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プロフィール
阿羅漢
とにかく日本武道(杖道,居合道,護身術)が好きで、毎日稽古で汗を流しています。
タイ国はイサ-ン地方の田舎町に念願の、武道と日本の文化及び伝統や歴史を知ってもらうための発信基地「少林夢想会」を設立し、日々武道の稽古に勤しんでいます。
自前の道場ですので、稽古はいつでもできます。是非一緒に武道の稽古を遣りましょう。初心者も大歓迎です。心から、お待ちしています。

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Posted by namjai at

2011年05月29日

朝鮮コムドとは何ぞや

 「敵を知り ‥ 。」という言葉が古来より伝承されています。
 私も朝鮮に「挑戦」するには、百回戦いを挑み99回は例えば一敗地にまみれたにしても(「漢」建国の劉邦は項羽に挑み、99回破れ連合、離反を繰り返しながら、終に最後の一戦にて勝利を勝取り、長い栄誉も手に入れました。)、この歴史史実ではないですが、戦で敗戦は考えずに「勝利」を手にしたいと思っています。

 さて、「朝鮮コムド」とは何の事でしょう。この事を少し調査してみたいと思います。

 (ウキペディア;フリ-百科事典)から引用

 コムド
 コムド(劍道、geomdo、kumdo)は、主に韓国で行われているスポーツ漢字表記は日本の剣道であり、それを朝鮮語で発音したものがコムドである。

 日本統治時代に日本の剣道が朝鮮に導入された。大韓民国において、現在盛んに行われているが、礼法や防具等は剣道を一部改変している。

 歴史
 明代末期の兵学者である茅元儀が1620年代に著した『武備志』には、倭刀を両手で使う「戚継光演の倭寇刀法」(日本の陰流剣術から考案)と両刃の長剣を両手で使う「朝鮮勢法」なるものが記載されている。

 このうち、朝鮮勢法については、茅元儀の友人が朝鮮で学んだ長剣術であると記されているものであるが、当時の李氏朝鮮の朝廷は、この「朝鮮勢法」を認めず、「茅元儀が創作したもの」とした。この記述の正否を証明する文献等は、他に確認できておらず、失伝したとされる唐代の中国式長剣術であるとの説もある。

 そもそも李氏朝鮮では武官の立場が低く、朝鮮の貴族である両班の中でも、武班は常に文班の下位に置かれた。これは元々宗主国であった中国の古代において、文官は武官より上位に位置するものとする官位性をそのまま取り入れたという面と、朝鮮半島で思想上支配的な立場にある儒教の、肉体労働は頭脳労働の下位とする傾向の影響もあった。当然武術は軽視され、新羅以来の伝統である弓技以外は盛んではなかった。

 朝鮮半島で最も多用された剣は現在の日本刀のような片刃ではなく両刃であり、朝鮮半島では長らく両刃剣が使用されていた。 中世より近代で、朝鮮半島には著名な刀工・研師の名前も残されていない。決定的なのは、中国・韓国の製鉄法は鉄鉱石によるもので、朝鮮半島では日本の踏鞴製鉄のように砂鉄を原料とし直接還元法をした形跡すら見いだせない。

 その後、明治以降の、日本統治下で、日本の防具・竹刀・道着・袴を使用し、両手で刀を使う形式の「剣道」が韓国に伝わり定着していった。 剣道の技には面、胴、小手があるが、どれも片刃の日本刀の所作である。(両刃剣術と片刃剣術では自然に所作が変わるはずである。)

 現代においては、韓国剣道の統括団体である大韓剣道会が剣道(けんどう)の歴史の基礎として李朝の武人やその風習が形を残していると主張し、『武備志』記載の朝鮮勢法を「本国剣法」であるとして、昇段審査の際には日本剣道形と本国剣法の両方を審査するという独自の昇段基準を実施している。

 コムドと剣道
 コムドを「韓国の伝統剣法」とし、剣道の起源だと発言するコムド団体は多い。しかし、「コムドが剣道の元になったという史実としての根拠はなく、韓国最大の剣道団体である大韓剣道会もコムドは剣道が元だとしている。

 これについては全日本剣道連盟及び、全日本剣道連盟配下の国際剣道連盟のWebページで剽窃問題として取り上げられ、コムド団体の主張は歴史的に間違いであり、剣道の起源は日本にあると改めて発表された。

 団体
 韓国国内で約200団体以上存在するが、団体間の交流はあまり活発ではなく閉鎖的である。そして大韓剣道会側では他の剣道団体を偽者と呼んでいる(大韓剣道会だけ大韓体育会に加盟している為)。ここでは主に、彼らが主張する起源と設立の過程で分類している。コムド団体は現在大きく3つに分類出来る。なお団体名に「剣道」が多用されているが、それらの団体の多くは国際剣道連盟や日本剣道連盟の主張を認めていない>。
 1.新羅・百済コムド系

 2.海東コムド系

 3.テコンドー・コムド系

 このように記載されています。他の辞書や参考書類は後日また閲覧するということにしまして、上記の記載事項ですが、皆さん如何ですか。朝鮮の言い分そしてこの「朝鮮コムド」とは何なんでしょう。

 全日本剣道連盟が“コムド団体の主張は歴史的に間違いであり、剣道の起源は日本にある”、と発表しているにもかかわらず、朝鮮の団体は、“団体の多くは国際剣道連盟や日本剣道連盟の主張を認めていない。”という事です。

 平行線ですね。サ-如何したらよろしいでしょうか。皆さんの中で「こんな事は如何。」、とか「こうしてみませんか。」等々、いい考え方をお持ちの方、がいらっしゃいましたら是非ご提案ご指導ください。

 朝鮮の事をこれからも、徹底的に調査してみます。皆さんのご協力を切に望みます。よろしくお願いします。  
タグ :朝鮮


Posted by 阿羅漢 at 23:39Comments(0)

2011年05月29日

タイ国での武道伝播

 タイ国に定住して丸3年と5ヶ月が過ぎ何としています。何時も心に描いていますのは、一日も早く「日本武道」をタイ国において伝播していきたいと思っていることです。

 日本で起てた“志”を何時も胸に、そして、反復していますが、こと志と相容れないことばかりで苦悩の毎日です。

 でも、半面こうも考えています。「お前は杖も、居合も全剣連の未だ三段だろう。四段を取るまで待て。」、そして、「お前は、タイ語はどうなの話せ無いだろう。術技の詳細説明は如何するの。」等の未熟な部分があるために、タイの世界で通用がしないのである、と自分に言い気かせています。

 練習場を持ちまして、今迄に10人近くは練習に来ていますが、長くて2日で終了です。私からすれば日本武道の魅力は決して、他国の武には臆していませんし、伝統と技術性など他国と比しても、術技の優位性はあると確信をしています。
 
