2011年07月31日
武道と「武士道」
日本の武道を修行していく中で、私が今真剣に勉強しています事柄に、「武士道」が有ります。
武道と武士道。
武道を純粋に自己の精神鍛錬や護身のため、そして生きていく道標とし、又は、生活の糧とし、また、名声を得んがため等々、その目的や最終目標は個々人によって高低や温度差はあるにしましても、艱難辛苦の修行という過程は皆同じと思います。
武道はその文字が示していますとおり、「武」の技術的な事柄と、その裏ずけ的な思想や考え方を学んで行こうとする事ですが、では「武士道」とは何でしょう。
辞書によりますと、『武士道』とは、
「武士の間に発達し、尊ばれた実践道徳。忠義・礼儀・名誉・武勇・廉恥・などを重んじる。士道。」と記載されています。
この「武士道」という『道』を世界に紹介した有名な方が「新渡戸稲造」です。
1899年12月に「武士道」は第一版が発行されています。原書は英語です。
この本を発行するに至った経緯というのが「序文」に書いて有ります。冒頭です。
『十年ほど前、私がベルギーの著名な法学者ド・ラバレー氏の家に招かれ、歓待をうけて数日を過ごしていたときのことである。ある日の散歩の途中で、宗教の話題が出た。「日本の学校では宗教教育がない。とおしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が尋ねられた。私が、「ありません」と返事をすると、教授は驚いて、突然立ち止まり、ビックリするような声で再度問われた。
「宗教教育がない! それではあなたがたはどのようにして道徳教育を授けるのですか」
私はその質問に愕然として、すぐに答えることができなかった。なぜなら、私が子どものころに学んだ人の倫(みち)たる道徳の教えは、学校で習ったものではなかったからである。そこで、私の善悪や正義の観念を形成しているさまざまな要素を分析してみて初めて、そのような観念を吹き込んだものは武士道だったことに気づいたのである。』
と記載されています。また次に
『この小書を著するにいたった直接の理由は、私の妻から、なぜこのような思想や道徳的習慣が日本でいきわたっているのか、という質問を何度も受けたからである。
ド・ラバレー氏や私の妻に、納得のいく答えをしようと考えているうちに、私は封建制と武士道がわからなくては、現在の日本の道徳観はまるで封をした“巻物”と同じことだとわかったのである。そこで、家庭内で交わした会話の中で得られたいくつかの回答を、ここで整理して読者に述べることにする。それは主として封建制度がまだ盛んだった若い頃に、私が教えられ伝えられたことである。』
今まで外国人(ラフカディオ・ハーン等)が日本のことを英語等で紹介をしていますが、日本は、彼らが生まれ育った国では無く、そして親兄弟先生から日常的に道徳的な教育を受けたわけでは無く、あくまでも、日本にいて第三者的に見たり聞いたり、教えられたり感じたことを書き記しただけのことであり、日本及び日本人の心底に流れる考え方をどこまで読み取り、文章として表現できたかは疑問の点があるかと思います。(私は著書を読んでいませんが、読む必要性も無いと思っています。)
その点、日本人である「新渡戸稲造」の著書「武士道」は、英語という言語で表記されてはいますが、日本人として、自己が幼い頃より受けた真の道徳教育が、文字として表現されていますので、諸外国向けの日本の思想「武士道」紹介には最高のものではないかと思っています。
第一版が刊行されてから、6年後に日本では九版そして十版目に米国,英国,マラーティ語,ドイツ語,ボヘミヤ語,ポーランド語,ノールウェー語,フランス語と翻訳され発刊されています。
では「武士道」とは何か を端的に表現しています文章を次に記載したいと思います。
『武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。それはわが国の歴史の標本室に保存されているような古めかしい道徳ではない。いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている。たとえ具体的な形はとらなくとも道徳的な薫りをまわりに漂わせ、私たちをいまなお惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれている。』
そして、
『武士道を生み、そして育ててくれた社会状態が失われてからすでに久しいが、あの遥かな遠い星が、かつてそんざいし、いまでも地上に光を降り注いでいるように、封建制の所産である武士道の光は、その母体である封建制度よりも長く生き延びて、この国の人の倫(みち)のありようを照らしつづけているのだ。』
何ともいえない文章です。前段の
「日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。」
「古めかしい道徳ではない。いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている」
「たとえ具体的な形はとらなくとも道徳的な薫りをまわりに漂わせ、私たちをいまなお惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれている。」
