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プロフィール
阿羅漢
とにかく日本武道(杖道,居合道,護身術)が好きで、毎日稽古で汗を流しています。
タイ国はイサ-ン地方の田舎町に念願の、武道と日本の文化及び伝統や歴史を知ってもらうための発信基地「少林夢想会」を設立し、日々武道の稽古に勤しんでいます。
自前の道場ですので、稽古はいつでもできます。是非一緒に武道の稽古を遣りましょう。初心者も大歓迎です。心から、お待ちしています。

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Posted by namjai at

2010年09月29日

 「道」

 未舗装の小石や玉砂利の多い「道」。
 アスファルトで綺麗に舗装がなされ、側溝には蓋さえ着いている「道」。
 
 上り坂の「道」。
 下り坂の「道」。

 大きく曲がりくねった「道」。
 丁字路の「道」。
 十字路の「道」。

 私は今、歩いています。いろんな「道」に遭遇しながら。

 しかし、変化が有り、毎日がとても充実感に包まれています。

 登れば下る。下れば登る。丁字路があれば自然と自らの判断で曲がって行く。

 歩き始めてみれば楽しいことばかりです。
 
 最初の一歩を踏み出すまでは、前途に有るものに対し、期待と不安と自分の力量に対する悩みが出ていましたが、
「案ずるよりは有無が易し。」  熟考の後は行動有るのみ。
  
 成せばなるです。ある人が言っていました。「天才とは、いかに物事を継続的に行っていくことができるか。」

 私は天才ではありませんが、地道に一歩一歩また一歩と、一足づつを前に出し、自分が決めた「道」を歩くだけしかありません。
 楽しいこと有り、苦しいこと有り、一人寂しい時も有りますが、「道」の向こうに有るものを探して、こつこつ、一歩一歩また一歩。今日も頑張りました。流した汗だけは嘘をつきません。

 長い「道」ですが、挫けることなく前進していきます。
 自分で決めた「道」だから。
 「継続こそ力なり。」

 「道」の果ての光を求めての旅  
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Posted by 阿羅漢 at 23:47Comments(0)

2010年09月22日

武道発信基地の建設〔その壱〕

 昨年の12月になりますか、今住んでいる所から西に向かってオートバイで約5分強に、土地と店舗兼住宅用建設中の建物の売込みがあり、妻が交渉し手に入れることになりました。

 私は、毎年1月元旦午前12時にここ何年もの間、「1年の誓い」を紙に書いています。今年は是非「道場」らしきものが欲しいとの願いも書きました。

 今の練習場所は自宅の2階に、仕事でバンコクに行っている妻の長男が寝起きしていた部屋、が空いているのでここを使用しています。使用できる空間は約2間の約2間半しかないので、杖の練習には少し狭いですし、家族以外の人を上げるわけにも行かないので、練習は一人で行っています。

 新築中の建物は、間口約2間半の奥行き約6間半有りますので、何とかかっこだけはつけられるかなと考えています。ほぼ竣工間近なのですが、なんと言いますか、タイ人のいい加減さが建築物にも現れてきていまして、私が見ますと手直しをして欲しい所があちらこちらと現れてきます。(ひとえには、職人の経験の問題も有るようで、素人に毛が生えたくらいの職人が仕事をしているようです。)

 こちらはできれば早く練習場を確保して、一緒に練習してくれる人を探したいのですが、中々それも難しいのが現状です。
 今建設中の「日本武道」発信基地の状況をお知らせしました。また、事情が変化しましたらお知らせしたいと考えています。  


Posted by 阿羅漢 at 20:15Comments(0)

2010年09月22日

武道と勝敗

 とかく「武道」をやっているというか練習していますと、あいつより俺の方が強い、いや奴の方が強い、という話題になってくるかと思いますが、以前から私はここで記載していますように、「武道」を修行すること、「武道」の修行によって導かれてくるものは、勝敗の比較論ではなく、いかにに自己に対して強くなれるか。自己にいかに厳しくなれるか。
 突き詰めればいかに他の者に対して、優しく接することができるかに有るかと思います。
 
 強さだけを求めるのであれば、何年もの間、同じ事(武の技術の鍛錬)の繰り返しを行うよりは、以前も書きましたが、10万円ぐらいを出してライフル銃を購入し、射撃場で射的・標的の練習をした方が、効率的な勝負のつけ方ができるかと思います。
 
 私が、少林寺拳法に入門したのも、このように単純な強さだけを求めるためだけではなく、仏教的な管長先生の教えがあったればこそのことでした。
 しかし、少林寺拳法にも勝負はありました。第1位や第2位‥ ‥という呼び名はつけませんが、演武を競技し「優秀賞」,「最優秀賞」といった名称の『勝敗』がやはり存在していました。

 名誉というか、そのような順位が好きな人は凄く憧れて、大会出場を目標に稽古に励んでいましたが(それはそれで練習の励みになっていますからいいかもしれませんが。)、なんだか管長先生の説いている「自他共楽」の“半ば人の幸せを 半ばは我が身の幸せを”からかけ離れているような気持ちにさせられたのは私一人だけでしょうか。

 私は、今「武道」を修行しています。段も修行の年数に応じて取りたいとも思っています。段を取るのは、一つの目標です。階段を上っていって(毎日の修行)踊り場に到着(昇段審査)し、自分の修行の成果を確認する。段を取ることを嫌っている人もいますが、段を取るということは修行の結果の『証』ですから、私は必要であると思っています。
 
 現在修行しています武道界にも大会がありますが、私は出たくは無いので予選会にも申込はしていません。
 武道の修練によってもっと違ったものを求めていった方が、自己のためになるのではないかと思っています。

 今まで修行してきたことを組み合わせていき、新たな『何か』を創造する。
 凄く楽しいことだと思っています。毎日が本当に「武道」のことの勉強です。そこには「勝負」はありません。自己の保身は有ります。自己防衛もあります。自分が無くなってしまっては、その後はありませんから。
 勝負とは一線を引いた何かを今、毎日『夢想』して楽しく過ごしています。
 
 「武道」とは本当に楽しいものです。練習を積めば積んだだけ成果として体表現が可能となってきます。
 練習は嘘はつきません。毎日の本当に積み重ねが大成への道だと信じて「道半ば」を歩んでいます。  
タグ :武道


Posted by 阿羅漢 at 17:37Comments(1)