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プロフィール
阿羅漢
とにかく日本武道(杖道,居合道,護身術)が好きで、毎日稽古で汗を流しています。
タイ国はイサ-ン地方の田舎町に念願の、武道と日本の文化及び伝統や歴史を知ってもらうための発信基地「少林夢想会」を設立し、日々武道の稽古に勤しんでいます。
自前の道場ですので、稽古はいつでもできます。是非一緒に武道の稽古を遣りましょう。初心者も大歓迎です。心から、お待ちしています。

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Posted by namjai at

2010年03月31日

武道と宗教

 古の先達の多くは天性の資質を生かし、武芸の師匠の厳格な指導に耐え抜き、その後に自己の研鑽と努力を重ねその結果道を究める者が多くいます。その一流一派を立ち上げた剣客等達の多くは、その流派の冠に「神道」,「神伝」をつけることが多くあります。それは何故か。よくでてくる逸話は、満願の日に、神童が現れて「偈」を授けてくれる。また、不思議な「仙人」や「聖の僧」から、技を伝授される等々。その流派には、神がかり的な事象が多く語り継がれています。
 私が修行しています『杖道』の先生は、「神道夢想流杖術」の免許皆伝であります。また、全日本剣道連盟の杖道八段範士であります。また、も一つ修行中の『居合道』は「夢想神伝流」といいまして、全国ではかなりの人達が修行していて、一番修行人口が多くいます。
 さて、標題の「武道と宗教」ですが、今日この題を選定したのにはいくつかの意味があります。一つには大きな私の目標であります、1年半後に迫ってきた全日本剣道連盟の居合道4段の昇段審査が有ります。この審査会に望むに当たり私が立てた一つの誓いの中に、『心の安寧』を掲げました。『心の安寧』をどの様にして達成していこうか。考えた結果でた答えは、「座禅」です。日本にいた時(10年以上前)から、タイのお寺に行き参禅していましたので、瞑想を行うことは抵抗が無く入っていくことができました。
 居合道の言葉の中に「鞘の内」ということがあります。これは、敵と対戦した時に、太刀を抜かずに自らの気合で圧倒し、相手を服従させる事をいいます。勝負は、「鞘の内」にありといいます。
 前日記載しました、「武の意義」がこれに当たるのではないでしょうか。刀を抜かずに勝負を決する。かなりの胆力と精神力が必要とされます。しかし、無用な戦いは避けられることが出来るものは避けるべきでありますので、これが本当の武道修行者のあるべき姿では無いでしょうか。(理想の姿では有りますが。)
 心の動揺を抑え確固たる揺るぎの無い心を作っていく方法の一つは、瞑想、「座禅」をやる事かと思います。三段までの昇段審査とは格が違ってくる4段受審に望むに当たり、宗教に頼るのではなく、宗教を自分自身の生活の糧として、心の安心や自分の生活の目標として生かしています。
 武道には「心」の安寧も必要となってきます。その心の醸成を求める方法として私は、宗教【仏教】を心の支えとしています。  
タグ :武道と宗教


Posted by 阿羅漢 at 14:20Comments(1)

2010年03月29日

武道について(武とは。武道とは。武の意義と武道の本質)

 武道を修行している者にとって昇段審査は、一つの関門又は自分の修行の度合いを知る上で、非常に大切な節目で有ると私は考えています。人によっては昇段なんて二の次、技が上手くなれば、技が人よりも上達すれば、それでいいんだ、という人もいるかもしれません。それはその人の考え方ですから、私はあえて否定はしません。一般論として申し上げれば修行過程における昇段審査は、必要不可欠なものです。
 この昇段審査、全日本剣道連盟(以下。「全剣連」)で申し上げますが、杖道,剣道,居合道全てにおいて共通していえますが、最初に実技審査が行われ、この審査に合格した人が次の学科審査(筆記試験)に臨めます。〈地区によっては事前に学科審査内容が知らされていて、審査当日に受付にて「答案」を提出する方式もあります。〉今回は私の受審しています地区でのことに限定して書きます。
 すなわち、実技が非常に人よりも優れていて、誰が見ても素晴らしい技で超一流だ。といっても、次の学科審査が無回答〈白紙状態)では、昇段は不合格となります。
 また、全剣連では『昇段審査規則 同細則』が定められています。例えば、杖道に入門しました。直近の審査会が開催された時に、1級が取得できます。1級取得後また直近の審査会で初めて「初段」の審査に臨めます。一般的には初段受有後1年以上修行した人は二段を受験できる資格が生まれてきます。以下三段は二段受有後2年、4段は受有後3年というように、自分の現在の段位相当年数を経ないと、次の段位を取得できない制度となっています。