後段
「あの遥かな遠い星が、かつてそんざいし、いまでも地上に光を降り注いでいるように、」
「封建制の所産である武士道の光は、その母体である封建制度よりも長く生き延びて、この国の人の倫(みち)のありようを照らしつづけているのだ。」
心に感銘を与えてくれます文章です。何度読み返しても新鮮で新たな違った感動が浮かび上がってきます。
では「武士道」とは、
『「武士道」とは、武士の守るべき『掟』として求められ、あるいは教育された道徳的原理であり、成文法ではない。せいぜい口伝で受け継がれたものか、著名な武士や学者の筆から生まれた、いくつかの格言によって成り立っていることが多い。いや、それはむしろ不言不文の語らざる掟,書かれざる掟であったというべきであろう。それだけに武士道は、いっそう“サムライ”の肉襞に刻み込まれ、強力な行動規範としての拘束力を持ったのである。
しかも「武士道」は、いかに有能な武士であったとしても、その人一人の頭脳が創造したものではない。あるいはまた特定の立派な武士の生涯を基にするものでもない。むしろそれは、数十年、数百年もの長きにわたる日本の歴史の中で、武士の生き方として自発的に醸成され発達を遂げたものなのである。
それゆえに、明確な時と場所を指して『ここに「武士道」の源泉がある』などとは言えない。もし言えるとするなら、「武士道」の起源は封建制の時代の中で自覚され始めたもの、というだけである。したがって時期に関するかぎりは封建制の始まりと同と見てよい。したがって封建制そのものが多くの糸で織りなされているように、武士道もまた複雑に錯綜しているのである。 』
具体的な「武士道」の表現文言を記載します。
・義(武士道の礎石)義は人の道なり
・勇(勇気と忍耐)義を見てせざるは勇なきなり
・仁(慈悲の心)
・礼(仁・義を型として表す)
・誠(武士に二言がない理由)
・名誉(命以上に大切ね価値)恥の感覚こそ、純粋な徳の土壌
・忠義(武士は何のために生きるか)日本人「忠義」の独自さ
ですが、それぞれの意味につきましては後日記載したいと思います。
今日の最後に「新渡戸稲造」が、「武士道」(原文はもちろん英語です)について説明をしていますので記載しておきます。
『さて、私がおおざっぱに「武士道」(chivalry)と訳した言葉は、原語の日本語では騎士道よりも、もっと多くの意味合いを含んでいる。「ブシドウ」は字義的には「武士道」である。すなわち武士階級がその職業、および日常生活において守るべき道を意味する。一言でいえば「武士の掟」、すなわち、「高き身分の者に伴う義務」のことである。
武道と武士道。
武道を純粋に自己の精神鍛錬や護身のため、そして生きていく道標とし、又は、生活の糧とし、また、名声を得んがため等々、その目的や最終目標は個々人によって高低や温度差はあるにしましても、艱難辛苦の修行という過程は皆同じと思います。
武道はその文字が示していますとおり、「武」の技術的な事柄と、その裏ずけ的な思想や考え方を学んで行こうとする事ですが、では「武士道」とは何でしょう。
辞書によりますと、『武士道』とは、
「武士の間に発達し、尊ばれた実践道徳。忠義・礼儀・名誉・武勇・廉恥・などを重んじる。士道。」と記載されています。
この「武士道」という『道』を世界に紹介した有名な方が「新渡戸稲造」です。
1899年12月に「武士道」は第一版が発行されています。原書は英語です。
この本を発行するに至った経緯というのが「序文」に書いて有ります。冒頭です。
『十年ほど前、私がベルギーの著名な法学者ド・ラバレー氏の家に招かれ、歓待をうけて数日を過ごしていたときのことである。ある日の散歩の途中で、宗教の話題が出た。「日本の学校では宗教教育がない。とおしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が尋ねられた。私が、「ありません」と返事をすると、教授は驚いて、突然立ち止まり、ビックリするような声で再度問われた。
「宗教教育がない! それではあなたがたはどのようにして道徳教育を授けるのですか」
私はその質問に愕然として、すぐに答えることができなかった。なぜなら、私が子どものころに学んだ人の倫(みち)たる道徳の教えは、学校で習ったものではなかったからである。そこで、私の善悪や正義の観念を形成しているさまざまな要素を分析してみて初めて、そのような観念を吹き込んだものは武士道だったことに気づいたのである。』
と記載されています。また次に
『この小書を著するにいたった直接の理由は、私の妻から、なぜこのような思想や道徳的習慣が日本でいきわたっているのか、という質問を何度も受けたからである。
ド・ラバレー氏や私の妻に、納得のいく答えをしようと考えているうちに、私は封建制と武士道がわからなくては、現在の日本の道徳観はまるで封をした“巻物”と同じことだとわかったのである。そこで、家庭内で交わした会話の中で得られたいくつかの回答を、ここで整理して読者に述べることにする。それは主として封建制度がまだ盛んだった若い頃に、私が教えられ伝えられたことである。』
