2010年06月29日
世界最強とは?
世界最強とは何でしょう?
ただ対戦相手を倒し、打ちのめし、これ以上起き上がれないという状態、体勢に持ち込めばそれで最強ですか。
一対一。二対一。何でもそうですが、至近距離に入って(間合い)、そこから蹴る、突く、殴るその結果で相手が倒れる。
格闘技系であれば間合い(蹴り、突きの一歩踏み込んで届く位置)からの対戦が必要となってきますが、居合道や杖道又は剣道など武器を所持しての場合は、間合いの取り方が格闘技とは若干違ってきます。一足一刀の間合いが必要となってきます。格闘技系よりも間合いが遠間となります。
さて、今日の題名として選びました「世界最強とは?」ですが、これは私は、あえて挙げるとすれば私も好きな「拳銃やライフル」が世界で一番の強き者ではないでしょうか。
単純に強さだけ云々という判断基準であれば、選択肢はただ一つです。
拳銃やライフルです。
相手に見えず、隠れた遠方からの殺傷能力の点から言えば、訓練された「ライフル狙撃手」です。
200メートルいや300メートL以上離れている目標も、直ぐ目の前に居る感じで倒していきます。
私も日本に居る時に、ドイツの銃床が木製の空気銃を所持していました。(もちろん警察の「銃砲刀剣類所持等許可」は所持していました。)
自宅から1時間離れています、県営射撃場に何度か行き、10メートル離れた標的を100発は撃ってきます。中々精神の集中訓練にはいいものです。決して鳥獣類へは銃を向けることはしませんでした。(許可をもらったのも、標的射撃だけです。)
さて、今日の本題に戻りますが、単純に強いことだけを考え、相手を倒すことだけを念頭に描いているのであれば、
「世界最強は?」私は、拳銃やライフルです。これ以外にはありません。
武道を修行している者であれば、私が「世界最強」というのは、如何なものでしょうか。一度「世界最強」の地位まで例えば登ったにしても、次の戦いは如何ですか。次の次は如何ですか。
いつも記載していますように、勝負勝敗は時の運です。武道を修行している者は、そのことのみに執着をし固守していますと、「心」の修行が疎かになり、余り良い結果は望めないものだと思いますが如何でしょうか。
『拳禅一如』と『霊肉一如』この教えは少林寺拳法の開祖が説かれました教えですが、共に、肉体と精神を偏ることなく修行しなさい。と言われています。
勝てば次は追われる身の上です。勝負にこだわる勝負に勝つことだけをを目指しての練習は如何なものでしょう。もっと楽しく和気あいあいと、敵も無く、全てが見方、全てが仲間の世界。そのような練習方法が最高だと思いますが。
今日の記事投稿について反論があればドンドン受付けます。
いや違うだろうと言う方が居ましたらお待ちしています。
ただ対戦相手を倒し、打ちのめし、これ以上起き上がれないという状態、体勢に持ち込めばそれで最強ですか。
一対一。二対一。何でもそうですが、至近距離に入って(間合い)、そこから蹴る、突く、殴るその結果で相手が倒れる。
格闘技系であれば間合い(蹴り、突きの一歩踏み込んで届く位置)からの対戦が必要となってきますが、居合道や杖道又は剣道など武器を所持しての場合は、間合いの取り方が格闘技とは若干違ってきます。一足一刀の間合いが必要となってきます。格闘技系よりも間合いが遠間となります。
さて、今日の題名として選びました「世界最強とは?」ですが、これは私は、あえて挙げるとすれば私も好きな「拳銃やライフル」が世界で一番の強き者ではないでしょうか。
単純に強さだけ云々という判断基準であれば、選択肢はただ一つです。
拳銃やライフルです。
相手に見えず、隠れた遠方からの殺傷能力の点から言えば、訓練された「ライフル狙撃手」です。
200メートルいや300メートL以上離れている目標も、直ぐ目の前に居る感じで倒していきます。
