2015年12月28日
タイと日本の伝統文化の違い (前編)
最初に、伝統,文化の意味を確認したい。
※伝統―ある民族・集団・社会において、古くから受け継いで行われてきている、有形無形の様式・風習・傾向
※文化―人間が、その精神の働きによって、地上に作り出した有形・無形のものすべてで、学習によって伝承してゆくもの。特に、その物質的所産を「文明」というのに対して、その精神的所産を「文化」ということが多い
(出典:「シャープ電子辞書」)
1、タイの文化(特に、「武術」)一考察
私は地方公務員として、30有余年真面目に(?)勤め上げ、円満に定年退職をした。そして、8年前に諸事情と世の流れで、この地「タイ」に移り住むようになった。
タイとの関係を思い起こせば、この地へ初めて渡ったのは、43か4歳の時であるから、既に、早くも25年近くが過ぎ去っている。
そのような中、私は、退職する5年前から縁あって杖道と巡り合い修行をはじめた。杖道は(海外に住んで居て独り稽古が多い。)昨年なんとか四段を「授与」することが出来た。
そんなことで、合縁奇縁によって、日本から飛行機で約6時間も離れた、東南アジアの一国タイ国に住まわしていただいて居るので、本題の『タイの文化(特に、「武術」)』について考えてみたいと思います。
タイ国の武術(道)と言えば、何と言っても世界的(?)というか、日本でもテレビで馴染みであり、いの一番に挙げなければならないのが、「キック・ボクシング」という名称で知られているのが、「ムエタイ」(タイ式ボクシング『タイ語』มวย ใฑย muai thai)である。
その他にはというと、
以前インターネットにて調べたところ、〔平成23年5月18日投稿「タイ武術」参照〕
(1)フォン・ダンプ(剣の武術)
(2)フォンマイコン(木の棒を使用)
(3)フォンジューン(舞踊的な体操・武術)
(4)クラビ・クラボーン(二刀流)
(参考)タイ語 ・刀(ダブ) ・木(マイ) ・フォン(? 踊り か)
では、これらの武術や舞踊が、日本の武術(道)と同じ様に、日常、恒常的にタイ全土(又は特定地域)で、修練ないしは稽古の類が行われているかというと、(一部の武術を除き)甚だ疑問が沸いてくる。
そのためか、一般の人達がこれらの武術を気軽に、そして、簡単に見る事が出来るか、と言うと希少と言う事の方が妥当であろう、ひいては、興味が沸けば気軽にその「門を叩く」、という好循環の結果も期待でき得ない事になる、のではないかと思料します。
極端な見方をすれば、これらのタイ武術は一般のタイの人達には、全く馴染みが無い点が、、国民に広く浸透する事を阻む、大きな要因ではないかと考えられます。
タイ国内では過去に、伝統的な武術はあまり育ち得なかったのか? … …。
私は日本でも、時代劇、特に、戦闘や戦記物の映画が大好きで、よく見ています。
タイのテレビでも、(言葉は不得手ですので意味は判りませんが。)得に好きなのは、「アユタヤ王朝期」の隣国間と繰り広げられる、領土争い等の戦闘場面が大好きです。その集団の中には、日本人と思しき甲冑等を身に纏った人達の集団も見える。(山田長政か?)
その戦いの場面で私が、特に一番強く印象付けられていて目を引くのが、タイ人の武士(もののふ)が二刀を背負い、それを両の手で自由自在に扱う刀法です。
タイ刀(私が名付けた「シャム刀」)の外観は、日本刀と比較すると柄がかなり長く、それに比べると刀身が短い。何か全体の印象は、不恰好である。(どうしても、日本刀の拵えと比較してしまいますので。)
この様な造りは何故なのか、疑問が有りますが、話を聞く人が居ないので、未だ疑問のままである。
今も特に多く製造されているのが、アユタヤであると伝え聞くが。
(テレビを見ていると)刀法上、この長い柄を片手で扱うのであるから、半分の長さでも十分ではないか、とも思ってしまう。
しかし、実際、今まで自分でこの刀を手にして、十分に扱った事が無い。そのために、刀の構造上事、重心や全体の重さ加減が判らないから、何とも言えないが、この柄の長さで刀を駆使しながら、時には接近戦では、一刀で刀を受けながら、相手を蹴り込み倒す事も有る。この刀と体術の組合せは、頻繁に場面場面で駆使されている。
この動作(刀法と蹴りの組合せ)は遣ってみると判るが、余程修練し慣れないと出来ない。
刀法と体術の組合せ動作は、実際に遣ってみると判るが難しい。刀を片方で受けられても、蹴りを出すという行為が、重心の位置によって出しずらい。難しい動きである事には間違いはない。それをいとも簡単に行っているのである。関心せざるを得ない。
実は二度程この刀を模した「物」を以前、夜店と地方の土産品店頭に、陳列してあるのを手に取って見た事がある。
全体の造作がいい加減である。本当に『駄物』である。金額も安価であるが、造りがいかにも粗悪であり貧相このうえもない。刀身も単に鋼鉄を叩いて伸ばし、それを、研いだもので、柄との接合部分も安直な感じがした。もちろん購入はしなかった。