今まで外国人(ラフカディオ・ハーン等)が日本のことを英語等で紹介をしていますが、日本は、彼らが生まれ育った国では無く、そして親兄弟先生から日常的に道徳的な教育を受けたわけでは無く、あくまでも、日本にいて第三者的に見たり聞いたり、教えられたり感じたことを書き記しただけのことであり、日本及び日本人の心底に流れる考え方をどこまで読み取り、文章として表現できたかは疑問の点があるかと思います。(私は著書を読んでいませんが、読む必要性も無いと思っています。)
その点、日本人である「新渡戸稲造」の著書「武士道」は、英語という言語で表記されてはいますが、日本人として、自己が幼い頃より受けた真の道徳教育が、文字として表現されていますので、諸外国向けの日本の思想「武士道」紹介には最高のものではないかと思っています。
第一版が刊行されてから、6年後に日本では九版そして十版目に米国,英国,マラーティ語,ドイツ語,ボヘミヤ語,ポーランド語,ノールウェー語,フランス語と翻訳され発刊されています。
では「武士道」とは何か を端的に表現しています文章を次に記載したいと思います。
『武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。それはわが国の歴史の標本室に保存されているような古めかしい道徳ではない。いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている。たとえ具体的な形はとらなくとも道徳的な薫りをまわりに漂わせ、私たちをいまなお惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれている。』
そして、
『武士道を生み、そして育ててくれた社会状態が失われてからすでに久しいが、あの遥かな遠い星が、かつてそんざいし、いまでも地上に光を降り注いでいるように、封建制の所産である武士道の光は、その母体である封建制度よりも長く生き延びて、この国の人の倫(みち)のありようを照らしつづけているのだ。』
何ともいえない文章です。前段の
「日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。」
「古めかしい道徳ではない。いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている」
「たとえ具体的な形はとらなくとも道徳的な薫りをまわりに漂わせ、私たちをいまなお惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれている。」
後段
「あの遥かな遠い星が、かつてそんざいし、いまでも地上に光を降り注いでいるように、」
「封建制の所産である武士道の光は、その母体である封建制度よりも長く生き延びて、この国の人の倫(みち)のありようを照らしつづけているのだ。」
心に感銘を与えてくれます文章です。何度読み返しても新鮮で新たな違った感動が浮かび上がってきます。
では「武士道」とは、
『「武士道」とは、武士の守るべき『掟』として求められ、あるいは教育された道徳的原理であり、成文法ではない。せいぜい口伝で受け継がれたものか、著名な武士や学者の筆から生まれた、いくつかの格言によって成り立っていることが多い。いや、それはむしろ不言不文の語らざる掟,書かれざる掟であったというべきであろう。それだけに武士道は、いっそう“サムライ”の肉襞に刻み込まれ、強力な行動規範としての拘束力を持ったのである。
しかも「武士道」は、いかに有能な武士であったとしても、その人一人の頭脳が創造したものではない。あるいはまた特定の立派な武士の生涯を基にするものでもない。むしろそれは、数十年、数百年もの長きにわたる日本の歴史の中で、武士の生き方として自発的に醸成され発達を遂げたものなのである。
それゆえに、明確な時と場所を指して『ここに「武士道」の源泉がある』などとは言えない。もし言えるとするなら、「武士道」の起源は封建制の時代の中で自覚され始めたもの、というだけである。したがって時期に関するかぎりは封建制の始まりと同と見てよい。したがって封建制そのものが多くの糸で織りなされているように、武士道もまた複雑に錯綜しているのである。 』
具体的な「武士道」の表現文言を記載します。
・義(武士道の礎石)義は人の道なり
・勇(勇気と忍耐)義を見てせざるは勇なきなり
・仁(慈悲の心)
・礼(仁・義を型として表す)
・誠(武士に二言がない理由)
・名誉(命以上に大切ね価値)恥の感覚こそ、純粋な徳の土壌
・忠義(武士は何のために生きるか)日本人「忠義」の独自さ
ですが、それぞれの意味につきましては後日記載したいと思います。
今日の最後に「新渡戸稲造」が、「武士道」(原文はもちろん英語です)について説明をしていますので記載しておきます。
『さて、私がおおざっぱに「武士道」(chivalry)と訳した言葉は、原語の日本語では騎士道よりも、もっと多くの意味合いを含んでいる。「ブシドウ」は字義的には「武士道」である。すなわち武士階級がその職業、および日常生活において守るべき道を意味する。一言でいえば「武士の掟」、すなわち、「高き身分の者に伴う義務」のことである。
Posted by 阿羅漢 at
16:08
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2011年07月12日
韓国起源説の実例
私は今迄に