私も日本に居る時に、ドイツの銃床が木製の空気銃を所持していました。(もちろん警察の「銃砲刀剣類所持等許可」は所持していました。)
自宅から1時間離れています、県営射撃場に何度か行き、10メートル離れた標的を100発は撃ってきます。中々精神の集中訓練にはいいものです。決して鳥獣類へは銃を向けることはしませんでした。(許可をもらったのも、標的射撃だけです。)
さて、今日の本題に戻りますが、単純に強いことだけを考え、相手を倒すことだけを念頭に描いているのであれば、
「世界最強は?」私は、拳銃やライフルです。これ以外にはありません。
武道を修行している者であれば、私が「世界最強」というのは、如何なものでしょうか。一度「世界最強」の地位まで例えば登ったにしても、次の戦いは如何ですか。次の次は如何ですか。
いつも記載していますように、勝負勝敗は時の運です。武道を修行している者は、そのことのみに執着をし固守していますと、「心」の修行が疎かになり、余り良い結果は望めないものだと思いますが如何でしょうか。
『拳禅一如』と『霊肉一如』この教えは少林寺拳法の開祖が説かれました教えですが、共に、肉体と精神を偏ることなく修行しなさい。と言われています。
勝てば次は追われる身の上です。勝負にこだわる勝負に勝つことだけをを目指しての練習は如何なものでしょう。もっと楽しく和気あいあいと、敵も無く、全てが見方、全てが仲間の世界。そのような練習方法が最高だと思いますが。
今日の記事投稿について反論があればドンドン受付けます。
いや違うだろうと言う方が居ましたらお待ちしています。
タグ :強さとは
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2010年06月26日
強さとは、何だろ-
良く言われるのは、あの人は「空手○○段」だから、「少林寺拳法○○段」だって、だから強いよ。
エ! 強さというのは、喧嘩に勝つから、喧嘩に勝ったから、相手を土の上に転がしたから。それが「強い」ということ。
本来の「強さ」というのはこういうことではないはずです。
武道を習ってみようと考えた動機は、「人よりも強くなりたい。」が、多くの人の心の有様ではないかと思います。
しかし、武道を修行している中で気が付いてくる、自然発生的に感じてくるものが有ると思います。
この感じるものが無い武道の修行は、それこそ「仏造って、魂入れず」です。
肉体の鍛錬、武道の技術習得と合わせて必要不可欠なものがあります。
それは、心の修行ではないかと思います。
少林寺拳法ではこのことを『拳禅一如』という言葉で表現をしています。
拳とはすなわち、『肉体』体のことを指しています。
禅とは『心』です。
この両方を偏ることなく、修行することが少林寺拳法では行としての術技習得と共に、金剛禅の教えが常に前面に出てきます。
私がいつも書いていますように、『武』の意義と、そして『武道の本質』が強さではないかと思います。
如何でしょう。強さについてのご意見や反論があれば、どしどしメ-ルをお寄せください。お待ちしています。
強さというのはそういうことではなく、こういうことだよ。とかなんでも結構です。
エ! 強さというのは、喧嘩に勝つから、喧嘩に勝ったから、相手を土の上に転がしたから。それが「強い」ということ。
本来の「強さ」というのはこういうことではないはずです。
武道を習ってみようと考えた動機は、「人よりも強くなりたい。」が、多くの人の心の有様ではないかと思います。
しかし、武道を修行している中で気が付いてくる、自然発生的に感じてくるものが有ると思います。
この感じるものが無い武道の修行は、それこそ「仏造って、魂入れず」です。
肉体の鍛錬、武道の技術習得と合わせて必要不可欠なものがあります。
それは、心の修行ではないかと思います。
少林寺拳法ではこのことを『拳禅一如』という言葉で表現をしています。