 要は、私の個人的な問題が解消されなければ、一歩前進というまでにはいかないのかなと最近は感じています。しかし、私の流儀としましては、『慌てず、騒がず、ゆったりと、流れに身を任せて。」です。
 慌てて事を仕損じるのであれば、計画を充分に練りに練って、これでもかと何度も吟味し工夫し鍛錬し(あれ、?)、一段一歩着実にタイの世界に入り込むことが出来得るのであれば、それで私が考えた“志”は充分に達成できたものと思っています。

 日々の訓練で身体と気を鍛え、座禅修行で“心”精神力を整え、健康な心と身体を持ってすれば、天寿はまっとう出来るのではないかと確信をしています。
   
タグ :武道伝播


Posted by 阿羅漢 at 01:17Comments(0)

2011年05月28日

武道と「国粋主義」

 武道を修行しています私は、「国粋主義」者の範疇に包含されるのでしょうか。
 
 いや寧ろ「国粋主義」としての自己を固め、鍛えながら昇華していった方が、武道を修行するためにはなってくるかと思いますし、日本で志ました、「武道を介しての日本国とタイ国の架け橋」の大望実現になるかと思います。

 では、「国粋主義」の意味を簡単に記載します。

 ある辞書には
自国(日本)の伝統や文化を他の国よりも優れたものと信じ、それだけを守り広めようとする主義。 』

 と説明されています。また、

 ウィキペディア(フリー百科事典)では。
『近代日本の民間運動としては明治時代の半ばに鹿鳴館外交に象徴される欧化政策に対峙するものとして登場した。政教社と民友社に代表される。政教社の三宅雪嶺・志賀重昂らは、「国粋保存主義」を掲げ、日本の伝統文化の優秀性を論じ、欧化一辺倒の社会風潮に反して、自文化を西欧文化と同等に相対化して見直そうとした。民友社の徳富蘇峰らは、平民主義の立場から、貴族的な欧化主義に反発し、日本文化に根ざした平民のレベルでの欧化を目指した。これらの運動の中で「西洋」に対する「東洋」という語が一般化した。

 欧化政策の代表例として、西欧貴族文化を日本文化として取り入れようとした鹿鳴館時代がある。当時は、日本語をローマ字化するという極端な主張もあった。明治期に起こった国粋主義は、このような風潮に反発し、日本の文化を西欧文化と対等に比較できるものとして捉えようと試みた。従って、その主導者たちは西欧文化に対する理解も相当に持っており、排外的な意味での自文化至上主義を唱えたわけではない。

 国粋主義の原義に於いては、全体主義・ファシズム・人種差別・民族差別・排外主義など、いわば右翼的国体論とは路線が異なるが、日露戦争以後、対外膨張政策の精神的支柱だった皇国史観の高まりにより、西洋文化との相対化といった価値観は、他文化に対する優越性という価値観に変異し、自文化至上主義が形成されるようになった。政府の対外膨張の国策と連動して、国粋主義は他文化排外主義、民族主義、全体主義への傾向を徐々に強くしてゆき、ついにはファシズムを許容する風潮も現れるようになる。』

 と有りますように(長文で意味が難しいようですが。)自国の伝統文化をこよなく愛し、この気持ちを持って、自己が習得(中「道半ば」も含む)した良い事象(技術や作法等々)を他国において私は自信を持って広めていこうと思っています。
 それには常の自己研鑽が第一に必要で有ります。日々の自己鍛錬(「技術」と共に「理合」も)なくして、他の人と共に技や術を修行する事は甚だ、僭越至極であると私は認識をしています。
 
 そのために、今回のような「朝鮮」の「日本武道」に対する“野望”は挑戦と受け止め、徹底抗戦(戦う事)を宣言した訳であります。

 不埒な朝鮮の日本武道に対しての“挑戦”は、断固戦うべきであると私は思っています。

 将来の「日本」の武道人のためにも、今の人達が遣らずに誰が遣りますか、誰が出来ますか。

 今出来ることを今の人達が行う。 
 朝鮮打倒のための知恵の結束と団結の行動力を!!!

 大学時代に『心友』がこんな事を言ったことを覚えています。

 “池の中に石を投げ込む、すると、波紋が池全体に広がっていく。その、一投一個の石に俺はなるんだ。”
 と言っていました。彼は、市議会議員を5期務め今、正に、6期目に挑戦中です。(5月29日が投票日です。)

 私も彼のこの言葉を胸に、「朝鮮の挑戦」を打倒すべく一投の石になっていきたいと思っています。  
タグ :国粋主義


Posted by 阿羅漢 at 01:42Comments(0)

2011年05月27日

心ある日本人の方々へ!!! 是非見てください。

 私が、先日の23日(月)に、たまたま朝鮮のことを勉強中に見つけました

       「ジャパン・エキスポ2011

  の記事、そして直に投稿しました。

  題名は、「エ ! 何ですかそれって!!!」です。

 そして今、朝鮮のことで検索をしていましたところ、偶然見つけました。

 「ジャパン・エキスポ2011での偽サムライと偽剣道: ある文化略奪について
 
 この題名を Google に入力しますと放映されます。

 冒頭の絵画が何とも素晴らしい、  風神  雷神 次に   の文字が ‥ ‥

 前説はこのぐらいにしまして、是非是非ご覧ください。大変にためになります。  
タグ :朝鮮


Posted by 阿羅漢 at 00:08Comments(0)

2011年05月26日

剣道着の着用方法(その壱)

 剣道着の着用方法ですが、先日もインターネットをみていまして、その中の「剣道着・袴着用の仕方」と銘打って解説者が着用していましたが、その順序に疑問を感じました時が有りましたので、私が行っています剣道着の着用方法を記載しておきたいと思います。

 その壱「剣道着は左手から先に袖を通すこと。

 理由 これは昔の、大鎧(おおよろい)の着装順序の作法に則ったものと思われます。古の武将達は馬に乗り、左手にて手綱を操り、右手には太刀を持って獅子奮迅の戦いを行っていました。
 
 この状態で、最初に矢などの攻撃を受けるのは「射向」(いむけ)といいまして身体の中で敵に対し、前面に出ていますのが「左半身」です。自己の危険を未然に防止するためには、左半身の防備を早く堅固なものとしなければなりませんでした。

 そのために、「鎧」の構造自体も左右対称ではなく、左半身を特に重要視しこの部分に「鳩尾板」(きゅびのいた)といって、飛んできます矢を防ぐための部品が取り付けられています。
 また、左手のために鉄片を鎖で繋いだ肩まである籠手も有ります。

 このように射向側の防備は大変重要なものが有りました。

 従って、左半身の防御をいち早くするということから、鎧の下に着ます小袖の袖を通すのも、大口袴(おおくちはかま)といいまして膝まである位の袴を着装しますのも、足袋や脛当(すねあて)などもすべてまずは、左手、左足から、ということになります。
 何時攻撃を受けてもいいように、防御体勢が整っていますようにしていました。
 
 こうして、鎧を着ける時も油断しないという心構えを示し、それが着用順序の作法になったのです。

 正式な着用の作法が定められましたのは室町時代からのようですが、これも自己の身を守るという「護身」からきた作法ではないでしょうか。

 着装順序は、左か右の二者択一しかないのですが、戦に臨んで心を引き締め、油断無く鎧を着けていった武士達の心を私達も見習って、剣道着は左手から手早く着装したいものです。
 
 着装に当たっての作法の気全や歴史を知ってこれを守っていくならば、その時から既に武道の練習は始まっていることになります。

 本日は「剣道着の着用方法(その壱)」でした。  
タグ :剣道着


Posted by 阿羅漢 at 17:51Comments(0)

2011年05月23日

エ ! 何ですかそれって!!!