本年5月9日「剣道韓国起源説」
5月20日「日本武道人よ熱くなれ!!! 」
5月20日「剣道韓国起源説に徹底抗戦 」
5月20日「これでいいのか「日本人」!!! 」
5月23日「エ ! 何ですかそれって!!! 」
5月27日「心ある日本人の方々へ!!! 是非見てください。」
5月29日「朝鮮コムドとは何ぞや」
の記事を投稿してきました。その後、「朝鮮」の事に関してインタ-ネットの資料記事を検索し、各種の勉強の途中ですが、今日は私が一番憤慨した検索の記事をご紹介したいと存じます。
ウィキペディア(フリー百科事典)
韓国起源説
韓国起源説の実例
日本の事物 武芸
◎事 例 剣道・剣術・侍・武士道
◎主 張 (朝鮮の主張)
『恐らく最も有名な例が、韓国人が主張する、剣道、剣術、侍、武士道の韓国起源説であり、特に剣道韓国起源説は韓国起源説が日本のネット上で注目されるきっかけとなった。剣道韓国起源説がネットを介して流布されたことにより、全日本剣道連盟に対応を求めるメールが殺到し、全日本剣道連盟は公式ホームページで、韓国起源説を否定する事態になっている。
剣道は日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化であり、韓国ではテコンドーと並ぶ人気武道である。日本の剣道との差は蹲踞(そんきょ)がないことや袴の色や形程度であるが、韓国最大の剣道団体である『大韓剣道會(Korean Kumdo Association)』や『世界剣道協会(World Kumdo Association)』が公式ホームページ等で、剣道の起源が韓国にあると主張しており、『国際剣道連盟(International Kendo Federation)』に参加していながらも、その正式名称は『剣道』ではなく剣道の朝鮮語音の『コムド(kumdo)』であると主張し、剣道の真の宗主国として当然であると主張している。『大韓剣道会』の広報理事の崔民秀は「『剣道は日本のもの』という誤った認識を正す」と述べている。また、『大韓剣道會』のソ・ビョンユン専務理事は「日本文化の多くが百済から流入し、刀も百済から日本に伝わったと日本人が話しているので、剣法も当然そのようなルートを通じた。刀の代表的なものが日本の神社に奉献されている七支刀で、百済王が日本国の君主に権威の象徴として下賜したというのが定説だ。日本王が『桓武天皇の生母が、百済の武寧王の子孫』だと表明したが、当時強大だった百済から武寧王の子孫の女性を送る際に、護衛の武士を同行させたのだろう。刀と武士が移動すれば、当然剣術も移動することになる」と剣道韓国起源説の根拠を述べている。また、「バレーボール、ゴルフ、野球、レスリング、卓球などの種目がどの国のものなのかと、熱を上げながら宗主国ばかりを突き詰めていたら、周囲からは当然変に思われるでしょう」と、日本側の剣道の起源主張をけん制している。
また、韓国系移民が中心となり、米国を始めとした世界各国で『コムド』道場を開き、古代から伝わる韓国の武道として積極的に広報活動をしている。これらの道場では、日本の袴や日本刀を用いて、日本の剣術やそれを改変したものを「韓国古来の武術」(korean martial arts)として『コムド』と同時に教えている場合もあり、『剣道』と『コムド』の「他流試合」が行われることもある。
一方、『大韓剣道會』と対立する『世界海東コムド連盟(World Haidong Gumdo Federation)』や『統合世界海東コムド連盟(United World Haedong Kumdo Federation)』は、『海東コムド(Haidong Gumdo)』が剣道の起源であると主張している。彼らは、侍や武士道の起源は高句麗の「士武郎(サムラン)」にあると主張しているが、韓国内で裁判が行われた結果、士武郎起源説は捏造であったことが発覚している。このように本国では捏造扱いされている海東コムドだが、韓流ファンのフランスの若者が組織し、駐仏韓国文化院と韓国観光公社パリ支社と農水産物流通公社が後援して韓国文化を国際的に紹介する組織「Korean Connection」が、パリで開催した「Korean Connection 2011」で、韓国起源の古代武術として海東コムドの演舞を行っている。』
〈演舞はあくまでも“剣を持っての踊り”です。武道で行いますのは“演武”です。〉
◎反 論
『剣道の韓国起源論に対して竹嶋渉は「これは風が吹けば桶屋が儲かるの上を行く拡大解釈であるとしか言いようがない。言ってみればこれは日本の自衛隊の起源は種子島に鉄砲を伝えたポルトガル人だと言ってるようなものである」「大した根拠もなく『剣道の宗主国は韓国』などと放言しているソ・ビョンユン氏の姿勢も、われわれから見ると当然変なのである」と批判している(日本刀についての歴史は当該項目参照)。ソ・ビョンユンは『当時強大だった百済』と述べているが、百済は346年から660年まで存在した国家であり、桓武天皇が生まれた737年にはすでに滅びている。また、高野新笠は日本に帰化してから200年近くたっていた家系の人物であり、光仁天皇の側妾になるためにわざわざ朝鮮半島から渡来したわけではない。高野新笠の祖先とされている人物は武寧王の子である純陁(淳陀)太子だが日本書紀に『日本で亡くなった』と言う記述はあるものの淳陀太子が何時どうやって日本に渡来したかは明らかになっていない。日本書紀などの記述によれば武寧王は若い頃日本に滞在していた事になっているため、淳陀はその時期日本で生まれてそのまま滞在し続け(人質として日本に残された、とする説もある)同地で亡くなったと言う説が有力視されている。