拳とはすなわち、『肉体』体のことを指しています。
禅とは『心』です。
この両方を偏ることなく、修行することが少林寺拳法では行としての術技習得と共に、金剛禅の教えが常に前面に出てきます。
私がいつも書いていますように、『武』の意義と、そして『武道の本質』が強さではないかと思います。
如何でしょう。強さについてのご意見や反論があれば、どしどしメ-ルをお寄せください。お待ちしています。
強さというのはそういうことではなく、こういうことだよ。とかなんでも結構です。
タグ :少林寺拳法「拳禅一如」
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2010年06月25日
居合道 術技解説 二本目(後ろ)
今日は全日本剣道連盟が制定し作製した「解説書」から、術技「二本目・後ろ」をご紹介します。
一本目「前」は、対座(目の前に敵が座っている事を想定)している時に、相手の殺気を感じ取り先制して切りつけ、勝つ技でしたが、
二本目は、敵が後ろに座っている事を想定した技で、一本目と同じ様に機先を制し勝ちを得る技です。
一本目と大きく違っていますのは、左膝を立てて右膝を軸に左回りに刀を抜きながら回転し、後ろの敵に切りつけることです。
最初は刀を抜きながら回ることが中々大変ですが、慣れてきますと円滑に回れるようになり、且つ抜きつけも上手くいくようになります。
これは、古流(夢想神伝流)の四本目 当刀(あたりとう) が原形であると思います。
二本目「後ろ」(うしろ)
〔要義〕
背後にすわっている敵の殺気を感じ、機先を制して「こめかみ」に抜き付け、さらに真っ向から切り下ろして勝つ。
(動作)
正面から右足の方へ右回りに回って後ろ向きに正座する。静かに刀に手をかけ「一本目の動作1と同じ様に」刀を抜き出す。刀を抜き出しながら右膝頭を軸に左膝を立てて左回りに回って敵に向き直り、同時に左足をやや左寄りに踏み込んで敵の「こめかみ」めがけて激しく抜きつける。
以下「一本目動作2、3、4」と同様に足の運びを左右逆にして「切り下ろし」、「血振り」、「納刀」し、「帯刀姿勢」となって、左足より退いて元の位置にもどる。
これが、二本目の「後ろ」です。 一本目と違い左膝(右膝軸)を使っての左回りというのが有ります。刀を抜き出しながら回るという動作があるため、最初は回る時に体勢を崩したりして難しいですが、練習を積み重ねていきますと、意外と上手く回る事が出来ます。やはり練習あるのみです。練習の結果が動作や所作また行動に現れます。練習は嘘はつきません。
今日は二本目「後ろ」でした。
次回は、三本目「受け流し」(うけながし)です。
一本目「前」は、対座(目の前に敵が座っている事を想定)している時に、相手の殺気を感じ取り先制して切りつけ、勝つ技でしたが、
二本目は、敵が後ろに座っている事を想定した技で、一本目と同じ様に機先を制し勝ちを得る技です。
一本目と大きく違っていますのは、左膝を立てて右膝を軸に左回りに刀を抜きながら回転し、後ろの敵に切りつけることです。
最初は刀を抜きながら回ることが中々大変ですが、慣れてきますと円滑に回れるようになり、且つ抜きつけも上手くいくようになります。
これは、古流(夢想神伝流)の四本目 当刀(あたりとう) が原形であると思います。
二本目「後ろ」(うしろ)
〔要義〕
背後にすわっている敵の殺気を感じ、機先を制して「こめかみ」に抜き付け、さらに真っ向から切り下ろして勝つ。
(動作)
正面から右足の方へ右回りに回って後ろ向きに正座する。静かに刀に手をかけ「一本目の動作1と同じ様に」刀を抜き出す。刀を抜き出しながら右膝頭を軸に左膝を立てて左回りに回って敵に向き直り、同時に左足をやや左寄りに踏み込んで敵の「こめかみ」めがけて激しく抜きつける。
