2011年05月20日
日本武道人よ熱くなれ!!!
先日(5月9日)に「剣道韓国起源説」を投稿しました。
そして昨晩も、この関連します記事を読んで、また、画像関係を見ていましたら、何と韓国の剣道関係者か居合をしている人か分かりませんが、太刀を大衆の前で振り回していました。
一言で言いますと全く『大道芸人』です。居合道を知らない一般人が見ると、特に、西洋人は感化され易いと思います。
竹、巻き藁、挙句は、6メートルくらいの紐を両側で持ち、その紐に1メーター四方の紙を吊るし、それを太刀で横、袈裟、はたまた、短冊状に切込みがあるものを、ご丁寧に横殴りに切り細裂いていました。
遣っている人たちのの服装は、(インターネットの記事によりますと「日本の袴と剣道着は着用禁止」との事)だぶだぶのズボンに剣道着を改良したのでしょう。昔の朝鮮服のような物を着ていました。
腰には長い黒帯(?)のような物を巻き、そこに太刀の鞘を差し込んでいました。
日本の歌舞伎役者のような大袈裟な立ち振る舞いや、変に気取ったカッコをつけた大道芸(日本でいいます「抜刀」)の他にやっていましたのは、二人又は三人掛けで映画さながらの、チャンチャンばらばらと太刀を抜きあっての演劇をやっていました。
また女性が太刀を振り回しながら踊って(?)いました。まるで、中国映画の太刀を振り回しながらの、それこそ「演舞」、踊りを踊っていました。
私が見ましたのは韓国で行われています剣道、居合(?)のほんの一部の事であるかと思います、しかし、この一部を見た限りですが、韓国で行われていますものは、日本の「武道」ではありません。
そこには「心」や「武道」に対する理合、また、「武道」への求道精神が見えてきません。
ただ単なる、太刀を振り回している踊りであり、太刀を使っての“物体”に切り込み、切り付けでしかありません。見た目は華やかに見えますから、日本の武道を知らない人たちはコロットと騙される事でしょう。
私自身例えばまるっきり武道を知らない素人人間であれば、イヤーかっこいい是非習って見たいと感じるかもしれません。しかし、残念ながら武道に永年親しんでいます「武道漬け」人間です。
今何度か読んでいます本「中山博道 剣道口述集」の中にこの様なことが書いてありましたので、参考に抜粋しまして掲載しておきたいと思います。
〔居合完成の試し切り〕
試し切りというのは長い歳月を重ねて居合の術を修業して後、一定の允許の地位を受けてから、これを居合の形で切ることを実際に当てはめさせてものを指して称したものであった。即ち,居合が主体で、従としてこの応用が試し切りとなったと解釈されたい。しかし今日では只、物を切るだけに留まって、刀法の形並びに術法の存在など全然無視された結果、単純のものと思われるようになってしまった。(中抜き)
居合道に於いての試し切りは、最高の段階であることを充分承知いただきたい。 (後段略)
この著者「中山博道先生」ご存知の方もいるかとは思いますが、武道の略歴を参考に記載しておきます。
明治,大正、昭和の三代にわたってわ我が国剣道界で活躍し、大きな貢献を果たしています。
そして最後の武芸者と呼ばれております。自らに厳格な修業を課し、杖道,剣道,居合道の三道において範士となられました。
私が習っています居合道の古流と呼ばれています「夢想神伝流」を編成し多くの人たちに広めた方でも有ります。
参考に記載しましたように、ただ単純に大衆の面前で「物」を太刀をもって、切ればよいというものではありません。居合道修業の最終段階の結果を見極める手段としての「試し切り」であらねばなりません。
韓国の見世物は、ただ単に物を切って見せている「大道芸人」、「見世物」でした。
この様なものが、「居合」です。これが「居合道」ですと宣伝され、世界中に広まって行ってしまわない内に、“心ある武道人”日本人の“心(大和こころ)”があるのであれば、今の内に大同団結し解決策を考え徹底的な対抗をしていこうではありませんか。
永い間他国によって虐げられてきた悲哀が満ち満ちている国と国民は、自らが創った文化も持たず、また、”道のために”自らが苦心し、身を削りながらの修行の結果として考案された、一流一派も持たない国民は、日本の国の“文化や事象等々”を横取りし、あたかもそれらが自国から発生したかのような観念に囚われている。何時でもそんな無分別な事しか頭の中は考えていない。
欺瞞と詐称と自己宣伝によって、あたかも自国で発生したかのような作り事を並べ立てる。
何たる汚さ。
何時までも韓国の成すがままでいいのか。
いまぞ 「日本武道人よ熱くなれ!!!」