侍というのは、律令制が崩壊した10世紀以降に、新式の武芸を身につけて領地経営者や軍事専門家として活躍し始めた軍事貴族や下級役人等が発祥であり、12世紀以降に幕府という軍事政権を開いて封建制により日本を支配した戦士階級の「武士」のことであり、日本語の動詞「サブラフ」が語源である。一方、朝鮮半島には封建制は存在せず、律令官制の中で訓練を受けた常勤の役人の「武官」や「武人」はいても、侍のような「武士」は存在せず、侍は明確に日本社会でのみ発生したものである。「武術」は、この封建時代の侍の存在から誕生したものであり、剣道などの「武道」は近代になってから「武術」を心身教育のために一般化したものである。日本の武術や武道の発祥についてはほとんど記録が残っている一方で、侍や武術の韓国起源説の根拠となる歴史資料は一切存在せず、花郎が軍事組織だったという説も完全に否定されている。また現代の韓国の武道家が使用する衣服や刀や作法も、すべて日韓併合以降に日本の武道を模倣したものである。
「第14回世界剣道選手権男子個人決勝」の様子をインターネットの「YouTube」で見学をしました。日本人選手の凛々しい剣道着袴の姿に比べて、朝鮮の選手は何ですか、白の上下に袴にはご丁寧に太い黒の線を入れています。少しでも日本と違うぞという自己主張をしたいようです。
別会場の様子を見る機会も有りましたので見ますと、全員が剣道着袴です。格別日本と違った姿形をとってはいません。朝鮮だけが、「挑戦的態度」を採っているだけです。
これからも、朝鮮の事、歴史や民族そして文化等を調べていきたいと思います。
興味のある方どうぞメール交換をしましょう。
お待ちしています。
本年5月9日「剣道韓国起源説」
5月20日「日本武道人よ熱くなれ!!! 」
5月20日「剣道韓国起源説に徹底抗戦 」
5月20日「これでいいのか「日本人」!!! 」
5月23日「エ ! 何ですかそれって!!! 」
5月27日「心ある日本人の方々へ!!! 是非見てください。」
5月29日「朝鮮コムドとは何ぞや」
の記事を投稿してきました。その後、「朝鮮」の事に関してインタ-ネットの資料記事を検索し、各種の勉強の途中ですが、今日は私が一番憤慨した検索の記事をご紹介したいと存じます。
ウィキペディア(フリー百科事典)
韓国起源説
韓国起源説の実例
日本の事物 武芸
◎事 例 剣道・剣術・侍・武士道
◎主 張 (朝鮮の主張)
『恐らく最も有名な例が、韓国人が主張する、剣道、剣術、侍、武士道の韓国起源説であり、特に剣道韓国起源説は韓国起源説が日本のネット上で注目されるきっかけとなった。剣道韓国起源説がネットを介して流布されたことにより、全日本剣道連盟に対応を求めるメールが殺到し、全日本剣道連盟は公式ホームページで、韓国起源説を否定する事態になっている。
剣道は日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化であり、韓国ではテコンドーと並ぶ人気武道である。日本の剣道との差は蹲踞(そんきょ)がないことや袴の色や形程度であるが、韓国最大の剣道団体である『大韓剣道會(Korean Kumdo Association)』や『世界剣道協会(World Kumdo Association)』が公式ホームページ等で、剣道の起源が韓国にあると主張しており、『国際剣道連盟(International Kendo Federation)』に参加していながらも、その正式名称は『剣道』ではなく剣道の朝鮮語音の『コムド(kumdo)』であると主張し、剣道の真の宗主国として当然であると主張している。『大韓剣道会』の広報理事の崔民秀は「『剣道は日本のもの』という誤った認識を正す」と述べている。また、『大韓剣道會』のソ・ビョンユン専務理事は「日本文化の多くが百済から流入し、刀も百済から日本に伝わったと日本人が話しているので、剣法も当然そのようなルートを通じた。刀の代表的なものが日本の神社に奉献されている七支刀で、百済王が日本国の君主に権威の象徴として下賜したというのが定説だ。日本王が『桓武天皇の生母が、百済の武寧王の子孫』だと表明したが、当時強大だった百済から武寧王の子孫の女性を送る際に、護衛の武士を同行させたのだろう。刀と武士が移動すれば、当然剣術も移動することになる」と剣道韓国起源説の根拠を述べている。また、「バレーボール、ゴルフ、野球、レスリング、卓球などの種目がどの国のものなのかと、熱を上げながら宗主国ばかりを突き詰めていたら、周囲からは当然変に思われるでしょう」と、日本側の剣道の起源主張をけん制している。
また、韓国系移民が中心となり、米国を始めとした世界各国で『コムド』道場を開き、古代から伝わる韓国の武道として積極的に広報活動をしている。これらの道場では、日本の袴や日本刀を用いて、日本の剣術やそれを改変したものを「韓国古来の武術」(korean martial arts)として『コムド』と同時に教えている場合もあり、『剣道』と『コムド』の「他流試合」が行われることもある。