以下「一本目動作2、3、4」と同様に足の運びを左右逆にして「切り下ろし」、「血振り」、「納刀」し、「帯刀姿勢」となって、左足より退いて元の位置にもどる。
これが、二本目の「後ろ」です。 一本目と違い左膝(右膝軸)を使っての左回りというのが有ります。刀を抜き出しながら回るという動作があるため、最初は回る時に体勢を崩したりして難しいですが、練習を積み重ねていきますと、意外と上手く回る事が出来ます。やはり練習あるのみです。練習の結果が動作や所作また行動に現れます。練習は嘘はつきません。
今日は二本目「後ろ」でした。
次回は、三本目「受け流し」(うけながし)です。
タグ :居合道 術技
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2010年06月18日
少林寺拳法「特徴」 力愛不二
少林寺拳法にはいくつかの「特徴」が有ります。
その中から私が本山にて『開祖』自身から法話をお聞きした中で、一番印象に残っています、心に感銘を覚えた言葉を今日はご紹介したいと思います。
力愛不二
“力なき愛は 無力
愛なき力は 暴力”
開祖は、法話の中でこの言葉の意味を例を出してお話になりました。
『君達、夜、彼女と二人で公園を散歩していたら、風体のよくない輩が3人現れて、
“お金が無いので、お金貸してください。”
と言われたらどうする。
「私お金はありません」とはっきりと断れるか。 どうだ。
相手が次に、 “お金が無いのであれば、その女の子を貸してくれ。”
と言われたらどうする。
「はい判りました。」と言って、彼女を置いて自分だけすごすごと帰ってくるか。
どうだ。
体を張って自分の彼女を守れるだけの『力』が有るか。自信が有るか。最低でも大切な人を守れるだけの自信を持とうではないか。
それには、「行」としての少林寺拳法を鍛錬することである。日々鍛錬することが自然と自分自身の自信にも繋がってくるし、自分自身が頼ることのできる自分ができれば(自己確立)、今度は他の人にも力を貸してあげられる。(自他共楽) どうだ、できるか。 やろうじゃないか。』
このように「開祖」は“力愛不二”を解説してくださいました。いくら愛が有るといっても、頼ってくれる人を守れるだけの力の裏づけが無くては、無力でしかありません。その結末は、悲惨なものが待っていることでしょう。
しかし、自信に満ちた力に裏づけられる行動は、他をも自然と沈黙させられるものが有ると思います。
戦わずして「勝」。
これが私が以前から記載しています、『武の本質』でありまして、“武の意義”そのものであると思います。
“力愛不二” 如何ですか。いい言葉ではないですか。
その中から私が本山にて『開祖』自身から法話をお聞きした中で、一番印象に残っています、心に感銘を覚えた言葉を今日はご紹介したいと思います。
力愛不二
“力なき愛は 無力
愛なき力は 暴力”
開祖は、法話の中でこの言葉の意味を例を出してお話になりました。
『君達、夜、彼女と二人で公園を散歩していたら、風体のよくない輩が3人現れて、
“お金が無いので、お金貸してください。”
と言われたらどうする。
「私お金はありません」とはっきりと断れるか。 どうだ。
相手が次に、 “お金が無いのであれば、その女の子を貸してくれ。”
と言われたらどうする。
「はい判りました。」と言って、彼女を置いて自分だけすごすごと帰ってくるか。
どうだ。
体を張って自分の彼女を守れるだけの『力』が有るか。自信が有るか。最低でも大切な人を守れるだけの自信を持とうではないか。
それには、「行」としての少林寺拳法を鍛錬することである。日々鍛錬することが自然と自分自身の自信にも繋がってくるし、自分自身が頼ることのできる自分ができれば(自己確立)、今度は他の人にも力を貸してあげられる。(自他共楽) どうだ、できるか。 やろうじゃないか。』
