2010年10月05日
少林寺拳法 其壱
少林寺拳法は管長先生が日本の敗戦により満州から苦労の末に祖国に戻られ(敗戦がなければ中国に骨を埋めるつもりでいたとのことです。)、敗戦により亡国の民と化しているなさけない日本国民の姿形をみるに見かねて、昭和22年に私財をはたいて道院(教育の場)をはじめられたのが、「日本」においての少林寺拳法のはじまりです。
厳しい戦争体験の経験から、「人,人、すべては人の質にある。」との信念に基づき、将来の日本を背負っていく青少年を自らの手で教育していこう、と決心なされた管長先生は、「宗門の行」としての少林寺拳法(健康増進,精神修養,護身練達の三徳を保持)に吸い寄せられてきた人々に行じながら、教え(金剛禅)を説き、「自他共楽」の「幸せ運動」を展開していきました。
四国の片田舎「香川県仲多度郡多度津町町」(漁港)です。多度津駅の小さな駅舎を降りますと、目の前に少林寺拳法の建て看板が目に入ってきます。ほんとに小さな田舎町です。こんな小さな町に日本全国いや世界までも感化する思想(金剛禅)の発信基地、そして少林寺拳法の総本山が有るとは思えない感じです。
しかし、良いものは砂地に水が沁み込んでいくように、徐々に徐々に自然に当たり前のように広がっていくものです。誰にも阻止することなどはできません。
戦後僅かの間に日本全体に広がっていきました少林寺拳法は、(昭和50年代と記憶しています)日本武道館で開催されました、第1回九武道大会(相撲,弓道,柔道,薙刀等)に出場するまでの大きな組織(公認団体)になっていました。僅か30年です。
でも、何か悲しい出来事が起きていました。管長先生が大切にお作りになった「卍」の消滅もさることながら、(変な)コンサルタントとの訴訟事件が起きています。
管長先生は、「少林寺拳法を職業にしてはいけません。正業を持ち行を修行、青少年等を教育しなさい。」と申されています。
この事は後で詳しく記載します。そして、「君達の浄財が見てみなさい、帰ってくる度にここ(本山)は変わっているだろう。これは皆の貴重な財産で有る。他の武道にこれだけの本山施設が有るか。ないだろう。誇りに思いなさい。」本山の豪様、素晴らしい施設環境が行く度行く度に豪華に整備されています。
決して、一般拳士に建物建設資金の強要はしません。建設資金をどのように捻出しているのかは一般拳士としては知る由もありませんが、まことに素晴らしい少林寺拳法の本山です。(長くなりますので、続きは後日記載します。)
厳しい戦争体験の経験から、「人,人、すべては人の質にある。」との信念に基づき、将来の日本を背負っていく青少年を自らの手で教育していこう、と決心なされた管長先生は、「宗門の行」としての少林寺拳法(健康増進,精神修養,護身練達の三徳を保持)に吸い寄せられてきた人々に行じながら、教え(金剛禅)を説き、「自他共楽」の「幸せ運動」を展開していきました。
四国の片田舎「香川県仲多度郡多度津町町」(漁港)です。多度津駅の小さな駅舎を降りますと、目の前に少林寺拳法の建て看板が目に入ってきます。ほんとに小さな田舎町です。こんな小さな町に日本全国いや世界までも感化する思想(金剛禅)の発信基地、そして少林寺拳法の総本山が有るとは思えない感じです。
しかし、良いものは砂地に水が沁み込んでいくように、徐々に徐々に自然に当たり前のように広がっていくものです。誰にも阻止することなどはできません。
戦後僅かの間に日本全体に広がっていきました少林寺拳法は、(昭和50年代と記憶しています)日本武道館で開催されました、第1回九武道大会(相撲,弓道,柔道,薙刀等)に出場するまでの大きな組織(公認団体)になっていました。僅か30年です。
でも、何か悲しい出来事が起きていました。管長先生が大切にお作りになった「卍」の消滅もさることながら、(変な)コンサルタントとの訴訟事件が起きています。
管長先生は、「少林寺拳法を職業にしてはいけません。正業を持ち行を修行、青少年等を教育しなさい。」と申されています。
この事は後で詳しく記載します。そして、「君達の浄財が見てみなさい、帰ってくる度にここ(本山)は変わっているだろう。これは皆の貴重な財産で有る。他の武道にこれだけの本山施設が有るか。ないだろう。誇りに思いなさい。」本山の豪様、素晴らしい施設環境が行く度行く度に豪華に整備されています。
決して、一般拳士に建物建設資金の強要はしません。建設資金をどのように捻出しているのかは一般拳士としては知る由もありませんが、まことに素晴らしい少林寺拳法の本山です。(長くなりますので、続きは後日記載します。)
タグ :少林寺拳法 其壱
Posted by 阿羅漢 at
15:20
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