2011年07月31日
武道と「武士道」
日本の武道を修行していく中で、私が今真剣に勉強しています事柄に、「武士道」が有ります。
武道と武士道。
武道を純粋に自己の精神鍛錬や護身のため、そして生きていく道標とし、又は、生活の糧とし、また、名声を得んがため等々、その目的や最終目標は個々人によって高低や温度差はあるにしましても、艱難辛苦の修行という過程は皆同じと思います。
武道はその文字が示していますとおり、「武」の技術的な事柄と、その裏ずけ的な思想や考え方を学んで行こうとする事ですが、では「武士道」とは何でしょう。
辞書によりますと、『武士道』とは、
「武士の間に発達し、尊ばれた実践道徳。忠義・礼儀・名誉・武勇・廉恥・などを重んじる。士道。」と記載されています。
この「武士道」という『道』を世界に紹介した有名な方が「新渡戸稲造」です。
1899年12月に「武士道」は第一版が発行されています。原書は英語です。
この本を発行するに至った経緯というのが「序文」に書いて有ります。冒頭です。
『十年ほど前、私がベルギーの著名な法学者ド・ラバレー氏の家に招かれ、歓待をうけて数日を過ごしていたときのことである。ある日の散歩の途中で、宗教の話題が出た。「日本の学校では宗教教育がない。とおしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が尋ねられた。私が、「ありません」と返事をすると、教授は驚いて、突然立ち止まり、ビックリするような声で再度問われた。
「宗教教育がない! それではあなたがたはどのようにして道徳教育を授けるのですか」
私はその質問に愕然として、すぐに答えることができなかった。なぜなら、私が子どものころに学んだ人の倫(みち)たる道徳の教えは、学校で習ったものではなかったからである。そこで、私の善悪や正義の観念を形成しているさまざまな要素を分析してみて初めて、そのような観念を吹き込んだものは武士道だったことに気づいたのである。』
と記載されています。また次に
『この小書を著するにいたった直接の理由は、私の妻から、なぜこのような思想や道徳的習慣が日本でいきわたっているのか、という質問を何度も受けたからである。
ド・ラバレー氏や私の妻に、納得のいく答えをしようと考えているうちに、私は封建制と武士道がわからなくては、現在の日本の道徳観はまるで封をした“巻物”と同じことだとわかったのである。そこで、家庭内で交わした会話の中で得られたいくつかの回答を、ここで整理して読者に述べることにする。それは主として封建制度がまだ盛んだった若い頃に、私が教えられ伝えられたことである。』
今まで外国人(ラフカディオ・ハーン等)が日本のことを英語等で紹介をしていますが、日本は、彼らが生まれ育った国では無く、そして親兄弟先生から日常的に道徳的な教育を受けたわけでは無く、あくまでも、日本にいて第三者的に見たり聞いたり、教えられたり感じたことを書き記しただけのことであり、日本及び日本人の心底に流れる考え方をどこまで読み取り、文章として表現できたかは疑問の点があるかと思います。(私は著書を読んでいませんが、読む必要性も無いと思っています。)
その点、日本人である「新渡戸稲造」の著書「武士道」は、英語という言語で表記されてはいますが、日本人として、自己が幼い頃より受けた真の道徳教育が、文字として表現されていますので、諸外国向けの日本の思想「武士道」紹介には最高のものではないかと思っています。
第一版が刊行されてから、6年後に日本では九版そして十版目に米国,英国,マラーティ語,ドイツ語,ボヘミヤ語,ポーランド語,ノールウェー語,フランス語と翻訳され発刊されています。
では「武士道」とは何か を端的に表現しています文章を次に記載したいと思います。
『武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。それはわが国の歴史の標本室に保存されているような古めかしい道徳ではない。いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている。たとえ具体的な形はとらなくとも道徳的な薫りをまわりに漂わせ、私たちをいまなお惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれている。』
そして、
『武士道を生み、そして育ててくれた社会状態が失われてからすでに久しいが、あの遥かな遠い星が、かつてそんざいし、いまでも地上に光を降り注いでいるように、封建制の所産である武士道の光は、その母体である封建制度よりも長く生き延びて、この国の人の倫(みち)のありようを照らしつづけているのだ。』
何ともいえない文章です。前段の
「日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。」
「古めかしい道徳ではない。いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている」
「たとえ具体的な形はとらなくとも道徳的な薫りをまわりに漂わせ、私たちをいまなお惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれている。」
