2011年07月11日
武道独特の礼法(その壱)
「武道」は、『礼』に始まりそして『礼』に終わるといわれます。
今日は、武道の礼の仕方・方法につして記載してみたいと思います。
少林寺拳法は、立礼です。結手構えから、目の高さまで両手を持ってきて合わせ(合掌)、お互いが目礼をします。
管長先生は法話の中で「平伏は、征服者が、被征服者に対し礼をさせるときに行うもの。」と話され、「少林寺拳法の拳士は、お互いが同格であり、お互いが尊重しあえる間柄であるから、合掌礼を行う。」と明言しておられました。
さて、日本古来の武道の礼法はどうでしょうか。
礼法・作法は敬いの心を形で表すものでありますが、その動きには無駄がなく合理的で折り目正しく、且つ優雅であり、しかも安定感が備わっておりまして、相手を敬うのにふさわしい動きによって組み立てられています。そして、その動きは、常に上座(神)を意識して終始しております。
しかし、武道によっては、このように敬いの心の表現である礼法の中に、少なからず“敵対”動作がみうけられるものがあります。
身近には、居合道における座礼〈刀礼)です。正座(両手は左右の腿)の後に、刀を自分の前に横たえ、左手右手と順に下ろしていき頭を下げます。頭を上げた後、右手左手と元に戻していきます。
剣道ですと両手を一緒に床につけていき一緒に上げてますが、居合道は、着座した時から敵対する相手に対して、油断なく万が一のことを考えて、何時でも「抜刀」できる態勢を整えています結果が、右手を後に下ろし先に右手を上げてくるという所作になって現れてきています。
これは、相手を敬い遜恭(そんきょう)の念を示す礼の心と矛盾するものといえますが、しかし、礼を尽くす相手であろうとも、何時こちらに危害を加えてくるか分からないという、「武士」が常に死と直面している油断のならない時代にあっては、このような心構えが所作として表現され、現れてきても不自然ではない事であり、礼法の形としては否定できないものであると思われます。
もちろんその逆としまして、無抵抗を表現する礼法としまして、右の利き手を先につく座礼も有ります。先輩や上司に対して行われたとしても不思議ではないかと思います。
礼法や作法は時代や社会通念や社会現象の影響を受けて変遷してきております。
今日は、武道の礼の仕方・方法につして記載してみたいと思います。
少林寺拳法は、立礼です。結手構えから、目の高さまで両手を持ってきて合わせ(合掌)、お互いが目礼をします。
管長先生は法話の中で「平伏は、征服者が、被征服者に対し礼をさせるときに行うもの。」と話され、「少林寺拳法の拳士は、お互いが同格であり、お互いが尊重しあえる間柄であるから、合掌礼を行う。」と明言しておられました。
さて、日本古来の武道の礼法はどうでしょうか。
礼法・作法は敬いの心を形で表すものでありますが、その動きには無駄がなく合理的で折り目正しく、且つ優雅であり、しかも安定感が備わっておりまして、相手を敬うのにふさわしい動きによって組み立てられています。そして、その動きは、常に上座(神)を意識して終始しております。
しかし、武道によっては、このように敬いの心の表現である礼法の中に、少なからず“敵対”動作がみうけられるものがあります。
身近には、居合道における座礼〈刀礼)です。正座(両手は左右の腿)の後に、刀を自分の前に横たえ、左手右手と順に下ろしていき頭を下げます。頭を上げた後、右手左手と元に戻していきます。
剣道ですと両手を一緒に床につけていき一緒に上げてますが、居合道は、着座した時から敵対する相手に対して、油断なく万が一のことを考えて、何時でも「抜刀」できる態勢を整えています結果が、右手を後に下ろし先に右手を上げてくるという所作になって現れてきています。
これは、相手を敬い遜恭(そんきょう)の念を示す礼の心と矛盾するものといえますが、しかし、礼を尽くす相手であろうとも、何時こちらに危害を加えてくるか分からないという、「武士」が常に死と直面している油断のならない時代にあっては、このような心構えが所作として表現され、現れてきても不自然ではない事であり、礼法の形としては否定できないものであると思われます。
もちろんその逆としまして、無抵抗を表現する礼法としまして、右の利き手を先につく座礼も有ります。先輩や上司に対して行われたとしても不思議ではないかと思います。
礼法や作法は時代や社会通念や社会現象の影響を受けて変遷してきております。
Posted by 阿羅漢 at 19:51│Comments(0)