広報担当」宛てに手紙(封書)をしたためてみた。第2回目、これに関しても待てど暮らせど何の音沙汰もなしのまま。
日々の暮らしに追い立てられてこの件は、暫し、頭の片隅に追いやられる形となった。
半分諦めと、半分はどうしても会ってみたい(素敵な異性との出会いを期待するようなそんな気分。)気持ちが2年以上過ぎた。
3年前からタイに居住したので、妻に「シャムジープン刀」は何処で作っているか、いろんな人にことあるごとに聞いてもらったが、古都「アユタヤ」辺りではないか、という答が返ってくるだけで、実態は不明のままであった。
また、私も証拠にもなくテレビ会社に経過を詳細に記載しメールを送信してみた。同じ事であった。(何とも空しい遣る瀬無さ。)呆れてよけい空しさだけが心に残った。
しかし、また偶然は起こりえるものです。
約1ヶ月前、昼のテレビを観ていた妻が、「タイで刀を作っているのをやってるよ。」との一言で、テレビに飛んで行きました。目がテレビに釘付けとなりました。
正しく、日本で観た「日本刀(シャムジープン刀)製作現場」からの中継か録画でした。連絡先連絡先と観ている間の最終に、連絡先電話番号が流れました。これを確実に記録し、9月27日(火)に事前に連絡を取り付け、バンコク郊外の「シャムジープン刀」製作所に出かけました。
約1時間半車を飛ばして目的地に到着しました。
最初に、「シャムジープン刀」の第一印象を書きます。悪い表現かもしれませんが、「浅草寺門前商店街」の『外人客向けの土産品』の感じを受けました。
それもそのはずです、話を聞いていると販路先(お得意さん)は、ユーロとのことで納得をしました。
日本人向けの刀剣ではなく、外国人向けの「日本刀」製作販売なのでした。
特に、製作工程をはっきり確認したわけではないので断定はできかねますが、(起業者が元、鉄工屋出身とのこと。)日本刀の一番大切な「芸術品たる所以」の(数多くの行程を経る)刀身は、延鉄鋼を加工し工夫を加え、研磨し、打ち下ろして製造しているようです。
出来上がったものは、所謂日本の銃砲刀剣類所持等取締法による「模造刀」に属していました。
日本で製作される「美術品・芸術品」としての価値の高い「日本刀」とは、その根本的な製作過程からして大きな相違がありました。しかし、刀身を除く他の付属品(鍔,ハバキ,切羽,目抜き等)は、全て手作りであり、ある意味、これらに関しては芸術品かな、と感心させられました。
鑢で細かく削る鍔の製作を見て、鞘(タイ産の加工し易い木を選んで作業)を刀身に合せて削る作業を見、この光景を見ていますと、日本の鞘造りをする職人さんと同一であると思えました。柄糸の手巻き等々製作しています現場を見学させていただきました。手作り業の素晴らしさが、私の体全体に伝わってきました。
見学後、別室に展示してあります一振りを了解を得て、素振りをしてみる事が出来ました。
全体が非常に重いです。力のある欧人向けですので、仕方のないことかもしれませんが、1200グラム以上はあったでしょうか。振り下ろす手に確かな手ごたえがありました。
一振りの価格ですが、2万バーツ(約52,000円)から注文で時期によりますが、約1ヶ月かけて製作するそうです。
日本では、銃刀法違反及び居合用として使用が認められていませんので、購入は出来かねるかもしれませんが、未だ調べていませんが、ここタイ国での所持は如何なものなのでしょうか。これから調べてみます。
できれば居合練習用に一振り(4万バーツ程度)依頼して製作していただこうかと考えています。
タイに来て3年数ヶ月、5年来の念願が叶って「シャムジープン刀」と偶然に出会うことが出来ました。感謝感謝です。
最後に一言苦言を呈したいと思います。
日本のテレビ局「テレビ朝日」視聴者を何と心得る。無責任なこと甚だしい。一言連絡が欲しかったです。
最初の出会いは、5年前の日本。夕方妻がテレビを観ていたテレビに「タイで日本刀を見つけた。」との報道番組が目に飛び込んできた。私が観たのは番組全体の最後の部分であったが、タイで日本刀を製造している、という事実が私の頭の中に強く入力された。
