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阿羅漢
とにかく日本武道(杖道,居合道,護身術)が好きで、毎日稽古で汗を流しています。
タイ国はイサ-ン地方の田舎町に念願の、武道と日本の文化及び伝統や歴史を知ってもらうための発信基地「少林夢想会」を設立し、日々武道の稽古に勤しんでいます。
自前の道場ですので、稽古はいつでもできます。是非一緒に武道の稽古を遣りましょう。初心者も大歓迎です。心から、お待ちしています。

2013年01月18日

剣は「師の位」について

 杖道を稽古している方、又は、これから稽古してみようかなとお思いの方、是非読んでください。
 杖道における、「剣」(太刀)の在り方、心意気をつかむことができるのではないかと思います。

 本日も私の「杖道」の先生であります、松井健二先生(神道夢想流杖術免許皆伝,杖道範士八段)の著書「古流へのいざないとしての 杖道打太刀入門」から、杖修行においては大変に重要な位置づけであります、「剣」について、剣は「師の位」と題しまして、抜粋しまして皆様にご紹介していきたいと思います。

 「古流へのいざないとしての 杖道打太刀入門」から抜粋

 剣は「師の位」

 古伝・古流の神道夢想流杖術と全剣連杖道とにおいて明らかに相違してしまっていることとは何かと言えば、太刀遣いの稽古が今日の全剣連杖道の稽古体系の中からすっぽりと欠落してしまっているということです。それは端的に言えば「打太刀」の位と太刀遣いの理解が極端に希薄になってしまっているということでもあります。先に少し触れたように、神道夢想流では杖遣いの稽古は太刀遣いの稽古と共になされて来ました。これは神道夢想流に限ったことではなく、棒杖術を伝承される他の古流においても当然のことでした。剣の遣い方がいい加減であれば、杖の遣い方があやふやなものになるのは自明なことです。
 全剣連杖道から古流神道夢想流杖術へ、あるいは逆に神道夢想流杖術から全剣連杖道へと、相互の学びと理解を深めるうえにも、先ず手掛かりとなるのは、杖の遣い方以前にむしろ太刀の遣い方を含めた打太刀の理解にこそあるのではないでしょうか。
 打太刀の在り方に対する理解が、古流と全剣連杖道とでは大きく違って来てしまっています。古流においても全剣連杖道においても、「打」(攻撃方)が太刀、「仕」(受方)が杖であることには変わりません。しかも全剣連杖道では稽古の最初から仕杖・打太刀を同時に学んでいくことから、ややもすれば仕・打が対等のように誤解する人も少なくありません。しかし、古伝・古流の神道夢想流杖術においては、現在の全剣連杖道のような多人数での稽古体系もありませんし、まして仕・打が交替しておこなわれる試合形式もありませんでしたから、当然、稽古における杖と打太刀との関係は対等ではないのです。古流では、打太刀が杖を育てるという考えに基づいており、打太刀を許された者は杖よりも技量において上位と認定されていました。特に神道夢想流では、剣は「師の位」と言い、稽古の際には目録以上の者しか打太刀をすることは認められていなかったのです。
 杖と打太刀とが同等同格ではなかったということは、打太刀をする者は仕杖をする者よりも錬達した杖遣いであると同時に優れた剣術遣いでもあったわけです。さもなければ、剣が杖を育てるということはできないからです。
 これに対して全剣連杖道においてはその成立と制定の中で、いつしか太刀は剣道、居合は居合道、杖は杖道という謙譲による暗黙の棲み分けを、杖道自身がしてしまっているように思われます。杖には形の前に基本の稽古がありますが、太刀には基本の稽古は定められていません。したがって生まれて初めて木刀を手にする者も、最初からいきなり打太刀と仕杖とを同時に教わる稽古体系になっており、なおかつ杖を中心に教わって剣遣いを基礎から学ぶ機会が無い場合も多く見受けられます。なかには杖道なのだからと言って、剣の基本を学ぶことに関心の薄い者もいます。このため、先人達に比べて、現代において杖を学ぶ者の剣の技量は指導者も含めて著しく低下しているのが現状と言わざるを得ません。古流はもとより全剣連杖道においても、剣に対する真摯な追求がなければ、杖の進歩もまたあり得ないのです。私自身も神道流剣術を含めての古流神道夢想流杖術を体現したいがために、鹿島神流をはじめとして優れた各古流の剣術に常に瞠目しつつ、無比流や浅山一伝流の剣術・居合などを学んで来ました。
 かつて文字通りの真剣勝負がおこなわれた時代では、杖の相手となる剣は何流とも知れず、抜き放たれた剣だけでなく、居合、その他の武器が相手ということも、体術が相手のこともあります。幕藩時代までの杖術者は、当然剣術も居合も体術も学んでいたのです。
 したがって、真の杖術を学び、体現しようとする時、剣の本質はいかなるものかを心得て、広範に学ぶ必要があります。それは全剣連杖道の範囲であっても同じことであると私は考えます。杖に対する剣の在り方を追求することは、先に引用した中山博道師範がいみじくも述懐された神道夢想流の特質を少しでも探る糸口でもあり、剣を少しでも学ぼうとすることによって全剣連杖道もより豊かなものになると信じるからです。

タグ :杖道

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Posted by 阿羅漢 at 15:36│Comments(0)杖道
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