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プロフィール
阿羅漢
とにかく日本武道(杖道,居合道,護身術)が好きで、毎日稽古で汗を流しています。
タイ国はイサ-ン地方の田舎町に念願の、武道と日本の文化及び伝統や歴史を知ってもらうための発信基地「少林夢想会」を設立し、日々武道の稽古に勤しんでいます。
自前の道場ですので、稽古はいつでもできます。是非一緒に武道の稽古を遣りましょう。初心者も大歓迎です。心から、お待ちしています。

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Posted by namjai at

2010年10月17日

少林寺拳法「開祖」法話 1

 少林寺拳法をご存じない皆さんに是非「少林寺拳法」を知ってもらいたいと思っています。そのための一番の方法は管長先生(開祖)のご法話を読んでもらうのが最善の方法ではないかと思います。
 これから逐次ご法話を掲載してまいります。
 私が本山にて直接聞いたご法話も有ります。今回は、たまたま、関連の題名を調べていましたら検索できましたので、今日からはじめていきたいと思います。

 己が第一だが、すべてではない
    『新聞少林寺拳法』1990年6月号より 

  『私の祖父は明治末期の剣道範士の一人です。私、餓鬼の頃からいや応もなしに剣道を仕込まれた。「親の仇だと思ってかかってこいッ」子供の私をボンボン打ち据えるわけ。「悔しかったらかかってこい」。柔道もやりました。いろんなことをやったが、すべてが己以外は敵であるという教育しか受けてない日本人がね、他の幸せなんか考えるはずがない。

 いま少林寺の最大の眼目である“半ばは自分の幸せを、半ばは他人の幸せを”、こんな思想はこんなとこから生まれませんでしたね。
 日本の教育の中では生まれなかったのです。これは私の造語です。

 宗教家の偉い人、ある大学の教授が私に言いました。「先生、あなたはいい人だ、立派な人だけど、一つ気に入らんとこがある」、「どこが気に入らん」、“半ばは我が身の幸せを”、なんて、我が身を先へ出すなんていうのは宗教家としておかしいじゃないか。教育者としでもおかしいじゃないか」。「己を捨ててすべて世のだめ人のため」そういうことを言う方がとおりがいい。己を出すなんてもっての外だ」とおっしゃる。

 私は違うんですね。自分を大事にしないという人間があったらおかしいのであって、己がまず第一だ。しかし己がすべてではない。相手があるのである。半分でも相手のことでものを考えてあげる。相手のまして幸せを願うようになったら、戦争なんか一遍でなくなる、というより起きるはずがない。もちろん夫婦の争いもなければ仲間同士の撃ち合いもないはずです。そういうものを作るには武道ではだめなのです。体を鍛えるというだけではだめなのです。これを私は若い時代、修行過程の中で、中国の少林寺へ行った時に、教えてもらうというより壁画を見た私のイシスピレーションがそれを教えてくれた。』
  (1980年:鏡開き)
 
 金剛禅運動の原点ともいうべき管長先生のご法話です。
 私が少林寺拳法を修行してきた中で、色々な方法で管長先生のご法話を聞く機会に恵まれましたが、多くのご法話の中で今日掲載のご法話が少林寺拳法を知ってもらうのには一番ではないかと思い「いの一番」に掲載させていただきました。
  
タグ :法話


Posted by 阿羅漢 at 20:46Comments(0)