(後編へ)
※伝統―ある民族・集団・社会において、古くから受け継いで行われてきている、有形無形の様式・風習・傾向
※文化―人間が、その精神の働きによって、地上に作り出した有形・無形のものすべてで、学習によって伝承してゆくもの。特に、その物質的所産を「文明」というのに対して、その精神的所産を「文化」ということが多い
(出典:「シャープ電子辞書」)
1、タイの文化(特に、「武術」)一考察
私は地方公務員として、30有余年真面目に(?)勤め上げ、円満に定年退職をした。そして、8年前に諸事情と世の流れで、この地「タイ」に移り住むようになった。
タイとの関係を思い起こせば、この地へ初めて渡ったのは、43か4歳の時であるから、既に、早くも25年近くが過ぎ去っている。
そのような中、私は、退職する5年前から縁あって杖道と巡り合い修行をはじめた。杖道は(海外に住んで居て独り稽古が多い。)昨年なんとか四段を「授与」することが出来た。
そんなことで、合縁奇縁によって、日本から飛行機で約6時間も離れた、東南アジアの一国タイ国に住まわしていただいて居るので、本題の『タイの文化(特に、「武術」)』について考えてみたいと思います。
タイ国の武術(道)と言えば、何と言っても世界的(?)というか、日本でもテレビで馴染みであり、いの一番に挙げなければならないのが、「キック・ボクシング」という名称で知られているのが、「ムエタイ」(タイ式ボクシング『タイ語』มวย ใฑย muai thai)である。
その他にはというと、
以前インターネットにて調べたところ、〔平成23年5月18日投稿「タイ武術」参照〕
(1)フォン・ダンプ(剣の武術)
(2)フォンマイコン(木の棒を使用)
(3)フォンジューン(舞踊的な体操・武術)
(4)クラビ・クラボーン(二刀流)
(参考)タイ語 ・刀(ダブ) ・木(マイ) ・フォン(? 踊り か)
では、これらの武術や舞踊が、日本の武術(道)と同じ様に、日常、恒常的にタイ全土(又は特定地域)で、修練ないしは稽古の類が行われているかというと、(一部の武術を除き)甚だ疑問が沸いてくる。
そのためか、一般の人達がこれらの武術を気軽に、そして、簡単に見る事が出来るか、と言うと希少と言う事の方が妥当であろう、ひいては、興味が沸けば気軽にその「門を叩く」、という好循環の結果も期待でき得ない事になる、のではないかと思料します。
極端な見方をすれば、これらのタイ武術は一般のタイの人達には、全く馴染みが無い点が、、国民に広く浸透する事を阻む、大きな要因ではないかと考えられます。
タイ国内では過去に、伝統的な武術はあまり育ち得なかったのか? … …。
私は日本でも、時代劇、特に、戦闘や戦記物の映画が大好きで、よく見ています。
タイのテレビでも、(言葉は不得手ですので意味は判りませんが。)得に好きなのは、「アユタヤ王朝期」の隣国間と繰り広げられる、領土争い等の戦闘場面が大好きです。その集団の中には、日本人と思しき甲冑等を身に纏った人達の集団も見える。(山田長政か?)
その戦いの場面で私が、特に一番強く印象付けられていて目を引くのが、タイ人の武士(もののふ)が二刀を背負い、それを両の手で自由自在に扱う刀法です。
タイ刀(私が名付けた「シャム刀」)の外観は、日本刀と比較すると柄がかなり長く、それに比べると刀身が短い。何か全体の印象は、不恰好である。(どうしても、日本刀の拵えと比較してしまいますので。)
この様な造りは何故なのか、疑問が有りますが、話を聞く人が居ないので、未だ疑問のままである。
今も特に多く製造されているのが、アユタヤであると伝え聞くが。
(テレビを見ていると)刀法上、この長い柄を片手で扱うのであるから、半分の長さでも十分ではないか、とも思ってしまう。
しかし、実際、今まで自分でこの刀を手にして、十分に扱った事が無い。そのために、刀の構造上事、重心や全体の重さ加減が判らないから、何とも言えないが、この柄の長さで刀を駆使しながら、時には接近戦では、一刀で刀を受けながら、相手を蹴り込み倒す事も有る。この刀と体術の組合せは、頻繁に場面場面で駆使されている。
この動作(刀法と蹴りの組合せ)は遣ってみると判るが、余程修練し慣れないと出来ない。
刀法と体術の組合せ動作は、実際に遣ってみると判るが難しい。刀を片方で受けられても、蹴りを出すという行為が、重心の位置によって出しずらい。難しい動きである事には間違いはない。それをいとも簡単に行っているのである。関心せざるを得ない。
実は二度程この刀を模した「物」を以前、夜店と地方の土産品店頭に、陳列してあるのを手に取って見た事がある。
全体の造作がいい加減である。本当に『駄物』である。金額も安価であるが、造りがいかにも粗悪であり貧相このうえもない。刀身も単に鋼鉄を叩いて伸ばし、それを、研いだもので、柄との接合部分も安直な感じがした。もちろん購入はしなかった。
(後編へ)