このように「開祖」は“力愛不二”を解説してくださいました。いくら愛が有るといっても、頼ってくれる人を守れるだけの力の裏づけが無くては、無力でしかありません。その結末は、悲惨なものが待っていることでしょう。
しかし、自信に満ちた力に裏づけられる行動は、他をも自然と沈黙させられるものが有ると思います。
戦わずして「勝」。
これが私が以前から記載しています、『武の本質』でありまして、“武の意義”そのものであると思います。
“力愛不二” 如何ですか。いい言葉ではないですか。
タグ :力愛不二
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2010年06月15日
全日本剣道連盟 居合道一本目「前」
先日は、全日本剣道連盟 居合道の術技 一本目「前」から十二本目の「抜き打ち」まで、技名をご紹介しましたので今日は、一本目「前」について、全日本剣道連盟が制定し作製した「解説書」に基づいて記載していきたいと思います。
居合道は日本刀(三段までは「模擬刀」)を使用した練習で、単独練習が主体であります。
なお練習を開始するに当たっては、練習場への入場方法や刀礼などが有りますが、今日は省略させていただき後日記載します。
一本目「前」(まえ)
〔要義〕
対座している敵の殺気を感じ、機先を制して「こめかみ」に抜き付け、さらに真っ向から切り下ろして勝つ。
(動作)
1.正面に向かって正座する。静かに刀に手をかけて鯉口を切り、腰を上げながら刃を上にしたまま「鞘引き」とともに刀を抜き出し、両つま先を立てて鞘を左にかえし始め、「鞘放れ」寸前に刃を水平にし、腰を伸ばして右足を「踏み込む」と同時に敵の「こめかみ」めがけて激しく「抜きつける」
2.左膝頭を右かかと近くにおくるとと同時に鯉口をへそまえにもどしながら切っ先を左耳にそって後ろを突く気持ちですばやく刀を頭上に「振りかぶる」。振りかぶると同時に左手を柄にかけ、間をおくことなく右足を踏み込むと同時に真っ向から「切り下ろす」。
3.左手を柄からはなして左帯におくると同時に右手の「たなごころ」を上にかえして刃先を左に向け。そのまま右へおおきく肩の高さ回して肘をまげてこぶしを「こめかみ」に近づける。立ち上がりながら「袈裟に振り下ろしての血振り」をして「居合腰」となる。
4.「居合腰」のまま後ろ足を前足にそろえ、続いて右足を引く。左手を左帯から鯉口におくって「納刀」し、納め終わると同時に後ろ膝を床につく。
5.立ちあがると同時に後ろ足を前にそろえる。右手を柄からはなして「帯刀姿勢」となり、左足より退いて元の位置にもどる。
これが、居合道術技の一本目「前」です。
全日本剣道連盟は、昭和44年5月にこの居合道の作法,術技を制定し、その後順次改定がなされ、平成18年4月にも一部修正がなされています。
これから、逐次、居合道,杖道の術技を記載していきます。読んでいただいて興味が沸きましたら、是非一緒に日本古来から続けられてきています居合道を練習しませんか。
一人でも、いや十人位の人が武道に興味を持ち練習に参加してくれたら嬉しいです。
最後に、『私の信念』
自分の体が信じられる嬉しさ、最低でも自分の身は自分で守れるだけの力を持ちましょう。
それには、日常の弛まない肉体と精神の鍛錬の積み重ねが大切です。
それが、自分自身の力、自分を信じて頼れる力になってきます。鋭意努力有るのみ。日々努力有るのみです。
頑張りましょう。
居合道は日本刀(三段までは「模擬刀」)を使用した練習で、単独練習が主体であります。
なお練習を開始するに当たっては、練習場への入場方法や刀礼などが有りますが、今日は省略させていただき後日記載します。
一本目「前」(まえ)
〔要義〕
対座している敵の殺気を感じ、機先を制して「こめかみ」に抜き付け、さらに真っ向から切り下ろして勝つ。
(動作)