 今、「韓国剣道起源説」の項目を検索していましたら、
 「第12回 ジャパンエキスポ (JAPAN EXPO 2011) 2011年6月30日~7月3日」
 
 の標題が目に入りました、その下を見ますと例の(http:// ‥ )が有り、開くとポスターかと思われますが、左上に“SUPPORT JAPAN WITH US!”と有り、右上には“GANBARE JAPAN”と書かれています。全体が漫画調です。
 
 そのすぐ下に

    JAPAN EXPO そのすぐ上に片仮名で(ジャパンエキスポ)と記載有り。

 その下に
 Haidong Gumdo(赤い字)
 
 その下に(英語の説明)
 For the first time at Japan Expo, come and discover Haidong Gumdo, the Korean traditional sword martial art, with the Haidong Gumdo French Association, on their booth and with demonstrations and initiations! 
 
 と、ご丁寧に写真が大きいのが6枚。

 何ですかこれは。何で!「ジャパンエキスポ」に日本の武道の紹介をしないで、「韓」の偽ものを登場させるのでしょう。
 例の飛んだり跳ねたりの韓の踊り演舞を大衆に見せて、自国の似非「居合」と称しているものを、世界に認めさせようとしているのが、見え見えである。

〔資料が有りました。この踊りは、朝鮮の剣道(?)「ハイドン・グムド」(海東剣道?)というそうな。〕

 この大切な時に、この事実を在フランス日本国大使館そして、全日本剣道連盟はご存知なのでしょうか。

 いやそれでも何の価値も無いから遣らせようとしているのでしょうか。
 甘いです。韓は、全てにそうですが、一つ一つ事実を作り上げいつの間にか、似非を“本物”としてしまう手段、遣り口です。

 このまま見過ごしてしまっていいのでしょうか。
 
 その他の催し物としては、
 ・空手
 ・少林寺拳法
 ・合気道
 ・Ken Ryu: Kendô, Iaidô, Chanbara(最初のKen Ryuが分かりませんが。)後は、剣道,居合道,チャンバラ

 何故ここに韓の踊りが登場しなければいけないのか。太刀(? と呼べるかどうか。)を持った、踊りです。

 これが世界中に認めらえて(似非)「居合みち」です、などといったことが公認さえた暁には、日本の伝統ある居合道はどうなるのでしょう。

 着々と韓は自国の(似非)文化(日本から搾取改名)を歴史に刻み込もうとして、必死になっています。

 何時までこの暴走行為を許しておくのでしょうか。

 全剣連は「どうせたいしたことは出来ないだろうから。」と高をくくっていますと、既成事実が罷り通る世の中です。いつの間にか(似非)剣道、(似非)居合みち、が公認され世界に、日本に取って代わって韓の(似非)武道全般が罷り通る事になりますがどうでしょうか。
 
     


Posted by 阿羅漢 at 18:45Comments(0)

2011年05月23日

「武道」修行は何のため?

 今日は武道を修行している方に質問をします。

 貴方は何のために武道を修行していますか。

 質問にお答えください。 簡単で結構です。匿名でいいです。
 
  ・強くなりたいため。
 
  ・親に勧められて。

  ・健康維持のため。

  ・健康増進のため。

 また、ご自分が現在武道を練習していない方も、こんなことが出来るなら武道を修行してみたい、ということが有りましたらお答えください。

 是非拝見していと思います。お待ちしています。  


Posted by 阿羅漢 at 01:02Comments(0)

2011年05月21日

剣道とは

 剣道を実際ご自分が練習(今現在又は過去に)なさっている方ならば「剣道」とは、どんなものであるかお解かりになるかと思いますが、私のブログを読んでくれていらっしゃる方の中に、知らない方が居ては申し訳有りませんので、「剣道」について何回かに分けてご説明をしていきたいと思います。

 (ウィキペディアから文献を導入)
・名称
 「剣道」という呼称は、柔術に対する講道館の柔道を参考に、1895年(明治28年)に武術奨励のため設立された大日本武徳会が、江戸時代以来の剣術を学校の体育に採用できるよう稽古法を改め、大和魂など精神の修行をするため[1]、名称を1919年(大正8年)頃に剣道としたと記録に残っており、明治末から大正初期頃に成立したものといわれる。ただし、1667年(寛文7年)の安倍立伝書に「剣術は日用の術なので剣道という号にする」という記述があるほか、山岡鉄舟や勝海舟の著書に「剣道」という表現があるなど、江戸時代や明治初期にも使用例はある。昭和初期までの文献における「剣道」という語は、今日でいう「剣術」を意味していることが多い。
 
・関連団体
 国内は2団体、世界には1団体である。
 【国内】
  全日本剣道連盟
  〔国内最大の剣道団体。日本体育協会、日本オリンピック委員会、国際剣道連
   盟に加盟している。〕
  日本剣道協会
  〔竹刀による打突だけではなく、体当たり、足払い、組み討ちも認めている。〕
 【世界】
  国際剣道連盟 (International Kendo Federation  FIK)
  〔1970年に設立。以来、3年ごとに世界剣道選手権大会を開催している。44ヶ
   国の剣道団体が加盟している(2003年7月現在)。IOC公認団体GAISFに加
   盟。IOC承認国際競技団体になることを目指している。
    全日本剣道連盟はJOC、国際剣道連盟はIOC傘下のGAISFに加盟をして
   いるが、剣道のオリンピック加盟には一貫して反対の立場を取っている。〕

・試合形式(全日本剣道連盟)
 剣道の試合は常に1対1で戦う。これは団体戦の場合も同じである。選手は試合場に入り二歩進んでお互いに礼をし、三歩進んで蹲踞したあと審判の「始め!」の声がかかってから立ち上がって勝敗が決するか規定の試合時間が経つまでお互いに技を出し合う。原則として三本勝負であるが、一本勝負も認められている。

試合場
 板張りの床に境界を含め1辺9mないし11mの正方形ないし長方形の試合場を作り、そこで試合をする。境界は普通、白のラインテープを貼って分ける。また、試合開始時の立ち居地は試合場中心付近に白のラインテープで示される。
試合時間
 試合時間は5分、延長戦の場合には3分が基準である。しかし、運営上の理由などからこれ以外の試合時間を採用することも認められており、公式大会の決勝戦では、2007年より試合時間が10分へ変更された。

