2011年08月05日
武道修行の心持ち(意識の持ち方)
とかく人間は言う事と遣る事がちぐはぐになる傾向が強いと思います。
武道の先生が教えています中で、太刀(木刀)は真剣と同じで扱いをしなさい、真剣は古より「霊器」と呼ばれ神様が宿っているのです、と説明をしていながら、自分では平気で太刀を跨いで歩いています。
太刀を跨がれる様において置く人も人ですが、それをどかしもせずに跨いで歩くとは、言っている事と遣る事の違いが歴然と出てきています。
また、杖道で使用します「杖」についても同じことがいえます。指導者が「杖」は大切に扱いなさい、太刀と同じ扱いをしてくださいと説明をしていながら、それを自分が平然と跨いで歩く指導者がいます。
同じ様に、道場内は神様が鎮座しています神聖な場所ですから、そこで、下着となり着替えることは慎むべきことですが、近くに有ります着替え室に行くのがまどろっこしいのか、道場内で平然と着替えている練習生が多いことに、至極残念な気持ちになってしますのは私し一人でしょうか。
以前日本でこのことを練習生に言いましたら、「厳しいね.」とのことでした。
私に言わせれば、何のために武道を修行しに来ていますか、ただ単に杖や太刀が人並みに振れて、組形の技が少しでも出来ればそれで嬉しいのでしょうか。
杖道を修行するということはそれだけのことではない筈です。
以前にも書きましたが復習のために再掲します。
(杖道を学ぶ目的とその効果)
杖道は精神の修養と身体の鍛錬を第一義としています。決して手足の技
ではなく心の技で、その目的は精神修養にあります。
杖道修練の効果は数多くありますが、主として次の5点をあげることがで
きます。
(1)礼儀,信義,誠実,忍耐等の精神が養われます。
(2)身体を強健にし、活動を敏活にします。
(3)姿勢態度がよくなります。
(4)判断力,決断力が養われ、自信をもって事に当たれるようになります。
(5)対人関係がよくなり、社会生活に必要な協調性が養われます。
如何でしょうか。これらの事を口で唱えるだけではなく、矢張り実行してこそ武道の修行であり、結果として自分の身に付いてくるものであると思います。
特に3番に有ります、「姿勢態度がよくなります。」などは、他の人が見てもすぐに判るものですので、武道修行者としては気を付けて日々鍛錬していかねばならないと思います。
私は高校の時に剣道をやっていましたので、自分では意識していなくても、自然に背筋が伸び姿勢が良くなっていると思っています。
就職して暫く経った時に、知人からこの様なことを言われました、
「何か武道を遣っていますか、… …。 ですか、矢張り姿勢と歩く姿がいいですね。」との事でした。
特に今、外国に来て武道の練習を続けていますので、練習で習った所作(身の振り方や、歩き方)を自分の生活の中に取り入れ、生活と練習が同じ所作が出来るように心がけています。
室内を歩くのにも「ドタドタ」ではなく「スースー」と動けるように、また正座する時も居合の座り方のために、最初に蹲踞となりそこから左右と座り、立ち上がる時は、右足左足と立ち上がる様にしています。
袴や剣道着に着替えての練習だけが武道の練習ではなと思っています。日常生活の中、日々の動きの中にも出来るだけ武道と直結する動きを出来得るように心がけています。
兎に角、道場だけが練習場ではないということです。何時いかなる所でも練習は可能であるということです。
最後に、少林寺拳法の管長先生の帰参時「夏期講習会の時のご法話から」
「八方目」を常に練習しておきなさい。電車に乗り真直ぐ前を見ながら、右左180度の人の動きを読みなさい。また、車に乗っている時に目を動かさずに、瞬間的にすれ違う車の運転者、助手席の人を見分けなさい。
道院での突き蹴りだけが練習では有りません。
平常、日常、日々どこでも何でも何時でも練習は可能です。
身構えてやるのでは無く、自然です。
心の持ちよう一つです。