1.正面に向かって正座する。静かに刀に手をかけて鯉口を切り、腰を上げながら刃を上にしたまま「鞘引き」とともに刀を抜き出し、両つま先を立てて鞘を左にかえし始め、「鞘放れ」寸前に刃を水平にし、腰を伸ばして右足を「踏み込む」と同時に敵の「こめかみ」めがけて激しく「抜きつける」
2.左膝頭を右かかと近くにおくるとと同時に鯉口をへそまえにもどしながら切っ先を左耳にそって後ろを突く気持ちですばやく刀を頭上に「振りかぶる」。振りかぶると同時に左手を柄にかけ、間をおくことなく右足を踏み込むと同時に真っ向から「切り下ろす」。
3.左手を柄からはなして左帯におくると同時に右手の「たなごころ」を上にかえして刃先を左に向け。そのまま右へおおきく肩の高さ回して肘をまげてこぶしを「こめかみ」に近づける。立ち上がりながら「袈裟に振り下ろしての血振り」をして「居合腰」となる。
4.「居合腰」のまま後ろ足を前足にそろえ、続いて右足を引く。左手を左帯から鯉口におくって「納刀」し、納め終わると同時に後ろ膝を床につく。
5.立ちあがると同時に後ろ足を前にそろえる。右手を柄からはなして「帯刀姿勢」となり、左足より退いて元の位置にもどる。
これが、居合道術技の一本目「前」です。
全日本剣道連盟は、昭和44年5月にこの居合道の作法,術技を制定し、その後順次改定がなされ、平成18年4月にも一部修正がなされています。
これから、逐次、居合道,杖道の術技を記載していきます。読んでいただいて興味が沸きましたら、是非一緒に日本古来から続けられてきています居合道を練習しませんか。
一人でも、いや十人位の人が武道に興味を持ち練習に参加してくれたら嬉しいです。
最後に、『私の信念』
自分の体が信じられる嬉しさ、最低でも自分の身は自分で守れるだけの力を持ちましょう。
それには、日常の弛まない肉体と精神の鍛錬の積み重ねが大切です。
それが、自分自身の力、自分を信じて頼れる力になってきます。鋭意努力有るのみ。日々努力有るのみです。
頑張りましょう。
タグ :居合道 術技
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2010年06月11日
空手道(孫が「空手道」で優勝)
今日は私の武道のことではなく、孫の修行している武道「空手道」について記載してみます。
私の初孫は、次女の長女で14歳(女性)になりますが、この次女の2番目の子供が今年小学校3年生になる長男で、小学1年になってから空手道を始めたようです。
私には、長女に子供が2人と長男に子供が2人、計6人の孫がいますが、この中で唯一「武道」を練習しているのが次女の長男だけであります。
長女と次女が子供の時に、(好きになって練習をしてくれるかと思い)私が、少林寺拳法の練習をする様子を道院に連れて行って、何度か見せたものでしたが、結局は誰も練習を遣ろうという者がいなかった。
それが、隔世遺伝とはやはり有るものですね。娘が好きでなくてもその子供が武道の練習に励んでくれるとは、本当に嬉しい限りです。
実は、この孫が何の大会かは確認をしなかったのですが、今年で3連破。3年続けて「優勝」を獲得したそうです。
武道を練習している中で、大会に出場するだけでも大変な事跡であるのに、それが3年連続して優勝した、ということは大変な結果であると思います。
1年目はまぐれで優勝ということも有るかもしれません。しかし2年目となると参加する相手も、今年は我こそ頂点に立ってやるぞ、という闘志に燃えて這い上げってきますので、全身漲る力が最大限に発揚されてきていると思います。
そんな競争相手をものともせずに片っ端から撃破し、頂点に立てたことは輝かしいことであります。
3年目。2年目までとは大きく違いこれこそ練習成果が大きく問われる時です。2回まではまぐれで、強豪が中途で不運にも敗れたということはありますが、3度目の正直となれば、空手道の技術では、底に秘めた実力は計り知れないものがあります。この孫の成長がこれからが大変楽しみです。