この放送された番組の内容の詳細が知りたく、このあと調べをはじめた。
テレビ会社の「テレビ朝日」にメールを送信してみた。第1回目、「梨の礫」。約半月待ってみた。1ヶ月経っても何の連絡も来ない。
業を煮やしてテレビ局「広報担当」宛てに手紙(封書)をしたためてみた。第2回目、これに関しても待てど暮らせど何の音沙汰もなしのまま。
日々の暮らしに追い立てられてこの件は、暫し、頭の片隅に追いやられる形となった。
半分諦めと、半分はどうしても会ってみたい(素敵な異性との出会いを期待するようなそんな気分。)気持ちが2年以上過ぎた。
3年前からタイに居住したので、妻に「シャムジープン刀」は何処で作っているか、いろんな人にことあるごとに聞いてもらったが、古都「アユタヤ」辺りではないか、という答が返ってくるだけで、実態は不明のままであった。
また、私も証拠にもなくテレビ会社に経過を詳細に記載しメールを送信してみた。同じ事であった。(何とも空しい遣る瀬無さ。)呆れてよけい空しさだけが心に残った。
しかし、また偶然は起こりえるものです。
約1ヶ月前、昼のテレビを観ていた妻が、「タイで刀を作っているのをやってるよ。」との一言で、テレビに飛んで行きました。目がテレビに釘付けとなりました。
正しく、日本で観た「日本刀(シャムジープン刀)製作現場」からの中継か録画でした。連絡先連絡先と観ている間の最終に、連絡先電話番号が流れました。これを確実に記録し、9月27日(火)に事前に連絡を取り付け、バンコク郊外の「シャムジープン刀」製作所に出かけました。
約1時間半車を飛ばして目的地に到着しました。
最初に、「シャムジープン刀」の第一印象を書きます。悪い表現かもしれませんが、「浅草寺門前商店街」の『外人客向けの土産品』の感じを受けました。
それもそのはずです、話を聞いていると販路先(お得意さん)は、ユーロとのことで納得をしました。
日本人向けの刀剣ではなく、外国人向けの「日本刀」製作販売なのでした。
特に、製作工程をはっきり確認したわけではないので断定はできかねますが、(起業者が元、鉄工屋出身とのこと。)日本刀の一番大切な「芸術品たる所以」の(数多くの行程を経る)刀身は、延鉄鋼を加工し工夫を加え、研磨し、打ち下ろして製造しているようです。
出来上がったものは、所謂日本の銃砲刀剣類所持等取締法による「模造刀」に属していました。
日本で製作される「美術品・芸術品」としての価値の高い「日本刀」とは、その根本的な製作過程からして大きな相違がありました。しかし、刀身を除く他の付属品(鍔,ハバキ,切羽,目抜き等)は、全て手作りであり、ある意味、これらに関しては芸術品かな、と感心させられました。
鑢で細かく削る鍔の製作を見て、鞘(タイ産の加工し易い木を選んで作業)を刀身に合せて削る作業を見、この光景を見ていますと、日本の鞘造りをする職人さんと同一であると思えました。柄糸の手巻き等々製作しています現場を見学させていただきました。手作り業の素晴らしさが、私の体全体に伝わってきました。
見学後、別室に展示してあります一振りを了解を得て、素振りをしてみる事が出来ました。
全体が非常に重いです。力のある欧人向けですので、仕方のないことかもしれませんが、1200グラム以上はあったでしょうか。振り下ろす手に確かな手ごたえがありました。
一振りの価格ですが、2万バーツ(約52,000円)から注文で時期によりますが、約1ヶ月かけて製作するそうです。
日本では、銃刀法違反及び居合用として使用が認められていませんので、購入は出来かねるかもしれませんが、未だ調べていませんが、ここタイ国での所持は如何なものなのでしょうか。これから調べてみます。
できれば居合練習用に一振り(4万バーツ程度)依頼して製作していただこうかと考えています。
タイに来て3年数ヶ月、5年来の念願が叶って「シャムジープン刀」と偶然に出会うことが出来ました。感謝感謝です。
最後に一言苦言を呈したいと思います。
日本のテレビ局「テレビ朝日」視聴者を何と心得る。無責任なこと甚だしい。一言連絡が欲しかったです。
タグ :タイ刀
Posted by 阿羅漢 at
15:33
│Comments(1)
