2010年04月10日
武道「自己確立」
私が一番最初に武道(剣道)をしったきっかけは、父親からの躾の一環でした。
何処からか剣道防具(竹の胴)と籠手そして竹刀が持ってこられ、庭にて打ち合い(私は全然竹刀の握り方もできません)が開始され、籠手を嫌というほどに打たれました。未だ、面を付けていなかったので、上からの衝撃は無かったですが、それは大いに助かりました。
父の身長は179センチメ-トルという大男。私は小学校5年くらいでしたから150センチメ-トルあるかないか。この差30センチメ-トル。
その後の高校の剣道練習で判りましたが、上背の有る人から面(頭部)を叩かれたら目眩がします。この時、幸い面を付けてい無くて、父親が面を打たなかったことが幸いでした。しかし籠手の衝撃はもの凄いものが感じられました。思い出しますと、今の華麗なる防具と違い、50年近く前の防具は薄い粗末な布でつくられた物でした。
剣道は、高校時代に倶楽部に入部し1年の冬に初段をいただきました。その後は大学受験準備(?)と2年の冬に2段受験失敗から剣道からは遠のいてしまいました。
その後の武道との関わりは、以前にも投稿しましたが、就職してからの「少林寺拳法」との出会いです。剣道を練習していた時から、“無手”で、自分の身体能力を充分に活用した武道に憧れ、また、探していましたので、ドップリと浸かり、お陰様で三段中拳士(権中導師)を取得することができました。
さて、余りにも前書きが長くなりましたが、今日の本題に入りたいと思います。
「自己確立」
己こそ 己の寄る辺
己をおきて 誰に寄る辺ぞ
よく整えし己こそ まことえがたき寄る辺なり
少林寺拳法の開祖は法話の中で
『いいか、練習,修行というのは道場の中だけが修行の場ではないんだからな。電車に乗った座るな。吊革につかまり両足の踵を上げる。そして、真正面を見ながら最低でも目を180度見えるように訓練をしておけ。右左の人の動きを目を動かさずに確認をしろ。(八方目)。昔の戦闘機乗りは200度くらいは見えていた。でないと、自分が敵に打たれている。訓練をすればできる。普段からの訓練が大切である。』
とおっしゃっていました。車を運転している時も真直ぐ前を見ていて、前から来る車の運転者が男,女、これを目を動かさずに行っていく。電車の中もそうですが、訓練していますと、今、端の人がどの様な動きをしているかが判ってきます。
また、車の運転中に危機管理ではないですが、この様な状況になったらこのような時はどうする、といったことを常に心がけています。ただ単にハンドルを握っているのと、状況判断を考慮しながら運転しているのでは、突発的な出来事にも対処の仕方が大いに違ってくることではないでしょうか。
今、町を通行している時に刃物で襲いかかられる変な時代になってきました。このような時一昔前であれば人間は、普段から鍛えている身体能力を遺憾なく発揮し、危機を脱出すべき方法を反射的作用で駆使していたことではないでしょうか。
武道だけが自己確立の道ではないとは思います。しかし、術を体得していてその理をわかり、事に当たり充分にその修行効果が発揮できれば、武道の修行効果というものは最高のものではないでしょうか。
普段からの練習で覚え自分の体にしみこんだ技は、反射的に反応してくれるものです。考えてから手,足が出ていては遅いのです。如何に反復練習が大切であるかがこの時に問われます。
「自己確立」自分を信じられる自分を作り出していく。簡単なようで難しく、難しいようで簡単なことではないでしょうか。
それは取りも直さず毎日の自己鍛錬,技の研究、術の訓練による“道”の求道に有ると思います。
今日は「自己確立」について記載してみました。
信じられる自分自身を。 今からでも遅くありません。日本古来の「武道」の修行をはじめましょう。
そして、大切なのは常の継続を。!!!
何処からか剣道防具(竹の胴)と籠手そして竹刀が持ってこられ、庭にて打ち合い(私は全然竹刀の握り方もできません)が開始され、籠手を嫌というほどに打たれました。未だ、面を付けていなかったので、上からの衝撃は無かったですが、それは大いに助かりました。
父の身長は179センチメ-トルという大男。私は小学校5年くらいでしたから150センチメ-トルあるかないか。この差30センチメ-トル。
その後の高校の剣道練習で判りましたが、上背の有る人から面(頭部)を叩かれたら目眩がします。この時、幸い面を付けてい無くて、父親が面を打たなかったことが幸いでした。しかし籠手の衝撃はもの凄いものが感じられました。思い出しますと、今の華麗なる防具と違い、50年近く前の防具は薄い粗末な布でつくられた物でした。
剣道は、高校時代に倶楽部に入部し1年の冬に初段をいただきました。その後は大学受験準備(?)と2年の冬に2段受験失敗から剣道からは遠のいてしまいました。
その後の武道との関わりは、以前にも投稿しましたが、就職してからの「少林寺拳法」との出会いです。剣道を練習していた時から、“無手”で、自分の身体能力を充分に活用した武道に憧れ、また、探していましたので、ドップリと浸かり、お陰様で三段中拳士(権中導師)を取得することができました。
さて、余りにも前書きが長くなりましたが、今日の本題に入りたいと思います。
「自己確立」
己こそ 己の寄る辺
己をおきて 誰に寄る辺ぞ
よく整えし己こそ まことえがたき寄る辺なり
少林寺拳法の開祖は法話の中で
『いいか、練習,修行というのは道場の中だけが修行の場ではないんだからな。電車に乗った座るな。吊革につかまり両足の踵を上げる。そして、真正面を見ながら最低でも目を180度見えるように訓練をしておけ。右左の人の動きを目を動かさずに確認をしろ。(八方目)。昔の戦闘機乗りは200度くらいは見えていた。でないと、自分が敵に打たれている。訓練をすればできる。普段からの訓練が大切である。』
とおっしゃっていました。車を運転している時も真直ぐ前を見ていて、前から来る車の運転者が男,女、これを目を動かさずに行っていく。電車の中もそうですが、訓練していますと、今、端の人がどの様な動きをしているかが判ってきます。
また、車の運転中に危機管理ではないですが、この様な状況になったらこのような時はどうする、といったことを常に心がけています。ただ単にハンドルを握っているのと、状況判断を考慮しながら運転しているのでは、突発的な出来事にも対処の仕方が大いに違ってくることではないでしょうか。
今、町を通行している時に刃物で襲いかかられる変な時代になってきました。このような時一昔前であれば人間は、普段から鍛えている身体能力を遺憾なく発揮し、危機を脱出すべき方法を反射的作用で駆使していたことではないでしょうか。
武道だけが自己確立の道ではないとは思います。しかし、術を体得していてその理をわかり、事に当たり充分にその修行効果が発揮できれば、武道の修行効果というものは最高のものではないでしょうか。
普段からの練習で覚え自分の体にしみこんだ技は、反射的に反応してくれるものです。考えてから手,足が出ていては遅いのです。如何に反復練習が大切であるかがこの時に問われます。
「自己確立」自分を信じられる自分を作り出していく。簡単なようで難しく、難しいようで簡単なことではないでしょうか。
それは取りも直さず毎日の自己鍛錬,技の研究、術の訓練による“道”の求道に有ると思います。
今日は「自己確立」について記載してみました。
信じられる自分自身を。 今からでも遅くありません。日本古来の「武道」の修行をはじめましょう。
そして、大切なのは常の継続を。!!!
Posted by 阿羅漢 at 13:58│Comments(0)