そして昨晩も、この関連します記事を読んで、また、画像関係を見ていましたら、何と韓国の剣道関係者か居合をしている人か分かりませんが、太刀を大衆の前で振り回していました。
一言で言いますと全く『大道芸人』です。居合道を知らない一般人が見ると、特に、西洋人は感化され易いと思います。
竹、巻き藁、挙句は、6メートルくらいの紐を両側で持ち、その紐に1メーター四方の紙を吊るし、それを太刀で横、袈裟、はたまた、短冊状に切込みがあるものを、ご丁寧に横殴りに切り細裂いていました。
遣っている人たちのの服装は、(インターネットの記事によりますと「日本の袴と剣道着は着用禁止」との事)だぶだぶのズボンに剣道着を改良したのでしょう。昔の朝鮮服のような物を着ていました。
腰には長い黒帯(?)のような物を巻き、そこに太刀の鞘を差し込んでいました。
日本の歌舞伎役者のような大袈裟な立ち振る舞いや、変に気取ったカッコをつけた大道芸(日本でいいます「抜刀」)の他にやっていましたのは、二人又は三人掛けで映画さながらの、チャンチャンばらばらと太刀を抜きあっての演劇をやっていました。
また女性が太刀を振り回しながら踊って(?)いました。まるで、中国映画の太刀を振り回しながらの、それこそ「演舞」、踊りを踊っていました。
私が見ましたのは韓国で行われています剣道、居合(?)のほんの一部の事であるかと思います、しかし、この一部を見た限りですが、韓国で行われていますものは、日本の「武道」ではありません。
そこには「心」や「武道」に対する理合、また、「武道」への求道精神が見えてきません。
ただ単なる、太刀を振り回している踊りであり、太刀を使っての“物体”に切り込み、切り付けでしかありません。見た目は華やかに見えますから、日本の武道を知らない人たちはコロットと騙される事でしょう。
私自身例えばまるっきり武道を知らない素人人間であれば、イヤーかっこいい是非習って見たいと感じるかもしれません。しかし、残念ながら武道に永年親しんでいます「武道漬け」人間です。
今何度か読んでいます本「中山博道 剣道口述集」の中にこの様なことが書いてありましたので、参考に抜粋しまして掲載しておきたいと思います。
〔居合完成の試し切り〕
試し切りというのは長い歳月を重ねて居合の術を修業して後、一定の允許の地位を受けてから、これを居合の形で切ることを実際に当てはめさせてものを指して称したものであった。即ち,居合が主体で、従としてこの応用が試し切りとなったと解釈されたい。しかし今日では只、物を切るだけに留まって、刀法の形並びに術法の存在など全然無視された結果、単純のものと思われるようになってしまった。(中抜き)
居合道に於いての試し切りは、最高の段階であることを充分承知いただきたい。 (後段略)
この著者「中山博道先生」ご存知の方もいるかとは思いますが、武道の略歴を参考に記載しておきます。
明治,大正、昭和の三代にわたってわ我が国剣道界で活躍し、大きな貢献を果たしています。
そして最後の武芸者と呼ばれております。自らに厳格な修業を課し、杖道,剣道,居合道の三道において範士となられました。
私が習っています居合道の古流と呼ばれています「夢想神伝流」を編成し多くの人たちに広めた方でも有ります。
参考に記載しましたように、ただ単純に大衆の面前で「物」を太刀をもって、切ればよいというものではありません。居合道修業の最終段階の結果を見極める手段としての「試し切り」であらねばなりません。
韓国の見世物は、ただ単に物を切って見せている「大道芸人」、「見世物」でした。
この様なものが、「居合」です。これが「居合道」ですと宣伝され、世界中に広まって行ってしまわない内に、“心ある武道人”日本人の“心(大和こころ)”があるのであれば、今の内に大同団結し解決策を考え徹底的な対抗をしていこうではありませんか。
永い間他国によって虐げられてきた悲哀が満ち満ちている国と国民は、自らが創った文化も持たず、また、”道のために”自らが苦心し、身を削りながらの修行の結果として考案された、一流一派も持たない国民は、日本の国の“文化や事象等々”を横取りし、あたかもそれらが自国から発生したかのような観念に囚われている。何時でもそんな無分別な事しか頭の中は考えていない。
欺瞞と詐称と自己宣伝によって、あたかも自国で発生したかのような作り事を並べ立てる。
何たる汚さ。
何時までも韓国の成すがままでいいのか。
いまぞ 「日本武道人よ熱くなれ!!!」
Posted by 阿羅漢 at 00:06│Comments(0)