2011年05月29日
朝鮮コムドとは何ぞや
「敵を知り ‥ 。」という言葉が古来より伝承されています。
私も朝鮮に「挑戦」するには、百回戦いを挑み99回は例えば一敗地にまみれたにしても(「漢」建国の劉邦は項羽に挑み、99回破れ連合、離反を繰り返しながら、終に最後の一戦にて勝利を勝取り、長い栄誉も手に入れました。)、この歴史史実ではないですが、戦で敗戦は考えずに「勝利」を手にしたいと思っています。
さて、「朝鮮コムド」とは何の事でしょう。この事を少し調査してみたいと思います。
(ウキペディア;フリ-百科事典)から引用
コムド
コムド(劍道、geomdo、kumdo)は、主に韓国で行われているスポーツ。漢字表記は日本の剣道であり、それを朝鮮語で発音したものがコムドである。
日本統治時代に日本の剣道が朝鮮に導入された。大韓民国において、現在盛んに行われているが、礼法や防具等は剣道を一部改変している。
歴史
明代末期の兵学者である茅元儀が1620年代に著した『武備志』には、倭刀を両手で使う「戚継光演の倭寇刀法」(日本の陰流剣術から考案)と両刃の長剣を両手で使う「朝鮮勢法」なるものが記載されている。
このうち、朝鮮勢法については、茅元儀の友人が朝鮮で学んだ長剣術であると記されているものであるが、当時の李氏朝鮮の朝廷は、この「朝鮮勢法」を認めず、「茅元儀が創作したもの」とした。この記述の正否を証明する文献等は、他に確認できておらず、失伝したとされる唐代の中国式長剣術であるとの説もある。
そもそも李氏朝鮮では武官の立場が低く、朝鮮の貴族である両班の中でも、武班は常に文班の下位に置かれた。これは元々宗主国であった中国の古代において、文官は武官より上位に位置するものとする官位性をそのまま取り入れたという面と、朝鮮半島で思想上支配的な立場にある儒教の、肉体労働は頭脳労働の下位とする傾向の影響もあった。当然武術は軽視され、新羅以来の伝統である弓技以外は盛んではなかった。
朝鮮半島で最も多用された剣は現在の日本刀のような片刃ではなく両刃であり、朝鮮半島では長らく両刃剣が使用されていた。 中世より近代で、朝鮮半島には著名な刀工・研師の名前も残されていない。決定的なのは、中国・韓国の製鉄法は鉄鉱石によるもので、朝鮮半島では日本の踏鞴製鉄のように砂鉄を原料とし直接還元法をした形跡すら見いだせない。
その後、明治以降の、日本統治下で、日本の防具・竹刀・道着・袴を使用し、両手で刀を使う形式の「剣道」が韓国に伝わり定着していった。 剣道の技には面、胴、小手があるが、どれも片刃の日本刀の所作である。(両刃剣術と片刃剣術では自然に所作が変わるはずである。)
現代においては、韓国剣道の統括団体である大韓剣道会が剣道(けんどう)の歴史の基礎として李朝の武人やその風習が形を残していると主張し、『武備志』記載の朝鮮勢法を「本国剣法」であるとして、昇段審査の際には日本剣道形と本国剣法の両方を審査するという独自の昇段基準を実施している。
コムドと剣道
コムドを「韓国の伝統剣法」とし、剣道の起源だと発言するコムド団体は多い。しかし、「コムド」が剣道の元になったという史実としての根拠はなく、韓国最大の剣道団体である大韓剣道会もコムドは剣道が元だとしている。
これについては全日本剣道連盟及び、全日本剣道連盟配下の国際剣道連盟のWebページで剽窃問題として取り上げられ、コムド団体の主張は歴史的に間違いであり、剣道の起源は日本にあると改めて発表された。
団体
韓国国内で約200団体以上存在するが、団体間の交流はあまり活発ではなく閉鎖的である。そして大韓剣道会側では他の剣道団体を偽者と呼んでいる(大韓剣道会だけ大韓体育会に加盟している為)。ここでは主に、彼らが主張する起源と設立の過程で分類している。コムド団体は現在大きく3つに分類出来る。なお団体名に「剣道」が多用されているが、それらの団体の多くは国際剣道連盟や日本剣道連盟の主張を認めていない>。
1.新羅・百済コムド系
2.海東コムド系
3.テコンドー・コムド系
このように記載されています。他の辞書や参考書類は後日また閲覧するということにしまして、上記の記載事項ですが、皆さん如何ですか。朝鮮の言い分そしてこの「朝鮮コムド」とは何なんでしょう。
全日本剣道連盟が“コムド団体の主張は歴史的に間違いであり、剣道の起源は日本にある”、と発表しているにもかかわらず、朝鮮の団体は、“団体の多くは国際剣道連盟や日本剣道連盟の主張を認めていない。”という事です。
平行線ですね。サ-如何したらよろしいでしょうか。皆さんの中で「こんな事は如何。」、とか「こうしてみませんか。」等々、いい考え方をお持ちの方、がいらっしゃいましたら是非ご提案ご指導ください。
朝鮮の事をこれからも、徹底的に調査してみます。皆さんのご協力を切に望みます。よろしくお願いします。