後段
「あの遥かな遠い星が、かつてそんざいし、いまでも地上に光を降り注いでいるように、」
「封建制の所産である武士道の光は、その母体である封建制度よりも長く生き延びて、この国の人の倫(みち)のありようを照らしつづけているのだ。」
心に感銘を与えてくれます文章です。何度読み返しても新鮮で新たな違った感動が浮かび上がってきます。
では「武士道」とは、
『「武士道」とは、武士の守るべき『掟』として求められ、あるいは教育された道徳的原理であり、成文法ではない。せいぜい口伝で受け継がれたものか、著名な武士や学者の筆から生まれた、いくつかの格言によって成り立っていることが多い。いや、それはむしろ不言不文の語らざる掟,書かれざる掟であったというべきであろう。それだけに武士道は、いっそう“サムライ”の肉襞に刻み込まれ、強力な行動規範としての拘束力を持ったのである。
しかも「武士道」は、いかに有能な武士であったとしても、その人一人の頭脳が創造したものではない。あるいはまた特定の立派な武士の生涯を基にするものでもない。むしろそれは、数十年、数百年もの長きにわたる日本の歴史の中で、武士の生き方として自発的に醸成され発達を遂げたものなのである。
それゆえに、明確な時と場所を指して『ここに「武士道」の源泉がある』などとは言えない。もし言えるとするなら、「武士道」の起源は封建制の時代の中で自覚され始めたもの、というだけである。したがって時期に関するかぎりは封建制の始まりと同と見てよい。したがって封建制そのものが多くの糸で織りなされているように、武士道もまた複雑に錯綜しているのである。 』
具体的な「武士道」の表現文言を記載します。
・義(武士道の礎石)義は人の道なり
・勇(勇気と忍耐)義を見てせざるは勇なきなり
・仁(慈悲の心)
・礼(仁・義を型として表す)
・誠(武士に二言がない理由)
・名誉(命以上に大切ね価値)恥の感覚こそ、純粋な徳の土壌
・忠義(武士は何のために生きるか)日本人「忠義」の独自さ
ですが、それぞれの意味につきましては後日記載したいと思います。
今日の最後に「新渡戸稲造」が、「武士道」(原文はもちろん英語です)について説明をしていますので記載しておきます。
『さて、私がおおざっぱに「武士道」(chivalry)と訳した言葉は、原語の日本語では騎士道よりも、もっと多くの意味合いを含んでいる。「ブシドウ」は字義的には「武士道」である。すなわち武士階級がその職業、および日常生活において守るべき道を意味する。一言でいえば「武士の掟」、すなわち、「高き身分の者に伴う義務」のことである。
武道と武士道。
武道を純粋に自己の精神鍛錬や護身のため、そして生きていく道標とし、又は、生活の糧とし、また、名声を得んがため等々、その目的や最終目標は個々人によって高低や温度差はあるにしましても、艱難辛苦の修行という過程は皆同じと思います。
武道はその文字が示していますとおり、「武」の技術的な事柄と、その裏ずけ的な思想や考え方を学んで行こうとする事ですが、では「武士道」とは何でしょう。
辞書によりますと、『武士道』とは、
「武士の間に発達し、尊ばれた実践道徳。忠義・礼儀・名誉・武勇・廉恥・などを重んじる。士道。」と記載されています。
この「武士道」という『道』を世界に紹介した有名な方が「新渡戸稲造」です。
1899年12月に「武士道」は第一版が発行されています。原書は英語です。
この本を発行するに至った経緯というのが「序文」に書いて有ります。冒頭です。
『十年ほど前、私がベルギーの著名な法学者ド・ラバレー氏の家に招かれ、歓待をうけて数日を過ごしていたときのことである。ある日の散歩の途中で、宗教の話題が出た。「日本の学校では宗教教育がない。とおしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が尋ねられた。私が、「ありません」と返事をすると、教授は驚いて、突然立ち止まり、ビックリするような声で再度問われた。
「宗教教育がない! それではあなたがたはどのようにして道徳教育を授けるのですか」
私はその質問に愕然として、すぐに答えることができなかった。なぜなら、私が子どものころに学んだ人の倫(みち)たる道徳の教えは、学校で習ったものではなかったからである。そこで、私の善悪や正義の観念を形成しているさまざまな要素を分析してみて初めて、そのような観念を吹き込んだものは武士道だったことに気づいたのである。』
と記載されています。また次に
『この小書を著するにいたった直接の理由は、私の妻から、なぜこのような思想や道徳的習慣が日本でいきわたっているのか、という質問を何度も受けたからである。
ド・ラバレー氏や私の妻に、納得のいく答えをしようと考えているうちに、私は封建制と武士道がわからなくては、現在の日本の道徳観はまるで封をした“巻物”と同じことだとわかったのである。そこで、家庭内で交わした会話の中で得られたいくつかの回答を、ここで整理して読者に述べることにする。それは主として封建制度がまだ盛んだった若い頃に、私が教えられ伝えられたことである。』