 全ての技は、竹刀で防具の決められた箇所を打つものである。

 ・小手を打つ技: 小手打ち、引き小手打ち
 ・面を打つ技: 面打ち、引き面打ち、小手面打ち
 ・面の喉当てを突く技: 突き(小中学生は原則禁止。高校生以上でも、この技を
  禁止とすることもある)
 ・胴の胸当てを突く技: 胸突き(以前は相手が上段の構えを取っている時のみ
  一本になった。後、相手が二刀流の場合のみ認められていた。現在は認めら
  れない。)
 ・胴の右側を打つ技: 胴打ち、引き胴打ち 抜き胴
 ・胴の左側を打つ技: 逆胴打ち
  これに、技を出す直前までの流れから「相(あい)〜」「抜き〜」「返し〜」
 「払い〜」「すり上げ〜」「引き〜」などの接頭辞が付く場合もある。

・一本
 一本とは全日本剣道連盟によれば、

 充実した気勢、適正な姿勢を持って、竹刀の打突部(弦の反対側の物打ちを中心とした刃部)で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるもの

 である。審判はこれに該当しているかどうかを判断して旗を挙げる。

・反則
 相手に足を掛けまたは払う。(他に11項目有り。「省略します。」)

・審判員
 3人の審判員(1人の主審、2人の副審からなる)が紅白の旗を持ち、旗を挙げることで有効打突の意思表示とする。2人以上が有効打突の表示をした場合、もしくは1人の審判員が有効打突を表示し2人が判定の棄権を表示した場合、一本となる。

 また、主審は次のどれかの場合、「止め」の宣告と同時に紅白両方の旗を平行に揚げ、試合を中断させることができる。
 反則の事実。(他に6項目有り。「省略します。」)

・勝敗
 勝敗は、試合時間のうちに三本勝負の場合二本、一本勝負の場合一本先取した選手を勝ちとする。また三本勝負において一方が一本を取り、そのままで試合時間が終了した場合にはその選手を勝ちとする。試合時間内に勝敗が決しない場合には、延長戦を行い先に一本取った選手を勝ちとする。延長の代わりに判定あるいは抽選によって勝敗を決する場合、あるいは引き分けとする場合もある。判定および抽選の場合には勝者に一本が与えられる。団体戦における代表戦も原則1本勝負である。

・選手の服装
 剣道着、袴を着用する。基本的に裸足であるが、選手によっては足袋を着用する者もいる。試合や稽古を行う際は、原則的に防具として垂、胴、面、小手の剣道具を着用する。その他、なぎなたとの異種試合の際は、すね当ての着用も必要となる。面を着用する際には、頭に手拭い(面手拭い、面タオル)を巻き付ける。垂には通常、名前や所属する道場名などの記されたゼッケンを付ける。足袋は試合のときも許可を得れば使用可能であることが一般的である。また、試合時には識別用として背中(胴紐の交差部)に紅白それぞれの目印(たすき)を付ける(全長70cm幅5cm)。近年では垂に目印をつける大会もある。

・段級位制・称号
 剣道の段級位制には、六級 - 一級までの級、初段、弐段、参段、四段、五段、六段、七段、八段までの段位がある。

 段位は「剣道の技術的力量(精神的要素を含む)」、称号は「これに加え指導力や、識見などを備えた剣道人としての完成度」を示すものとして、審査(選考会)を経て授与される。

 級位・段位審査会の主催団体規模は段級位によって異なる。六級から一級までは市町村単位の支部剣道連盟が主催して審査をする。初段から五段までは、都道府県の剣道連盟が主催し審査をする。多くの場合、初段から三段までは、その都道府県を幾つかの地区に分けて、その都道府県の下部組織である、各支部で合同して審査をする形が多い(四段・五段は1か所で審査)。また、三段審査や四段審査に関しては、高等学校剣道専門部や大学連盟で、一般の審査会と独立して行われることがある。六段以降は全日本剣道連盟が一括に主催して行う。六段以降になると、段位合格者名が大手剣道専門雑誌の『剣道日本』や『剣道時代』に掲載される。年間の審査会開催回数は段位ごとに異なるが、六段が8回程度、七段が6回程度、八段が4回程度である。また、審査会は東京をはじめ、京都など全国の主要都市などで行われる。

 また、二級以上の受審には、年齢制限及び各種条件がある。

 一級と二級は小学6年生以上が受審資格を有する。
 初段の受審は満13歳以上である必要があり、さらに支部によっては「中学生は一級受有後6ヶ月以上経過」「一級受有後3か月以上経過」など追加の条件が設けられている。
 六級 - 一級までは、ほとんどが段位の受審資格がない小学生が取得している。中学生以上対象の昇級審査会に受審し、合格するとその時点で一級が授与される。

 称号 
 上記に記した段位・級位のほか、錬士、教士、範士の3つの称号がある。六段〜八段の高段位者のみ受審資格があり、いずれも加盟団体会長の推薦が必要である。

 称号を取得した後は、例えば「錬士六段」、「範士八段」のように、段位の前に称号を名乗ることになっている。

 (以上が、ウィキペディアから導入文献です。)

 最後に、財団法人全日本剣道連盟が、「韓」の剣道捏造物議に対する
 「正式声明」
 『剣道に関する全剣連の見解』 の中から

 剣道とは の説明が有りますので、掲載しておきます。
 「剣道」とは、日本の武士が剣(日本刀)を使った戦いを通じ、剣の理法を自得するために歩む道を指し、剣道を学ぶということは、この剣の理法を学ぶことを意味します。敢えて言えば、剣の理法の奥にある武士の精神を学ぶことが重要で、剣の操法を厳しい稽古を通じて学ぶことは、その為の一つの手段と見られています。これが剣道の目的が「人間形成の道」と言われている理由です。

 「剣道」についての説明導入が少々長くなりましたが、「剣道」を理解するには並大抵の事ではできないと思います。生半可な知識では、中途半端になってしまいます。根性を入れて確りした気持ちを胆力に込めてがんばっていきたいと思います。
 
 全てにいえることですが、「基礎」が大切ですので、基本,幹を確り押さえていきたいと考えています。これからも勉強していきます。よろしくお願いします。
  
タグ :剣道


Posted by 阿羅漢 at 22:24Comments(0)

2011年05月20日

これでいいのか「日本人」!!!

