2011年04月24日
少林寺拳法の友のこと(追憶)
私の少林寺拳法の『友』が逝ってしまって早くも2年と数ヶ月が過ぎ去りました。
友は先月の3月31日をもって40年の「消防」勤務から解放されるはずでした。
そして、私が住んでいますこの「イサーン」の我が家に遊びに来てくれるはずでした。
思い起こすとあっという間でしたが、40年近くの付き合いでした。
遠く離れてめったに顔を見ることもなかった時期もただありました。
しかし、いつも気にはなっていまして『彼』は今何処の勤務地にいて、どんな生活をしているのだろうかと。
武道の仲間の中でも『少林寺拳法』の仲間は変な言い方かもしれませんが、「痛み分け」をしてきているだけに、友とのことは『心』の中に深く染み込んでいて、旨く文章には表現できないものが有ります。
上段逆突きを内受けし順蹴りを蹴り返す。また足刀を蹴り返す。逆手刀で打ってきたのを上受けから上受け投げで投げる。小手を握られて逆小手で投げ裏固めにて決め逆蹴りを横三枚に蹴り込む。
手刀打できたところを一本背投げで空中回転をさせ、連反攻を行う。
少林寺の術技はご承知のとおり「突きと蹴り」の他に「柔法」の投げや固めが連続的に区別することなく技の中に出てきます。
今、突き蹴りを遣っていたかと思ったら投げられて、背越一字固めで身動きが取れない状態になっている、ということはただあります。一瞬の間合い又は間の取り方や体捌き、受けを間違えば相手の拳や足が自分の身体に食い込んできます。
演武の開始から終了まで本当に気が抜けません。何度練習を積んでも難しい連続技が続いていきます。
二人が技を掛け合うのは「勝負」ではなく、お互いの心を読みあい呼吸を確認しあいながら、お互いが技の上達向上を目指していきます。(この点が「杖道」に共通しています。)
この「術」が、この「技」がこれだけ利く、というのを相手の身体を使って実験(?)し実践しています。技が決まり息が詰まる位に苦しくなるまで絶えて、床を叩いて利いたことを相手に知らせます。
お互いの技の熟知がなければ昇段審査には臨めず、臨んでももちろん“その段階にあらず”という結果になります。練習はいつも真剣勝負(?)でした。ですから何時まで経っても「少林寺拳法の友のこと」は忘れることができません。
そして今も耳の奥底に残っています、あの奥さんからの電話の声「彼が死んじゃったよ!」。
前にも書きましたが、亡くなった日が私の誕生日というのも因縁の日です。
あの友の「笑い顔」。屈託のない「笑い顔」。今もこの目の前に鮮やかに蘇ってきます。
今日は、この3月末で定年退職になったであろう「少林寺拳法の友のこと」を記載しました。
これにて失礼します。
友は先月の3月31日をもって40年の「消防」勤務から解放されるはずでした。
そして、私が住んでいますこの「イサーン」の我が家に遊びに来てくれるはずでした。
思い起こすとあっという間でしたが、40年近くの付き合いでした。
遠く離れてめったに顔を見ることもなかった時期もただありました。
しかし、いつも気にはなっていまして『彼』は今何処の勤務地にいて、どんな生活をしているのだろうかと。
武道の仲間の中でも『少林寺拳法』の仲間は変な言い方かもしれませんが、「痛み分け」をしてきているだけに、友とのことは『心』の中に深く染み込んでいて、旨く文章には表現できないものが有ります。
上段逆突きを内受けし順蹴りを蹴り返す。また足刀を蹴り返す。逆手刀で打ってきたのを上受けから上受け投げで投げる。小手を握られて逆小手で投げ裏固めにて決め逆蹴りを横三枚に蹴り込む。
手刀打できたところを一本背投げで空中回転をさせ、連反攻を行う。
少林寺の術技はご承知のとおり「突きと蹴り」の他に「柔法」の投げや固めが連続的に区別することなく技の中に出てきます。
今、突き蹴りを遣っていたかと思ったら投げられて、背越一字固めで身動きが取れない状態になっている、ということはただあります。一瞬の間合い又は間の取り方や体捌き、受けを間違えば相手の拳や足が自分の身体に食い込んできます。
演武の開始から終了まで本当に気が抜けません。何度練習を積んでも難しい連続技が続いていきます。
二人が技を掛け合うのは「勝負」ではなく、お互いの心を読みあい呼吸を確認しあいながら、お互いが技の上達向上を目指していきます。(この点が「杖道」に共通しています。)
この「術」が、この「技」がこれだけ利く、というのを相手の身体を使って実験(?)し実践しています。技が決まり息が詰まる位に苦しくなるまで絶えて、床を叩いて利いたことを相手に知らせます。
お互いの技の熟知がなければ昇段審査には臨めず、臨んでももちろん“その段階にあらず”という結果になります。練習はいつも真剣勝負(?)でした。ですから何時まで経っても「少林寺拳法の友のこと」は忘れることができません。
そして今も耳の奥底に残っています、あの奥さんからの電話の声「彼が死んじゃったよ!」。
前にも書きましたが、亡くなった日が私の誕生日というのも因縁の日です。
あの友の「笑い顔」。屈託のない「笑い顔」。今もこの目の前に鮮やかに蘇ってきます。
今日は、この3月末で定年退職になったであろう「少林寺拳法の友のこと」を記載しました。
これにて失礼します。
Posted by 阿羅漢 at 14:22│Comments(1)
この記事へのコメント
見落としがあり今、読ませていただきました。
興味がわいて杖道のYoutube を見ておりました。ご指摘のとおり少林寺拳法のような練習風景を感じました。又、少林寺拳法の錫杖(しゃくじょう)の技を連想してしまいました。杖道と少林寺拳法を合わせたらという技、杖をつかませ、それで投げる、杖の打撃、突き技、と少林寺のけり技、押え技などです。どちらも練習できる環境におられると一つとなる可能性を想像いたしました。
興味がわいて杖道のYoutube を見ておりました。ご指摘のとおり少林寺拳法のような練習風景を感じました。又、少林寺拳法の錫杖(しゃくじょう)の技を連想してしまいました。杖道と少林寺拳法を合わせたらという技、杖をつかませ、それで投げる、杖の打撃、突き技、と少林寺のけり技、押え技などです。どちらも練習できる環境におられると一つとなる可能性を想像いたしました。
Posted by Kenji at 2011年07月26日 20:11