2010年06月29日
世界最強とは?
世界最強とは何でしょう?
ただ対戦相手を倒し、打ちのめし、これ以上起き上がれないという状態、体勢に持ち込めばそれで最強ですか。
一対一。二対一。何でもそうですが、至近距離に入って(間合い)、そこから蹴る、突く、殴るその結果で相手が倒れる。
格闘技系であれば間合い(蹴り、突きの一歩踏み込んで届く位置)からの対戦が必要となってきますが、居合道や杖道又は剣道など武器を所持しての場合は、間合いの取り方が格闘技とは若干違ってきます。一足一刀の間合いが必要となってきます。格闘技系よりも間合いが遠間となります。
さて、今日の題名として選びました「世界最強とは?」ですが、これは私は、あえて挙げるとすれば私も好きな「拳銃やライフル」が世界で一番の強き者ではないでしょうか。
単純に強さだけ云々という判断基準であれば、選択肢はただ一つです。
拳銃やライフルです。
相手に見えず、隠れた遠方からの殺傷能力の点から言えば、訓練された「ライフル狙撃手」です。
200メートルいや300メートL以上離れている目標も、直ぐ目の前に居る感じで倒していきます。
私も日本に居る時に、ドイツの銃床が木製の空気銃を所持していました。(もちろん警察の「銃砲刀剣類所持等許可」は所持していました。)
自宅から1時間離れています、県営射撃場に何度か行き、10メートル離れた標的を100発は撃ってきます。中々精神の集中訓練にはいいものです。決して鳥獣類へは銃を向けることはしませんでした。(許可をもらったのも、標的射撃だけです。)
さて、今日の本題に戻りますが、単純に強いことだけを考え、相手を倒すことだけを念頭に描いているのであれば、
「世界最強は?」私は、拳銃やライフルです。これ以外にはありません。
武道を修行している者であれば、私が「世界最強」というのは、如何なものでしょうか。一度「世界最強」の地位まで例えば登ったにしても、次の戦いは如何ですか。次の次は如何ですか。
いつも記載していますように、勝負勝敗は時の運です。武道を修行している者は、そのことのみに執着をし固守していますと、「心」の修行が疎かになり、余り良い結果は望めないものだと思いますが如何でしょうか。
『拳禅一如』と『霊肉一如』この教えは少林寺拳法の開祖が説かれました教えですが、共に、肉体と精神を偏ることなく修行しなさい。と言われています。
勝てば次は追われる身の上です。勝負にこだわる勝負に勝つことだけをを目指しての練習は如何なものでしょう。もっと楽しく和気あいあいと、敵も無く、全てが見方、全てが仲間の世界。そのような練習方法が最高だと思いますが。
今日の記事投稿について反論があればドンドン受付けます。
いや違うだろうと言う方が居ましたらお待ちしています。
ただ対戦相手を倒し、打ちのめし、これ以上起き上がれないという状態、体勢に持ち込めばそれで最強ですか。
一対一。二対一。何でもそうですが、至近距離に入って(間合い)、そこから蹴る、突く、殴るその結果で相手が倒れる。
格闘技系であれば間合い(蹴り、突きの一歩踏み込んで届く位置)からの対戦が必要となってきますが、居合道や杖道又は剣道など武器を所持しての場合は、間合いの取り方が格闘技とは若干違ってきます。一足一刀の間合いが必要となってきます。格闘技系よりも間合いが遠間となります。
さて、今日の題名として選びました「世界最強とは?」ですが、これは私は、あえて挙げるとすれば私も好きな「拳銃やライフル」が世界で一番の強き者ではないでしょうか。
単純に強さだけ云々という判断基準であれば、選択肢はただ一つです。
拳銃やライフルです。
相手に見えず、隠れた遠方からの殺傷能力の点から言えば、訓練された「ライフル狙撃手」です。
200メートルいや300メートL以上離れている目標も、直ぐ目の前に居る感じで倒していきます。
私も日本に居る時に、ドイツの銃床が木製の空気銃を所持していました。(もちろん警察の「銃砲刀剣類所持等許可」は所持していました。)
自宅から1時間離れています、県営射撃場に何度か行き、10メートル離れた標的を100発は撃ってきます。中々精神の集中訓練にはいいものです。決して鳥獣類へは銃を向けることはしませんでした。(許可をもらったのも、標的射撃だけです。)
さて、今日の本題に戻りますが、単純に強いことだけを考え、相手を倒すことだけを念頭に描いているのであれば、
「世界最強は?」私は、拳銃やライフルです。これ以外にはありません。
武道を修行している者であれば、私が「世界最強」というのは、如何なものでしょうか。一度「世界最強」の地位まで例えば登ったにしても、次の戦いは如何ですか。次の次は如何ですか。
いつも記載していますように、勝負勝敗は時の運です。武道を修行している者は、そのことのみに執着をし固守していますと、「心」の修行が疎かになり、余り良い結果は望めないものだと思いますが如何でしょうか。
『拳禅一如』と『霊肉一如』この教えは少林寺拳法の開祖が説かれました教えですが、共に、肉体と精神を偏ることなく修行しなさい。と言われています。
勝てば次は追われる身の上です。勝負にこだわる勝負に勝つことだけをを目指しての練習は如何なものでしょう。もっと楽しく和気あいあいと、敵も無く、全てが見方、全てが仲間の世界。そのような練習方法が最高だと思いますが。
今日の記事投稿について反論があればドンドン受付けます。
いや違うだろうと言う方が居ましたらお待ちしています。
タグ :強さとは
Posted by 阿羅漢 at
22:03
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