一方、『大韓剣道會』と対立する『世界海東コムド連盟(World Haidong Gumdo Federation)』や『統合世界海東コムド連盟(United World Haedong Kumdo Federation)』は、『海東コムド(Haidong Gumdo)』が剣道の起源であると主張している。彼らは、侍や武士道の起源は高句麗の「士武郎(サムラン)」にあると主張しているが、韓国内で裁判が行われた結果、士武郎起源説は捏造であったことが発覚している。このように本国では捏造扱いされている海東コムドだが、韓流ファンのフランスの若者が組織し、駐仏韓国文化院と韓国観光公社パリ支社と農水産物流通公社が後援して韓国文化を国際的に紹介する組織「Korean Connection」が、パリで開催した「Korean Connection 2011」で、韓国起源の古代武術として海東コムドの演舞を行っている。』
〈演舞はあくまでも“剣を持っての踊り”です。武道で行いますのは“演武”です。〉
◎反 論
『剣道の韓国起源論に対して竹嶋渉は「これは風が吹けば桶屋が儲かるの上を行く拡大解釈であるとしか言いようがない。言ってみればこれは日本の自衛隊の起源は種子島に鉄砲を伝えたポルトガル人だと言ってるようなものである」「大した根拠もなく『剣道の宗主国は韓国』などと放言しているソ・ビョンユン氏の姿勢も、われわれから見ると当然変なのである」と批判している(日本刀についての歴史は当該項目参照)。ソ・ビョンユンは『当時強大だった百済』と述べているが、百済は346年から660年まで存在した国家であり、桓武天皇が生まれた737年にはすでに滅びている。また、高野新笠は日本に帰化してから200年近くたっていた家系の人物であり、光仁天皇の側妾になるためにわざわざ朝鮮半島から渡来したわけではない。高野新笠の祖先とされている人物は武寧王の子である純陁(淳陀)太子だが日本書紀に『日本で亡くなった』と言う記述はあるものの淳陀太子が何時どうやって日本に渡来したかは明らかになっていない。日本書紀などの記述によれば武寧王は若い頃日本に滞在していた事になっているため、淳陀はその時期日本で生まれてそのまま滞在し続け(人質として日本に残された、とする説もある)同地で亡くなったと言う説が有力視されている。
侍というのは、律令制が崩壊した10世紀以降に、新式の武芸を身につけて領地経営者や軍事専門家として活躍し始めた軍事貴族や下級役人等が発祥であり、12世紀以降に幕府という軍事政権を開いて封建制により日本を支配した戦士階級の「武士」のことであり、日本語の動詞「サブラフ」が語源である。一方、朝鮮半島には封建制は存在せず、律令官制の中で訓練を受けた常勤の役人の「武官」や「武人」はいても、侍のような「武士」は存在せず、侍は明確に日本社会でのみ発生したものである。「武術」は、この封建時代の侍の存在から誕生したものであり、剣道などの「武道」は近代になってから「武術」を心身教育のために一般化したものである。日本の武術や武道の発祥についてはほとんど記録が残っている一方で、侍や武術の韓国起源説の根拠となる歴史資料は一切存在せず、花郎が軍事組織だったという説も完全に否定されている。また現代の韓国の武道家が使用する衣服や刀や作法も、すべて日韓併合以降に日本の武道を模倣したものである。
「第14回世界剣道選手権男子個人決勝」の様子をインターネットの「YouTube」で見学をしました。日本人選手の凛々しい剣道着袴の姿に比べて、朝鮮の選手は何ですか、白の上下に袴にはご丁寧に太い黒の線を入れています。少しでも日本と違うぞという自己主張をしたいようです。
別会場の様子を見る機会も有りましたので見ますと、全員が剣道着袴です。格別日本と違った姿形をとってはいません。朝鮮だけが、「挑戦的態度」を採っているだけです。
これからも、朝鮮の事、歴史や民族そして文化等を調べていきたいと思います。
興味のある方どうぞメール交換をしましょう。
お待ちしています。
タグ :朝鮮
Posted by 阿羅漢 at
19:44
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2011年07月11日
武道独特の礼法(その壱)
「武道」は、『礼』に始まりそして『礼』に終わるといわれます。
今日は、武道の礼の仕方・方法につして記載してみたいと思います。
少林寺拳法は、立礼です。結手構えから、目の高さまで両手を持ってきて合わせ(合掌)、お互いが目礼をします。
管長先生は法話の中で「平伏は、征服者が、被征服者に対し礼をさせるときに行うもの。」と話され、「少林寺拳法の拳士は、お互いが同格であり、お互いが尊重しあえる間柄であるから、合掌礼を行う。」と明言しておられました。
さて、日本古来の武道の礼法はどうでしょうか。
礼法・作法は敬いの心を形で表すものでありますが、その動きには無駄がなく合理的で折り目正しく、且つ優雅であり、しかも安定感が備わっておりまして、相手を敬うのにふさわしい動きによって組み立てられています。そして、その動きは、常に上座(神)を意識して終始しております。