 前段が長くなりましたが、本題に入りたいと思います。私が何時も練習をする時に念頭に置いていることがあります。それは、「武とは。武道とは。武の意義と武道の本質とは」です。ただ単に、棒を振り回す、打ち付ける。刀を抜き切り付ける。竹刀を相手に当てる。だけが武道ですか?

 では、武道とは何なのか。今日はさわりだけですが最初に「武道」を考えてみたいと思います。
 辞書によりますと「武道」とは、
  1.武士の守るべき道。武士道。
  2.武術に関する道。剣術・弓術など。
 と簡単な言い回しでしか出てきません。武士の守るべき道が武道ですか。では、「武」とは何でしょう。
 同じく辞書によりますと、
  1.戦いに関する事柄。武芸。「武を尚ぶ」また「文武の道」
  2.軍事力。武力。「-を用いる」 
 と記載されています。
 
 漢字の成り立ちから見ますと、「武」とは『会意文字』【漢字の六書(りくしょ)の一つ。】であり、二つの以上の字を合わせて、新しい字形と意味を構成する方法でありまして、すなわち、『二つ』の『矛』(ほこ)を『止める』ことが「武」であります。
 争いごとが起きている渦中に割り込んでいき、その闘争を静止させる。これこそが本来の「武」であります。ですから、割ってはいるだけの勇気と胆力そして、武の裏づけとなる『武道』(武の技術)が自分自身の身についていなければ、決してできることではありません。ただ単に中に入り込んだのはいいが、自分が逆に叩き伏せられてしまい、返って話が複雑になってしまっては、もともこもありません。
 争いごとを静止することは並大抵のことではできません。しかし、武道を修行することにより自分自身を守れるだけの自身と、率先垂範できる行動力が備わってくれば、それはそれで、武道修行の一段階としては効果があったものとみなされると思います。
 今日は武道の中の「武」について、本当のさわり程度ですが記載してみました。次は後日また改めまして。  
タグ :武道


Posted by 阿羅漢 at 16:51Comments(0)

2010年03月28日

書籍「他力」のご紹介

 昨日の記事「杖道」の中で一部引用させてもらいました、『五木寛之著書「他力」』の中で皆さんに是非ご紹介したい文章がありましたので、抜粋して記載してみました。

 そもそもこの本を知るきっかけとなりましたのは、私の杖道の師匠であります松井健二先生(神道夢想流杖術免許皆伝,全日本剣道連盟杖道範士八段)が主宰しています杖道組織、「杖心会」から毎月定例的に発行されています会報紙に、先生自らがお読みになった書物の内、弟子達に是非読んでおきなさい、とご推薦くださる書物が記載されております。上記の「他力」もその中の一冊です。
 
 この「他力」という本は、 1. 〈他力〉という不思議な感覚から  100. 人の悲しみを大事にすることまで、随筆のように短い文章で簡潔に解り易く書かれています。全体的に流れています思想といいますか考えは、五木寛之本人が今まで経験してきた人生の中での人生観と、親鸞聖人及び蓮如の二人の偉大なる、特に五木寛之が思想的に傾注している、蓮如という人物(思想家)の影響が色濃く文章の中から滲み出てきています。
 この本を紐解いていて最初に興味を覚えた文章は、