2011年10月04日
日本武道を一緒に練習しませんか。
タイ国で本格的に武道の練習をはじめて9ヶ月。これは、自前の練習場を確保してからのことであり、それ以前からも、細々とではあるが地道な行動はとっていた。
どうも人に見られていない武道の練習は、「陰」にこもりがちになり「暗い」感じがいがめないが、練習している「術技」はいたって明るく健康的である。
今、練習している場所にきてからは、表通りに直接面していることもあり、見られている意識も充分に練習の中には入ってきています。
そんな中、このブログ記事投稿が切っ掛けとなり、9月からタイ国は首都「バンコク」で武道の練習をはじめることに相成りました。
第1回目は私を含めて3人の練習会で始まりましたが、今月1日にまた1名の参加があり今は、合計で4名の小規模ながらの武道練習団体となっています。
練習内容ですが、以前からこのブログにも投稿していますように私が修行しています日本武道、
・全日本剣道連盟「杖道」
・全日本剣道連盟「居合道」
この二本を練習武道の柱としまして、それに練習したい人には、「護身術」を併せて教えていく、といった修行体系を取っています。
このブログを読んでくださった方、例えば、学生時代「居合」をやっていたけど今は遠のいてしまった、また、日本にいる時に「杖」の練習をしていたけど海外に来て暫くやっていない人、など等、また、いざという時、自分の身は自分自身で守るのが建前です、そんな事を必要と考えている人や、海外にいて友人が居ない何か自分にできるものがないかお探しの人、私の「会」には楽しい仲間がいます、お寄りになりませんか。
今のところ、私の住まいの事もあり練習は不定期ですが、月初めと最後の土曜日には練習を行っています。
練習場所は、「日本人会本館・会議室」(タイ国ノースサトン通り サトンタニビル1階)です。
とかく運動不足となりがちな都会暮らし、この解消と共に、良い仲間を見つける集い、と自分の身を守る術を自分自身で見つけていく練習、正に、いっきょ三徳です。
お待ちしています、一緒に良い汗をかきませんか。
どうも人に見られていない武道の練習は、「陰」にこもりがちになり「暗い」感じがいがめないが、練習している「術技」はいたって明るく健康的である。
今、練習している場所にきてからは、表通りに直接面していることもあり、見られている意識も充分に練習の中には入ってきています。
そんな中、このブログ記事投稿が切っ掛けとなり、9月からタイ国は首都「バンコク」で武道の練習をはじめることに相成りました。
第1回目は私を含めて3人の練習会で始まりましたが、今月1日にまた1名の参加があり今は、合計で4名の小規模ながらの武道練習団体となっています。
練習内容ですが、以前からこのブログにも投稿していますように私が修行しています日本武道、
・全日本剣道連盟「杖道」
・全日本剣道連盟「居合道」
この二本を練習武道の柱としまして、それに練習したい人には、「護身術」を併せて教えていく、といった修行体系を取っています。
このブログを読んでくださった方、例えば、学生時代「居合」をやっていたけど今は遠のいてしまった、また、日本にいる時に「杖」の練習をしていたけど海外に来て暫くやっていない人、など等、また、いざという時、自分の身は自分自身で守るのが建前です、そんな事を必要と考えている人や、海外にいて友人が居ない何か自分にできるものがないかお探しの人、私の「会」には楽しい仲間がいます、お寄りになりませんか。
今のところ、私の住まいの事もあり練習は不定期ですが、月初めと最後の土曜日には練習を行っています。
練習場所は、「日本人会本館・会議室」(タイ国ノースサトン通り サトンタニビル1階)です。
とかく運動不足となりがちな都会暮らし、この解消と共に、良い仲間を見つける集い、と自分の身を守る術を自分自身で見つけていく練習、正に、いっきょ三徳です。
お待ちしています、一緒に良い汗をかきませんか。
タグ :武道練習
Posted by 阿羅漢 at
14:09
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