しかし、武道によっては、このように敬いの心の表現である礼法の中に、少なからず“敵対”動作がみうけられるものがあります。
身近には、居合道における座礼〈刀礼)です。正座(両手は左右の腿)の後に、刀を自分の前に横たえ、左手右手と順に下ろしていき頭を下げます。頭を上げた後、右手左手と元に戻していきます。
剣道ですと両手を一緒に床につけていき一緒に上げてますが、居合道は、着座した時から敵対する相手に対して、油断なく万が一のことを考えて、何時でも「抜刀」できる態勢を整えています結果が、右手を後に下ろし先に右手を上げてくるという所作になって現れてきています。
これは、相手を敬い遜恭(そんきょう)の念を示す礼の心と矛盾するものといえますが、しかし、礼を尽くす相手であろうとも、何時こちらに危害を加えてくるか分からないという、「武士」が常に死と直面している油断のならない時代にあっては、このような心構えが所作として表現され、現れてきても不自然ではない事であり、礼法の形としては否定できないものであると思われます。
もちろんその逆としまして、無抵抗を表現する礼法としまして、右の利き手を先につく座礼も有ります。先輩や上司に対して行われたとしても不思議ではないかと思います。
礼法や作法は時代や社会通念や社会現象の影響を受けて変遷してきております。
今日は、武道の礼の仕方・方法につして記載してみたいと思います。
少林寺拳法は、立礼です。結手構えから、目の高さまで両手を持ってきて合わせ(合掌)、お互いが目礼をします。
管長先生は法話の中で「平伏は、征服者が、被征服者に対し礼をさせるときに行うもの。」と話され、「少林寺拳法の拳士は、お互いが同格であり、お互いが尊重しあえる間柄であるから、合掌礼を行う。」と明言しておられました。
さて、日本古来の武道の礼法はどうでしょうか。
礼法・作法は敬いの心を形で表すものでありますが、その動きには無駄がなく合理的で折り目正しく、且つ優雅であり、しかも安定感が備わっておりまして、相手を敬うのにふさわしい動きによって組み立てられています。そして、その動きは、常に上座(神)を意識して終始しております。
しかし、武道によっては、このように敬いの心の表現である礼法の中に、少なからず“敵対”動作がみうけられるものがあります。
身近には、居合道における座礼〈刀礼)です。正座(両手は左右の腿)の後に、刀を自分の前に横たえ、左手右手と順に下ろしていき頭を下げます。頭を上げた後、右手左手と元に戻していきます。
剣道ですと両手を一緒に床につけていき一緒に上げてますが、居合道は、着座した時から敵対する相手に対して、油断なく万が一のことを考えて、何時でも「抜刀」できる態勢を整えています結果が、右手を後に下ろし先に右手を上げてくるという所作になって現れてきています。
これは、相手を敬い遜恭(そんきょう)の念を示す礼の心と矛盾するものといえますが、しかし、礼を尽くす相手であろうとも、何時こちらに危害を加えてくるか分からないという、「武士」が常に死と直面している油断のならない時代にあっては、このような心構えが所作として表現され、現れてきても不自然ではない事であり、礼法の形としては否定できないものであると思われます。
もちろんその逆としまして、無抵抗を表現する礼法としまして、右の利き手を先につく座礼も有ります。先輩や上司に対して行われたとしても不思議ではないかと思います。
礼法や作法は時代や社会通念や社会現象の影響を受けて変遷してきております。
タグ :武道の礼法
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2011年07月07日
制定居合 八本目「顔面当て」(がんめんあて)
立ち技の四本目になります。制定居合の術技も残り五本となってきました。
では、居合道術技「八本目・顔面当て」をご紹介してまいります。
一本目 「前」 の敵に対しての技。居合の全てがこの技に凝縮されています。
二本目は、「後ろ」 の敵を想定した技です。
三本目は、「受け流し」 敵を左に想定しての技です。
四本目「柄当て」 居合腰から前後の敵を制する技です。
五本目「袈裟切り」 立ち技になります。
逆袈裟に切り上げ、返す刀で袈裟に切り下ろす技です。
六本目「諸手突き太>」(もろてづき) 前後三人の敵を想定しての術技です。
七本目「三方切り」(さんぽうぎり) 前と左右の敵を想定しての術技です。
八本目「顔面当て」(がんめんあて) 前後二人の敵を想定しての術技です。
〔要義〕
前進中、前後二人の敵の殺気を感じ、まず正面の敵の顔面に「柄当て」し、続いて後の敵の「水月」を突き刺し、さらに正面の敵を真っ向から切り下ろして勝つ。
(動作)
1、右足より正面に向って前進し、左足を踏み出したときに刀
に両手をかける。右足を踏み込むと同時に鞘もろとも突き出
して「柄頭」を敵の両眼の間に激しく当てる。
2、直ちに後の敵に振り向きながら「鞘引き」をする。右足を軸
に左回りに回って「鞘放れ」と同時に左足を左に踏みかえ、後
の敵に向き直ると同時に右こぶしを右上腰に当てて刃を外側
にして刀を水平にする。間をおくことなく、右足を踏み込むと同
時に上体を崩さずに右肘をじゅうぶん伸ばして敵の「水月」を
「突き刺す」。
3、正面の敵に振り向き、刀を引き抜きながら右足を軸に左回