これから私が考えている「孫」への「武道」教育課程は、武芸18般修行ではないですが、空手道を基本武術として、少林寺拳法,杖道,居合道,剣道等々を修行させていきたいと考えています。そのための援助と協力はこの孫のために全面的に遣っていきたい、と今から期待と希望で胸が満ち溢れてくるのを覚えます。
今、遠く離れて暮らしていますが、私が日本に帰国した時には孫を少林寺拳法の練習場や杖道等の練習会場に連れて行くのを楽しみにしています。
今日は先日娘の誕生日に電話を入れた時に報告を受けた、孫の武道[空手道」のことを記載しました。
自分の子供が興味を示さなかった分野に、孫の代になり武道の練習に励んでくれる者がでてきてくれたことは、大変ありがたくそして大変嬉しいことです。
この孫を静かに優しくそして時には強く叱咤激励し、また、暖かく見守っていって挙げたいと思っています。
私の初孫は、次女の長女で14歳(女性)になりますが、この次女の2番目の子供が今年小学校3年生になる長男で、小学1年になってから空手道を始めたようです。
私には、長女に子供が2人と長男に子供が2人、計6人の孫がいますが、この中で唯一「武道」を練習しているのが次女の長男だけであります。
長女と次女が子供の時に、(好きになって練習をしてくれるかと思い)私が、少林寺拳法の練習をする様子を道院に連れて行って、何度か見せたものでしたが、結局は誰も練習を遣ろうという者がいなかった。
それが、隔世遺伝とはやはり有るものですね。娘が好きでなくてもその子供が武道の練習に励んでくれるとは、本当に嬉しい限りです。
実は、この孫が何の大会かは確認をしなかったのですが、今年で3連破。3年続けて「優勝」を獲得したそうです。
武道を練習している中で、大会に出場するだけでも大変な事跡であるのに、それが3年連続して優勝した、ということは大変な結果であると思います。
1年目はまぐれで優勝ということも有るかもしれません。しかし2年目となると参加する相手も、今年は我こそ頂点に立ってやるぞ、という闘志に燃えて這い上げってきますので、全身漲る力が最大限に発揚されてきていると思います。
そんな競争相手をものともせずに片っ端から撃破し、頂点に立てたことは輝かしいことであります。
3年目。2年目までとは大きく違いこれこそ練習成果が大きく問われる時です。2回まではまぐれで、強豪が中途で不運にも敗れたということはありますが、3度目の正直となれば、空手道の技術では、底に秘めた実力は計り知れないものがあります。この孫の成長がこれからが大変楽しみです。
これから私が考えている「孫」への「武道」教育課程は、武芸18般修行ではないですが、空手道を基本武術として、少林寺拳法,杖道,居合道,剣道等々を修行させていきたいと考えています。そのための援助と協力はこの孫のために全面的に遣っていきたい、と今から期待と希望で胸が満ち溢れてくるのを覚えます。
今、遠く離れて暮らしていますが、私が日本に帰国した時には孫を少林寺拳法の練習場や杖道等の練習会場に連れて行くのを楽しみにしています。
今日は先日娘の誕生日に電話を入れた時に報告を受けた、孫の武道[空手道」のことを記載しました。
自分の子供が興味を示さなかった分野に、孫の代になり武道の練習に励んでくれる者がでてきてくれたことは、大変ありがたくそして大変嬉しいことです。
この孫を静かに優しくそして時には強く叱咤激励し、また、暖かく見守っていって挙げたいと思っています。
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2010年06月05日
武道「居合道」
久方振りに武道について記事投稿してみたいと思います。
日本にはこんなに素晴らしい武道が有るのだ、というのをご紹介していきたいと思います。