 「32. 先生も親もやわららかな心が欠けているのでは」
 最近、子供のいじめの問題や自殺がふえるなど、いろいろなことが次々に起きています。そこに何が欠けているかというと、いじめる子供にも、いじめられる子供にも、それから学校の先生にも親にも、感じやすいやわらかな心ではないかと思います。(中抜き)
 ところが、今の日本の社会では、物の見方や価値観が偏っています。一方しか見なかったり、一点しか見なかったりしている。女性的なものに対する偏見もすごい。また、知的なものに対しては高く評価するのに対して、情とか涙とかをとても嫌う。情というのは、じつに大事なことなのです。
 いま宗教が大事だとか、信仰を取り戻そうとか、いろいろ言われていますが、それができるかどうかは、この人ならついていって自分は後悔しないと思うような人と出会えるか出会えないかに尽きるでしょう。言い換えれば、〈情〉のこもった情報を伝える相手に巡り合えるか、また、その情報を受け入れるやわらかい「心」を持っているかどうか、ということです。 
 
  「68. 母親をリヤカ-に乗せ、弟や妹の手を引きつつ」
 敗戦を伝える放送があった日の夕方、父親の教え子だった(中抜き)
 私たちは愚かしく、弱い存在です。これから先、日本国民が二度と過ちを犯さないなどとは思わない。しかし、私たちは貴重な体験をしました。国家と同じように、自分たちを安易に信用しない、という一点だけでも大切にしてゆきたいと思っています。


  「76. 欲望や煩悩から自力で解脱することはできない」
 〈諦め〉という言葉には、非常にネガティブなイメ-ジがあります。しかし、諦めるということは本当に悪いことなのだろうか。
 諦めるということは、受け身で弱々しいことのように思われますが、〈諦める〉ということは、じつは、「明らかに究める」ということです。物事を明らかにし、その本質を究めること。勇気を持って真実を見極め、それを認めることが、本当の〈諦める〉ということなのです。(中抜き)
 親鸞は29歳まで厳しい修行を行いました。しかし、どんなに修行を積んでも、自分の中に邪心や欲望の火が燃え盛るのをどうしても抑えることができなかった。そして、彼は悟るのです。 
 「自力では悟れぬものと悟りたり」
 つまり、親鸞は、自分の力で解脱することはできないと諦めたわけです。

  「81. 影を見ることで光を知る」
 法然、親鸞、蓮如という浄土宗、浄土真宗は、自ら背負っている業の深さや己の愚かさという、自分の暗い部分をしっかりと見定めることによって、(中抜き)
 人間は、背後から大いなる光明に照らされているということを、空を見あげるだけではなかなか知ることができない。むしろ、顔を伏せて、胸を張らずに、足下をふっと見下ろしたとき、そこには長く濃く伸びている自分の影をはっきりと見ることができる。その影が濃ければ濃いほど、影が黒ければ黒いほど、自分を照らしている光の強さがわかるのです。
 「己の黒き影を見よ」

 長くなりましたが以上が、『五木寛之著書「他力」』の本の中からの抜粋文章です。私は決して浄土宗や浄土真宗の門徒ではありません。むしろ、原始仏教といいますか、「小乗仏教」の方に興味があり、タイにやって来てタイに住居しています。
 武道と宗教。私は宗教の教えも大切に感じていますがそれよりは、どちらかといいますと、座禅,鎮魂行,瞑想に大いに興味を持ってこの宗教に導かれています。武道を修行していく中で技術の練習も大切ですが、『武』の本質を理解していくには、『心』の修養も伴わなければ、私は意味がないと思い、武道の技術の鍛錬と共に心の鎮魂行も併せて行っています。
 そのような中で、この本を先生からご紹介いただき読んでみての文章をご紹介いたしました。  
タグ :書籍紹介


Posted by 阿羅漢 at 15:39Comments(2)