りに回って左足を左に踏みかえ、受け流しに振りかぶり、左
手を柄にかけると同時に正面の敵に向き直り、間をおくこと
なく右足を踏み込んで正面の敵を真っ向から切り下ろす。
4、そのままの姿勢で左手を柄からはなして左帯におくると同
時に「右に開いてての血振り」をする。
5、左手を左帯から鯉口におくり、そのままの姿勢で「納刀」
する。
6、後ろ足を前足にそろえ、右手を柄からはなして「帯刀姿
勢」となり、左足より退いて元の位置にもどる。
これが、八本目「顔面当て」です。
今回は前後に二人の敵を想定しています。
いち早く敵の殺気を感じとり(柄に手をかけるなどの動作)一足早く、敵の顔面(目間)に柄頭を腰から当てていきます。刀だけで当てようとしますと、腰が伸びきった状態で腕も伸びきり力も柄頭に入りません。身体全体で敵にぶつかっていくような気持ちで柄当てをすると効果が出ます。
次に大切な事は、顔面当てをした後に刀は、敵の目間に付けた状態のままで鞘だけを後に引き、右足を軸にして180度向き直りますが、この時大きく左足を踏みかえる時に上体をぶらさないことが肝心です。
右足の「前足底」を押し込むような気持ちで、踵を浮かして回るといいと思います。この時も頭を上下させずに回ります。
最後に正面の敵に振り向きますが、この時左手は刀を迎えに行くのではなく、正面の敵に向き直ったと同時に柄へ真直ぐ上に手をあげる気持ちで手をかける、ことが大切だと思います。
最後に、本日もいつもの言葉です、
『やはり反復練習あるのみです。いい汗は流した分だけ結果に反映されます。そして動作や所作また全体の姿や形に現れてきます。練習は嘘はつきません。』
今日は八本目「顔面当て」(がんめんあて)でした。
次回は、九本目「添えて突き」(そえてづき)です。
では、居合道術技「八本目・顔面当て」をご紹介してまいります。
一本目 「前」 の敵に対しての技。居合の全てがこの技に凝縮されています。
二本目は、「後ろ」 の敵を想定した技です。
三本目は、「受け流し」 敵を左に想定しての技です。
四本目「柄当て」 居合腰から前後の敵を制する技です。
五本目「袈裟切り」 立ち技になります。
逆袈裟に切り上げ、返す刀で袈裟に切り下ろす技です。
六本目「諸手突き太>」(もろてづき) 前後三人の敵を想定しての術技です。
七本目「三方切り」(さんぽうぎり) 前と左右の敵を想定しての術技です。
八本目「顔面当て」(がんめんあて) 前後二人の敵を想定しての術技です。
〔要義〕
前進中、前後二人の敵の殺気を感じ、まず正面の敵の顔面に「柄当て」し、続いて後の敵の「水月」を突き刺し、さらに正面の敵を真っ向から切り下ろして勝つ。
(動作)
1、右足より正面に向って前進し、左足を踏み出したときに刀
に両手をかける。右足を踏み込むと同時に鞘もろとも突き出
して「柄頭」を敵の両眼の間に激しく当てる。
2、直ちに後の敵に振り向きながら「鞘引き」をする。右足を軸
に左回りに回って「鞘放れ」と同時に左足を左に踏みかえ、後
の敵に向き直ると同時に右こぶしを右上腰に当てて刃を外側
にして刀を水平にする。間をおくことなく、右足を踏み込むと同
時に上体を崩さずに右肘をじゅうぶん伸ばして敵の「水月」を
「突き刺す」。
3、正面の敵に振り向き、刀を引き抜きながら右足を軸に左回
りに回って左足を左に踏みかえ、受け流しに振りかぶり、左
手を柄にかけると同時に正面の敵に向き直り、間をおくこと
なく右足を踏み込んで正面の敵を真っ向から切り下ろす。
4、そのままの姿勢で左手を柄からはなして左帯におくると同
時に「右に開いてての血振り」をする。
5、左手を左帯から鯉口におくり、そのままの姿勢で「納刀」
する。
6、後ろ足を前足にそろえ、右手を柄からはなして「帯刀姿
勢」となり、左足より退いて元の位置にもどる。
これが、八本目「顔面当て」です。
今回は前後に二人の敵を想定しています。
いち早く敵の殺気を感じとり(柄に手をかけるなどの動作)一足早く、敵の顔面(目間)に柄頭を腰から当てていきます。刀だけで当てようとしますと、腰が伸びきった状態で腕も伸びきり力も柄頭に入りません。身体全体で敵にぶつかっていくような気持ちで柄当てをすると効果が出ます。
次に大切な事は、顔面当てをした後に刀は、敵の目間に付けた状態のままで鞘だけを後に引き、右足を軸にして180度向き直りますが、この時大きく左足を踏みかえる時に上体をぶらさないことが肝心です。
右足の「前足底」を押し込むような気持ちで、踵を浮かして回るといいと思います。この時も頭を上下させずに回ります。
最後に正面の敵に振り向きますが、この時左手は刀を迎えに行くのではなく、正面の敵に向き直ったと同時に柄へ真直ぐ上に手をあげる気持ちで手をかける、ことが大切だと思います。
最後に、本日もいつもの言葉です、
『やはり反復練習あるのみです。いい汗は流した分だけ結果に反映されます。そして動作や所作また全体の姿や形に現れてきます。練習は嘘はつきません。』
今日は八本目「顔面当て」(がんめんあて)でした。
次回は、九本目「添えて突き」(そえてづき)です。
タグ :居合道 術技
Posted by 阿羅漢 at
18:42
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