2010年03月28日
書籍「他力」のご紹介
昨日の記事「杖道」の中で一部引用させてもらいました、『五木寛之著書「他力」』の中で皆さんに是非ご紹介したい文章がありましたので、抜粋して記載してみました。
そもそもこの本を知るきっかけとなりましたのは、私の杖道の師匠であります松井健二先生(神道夢想流杖術免許皆伝,全日本剣道連盟杖道範士八段)が主宰しています杖道組織、「杖心会」から毎月定例的に発行されています会報紙に、先生自らがお読みになった書物の内、弟子達に是非読んでおきなさい、とご推薦くださる書物が記載されております。上記の「他力」もその中の一冊です。
この「他力」という本は、 1. 〈他力〉という不思議な感覚から 100. 人の悲しみを大事にすることまで、随筆のように短い文章で簡潔に解り易く書かれています。全体的に流れています思想といいますか考えは、五木寛之本人が今まで経験してきた人生の中での人生観と、親鸞聖人及び蓮如の二人の偉大なる、特に五木寛之が思想的に傾注している、蓮如という人物(思想家)の影響が色濃く文章の中から滲み出てきています。
この本を紐解いていて最初に興味を覚えた文章は、
「32. 先生も親もやわららかな心が欠けているのでは」
最近、子供のいじめの問題や自殺がふえるなど、いろいろなことが次々に起きています。そこに何が欠けているかというと、いじめる子供にも、いじめられる子供にも、それから学校の先生にも親にも、感じやすいやわらかな心ではないかと思います。(中抜き)
ところが、今の日本の社会では、物の見方や価値観が偏っています。一方しか見なかったり、一点しか見なかったりしている。女性的なものに対する偏見もすごい。また、知的なものに対しては高く評価するのに対して、情とか涙とかをとても嫌う。情というのは、じつに大事なことなのです。
いま宗教が大事だとか、信仰を取り戻そうとか、いろいろ言われていますが、それができるかどうかは、この人ならついていって自分は後悔しないと思うような人と出会えるか出会えないかに尽きるでしょう。言い換えれば、〈情〉のこもった情報を伝える相手に巡り合えるか、また、その情報を受け入れるやわらかい「心」を持っているかどうか、ということです。
「68. 母親をリヤカ-に乗せ、弟や妹の手を引きつつ」
敗戦を伝える放送があった日の夕方、父親の教え子だった(中抜き)
私たちは愚かしく、弱い存在です。これから先、日本国民が二度と過ちを犯さないなどとは思わない。しかし、私たちは貴重な体験をしました。国家と同じように、自分たちを安易に信用しない、という一点だけでも大切にしてゆきたいと思っています。
「76. 欲望や煩悩から自力で解脱することはできない」
〈諦め〉という言葉には、非常にネガティブなイメ-ジがあります。しかし、諦めるということは本当に悪いことなのだろうか。
諦めるということは、受け身で弱々しいことのように思われますが、〈諦める〉ということは、じつは、「明らかに究める」ということです。物事を明らかにし、その本質を究めること。勇気を持って真実を見極め、それを認めることが、本当の〈諦める〉ということなのです。(中抜き)
親鸞は29歳まで厳しい修行を行いました。しかし、どんなに修行を積んでも、自分の中に邪心や欲望の火が燃え盛るのをどうしても抑えることができなかった。そして、彼は悟るのです。
「自力では悟れぬものと悟りたり」
つまり、親鸞は、自分の力で解脱することはできないと諦めたわけです。
「81. 影を見ることで光を知る」
法然、親鸞、蓮如という浄土宗、浄土真宗は、自ら背負っている業の深さや己の愚かさという、自分の暗い部分をしっかりと見定めることによって、(中抜き)
人間は、背後から大いなる光明に照らされているということを、空を見あげるだけではなかなか知ることができない。むしろ、顔を伏せて、胸を張らずに、足下をふっと見下ろしたとき、そこには長く濃く伸びている自分の影をはっきりと見ることができる。その影が濃ければ濃いほど、影が黒ければ黒いほど、自分を照らしている光の強さがわかるのです。
「己の黒き影を見よ」
長くなりましたが以上が、『五木寛之著書「他力」』の本の中からの抜粋文章です。私は決して浄土宗や浄土真宗の門徒ではありません。むしろ、原始仏教といいますか、「小乗仏教」の方に興味があり、タイにやって来てタイに住居しています。
武道と宗教。私は宗教の教えも大切に感じていますがそれよりは、どちらかといいますと、座禅,鎮魂行,瞑想に大いに興味を持ってこの宗教に導かれています。武道を修行していく中で技術の練習も大切ですが、『武』の本質を理解していくには、『心』の修養も伴わなければ、私は意味がないと思い、武道の技術の鍛錬と共に心の鎮魂行も併せて行っています。
そのような中で、この本を先生からご紹介いただき読んでみての文章をご紹介いたしました。