 目の前にある物全てが欲しくなり、之もあれも自分の物、とまるで駄々っ子が物を欲している時の様な感じがしてなりません。

 しかし之が怖いのです。自分の物にしたのはいいですが、実は之は元々は私の物であって、貴方が私の家に来て黙って持っていったのでしょう。

 はたまた、この物は昔私の家で貴方の祖先に教えたものですから、今後は、私のものとして使用させていただきます。

 こんな勝手な理屈が平然と叫ばれ、横行していますのが隣国「韓」です。日本に対し完全なる敵対行為です。
 
 私は一度だけ「韓」に行った事がありあます。ですからあえてこんな事も言えます。
 「韓」は世界で一番近くて遠い国です。

 20年以上前です。旅行会社を通じての2泊3日の職員旅行です。空港について出迎えの車に乗り込みました。戦前に日本に居たという60代後半の女性が案内人でした。
 最初に驚いたのはこの人の言葉に、日本(日本人)に対する怒りがチクチクと見え隠れする事です。それが3日間会っている時に随所に感じられました。

 丁度ソウル市内に着いた時が正午でした。サイレンの音と共に人間が地上からドンドン姿を消していきます。近くの建物に入ったり、地下鉄の構内階段に隠れたりしています。(平然として外に居る人も居ましたが)
 案内人の話では「緊急時の非難訓練」との事です。

 常時非常事態に似た空気が「韓」には流れているのを間じかに感じた瞬間でした。
 何年か前もそうですが、地下鉄の工事中に横穴が発見さえ、それが、北から掘られた穴と判明したとの情報も有ります。
 とにかく行って現地を見ますと分かりますが、(今は「韓」も変わったかどうか分かりませんが)、何処の国へ行っても(テレビですが)ある程度は“英語表記”、例えば「SONY」や「PANASONIC」等の看板が掲げられているかと思いますが、「韓」は当時ハングル文字表記しか見当たりませんでした。
 
 とにかく旅行全般で感じた事は、「一番近くて遠い国」の印象です。

 その事よりも、今、「韓」が行っている行動や煽動を日本人の皆さんは見過ごして、黙って看過してていいのか問いたいのです。

 自分には直接関係ないわではなく、今、日本文化を「韓」がジワリジワリと侵食し、自己の物として同化しようとしているところです。

 軒下を貸して母屋を取られる、この方式です。

 「韓」お得意の戦術を展開しています。

 之でいいのですか。日本人の皆さん!!!
 
 自分の生活には何の関係ないから黙って「韓」のする事を黙認していますか。そうしていますと何年か後には、日本国は地上から自然消滅し、残されたのは「韓」の属国「倭国」だけとなります。それでいいのですか。

 それを未然に阻止し、子や孫のために悔いの残らない事をしてあげられますのは、出来るのは今の人達、時は正に今、貴方しか居ません。

 私は武道の修行を志、日々武道の「道を求めて」練習に励んで居ます。しかし、その基本となっていますのは、日本人としての“”の有り様であり、日本の“”そのものを捜し求めています。

 それが武道であると信じています。その“”が今正に侵されています。「韓」によって。

 日本人の皆さん目を見開いて現実を直視してみようでは有りませんか。

 これでいいのか「日本人」!!!  


Posted by 阿羅漢 at 15:21Comments(1)

2011年05月20日

「剣道韓国起源説」に徹底抗戦

 「剣道韓国起源説」に徹底抗戦します。
 今晩は第2弾目の投稿をします。

 下段の記事は他の方が書いたものを引用させていただきましたが、大変参考となる記事ですので掲載させていただきました。

 (ウリナラ起源説)
 ・概要
 ウリナラとは朝鮮語で「我が国」という意味であり、つまり直訳すれば「我が国起源」となる。
 朝鮮人は、他国の文化や発明品に対し「我が国が起源だ」「我が国の発明だ」「朝鮮人が考えた」など根拠の無い主張をし、自国起源を捏造する。
 説自体が間違っているが、のみならず、このような異常な主張をすること自体が軽蔑の対象となっており、このウリナラ起源説という語も、一種の軽蔑の語である。

 ・特徴
 朝鮮には誇るべき文化や歴史がない。長く、支那の奴隷として生きてきた半島には、文化が芽生えなかったからである。
 このため朝鮮では常に「誇るべきもの」を求めており、目にした良いものを自国起源であると捏造する。これは朝鮮人の特徴的な行動である。
 特に、日本に対する優位性を常に求めており、日本を劣等として理論が展開されることが多い。南鮮の歴史教科書では「未開の地だった日本の原始人に、半島の先進的文化を与えた」といった、事実とは異なる記述が満載されている

 ・主なウリナラ起源
 日本の良さそうな文化は全てウリナラ起源であるとする。半島に相当の文化が残っていない理由は、朝鮮併合時代に日帝に抹消されたから、とする。
 また他国でも、彼らの気に入ったものはウリナラ起源とされる。
 
 日本文化
 食品以外日本文化(食品以外)で、ウリナラ起源認定されたものに、次のようなものがある。
 ・居合道 
  居合道は、高麗の時代の剣術が日本に伝わったもの、とする。
 ・空手道
  空手は、テコンドーの起源となった朝鮮の武芸「テッキョン」(택견)が起源だとする。
 ・剣道
  日本の剣道は、朝鮮の「コムド」(검도、剣道)が起源だとする。
 ・
  日本の侍は、朝鮮の「サウラビ」(싸울아비=戦う男)が起源だとする。
 ・日本刀
  日本刀は、「韓国刀」を盗み出したもの、とする。
 
 その他各種のものが有りますが、とりあえずは武道関連のものだけを、記載させていただきました。
 
 どうか参考にお読みください。
 



   


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2011年05月20日

日本武道人よ熱くなれ!!!

 先日(5月9日)に「剣道韓国起源説」を投稿しました。
 そして昨晩も、この関連します記事を読んで、また、画像関係を見ていましたら、何と韓国の剣道関係者か居合をしている人か分かりませんが、太刀を大衆の前で振り回していました。

 一言で言いますと全く『大道芸人』です。居合道を知らない一般人が見ると、特に、西洋人は感化され易いと思います。

 竹、巻き藁、挙句は、6メートルくらいの紐を両側で持ち、その紐に1メーター四方の紙を吊るし、それを太刀で横、袈裟、はたまた、短冊状に切込みがあるものを、ご丁寧に横殴りに切り細裂いていました。

 遣っている人たちのの服装は、(インターネットの記事によりますと「日本の袴と剣道着は着用禁止」との事)だぶだぶのズボンに剣道着を改良したのでしょう。昔の朝鮮服のような物を着ていました。
 腰には長い黒帯(?)のような物を巻き、そこに太刀の鞘を差し込んでいました。

 日本の歌舞伎役者のような大袈裟な立ち振る舞いや、変に気取ったカッコをつけた大道芸(日本でいいます「抜刀」)の他にやっていましたのは、二人又は三人掛けで映画さながらの、チャンチャンばらばらと太刀を抜きあっての演劇をやっていました。

 また女性が太刀を振り回しながら踊って(?)いました。まるで、中国映画の太刀を振り回しながらの、それこそ「演舞」、踊りを踊っていました。

 私が見ましたのは韓国で行われています剣道、居合(?)のほんの一部の事であるかと思います、しかし、この一部を見た限りですが、韓国で行われていますものは、日本の「武道」ではありません。
 そこには「心」や「武道」に対する理合、また、「武道」への求道精神が見えてきません。

 ただ単なる、太刀を振り回している踊りであり、太刀を使っての“物体”に切り込み、切り付けでしかありません。見た目は華やかに見えますから、日本の武道を知らない人たちはコロットと騙される事でしょう。
 私自身例えばまるっきり武道を知らない素人人間であれば、イヤーかっこいい是非習って見たいと感じるかもしれません。しかし、残念ながら武道に永年親しんでいます「武道漬け」人間です。