武道の先生が教えています中で、太刀(木刀)は真剣と同じで扱いをしなさい、真剣は古より「霊器」と呼ばれ神様が宿っているのです、と説明をしていながら、自分では平気で太刀を跨いで歩いています。
太刀を跨がれる様において置く人も人ですが、それをどかしもせずに跨いで歩くとは、言っている事と遣る事の違いが歴然と出てきています。
また、杖道で使用します「杖」についても同じことがいえます。指導者が「杖」は大切に扱いなさい、太刀と同じ扱いをしてくださいと説明をしていながら、それを自分が平然と跨いで歩く指導者がいます。
同じ様に、道場内は神様が鎮座しています神聖な場所ですから、そこで、下着となり着替えることは慎むべきことですが、近くに有ります着替え室に行くのがまどろっこしいのか、道場内で平然と着替えている練習生が多いことに、至極残念な気持ちになってしますのは私し一人でしょうか。
以前日本でこのことを練習生に言いましたら、「厳しいね.」とのことでした。
私に言わせれば、何のために武道を修行しに来ていますか、ただ単に杖や太刀が人並みに振れて、組形の技が少しでも出来ればそれで嬉しいのでしょうか。
杖道を修行するということはそれだけのことではない筈です。
以前にも書きましたが復習のために再掲します。
(杖道を学ぶ目的とその効果)
杖道は精神の修養と身体の鍛錬を第一義としています。決して手足の技
ではなく心の技で、その目的は精神修養にあります。
杖道修練の効果は数多くありますが、主として次の5点をあげることがで
きます。
(1)礼儀,信義,誠実,忍耐等の精神が養われます。
(2)身体を強健にし、活動を敏活にします。
(3)姿勢態度がよくなります。
(4)判断力,決断力が養われ、自信をもって事に当たれるようになります。
(5)対人関係がよくなり、社会生活に必要な協調性が養われます。
如何でしょうか。これらの事を口で唱えるだけではなく、矢張り実行してこそ武道の修行であり、結果として自分の身に付いてくるものであると思います。
特に3番に有ります、「姿勢態度がよくなります。」などは、他の人が見てもすぐに判るものですので、武道修行者としては気を付けて日々鍛錬していかねばならないと思います。
私は高校の時に剣道をやっていましたので、自分では意識していなくても、自然に背筋が伸び姿勢が良くなっていると思っています。
就職して暫く経った時に、知人からこの様なことを言われました、
「何か武道を遣っていますか、… …。 ですか、矢張り姿勢と歩く姿がいいですね。」との事でした。
特に今、外国に来て武道の練習を続けていますので、練習で習った所作(身の振り方や、歩き方)を自分の生活の中に取り入れ、生活と練習が同じ所作が出来るように心がけています。
室内を歩くのにも「ドタドタ」ではなく「スースー」と動けるように、また正座する時も居合の座り方のために、最初に蹲踞となりそこから左右と座り、立ち上がる時は、右足左足と立ち上がる様にしています。
袴や剣道着に着替えての練習だけが武道の練習ではなと思っています。日常生活の中、日々の動きの中にも出来るだけ武道と直結する動きを出来得るように心がけています。
兎に角、道場だけが練習場ではないということです。何時いかなる所でも練習は可能であるということです。
最後に、少林寺拳法の管長先生の帰参時「夏期講習会の時のご法話から」
「八方目」を常に練習しておきなさい。電車に乗り真直ぐ前を見ながら、右左180度の人の動きを読みなさい。また、車に乗っている時に目を動かさずに、瞬間的にすれ違う車の運転者、助手席の人を見分けなさい。
道院での突き蹴りだけが練習では有りません。
平常、日常、日々どこでも何でも何時でも練習は可能です。
身構えてやるのでは無く、自然です。
心の持ちよう一つです。
Posted by 阿羅漢 at
19:11
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