2010年03月27日

杖道のこと

 今日は私が今、特に力を入れて修行しています、も一つの武道、『杖道』についてご紹介していきたいと思います。
 杖道は少林寺拳法と同じ練習方法を行います。といいますのは、同じ基本動作で単独練習(単独動作)と相対練習(相対動作)の二つがあります。
 例えば、少林寺拳法には順突,逆突等の突きと、内受け,下受け等の受けが有り、これを単独で練習しその後、相手と組んで(組手)、相手が順突で突いてきたところを、その突きを内受けで受ける、ということを行います。
 杖道は杖の本手打,逆手打等の単独動作の後、太刀(木刀)と組んで、相対の本手打,逆手打等の練習を行います。単独練習では相手との間合いや呼吸を汲み取る事が出来ませんが、相対練習になると相手(太刀)が打ってきた動態を逃すことなくとらえ、杖はこれを的確に捌き且つ太刀を制していきます。この相手との間合いや相手の呼吸を捉えられることは、単独練習では出来ませんので、やはり相対動作の練習が大切なものとなってきます。
 では、杖道についても少し詳しく説明していきたいと思います。
 杖道は剣道や居合道と同じく、全日本剣道連盟(以下。「全剣連」といいます。)の組織に属しています。全剣連の中にありましても、剣道及び居合道ほど未だ練習する人がいないものですから、一般的に余り聞いたことがなく、馴染みの薄い武道のようですが、その歴史は決して浅いものでは有りません。
 全剣連杖道の母体となりますのは『神道夢想流杖術』です。この(杖術)の創始者は、夢想権之助勝吉(むそうごんのすけかつよし)といいます。夢想権之助は、神道流,新当流の奥義を究め、「一の太刀」の極意も授かったと伝えられます。剣客として名をはせた夢想権之助は、宮本武蔵と同じ時代を生きています。
 夢想権之助は慶長の頃、江戸に出て著名な剣術使いと数多く仕合をし、一度も敗れたことが無かったといわれています。しかし、一度だけ、宮本武蔵と対決して極意の「十字留」にかかり、敗れたとのことです。
 敗戦の悔しい思いを胸に秘めた夢想権之助は、修練を重ねながら全国を行脚し、修験者の修法場として栄えた「宝満山」で艱難辛苦の修行を積み、満願の夜、夢の中に神童が現れて「丸木をもって水月を知れ」というご神託を伝えられました。 夢想権之助は、これをもとにさらに創意工夫を重ね、ついに宮本武蔵の十字留を破ったと口承されています。
 その後、夢想権之助は創始した棒術をもって筑前黒田藩に召し抱えられたとされていますが、その出生,氏素性,身分,禄高等は明らかで有りません。
 杖術は江戸期,明治時代,大正,昭和と歴史的な流れと変遷を重ねてきまして、昭和30年に日本杖道連盟(次年に全日本杖道連盟に改称)が発足。全日本杖道連盟は昭和31年に全剣連に加入し、全剣連盟傘下団体としてその普及にも力を傾注することとなりました。
 【この記事を記載する当たりましては、 改訂 杖道入門「編著者;松井健二先生(神道夢想流杖術免許皆伝,全日本剣道連盟杖道範士八段)の中から一部引用させていただきました。】
 
 (「杖道の特徴」等は後日、記事投稿します。)
   
タグ :杖道


Posted by 阿羅漢 at 14:35Comments(0)