私も朝鮮に「挑戦」するには、百回戦いを挑み99回は例えば一敗地にまみれたにしても(「漢」建国の劉邦は項羽に挑み、99回破れ連合、離反を繰り返しながら、終に最後の一戦にて勝利を勝取り、長い栄誉も手に入れました。)、この歴史史実ではないですが、戦で敗戦は考えずに「勝利」を手にしたいと思っています。
さて、「朝鮮コムド」とは何の事でしょう。この事を少し調査してみたいと思います。
(ウキペディア;フリ-百科事典)から引用
コムド
コムド(劍道、geomdo、kumdo)は、主に韓国で行われているスポーツ。漢字表記は日本の剣道であり、それを朝鮮語で発音したものがコムドである。
日本統治時代に日本の剣道が朝鮮に導入された。大韓民国において、現在盛んに行われているが、礼法や防具等は剣道を一部改変している。
歴史
明代末期の兵学者である茅元儀が1620年代に著した『武備志』には、倭刀を両手で使う「戚継光演の倭寇刀法」(日本の陰流剣術から考案)と両刃の長剣を両手で使う「朝鮮勢法」なるものが記載されている。
このうち、朝鮮勢法については、茅元儀の友人が朝鮮で学んだ長剣術であると記されているものであるが、当時の李氏朝鮮の朝廷は、この「朝鮮勢法」を認めず、「茅元儀が創作したもの」とした。この記述の正否を証明する文献等は、他に確認できておらず、失伝したとされる唐代の中国式長剣術であるとの説もある。
そもそも李氏朝鮮では武官の立場が低く、朝鮮の貴族である両班の中でも、武班は常に文班の下位に置かれた。これは元々宗主国であった中国の古代において、文官は武官より上位に位置するものとする官位性をそのまま取り入れたという面と、朝鮮半島で思想上支配的な立場にある儒教の、肉体労働は頭脳労働の下位とする傾向の影響もあった。当然武術は軽視され、新羅以来の伝統である弓技以外は盛んではなかった。
朝鮮半島で最も多用された剣は現在の日本刀のような片刃ではなく両刃であり、朝鮮半島では長らく両刃剣が使用されていた。 中世より近代で、朝鮮半島には著名な刀工・研師の名前も残されていない。決定的なのは、中国・韓国の製鉄法は鉄鉱石によるもので、朝鮮半島では日本の踏鞴製鉄のように砂鉄を原料とし直接還元法をした形跡すら見いだせない。
その後、明治以降の、日本統治下で、日本の防具・竹刀・道着・袴を使用し、両手で刀を使う形式の「剣道」が韓国に伝わり定着していった。 剣道の技には面、胴、小手があるが、どれも片刃の日本刀の所作である。(両刃剣術と片刃剣術では自然に所作が変わるはずである。)
現代においては、韓国剣道の統括団体である大韓剣道会が剣道(けんどう)の歴史の基礎として李朝の武人やその風習が形を残していると主張し、『武備志』記載の朝鮮勢法を「本国剣法」であるとして、昇段審査の際には日本剣道形と本国剣法の両方を審査するという独自の昇段基準を実施している。
コムドと剣道
コムドを「韓国の伝統剣法」とし、剣道の起源だと発言するコムド団体は多い。しかし、「コムド」が剣道の元になったという史実としての根拠はなく、韓国最大の剣道団体である大韓剣道会もコムドは剣道が元だとしている。
これについては全日本剣道連盟及び、全日本剣道連盟配下の国際剣道連盟のWebページで剽窃問題として取り上げられ、コムド団体の主張は歴史的に間違いであり、剣道の起源は日本にあると改めて発表された。
団体
韓国国内で約200団体以上存在するが、団体間の交流はあまり活発ではなく閉鎖的である。そして大韓剣道会側では他の剣道団体を偽者と呼んでいる(大韓剣道会だけ大韓体育会に加盟している為)。ここでは主に、彼らが主張する起源と設立の過程で分類している。コムド団体は現在大きく3つに分類出来る。なお団体名に「剣道」が多用されているが、それらの団体の多くは国際剣道連盟や日本剣道連盟の主張を認めていない>。
1.新羅・百済コムド系
2.海東コムド系
3.テコンドー・コムド系
このように記載されています。他の辞書や参考書類は後日また閲覧するということにしまして、上記の記載事項ですが、皆さん如何ですか。朝鮮の言い分そしてこの「朝鮮コムド」とは何なんでしょう。
全日本剣道連盟が“コムド団体の主張は歴史的に間違いであり、剣道の起源は日本にある”、と発表しているにもかかわらず、朝鮮の団体は、“団体の多くは国際剣道連盟や日本剣道連盟の主張を認めていない。”という事です。
平行線ですね。サ-如何したらよろしいでしょうか。皆さんの中で「こんな事は如何。」、とか「こうしてみませんか。」等々、いい考え方をお持ちの方、がいらっしゃいましたら是非ご提案ご指導ください。
朝鮮の事をこれからも、徹底的に調査してみます。皆さんのご協力を切に望みます。よろしくお願いします。
Posted by 阿羅漢 at 23:39│Comments(0)