今まで外国人(ラフカディオ・ハーン等)が日本のことを英語等で紹介をしていますが、日本は、彼らが生まれ育った国では無く、そして親兄弟先生から日常的に道徳的な教育を受けたわけでは無く、あくまでも、日本にいて第三者的に見たり聞いたり、教えられたり感じたことを書き記しただけのことであり、日本及び日本人の心底に流れる考え方をどこまで読み取り、文章として表現できたかは疑問の点があるかと思います。(私は著書を読んでいませんが、読む必要性も無いと思っています。)
その点、日本人である「新渡戸稲造」の著書「武士道」は、英語という言語で表記されてはいますが、日本人として、自己が幼い頃より受けた真の道徳教育が、文字として表現されていますので、諸外国向けの日本の思想「武士道」紹介には最高のものではないかと思っています。
第一版が刊行されてから、6年後に日本では九版そして十版目に米国,英国,マラーティ語,ドイツ語,ボヘミヤ語,ポーランド語,ノールウェー語,フランス語と翻訳され発刊されています。
では「武士道」とは何か を端的に表現しています文章を次に記載したいと思います。
『武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。それはわが国の歴史の標本室に保存されているような古めかしい道徳ではない。いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている。たとえ具体的な形はとらなくとも道徳的な薫りをまわりに漂わせ、私たちをいまなお惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれている。』
そして、
『武士道を生み、そして育ててくれた社会状態が失われてからすでに久しいが、あの遥かな遠い星が、かつてそんざいし、いまでも地上に光を降り注いでいるように、封建制の所産である武士道の光は、その母体である封建制度よりも長く生き延びて、この国の人の倫(みち)のありようを照らしつづけているのだ。』
何ともいえない文章です。前段の
「日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。」
「古めかしい道徳ではない。いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている」
「たとえ具体的な形はとらなくとも道徳的な薫りをまわりに漂わせ、私たちをいまなお惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれている。」
後段
「あの遥かな遠い星が、かつてそんざいし、いまでも地上に光を降り注いでいるように、」
「封建制の所産である武士道の光は、その母体である封建制度よりも長く生き延びて、この国の人の倫(みち)のありようを照らしつづけているのだ。」
心に感銘を与えてくれます文章です。何度読み返しても新鮮で新たな違った感動が浮かび上がってきます。
では「武士道」とは、
『「武士道」とは、武士の守るべき『掟』として求められ、あるいは教育された道徳的原理であり、成文法ではない。せいぜい口伝で受け継がれたものか、著名な武士や学者の筆から生まれた、いくつかの格言によって成り立っていることが多い。いや、それはむしろ不言不文の語らざる掟,書かれざる掟であったというべきであろう。それだけに武士道は、いっそう“サムライ”の肉襞に刻み込まれ、強力な行動規範としての拘束力を持ったのである。
しかも「武士道」は、いかに有能な武士であったとしても、その人一人の頭脳が創造したものではない。あるいはまた特定の立派な武士の生涯を基にするものでもない。むしろそれは、数十年、数百年もの長きにわたる日本の歴史の中で、武士の生き方として自発的に醸成され発達を遂げたものなのである。
それゆえに、明確な時と場所を指して『ここに「武士道」の源泉がある』などとは言えない。もし言えるとするなら、「武士道」の起源は封建制の時代の中で自覚され始めたもの、というだけである。したがって時期に関するかぎりは封建制の始まりと同と見てよい。したがって封建制そのものが多くの糸で織りなされているように、武士道もまた複雑に錯綜しているのである。 』
具体的な「武士道」の表現文言を記載します。
・義(武士道の礎石)義は人の道なり
・勇(勇気と忍耐)義を見てせざるは勇なきなり
・仁(慈悲の心)
・礼(仁・義を型として表す)
・誠(武士に二言がない理由)
・名誉(命以上に大切ね価値)恥の感覚こそ、純粋な徳の土壌
・忠義(武士は何のために生きるか)日本人「忠義」の独自さ
ですが、それぞれの意味につきましては後日記載したいと思います。
今日の最後に「新渡戸稲造」が、「武士道」(原文はもちろん英語です)について説明をしていますので記載しておきます。
『さて、私がおおざっぱに「武士道」(chivalry)と訳した言葉は、原語の日本語では騎士道よりも、もっと多くの意味合いを含んでいる。「ブシドウ」は字義的には「武士道」である。すなわち武士階級がその職業、および日常生活において守るべき道を意味する。一言でいえば「武士の掟」、すなわち、「高き身分の者に伴う義務」のことである。
Posted by 阿羅漢 at 16:08│Comments(0)