2010年03月25日

少林寺拳法の友のこと

 少林寺拳法の友とは同じ職場でした。職場といっても業種が色々有り、別な部署に勤務していましたが、偶然に道院で知り合いとなり、私よりは3歳年下でしたが、空手の経験者で有り。突きと蹴りは、私には遠く及ばないところがありました。
 1級の試験は別な人と組んで審査を受けましたが、初段から三段受験まで共に練習に励み、無事に合格印可状をいただいています。
 彼の結婚式には、袈裟(法衣)を着用し道院長の協力を得て、演武を披露させていただきました。(当日の事は昨日の事のように覚えています。)拳士の結婚式には、約5分位の剛法柔法を組み合わせた演武を行います。目の前で突いたり蹴ったりしているのを見る事ができ、結婚式に列席した人達には大変喜ばれた事を記憶しています。
 彼は私より背丈が低いのに、体重は重かったです。練習を重ねていても減量が出来ないのは、食べ過ぎが原因だったのかな(今となっては本人に聞く事も出来ませんが)。
 少林寺拳法は剛法(突いたり蹴ったり)と柔法(関節技と投げ技)が有ります。突き蹴りはいいのですが、柔法の投げ技になると体重がもろに影響してきます。しかし、力ではなく技を駆使して彼を投げました。投げるといっても床にぶつけるのではなく、柔道の「背負い投げ」を手を握ったままで相手を投げる「一本背投げ」という技です。投げる人の担ぎ方と背の丸め方、腕の振り方及び投げられる人の、背の張り、反りと腕のツッパリがこの技を綺麗に見せるコツです。二人でよくこれを練習しました。試験にも出て無事技が極まった事を記憶しています。
 また道院では剛法の乱捕りも行いました。一度私の右拳が彼の左目に入り左目を腫らした事が有りました。乱捕りは何時も真剣勝負です。気を抜いて行うと思わぬ怪我をします。
 私が2年前の3月末に職場を定年退職する時には、奥さんと共に私の職場に会いに来てくれました。「退職後私は、タイに行くから是非二人して遊びに来てください。」と、言った事を覚えています。奥さんも何度も彼と共に会っていて、気心の知れた間柄でした。
 「彼が死んじゃったよ!」と、奥さんから家に電話があったのは、私の友人から彼の死んだ事を聞いて直ぐでした。前日が職場で行っている「ノ-マイカ-デ-」で、夜勤明けの午前9時過ぎに、帰り道が同じ方向であった友達を送っての帰宅途中、自宅まで後1キロと離れていない場所です。交差点の先頭に止まった彼は、信号機の「色」が変わったので車を発進させたところ、右側から坂道を登って加速がついている貨物トラックが、彼の車の運転席目掛けて突っ込んできて、彼の車を斜め左のブロック塀へと飛ばしました。救急車が到着し載せられて病院に搬送されるまで、救急隊員と話をしていたとの事であり、肝臓が破裂していたが、意識はしっかりしていたのはさすが、少林寺拳法で鍛えた体は素晴らしいものだと関心をしました。
 直ぐに自宅に会いに行きました。頭を打ったらしく顔がだいぶ腫れていましたが、彼の面影は全然変わっていませんでした。もし、信号機が変わる前に通り過ぎていたら。もし、「ノ-マイカ-デ-」が無く、真直ぐに帰宅していたら。後、3年(この時点。今では1年)で定年退職でした。そして、奥さんと二人で私の住んでいるこの町に会いに来てくれるはずでした。可愛い娘さん二人を残し‥‥。
 楽しかった「少林寺拳法」の思い出を胸に‥‥。友よ安らかに‥‥。  


Posted by 阿羅漢 at 00:45Comments(0)

2010年03月23日

少林寺拳法練習顛末

 やはり職場単位での練習楽しいでした。練習場が確保できました。職場近くの小学校の体育館を、校長の許可をいただき借用する事が出来ました。ここでは、拳法の練習もやりましたが、小学生と体育館で遊んだり、自分たちでバスケットをやったりと、練習半分娯楽半分のどちらかというと遊び的なことが多かったでした。
 職場の運動会が開かれ昼休みの時間に、少林寺拳法の演武をやろうということになり、4組8人が昼に道衣(全員白帯)に着替え、簡単な演武を20分位見せました。また、夏には合宿と銘打って2泊3日で国民宿舎に寝泊りをし、公園の芝生での楽しい練習も行いました。海へも皆で合宿に行きました。職場の提携宿泊所が有り、その屋上に出て潮風を胸に一杯吸い込みながら、気合充分に練習をしました。
 そうこうしている内に、私は元来武道が好きで、特に無手での格闘技に興味があったので、職場の練習から一歩前進すべく一人、町の「道院」(少林寺拳法の道場をこう呼ぶ)に行き入門の許可を貰い、職場とは別に練習を始めました。週に2回の練習でした。楽しくて時間が待ちきれず、練習日はかなり早く道場に行きました。土曜日は空手が練習をしていましたので、それを見学させてもらいながら、技を盗んでいました。空手の上段直突きは早いですね。感心して見ていました。これを何度も練習して見ました。
 1級に合格し白帯から茶帯となり、初段合格。晴れての「黒帯」です。感慨無料でした。いつの間にか入門してから2年が経っていました。白から茶になり黒と色が変化する事は、そのやっている物事に深く染まってくる事を意味しています。
 『花嫁さんが結婚式の時に白無垢の和服を着て登場しますが、これは早く婚家の仕来たり家風に染まるように、心も体も全てが純白です、早く染めてくださいという願いが込めれれているようです。蛇足ですが。』
 本山(四国多度津)に帰参するには二段の審査をする必用が有り、練習に励み初めて本山に行く事が出来ました。管長(開創)の法話を生の声でお聞きすることが出来ました。管長は、ここのこの場所は、君達皆の者だ。何時でも帰って来い。と、嬉しいお言葉をいただいています。また、本山の広い大講堂での練習は感慨深いものがありました。二段の審査にも無事合格し、小拳士二段となりました。さて、三段の審査まではやはり3年の修行年限が有ります。しかし、この3年を何とか修行し、初段から一緒に練習、審査と苦労を共にし痛みを楽しんだ友と、共に再び少林寺拳法本山に受験に赴き無事合格。印可状をいただき「三段 中拳士」となりました。
 しかし、この一緒に練習を積んできた友が、相手の信号無視の交通事故で呆気なく逝ってしまいました。なんとはかない事か。退職まであと3年というところでした。  
タグ :少林寺拳法