そもそもこの本を知るきっかけとなりましたのは、私の杖道の師匠であります松井健二先生(神道夢想流杖術免許皆伝,全日本剣道連盟杖道範士八段)が主宰しています杖道組織、「杖心会」から毎月定例的に発行されています会報紙に、先生自らがお読みになった書物の内、弟子達に是非読んでおきなさい、とご推薦くださる書物が記載されております。上記の「他力」もその中の一冊です。
この「他力」という本は、 1. 〈他力〉という不思議な感覚から 100. 人の悲しみを大事にすることまで、随筆のように短い文章で簡潔に解り易く書かれています。全体的に流れています思想といいますか考えは、五木寛之本人が今まで経験してきた人生の中での人生観と、親鸞聖人及び蓮如の二人の偉大なる、特に五木寛之が思想的に傾注している、蓮如という人物(思想家)の影響が色濃く文章の中から滲み出てきています。
この本を紐解いていて最初に興味を覚えた文章は、
「32. 先生も親もやわららかな心が欠けているのでは」
最近、子供のいじめの問題や自殺がふえるなど、いろいろなことが次々に起きています。そこに何が欠けているかというと、いじめる子供にも、いじめられる子供にも、それから学校の先生にも親にも、感じやすいやわらかな心ではないかと思います。(中抜き)
ところが、今の日本の社会では、物の見方や価値観が偏っています。一方しか見なかったり、一点しか見なかったりしている。女性的なものに対する偏見もすごい。また、知的なものに対しては高く評価するのに対して、情とか涙とかをとても嫌う。情というのは、じつに大事なことなのです。
いま宗教が大事だとか、信仰を取り戻そうとか、いろいろ言われていますが、それができるかどうかは、この人ならついていって自分は後悔しないと思うような人と出会えるか出会えないかに尽きるでしょう。言い換えれば、〈情〉のこもった情報を伝える相手に巡り合えるか、また、その情報を受け入れるやわらかい「心」を持っているかどうか、ということです。
「68. 母親をリヤカ-に乗せ、弟や妹の手を引きつつ」
敗戦を伝える放送があった日の夕方、父親の教え子だった(中抜き)
私たちは愚かしく、弱い存在です。これから先、日本国民が二度と過ちを犯さないなどとは思わない。しかし、私たちは貴重な体験をしました。国家と同じように、自分たちを安易に信用しない、という一点だけでも大切にしてゆきたいと思っています。
「76. 欲望や煩悩から自力で解脱することはできない」
〈諦め〉という言葉には、非常にネガティブなイメ-ジがあります。しかし、諦めるということは本当に悪いことなのだろうか。
諦めるということは、受け身で弱々しいことのように思われますが、〈諦める〉ということは、じつは、「明らかに究める」ということです。物事を明らかにし、その本質を究めること。勇気を持って真実を見極め、それを認めることが、本当の〈諦める〉ということなのです。(中抜き)
親鸞は29歳まで厳しい修行を行いました。しかし、どんなに修行を積んでも、自分の中に邪心や欲望の火が燃え盛るのをどうしても抑えることができなかった。そして、彼は悟るのです。
「自力では悟れぬものと悟りたり」
つまり、親鸞は、自分の力で解脱することはできないと諦めたわけです。
「81. 影を見ることで光を知る」
法然、親鸞、蓮如という浄土宗、浄土真宗は、自ら背負っている業の深さや己の愚かさという、自分の暗い部分をしっかりと見定めることによって、(中抜き)
人間は、背後から大いなる光明に照らされているということを、空を見あげるだけではなかなか知ることができない。むしろ、顔を伏せて、胸を張らずに、足下をふっと見下ろしたとき、そこには長く濃く伸びている自分の影をはっきりと見ることができる。その影が濃ければ濃いほど、影が黒ければ黒いほど、自分を照らしている光の強さがわかるのです。
「己の黒き影を見よ」
長くなりましたが以上が、『五木寛之著書「他力」』の本の中からの抜粋文章です。私は決して浄土宗や浄土真宗の門徒ではありません。むしろ、原始仏教といいますか、「小乗仏教」の方に興味があり、タイにやって来てタイに住居しています。
武道と宗教。私は宗教の教えも大切に感じていますがそれよりは、どちらかといいますと、座禅,鎮魂行,瞑想に大いに興味を持ってこの宗教に導かれています。武道を修行していく中で技術の練習も大切ですが、『武』の本質を理解していくには、『心』の修養も伴わなければ、私は意味がないと思い、武道の技術の鍛錬と共に心の鎮魂行も併せて行っています。
そのような中で、この本を先生からご紹介いただき読んでみての文章をご紹介いたしました。
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Posted by 阿羅漢 at
15:39
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