2010年03月27日
杖道のこと
今日は私が今、特に力を入れて修行しています、も一つの武道、『杖道』についてご紹介していきたいと思います。
杖道は少林寺拳法と同じ練習方法を行います。といいますのは、同じ基本動作で単独練習(単独動作)と相対練習(相対動作)の二つがあります。
例えば、少林寺拳法には順突,逆突等の突きと、内受け,下受け等の受けが有り、これを単独で練習しその後、相手と組んで(組手)、相手が順突で突いてきたところを、その突きを内受けで受ける、ということを行います。
杖道は杖の本手打,逆手打等の単独動作の後、太刀(木刀)と組んで、相対の本手打,逆手打等の練習を行います。単独練習では相手との間合いや呼吸を汲み取る事が出来ませんが、相対練習になると相手(太刀)が打ってきた動態を逃すことなくとらえ、杖はこれを的確に捌き且つ太刀を制していきます。この相手との間合いや相手の呼吸を捉えられることは、単独練習では出来ませんので、やはり相対動作の練習が大切なものとなってきます。
では、杖道についても少し詳しく説明していきたいと思います。
杖道は剣道や居合道と同じく、全日本剣道連盟(以下。「全剣連」といいます。)の組織に属しています。全剣連の中にありましても、剣道及び居合道ほど未だ練習する人がいないものですから、一般的に余り聞いたことがなく、馴染みの薄い武道のようですが、その歴史は決して浅いものでは有りません。
全剣連杖道の母体となりますのは『神道夢想流杖術』です。この(杖術)の創始者は、夢想権之助勝吉(むそうごんのすけかつよし)といいます。夢想権之助は、神道流,新当流の奥義を究め、「一の太刀」の極意も授かったと伝えられます。剣客として名をはせた夢想権之助は、宮本武蔵と同じ時代を生きています。
夢想権之助は慶長の頃、江戸に出て著名な剣術使いと数多く仕合をし、一度も敗れたことが無かったといわれています。しかし、一度だけ、宮本武蔵と対決して極意の「十字留」にかかり、敗れたとのことです。
敗戦の悔しい思いを胸に秘めた夢想権之助は、修練を重ねながら全国を行脚し、修験者の修法場として栄えた「宝満山」で艱難辛苦の修行を積み、満願の夜、夢の中に神童が現れて「丸木をもって水月を知れ」というご神託を伝えられました。 夢想権之助は、これをもとにさらに創意工夫を重ね、ついに宮本武蔵の十字留を破ったと口承されています。
その後、夢想権之助は創始した棒術をもって筑前黒田藩に召し抱えられたとされていますが、その出生,氏素性,身分,禄高等は明らかで有りません。
杖術は江戸期,明治時代,大正,昭和と歴史的な流れと変遷を重ねてきまして、昭和30年に日本杖道連盟(次年に全日本杖道連盟に改称)が発足。全日本杖道連盟は昭和31年に全剣連に加入し、全剣連盟傘下団体としてその普及にも力を傾注することとなりました。
【この記事を記載する当たりましては、 改訂 杖道入門「編著者;松井健二先生(神道夢想流杖術免許皆伝,全日本剣道連盟杖道範士八段)の中から一部引用させていただきました。】
(「杖道の特徴」等は後日、記事投稿します。)
杖道は少林寺拳法と同じ練習方法を行います。といいますのは、同じ基本動作で単独練習(単独動作)と相対練習(相対動作)の二つがあります。
例えば、少林寺拳法には順突,逆突等の突きと、内受け,下受け等の受けが有り、これを単独で練習しその後、相手と組んで(組手)、相手が順突で突いてきたところを、その突きを内受けで受ける、ということを行います。
杖道は杖の本手打,逆手打等の単独動作の後、太刀(木刀)と組んで、相対の本手打,逆手打等の練習を行います。単独練習では相手との間合いや呼吸を汲み取る事が出来ませんが、相対練習になると相手(太刀)が打ってきた動態を逃すことなくとらえ、杖はこれを的確に捌き且つ太刀を制していきます。この相手との間合いや相手の呼吸を捉えられることは、単独練習では出来ませんので、やはり相対動作の練習が大切なものとなってきます。
では、杖道についても少し詳しく説明していきたいと思います。
杖道は剣道や居合道と同じく、全日本剣道連盟(以下。「全剣連」といいます。)の組織に属しています。全剣連の中にありましても、剣道及び居合道ほど未だ練習する人がいないものですから、一般的に余り聞いたことがなく、馴染みの薄い武道のようですが、その歴史は決して浅いものでは有りません。
全剣連杖道の母体となりますのは『神道夢想流杖術』です。この(杖術)の創始者は、夢想権之助勝吉(むそうごんのすけかつよし)といいます。夢想権之助は、神道流,新当流の奥義を究め、「一の太刀」の極意も授かったと伝えられます。剣客として名をはせた夢想権之助は、宮本武蔵と同じ時代を生きています。
夢想権之助は慶長の頃、江戸に出て著名な剣術使いと数多く仕合をし、一度も敗れたことが無かったといわれています。しかし、一度だけ、宮本武蔵と対決して極意の「十字留」にかかり、敗れたとのことです。
敗戦の悔しい思いを胸に秘めた夢想権之助は、修練を重ねながら全国を行脚し、修験者の修法場として栄えた「宝満山」で艱難辛苦の修行を積み、満願の夜、夢の中に神童が現れて「丸木をもって水月を知れ」というご神託を伝えられました。 夢想権之助は、これをもとにさらに創意工夫を重ね、ついに宮本武蔵の十字留を破ったと口承されています。
その後、夢想権之助は創始した棒術をもって筑前黒田藩に召し抱えられたとされていますが、その出生,氏素性,身分,禄高等は明らかで有りません。
杖術は江戸期,明治時代,大正,昭和と歴史的な流れと変遷を重ねてきまして、昭和30年に日本杖道連盟(次年に全日本杖道連盟に改称)が発足。全日本杖道連盟は昭和31年に全剣連に加入し、全剣連盟傘下団体としてその普及にも力を傾注することとなりました。
【この記事を記載する当たりましては、 改訂 杖道入門「編著者;松井健二先生(神道夢想流杖術免許皆伝,全日本剣道連盟杖道範士八段)の中から一部引用させていただきました。】
(「杖道の特徴」等は後日、記事投稿します。)
Posted by 阿羅漢 at 14:35│Comments(0)