2011年05月26日
剣道着の着用方法(その壱)
剣道着の着用方法ですが、先日もインターネットをみていまして、その中の「剣道着・袴着用の仕方」と銘打って解説者が着用していましたが、その順序に疑問を感じました時が有りましたので、私が行っています剣道着の着用方法を記載しておきたいと思います。
その壱「剣道着は左手から先に袖を通すこと。」
理由 これは昔の、大鎧(おおよろい)の着装順序の作法に則ったものと思われます。古の武将達は馬に乗り、左手にて手綱を操り、右手には太刀を持って獅子奮迅の戦いを行っていました。
この状態で、最初に矢などの攻撃を受けるのは「射向」(いむけ)といいまして身体の中で敵に対し、前面に出ていますのが「左半身」です。自己の危険を未然に防止するためには、左半身の防備を早く堅固なものとしなければなりませんでした。
そのために、「鎧」の構造自体も左右対称ではなく、左半身を特に重要視しこの部分に「鳩尾板」(きゅびのいた)といって、飛んできます矢を防ぐための部品が取り付けられています。
また、左手のために鉄片を鎖で繋いだ肩まである籠手も有ります。
このように射向側の防備は大変重要なものが有りました。
従って、左半身の防御をいち早くするということから、鎧の下に着ます小袖の袖を通すのも、大口袴(おおくちはかま)といいまして膝まである位の袴を着装しますのも、足袋や脛当(すねあて)などもすべてまずは、左手、左足から、ということになります。
何時攻撃を受けてもいいように、防御体勢が整っていますようにしていました。
こうして、鎧を着ける時も油断しないという心構えを示し、それが着用順序の作法になったのです。
正式な着用の作法が定められましたのは室町時代からのようですが、これも自己の身を守るという「護身」からきた作法ではないでしょうか。
着装順序は、左か右の二者択一しかないのですが、戦に臨んで心を引き締め、油断無く鎧を着けていった武士達の心を私達も見習って、剣道着は左手から手早く着装したいものです。
着装に当たっての作法の気全や歴史を知ってこれを守っていくならば、その時から既に武道の練習は始まっていることになります。
本日は「剣道着の着用方法(その壱)」でした。
その壱「剣道着は左手から先に袖を通すこと。」
理由 これは昔の、大鎧(おおよろい)の着装順序の作法に則ったものと思われます。古の武将達は馬に乗り、左手にて手綱を操り、右手には太刀を持って獅子奮迅の戦いを行っていました。
この状態で、最初に矢などの攻撃を受けるのは「射向」(いむけ)といいまして身体の中で敵に対し、前面に出ていますのが「左半身」です。自己の危険を未然に防止するためには、左半身の防備を早く堅固なものとしなければなりませんでした。
そのために、「鎧」の構造自体も左右対称ではなく、左半身を特に重要視しこの部分に「鳩尾板」(きゅびのいた)といって、飛んできます矢を防ぐための部品が取り付けられています。
また、左手のために鉄片を鎖で繋いだ肩まである籠手も有ります。
このように射向側の防備は大変重要なものが有りました。
従って、左半身の防御をいち早くするということから、鎧の下に着ます小袖の袖を通すのも、大口袴(おおくちはかま)といいまして膝まである位の袴を着装しますのも、足袋や脛当(すねあて)などもすべてまずは、左手、左足から、ということになります。
何時攻撃を受けてもいいように、防御体勢が整っていますようにしていました。
こうして、鎧を着ける時も油断しないという心構えを示し、それが着用順序の作法になったのです。
正式な着用の作法が定められましたのは室町時代からのようですが、これも自己の身を守るという「護身」からきた作法ではないでしょうか。
着装順序は、左か右の二者択一しかないのですが、戦に臨んで心を引き締め、油断無く鎧を着けていった武士達の心を私達も見習って、剣道着は左手から手早く着装したいものです。
着装に当たっての作法の気全や歴史を知ってこれを守っていくならば、その時から既に武道の練習は始まっていることになります。
本日は「剣道着の着用方法(その壱)」でした。
タグ :剣道着
Posted by 阿羅漢 at
17:51
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