私が今修行しています武道に「居合道」があります。古流は、『夢想神伝流』を習っていますが、も一つ全日本剣道連盟に加盟していますのでこちらの居合(制定居合)も練習をしています。
居合道は、古の武士の作法の一つとして古来より修行する人によって刀法技術が切磋琢磨され、これらが親から子又は門弟へと日本人の心と体に、連綿と受け継がれてきています。
もちろん居合は、真剣勝負ですから習得すれば、殺人の技法としても活用することができますが、古来から、『居合道』の教えは、刀技とともに心の修行も並行的に行われてきており、その技術は殺人剣よりは、不殺活人剣として人としての心の在り方を説く道であり、戦わずして勝方法を教えています。(「鞘の内」といわれています。)
今日は、全日本剣道連盟の「術技」名をご紹介しておきます。(後日詳細を記載します。)
一本目 前(まえ)
二本目 後ろ(うしろ)
三本目 受け流し(うけながし)
四本目 柄当て(つかあて)
五本目 袈裟切り(けさぎり)
六本目 諸手突き(もろてづき)
七本目 三方切り(さんぽうぎり)
八本目 顔面当て(がんめんあて)
九本目 添え手突き(そえてづき)
十本目 四方切り(しほうぎり)
十一本目 総切り(そうぎり)
十二本目 抜き打ち(ぬきうち)
全日本剣道連盟の規定の年数を修行しますと、昇段審査を受審することが可能となります。
最初は、1級の審査です。制定居合の一本目(前)から五本目(袈裟切り)までを規定の時間内に演武をします。
「礼」の号令で一斉に受審者が演武を開始します。五本演武し終わった人から順に「終わりの刀礼」を行い、携刀姿勢で全員が終わるのを待っています。(緊張の一瞬です。)
さて、今から午前の「杖」の練習を行いますので、このへんで今日は終了とします。
日本にはこんなに素晴らしい武道が有るのだ、というのをご紹介していきたいと思います。
私が今修行しています武道に「居合道」があります。古流は、『夢想神伝流』を習っていますが、も一つ全日本剣道連盟に加盟していますのでこちらの居合(制定居合)も練習をしています。
居合道は、古の武士の作法の一つとして古来より修行する人によって刀法技術が切磋琢磨され、これらが親から子又は門弟へと日本人の心と体に、連綿と受け継がれてきています。
もちろん居合は、真剣勝負ですから習得すれば、殺人の技法としても活用することができますが、古来から、『居合道』の教えは、刀技とともに心の修行も並行的に行われてきており、その技術は殺人剣よりは、不殺活人剣として人としての心の在り方を説く道であり、戦わずして勝方法を教えています。(「鞘の内」といわれています。)
今日は、全日本剣道連盟の「術技」名をご紹介しておきます。(後日詳細を記載します。)
一本目 前(まえ)
二本目 後ろ(うしろ)
三本目 受け流し(うけながし)
四本目 柄当て(つかあて)
五本目 袈裟切り(けさぎり)
六本目 諸手突き(もろてづき)
七本目 三方切り(さんぽうぎり)
八本目 顔面当て(がんめんあて)
九本目 添え手突き(そえてづき)
十本目 四方切り(しほうぎり)
十一本目 総切り(そうぎり)
十二本目 抜き打ち(ぬきうち)
全日本剣道連盟の規定の年数を修行しますと、昇段審査を受審することが可能となります。
最初は、1級の審査です。制定居合の一本目(前)から五本目(袈裟切り)までを規定の時間内に演武をします。
「礼」の号令で一斉に受審者が演武を開始します。五本演武し終わった人から順に「終わりの刀礼」を行い、携刀姿勢で全員が終わるのを待っています。(緊張の一瞬です。)
さて、今から午前の「杖」の練習を行いますので、このへんで今日は終了とします。
タグ :居合道
Posted by 阿羅漢 at
12:32
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