 今何度か読んでいます本「中山博道 剣道口述集」の中にこの様なことが書いてありましたので、参考に抜粋しまして掲載しておきたいと思います。
 
 〔居合完成の試し切り
 試し切りというのは長い歳月を重ねて居合の術を修業して後、一定の允許の地位を受けてから、これを居合の形で切ることを実際に当てはめさせてものを指して称したものであった。即ち,居合が主体で、従としてこの応用が試し切りとなったと解釈されたい。しかし今日では只、物を切るだけに留まって、刀法の形並びに術法の存在など全然無視された結果、単純のものと思われるようになってしまった。(中抜き)
 居合道に於いての試し切りは、最高の段階であることを充分承知いただきたい。 (後段略)


 この著者「中山博道先生」ご存知の方もいるかとは思いますが、武道の略歴を参考に記載しておきます。
 明治,大正、昭和の三代にわたってわ我が国剣道界で活躍し、大きな貢献を果たしています。
 そして最後の武芸者と呼ばれております。自らに厳格な修業を課し、杖道,剣道,居合道の三道において範士となられました。
 私が習っています居合道の古流と呼ばれています「夢想神伝流」を編成し多くの人たちに広めた方でも有ります。

 参考に記載しましたように、ただ単純に大衆の面前で「物」を太刀をもって、切ればよいというものではありません。居合道修業の最終段階の結果を見極める手段としての「試し切り」であらねばなりません。

 韓国の見世物は、ただ単に物を切って見せている「大道芸人」、「見世物」でした。
 この様なものが、「居合」です。これが「居合道」ですと宣伝され、世界中に広まって行ってしまわない内に、“心ある武道人”日本人の“大和こころ)”があるのであれば、今の内に大同団結し解決策を考え徹底的な対抗をしていこうではありませんか。
 
 永い間他国によって虐げられてきた悲哀が満ち満ちている国と国民は、自らが創った文化も持たず、また、”道のために”自らが苦心し、身を削りながらの修行の結果として考案された、一流一派も持たない国民は、日本の国の“文化や事象等々”を横取りし、あたかもそれらが自国から発生したかのような観念に囚われている。何時でもそんな無分別な事しか頭の中は考えていない。
 欺瞞と詐称と自己宣伝によって、あたかも自国で発生したかのような作り事を並べ立てる。
 何たる汚さ。

   何時までも韓国の成すがままでいいのか。

   いまぞ 「日本武道人よ熱くなれ!!!」  
タグ :立て武道人


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2011年05月17日

タイ武術

 今日はお願いがありまして記事を投稿します。

 実は、タイに住んで居ますので、以前から是非「タイ武術」を習ってみたい考えていました。
 今日は思い切って情報のご提供をいただきたく記事を書いています。

 パソコンで調べてみますと、「タイ武術」は、
  ●フォン・ダンプ(剣の武術)
  ●フォンマイコン(木の棒を使用)
  ●フォンジューン(舞踊的な体操・武術) 
  ●クラビ・クラボーン(二刀流) 

 といくつかの武術がでてきます。私はこの中で、フォン・ダンプ,フォンジューン,クラビ・クラボーンを習ってみたいと思っていますが、このブログをお読みいただいていらっしゃいます方の中で、この武術はここで遣っているよ、という情報がございましたら、お寄せいただきたいと思います。
 
 日本の伝統的な武術(道)を練習中ですが、タイの古から続いています武術にも興味があります。是非自分の体で触れて実体験し、練習をしてみたいと考えています。

 北タイ(チェンマイ)とアユタヤで行われていることはパソコンから調べたのですが、私が住んでいますイサ-ン地方で、上記以外のものでも結構です、こんなタイ武術があるよ、との情報がありましたらお教えください。

 よろしくお願いいたします。  
タグ :タイ武術


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2011年05月13日

制定居合 七本目「三方切り」(さんぽうぎり)

 立ち技の三本目になります。制定居合の術技も後半の部に入ってきました。
 では、居合道術技「七本目・三方切り」をご紹介します。

 一本目 「」 の敵に対しての技。居合の全てがこの技に凝縮されています。
 二本目は、「後ろ」 の敵を想定した技です。
 三本目は、「受け流し」 敵を左に想定しての技です。
 四本目「柄当て」 居合腰から前後の敵を制する技です。
 五本目「袈裟切り」 立ち技になります。
      逆袈裟に切り上げ、返す刀で袈裟に切り下ろす技です。
 六本目「諸手突き」(もろてづき) 前後三人の敵を想定しての術技です。

 七本目「三方切り」(さんぽうぎり) 前と左右の敵を想定しての術技です。
 
〔要義〕
 前進中、正面と左右三方の敵の殺気を感じ、まず右の敵の頭上に抜き打ちし、つぎに左の敵を真っ向から切り下ろし、続いて正面の敵を真っ向から切り下ろして勝つ。
(動作)
1、右足より正面に向って前進し、左足を踏み出したときに刀
 に両手をかける。正面の敵を圧しながら刀を抜き出し、右の
 敵に左足を軸にして向き直ると同時に右足をやや前方に踏
 み込んで敵の頭上からあごまで抜き打ちする。

2、そのままの足踏みで右足を軸にして左の敵に向き直りな
 がら刀を受け流しに頭上に振りかぶると同時に左手を柄に
 かけ、間をおくことなく真っ向から切り下ろす。
 
3、左足を軸にして正面の敵に向き直りながら刀を受け流し
 に振りかぶり、右足を踏み込むと同時に真っ向から切り下
 ろす。
   
4、右足を引きながら諸手上段の構えとなって残心を示す。
 
5、左足を引きながら左手を柄からはなして左帯におくると
 同時に「袈裟に振り下ろしての血振り」をする。

6、左手を左帯から鯉口におくり、そのままの姿勢で「納刀」
 する。

7、後ろ足を前足にそろえ、右手を柄からはなして「帯刀姿
 勢」となり、左足より退いて元の位置にもどる。
 
 これが、七本目「三方切り」です。
 
 五本目「袈裟切り」から立ち技となってきました。そして仮想的も徐々に増えてきます。なお前進します足の歩数ですが、五本目,六本目右左と出て刀に手をかけて、右足を踏み込んで抜きつけますが、七本目の技は刀を抜くまでに四歩前進をします。
 右左右と出て次の左足を出した時に柄に手をかけ鯉口を切り、正面の敵を「気」で圧しながら少し刀を抜き出すと共に、右足をやや前方に踏み込んで切り付けます。
 次に右足を軸にして180度向き直りますが、この時正面の敵も「気」で制圧して置くように、回る途中で眼を一瞬向けます。この回転、右足左足共に踵をやや浮かし「前足底」で回るといいと思います。頭を上下させずに回りながらの受け流しも出てきます。
 
 敵への抜き打ちをする技は、六本目「諸手突き」とこの「三方切り」の両方に出てきますが、技それぞれ抜き打ちする体勢(腰の入り方)が違いますので、敵の頭上に対する刀の切り方も違ってきますので、勉強してみてください。
 