Posted by 阿羅漢 at 13:37Comments(0)

2010年03月17日

少林寺拳法の練習開始

 さて、練習の開始です。何をやるの大変楽しみです。一日の仕事終了後の午後5時半頃からジャ-ジ姿に着替え、さっそく少林寺拳法の練習が開始された。言いだしっぺの人が結局、10人近くの人を勧誘してきて練習開始となったが、練習場所の確保までは頭が回らなかった、というか、練習場所確保までは時間的な余裕が無かったため、仮の練習場(仕事場の地下広場)に皆が集合してきた。
 それぞれが準備運動をした後、丸くなって突きの開始です。拳闘と同じ様な構えから右,左と打っていきますが、どこをどんな形でやったらいいのか、皆目解らない中での突きの開始です。指導をする人は、少林寺拳法二段(少拳士)の人ですが、自分ができるのと人に教えるのとでは全然勝手が違うので難しいのか、中々先に進みませんでした。(ここで教訓を学びました。;自分が知っていて出来る事と、人に教えて出来る様にする事とは大変違いが有る)人に教えるのには、それなりの努力と、勉強,忍耐、また、自分自身の自覚が必要であると思います。
 最初の日は、円になっての突きの練習だけで終了となりましたが、この突き方、今に思えば、外で見ている人にとってこの人達ダンスでもやっているのかな、位の程度にしか写らなかったのではないかと思います。突く場所や相手のことも考えず(仮想敵)、闇雲に突きをやっていたような気がします。自分と同じ目線の相手のどこを突いていくか、を考えず天上方向をやたら突き込んでいたのではないかな。今思うといい反省材料です。人に教える時には理屈ではないですが、遠回りな言い方をして教えるよりは、この突きはここをこの方向からこのように突いていけば一番端的に効果が現れる。と、いうように教えた方が相手にとって解り易いのではないかと思います。今日は以上です。次回はまた、練習風景を記載していきたいと思っています。  
タグ :少林寺拳法


Posted by 阿羅漢 at 16:54Comments(0)

2010年03月17日

武道修行のこと

 武道(格闘技)の修行をはじめて何年が経つだろう。仕事先で偶然出会った職場の同僚(同じ大学の卒業生)から、「今度、少林寺拳法の錬習を職場の連中でやるからつき合え。」え、少林寺拳法(?)。良く解らなかった。お寺の人達がやっている「拳法」。話を聞いてみると、学生の時「靖国神社」へ参拝に行くと、卍の旗を立て学生服を着た学生集団が、集合している姿を大鳥居をくぐった境内で何度となく目にしていた。
 しかし、どんな事をやるのか皆目検討(拳法ではない)がつかなかったが、この何が起こるかわからない不穏な世情、以前から無手、徒手空拳を一つぐらいは自分のものとして、身に着けてみたいとは思っていたので、即座に練習に参加する事を承諾した。
 これから、この「少林寺拳法」修行の顛末を何回かに分けて記事を投稿しいていきたいと考えています。今日は以上とします。  
タグ :少林寺拳法


Posted by 阿羅漢 at 01:28Comments(0)少林寺拳法