 最後に、本日もいつもの言葉です、『やはり練習あるのみです。練習の結果が動作や所作また全体の姿や形に現れてきます。練習は嘘はつきません。』
 
 今日は七本目「三方切り」でした。

 次回は、八本目「顔面当て」(がんめんあて)です。  


Posted by 阿羅漢 at 14:23Comments(0)

2011年05月10日

杖道(形)一本目 「着杖」(つきづえ)

 今日は全日本剣道連盟杖道の「形」の中から一本目の「着杖」を紹介してみたいと思います。
 (全日本剣道連盟杖道(解説) から抜粋)

 〔目的〕  正面から切り下ろす太刀を、体を右斜め後ろにかわして左小手を
      打ち、さらに、退きながら上段に構えるその左小手を本手打ちする形
      である。

 〔要領〕
  常の構えから右手を正面に伸ばし、すべらして、杖尾を床につけて立て、杖
    先を握る。
    【右手を縮めずに、杖を真っ直ぐ立てる。】
  携刀から右足を出し中段に構え、左足を出し八相に構える。
    八相に構えて間合いに進み、振りかぶりながら右足を踏み込み正面を水平
    まで切り下ろす。
    【「仕」が、構えてから「打」が 八相に構える。(以下これに準ずる。)
    左足から進んで(以下これに準ずる。)、一足一刀の間合いで止まり、太刀
    が頭部に届くように、しっかり両手を伸ばして切る。
    八相より振りかぶってから切り下ろす動作は、一拍子とする。太刀を頭上に
    振りかぶった時、剣先を水平より下げない。(以下これに準ずる。)】
  右足から右斜めに後ろに大きく退きながら体をかわし、右手を持ち替え腰
    にとり、左手で杖を握る。杖先を右に半円を描くように回すと同時に、左足
    から踏み出して左本手で左本手を打つ。
    【杖を振りかぶることなく、大きく半円を描き、手を伸ばし顔面を攻めるよう
     にして、小手を打つ。
     体を捌いた時の姿勢は、真半身となり、小手を打った姿勢はやや半身
     となる。】
  右足から退きながら左上段に構える。
    【左足から退かない。「仕」を1歩踏み込んで切ることが出来る間合と姿勢
     をとる。】
  杖を両手いっぱいにとり、右足を踏み出し、左小手を本手打する。
    【「打」が上段にとると同時に、杖を両手いっぱいにとり、杖先は「打」の顔面
     につける。】
  右足から退きながら太刀を右脇下に下ろす。    
    【太刀は剣先の方向に下ろす。両足が自由に動けるように残心を示し、重
     心と姿勢に気をつける。(以下これに準ずる。)】
  杖先を顔面につけて残心を示す。
    【「打」の顔面とは、両眼の間とする。】

  納め方
  左手を後ろに引き、杖を両手いっぱいにとり、左手を肩の高さにし右手を右
    膝上につける。
    【右手の甲が右足に接し、左手の甲が正面に向くようにする。】
  左足を右足の後ろに退き構えを解く。
    【右足を動かさず左足を右足の後ろに退き構えを解く。(以下これに準
     ずる。)】
  右手を上から持ち替え、杖を右手の内にすべらせながら左足を右足に揃
     え、常の構えとなる。
    【「打」が構えを解くのに合せて、常の構えとなる。(以下これに準ずる。)】
 (注)「仕」「打」ともに元の位置にもどる。以下これに準ずる。
 ※本文は「解説」で、【 】内は、指導上の留意点です。

『杖道審判・審査上の着眼点』
(各「形」共通事項 礼法 定められた礼法のとおり行っているか。)
 (打) (1)正しい八相の構えから間合いに入り水平まで切っているか。
     (2)正しく左上段に構えているか。
 (仕) (1)右斜め後ろに体を捌いた姿勢はどうか。
     (2)杖を右斜め上方より大きく回して「打」の左小手を打っているか。
     (3)正しい本手打で「打」の左小手を打っているか。

 これが「杖道」の一本目「着杖」です。
 
 杖道は、太刀(打)が率先して技を仕掛けていきますので、古流におきましては、「打」は「目録」以上の技量が前提、とされていますほどに、太刀捌きが「形」全体に大きな影響を及ぼしていきます。
 しかし形の構成上では、「仕」である杖が構えて後に、「打」である、太刀が八相に構えて間合いに入り切り付ける(切り下ろし)こととなっています。
 杖道は、杖と太刀の呼吸の合せとともに双方の間と間合いの取り方も、演武の流れに大きな影響を及ぼす事となります。
 
 以上本日は「杖道」の一本目「着杖」紹介しました。  
タグ :杖道「形」


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2011年05月10日

「剣道」再出発

 杖道,居合道と全日本剣道連盟傘下の二道は現在進行形をとっていますが、私が武道に没入するきっかけとなりました、「剣道」が冬眠中でした。
 
 私と剣道の出会いですが、以前にも少し触れた事があったと思いますが、小学5年生の頃に父親から仕込まれました。
 中学校は放課後の遊びでしたが、高校に入学し即入部。
 しかし、元来が飽きっぽい性格と怠け癖が重なり、また、2年の時二段審査に落ちたのがきっかけで、部の練習からは足が遠のき、遊びに専従(専念)することになりました。(後日知ったことですが、高校の指導にいらしてくれていた先生は、「東武館」や県警の師範であり、郷土の誇る高名な先生でした。剣道、居合に精通した方でした。当時はそんな事実は知る由も有りません。)

 昭和38年12月に初段をいただいています。その後、就職をしてから少林寺拳法の練習と共に、誘われまして防具を新規に購入して、一時期剣道を再開しましたが、2年位で脱落をしてしまいました。
 これが昭和50年代ですから30年以上も前の事になります。
 
 そして昨年タイに着てから日本の剣道具屋さんから、三尺九寸の竹刀を購入しました。防具を持参してきていませんので、タイで防具を装備しての練習はできませんが、竹刀を振る練習はいろんな形ができますのではじめていました。
 しかし、昇段審査を控えています杖と居合の練習が先行して、竹刀を振る練習はどうしても後回しの事となっていました。
 ここ2週間ほど前から杖の練習の合間に考えました。

 居合道は、刀を使用して仮想的を相手とした単独の演武

 杖道は、(仕)杖と(打)太刀との形武道(決まった一定の形式の中での演武)

 剣道は、竹刀を使用して正面の相手と相対し、勝負を決する立会い。

 来年の杖道,居合道の昇段審査を考えた時に、ふと過ぎったのが剣道の立会いでした。
 今練習中の二つの武道は、決められた事を決められた方法で演武を行っていく事が大切であり、なんら自分の掌中の駒を出す事などはない武道です。(審査にそのような事をしては見事に不合格ですが。)
 
 さて剣道はどうか。打突の場所は決められていますが、この様に遣らなければならないという、細部までの決め事はなく、遣り方によっては自分の練習結果が出せるところが、大きな違いがあるのではないかと思います。
 そして大きな特徴は、なんと言っても対戦相手の呼吸を読みとる事、が大切な武道であるということです。
 先の先を取るか。後の先を取るか。この駆け引きが対戦相手とでてきます。
 一瞬の間によって結果が大きく左右されるのが剣道です。
 
 今できる練習は、竹刀の各種の素振りと「剣道形」が審査に有りますので、この打太刀と仕太刀の双方の練習をしています。
 
 今年の10月頃には日本で新規に防具を購入し、心機一転、剣道「二段」に挑戦をしてみたいと本気で考えています。  


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2011年05月09日

剣道韓国起源説

 武道を愛し鍛錬を日々の日課とし、武道が心の支えと自負している「武道家」として以前から気になっていた事です「剣道韓国起源説」。
 昨日、今日と改めてインターネットを開いてみました。

 韓国民は余程日本に対して「敵意」があるらしく、日本文化の全て(後から考えたら中国文化も入っていました。)を自国の「起源」としています。
 例を挙げますと、日本刀,居合道,剣道に始まり武士道,侍,柔道,華道,茶道,寿司,合気道,忍者,歌舞伎,豆腐や蕎麦等々、日本の生活圏の中にあるもの、古来から日本人が精魂込めて作り出してきた物の全てが「韓国起源」であるかのように自己宣伝し、自国民に主張している。
 その事実を知らない他国民は、事実無根の事であっても長い宣伝(洗脳)の間には、既成事実としてどちらが本当の事か、判断に苦慮するのではないのでしょうか。(宣伝が旨い韓国に有利かもしれない。)

 剣道は元来剣術と呼ばれ武士道と深く関連がある武士の教養として日本で尊ばれ、日本人の祖先が連綿と修業してきた武道の一つであります。
 戦場における闘争手段の一つとしての剣術が、太平の世になり日本各地の町道場において工夫研究がなされ、この中から「防具」や「竹刀」が創造され、多くの人達が慣れ親しんできたものであり、この人達のよって今まで守られ育てられてきたものです。

 先の大戦の敗戦によって、一時期休息期はありますがその精神や技術が無くなったわけではありませんでした。

 今、世界各地で「剣道」は練習されています。その中で「心」としての教えの「道」が修業されていると思いますが、韓国には「」の技術だけしか伝わらず、「」としての「」は伝承する間に日本海の藻屑と消えてしまったようです。
 
 そのために名称も韓国名は、「Kumdo」なそうです。

 世界各地で全日本剣道連盟が「剣道」として広めている一方で、韓国はこの「Kumdo」を日本に対抗して起源説主張と合わせて広めています。

 剣道人よこういう暴挙がまかり通ってよいものか。
 今からでも遅くはない。立ち上がれ。日本武道人
 
 韓国の暴挙を何時までも許すな。  
タグ :剣道


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2011年05月07日

武道と詩吟

 九月十日

     去年今夜待清涼
     秋思詩篇獨斷腸
     恩賜御衣今在此
     捧持毎日拜餘香

 読み 
  去年の今夜 清涼に待す
  (きょねんのこんや せいりょうにじす)

  秋思の詩篇 獨り斷腸
  (しゅうしのしへん ひとりだんちょう)

  恩賜の御衣 今此に在り
  (おんしのぎょい いまここにあり)

  捧持して毎日 餘香を拝す
  (ほうじしてまいにち よこうをはいす)

 ・作者:菅原道眞(ずがわらみちざね)845 〜 903
 ・題名:九月十日(くがつとおか) 
 ・特徴:七言絶句

 冒頭に「九月十日」が記載されていて、なんだろうと思った方もいらっしゃたのではないのでしょうか。
 今日の題名、「武道と詩吟」ですが、一見関連がないようですが、実は私にとって深い関わりがあります。
 
 詩吟を習ってみようと思い立った理由は二つ有ります。
 一つは凄い単純な理由です。「映画」を観てです。

 時代劇です。時代は幕末。京のとある料理屋の宴会の席です。武士と思われる人達十五六人が、車座となって酒を酌みかわしています。
 突然一人の男が騒ぎ出しました。「芹澤鴨」です。平素の行動を一部の人達から窘められているところです。怒っています。(一発即発状態)
 この様子を静かに黙って上座に座して飲んでいました男が突然、右手に太刀を持ち立ち上がりました。すかさず静かに抜刀したかと思ったら、自ら「詩」を吟じながら演舞(これが本当の「」です。)を車座の中で始めました。何人かの人は男が立ち上がった事を直に気が付きました。
 
 この男が立ち上がり騒然とした場の雰囲気を鎮める行動がなかったらどうでしょう。
 数人が怪我や若しかしたら死傷者も出たかもしれません。また、他のお店の人達にも影響があったでしょう。そして、お店自体も多大な損傷を蒙った事ではないかと思います。

 たった一人の男のとった行動が、それらの事を未然に防止したのです。

 男は新選組、鬼の副長「土方歳三」(三船敏郎演じる)です。「詩」の内容は忘れましたが、彼の行動は今でも脳裏から離れません。これが私にとって本当の、「」です。

 それ以来機会が有れば是非「詩吟」(実は「映画」の中での事は「謡曲」の吟かもしれません。どちらでもいいことですが。)を習ってみたい、と心に密かに思い描いていました。

 機会は有りまして、在職中の平成18年に先生に巡り会う機会を得ました。休みの日(公休日)に車で先生のご自宅を訪問し、約2時間1日で5回位吟じまして、1年後に初段をいただきました。
 今も、時間(場所)を見つけましては、大きな声で吟じています。(気持ちのいいものです。)
 私が一番最初に習いましたのが、「九月十日」。次に選びましたのは、「弘道館に梅花を賞す」です。今は、「富士山」を目下練習中です。

 カラオケも好きです。詩吟と同じく「腹式呼吸」を行いますので、日本では妻と出かけては歌っていました。
 
 私が読んでいました本に「一形一息」という言葉が出てきました。「息の修業」と有ります。特に武道を修行している人にとっての「」遣いは、心して修行しなさい、と書かれています。吸う息は短く、吐く息はゆっくりと長く。
 難しいです。しかし、息があがっては行動が乱れ、次の技へと続く事が困難な状態になります。

 息遣いこの練習の一つの手段としても「詩吟」を勉強しています。

 詩吟は、腹に大きく息をため、徐々に息を吐き出す。それも独特の節〔詩文を音調や調子に乗せて歌うのではなく、詩文の素読(朗読)を基本とし、素読の後に特有の節回し〕節調をつけて、より効果的に詩情を表現します。特に、腹の底から尾骶骨を持ち上げる用に吟じていきます。時には息を吐き出し過ぎて、頭が白くなった時も有ります。
 しかし、3回続けて吟じた後などは、何とも言えないすっきりとした感じが有ります。
 腹の底から思い切り声を出す。血流にも良く、高血圧の人が改善されたという事も聞いています。

 これからも武道の練習と共に、「詩吟」を吟じていきたいと思っています。

   
タグ :詩吟


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